第五章 あくまで親友です。

47話 幼馴染を誘った。

 7月25日、金曜日。

 全国の校長が同一意識を共有しているのではないかと思うほどに聴き慣れた、あるいは聞き飽きた長話が終わり、ついに終業式が幕を閉じた。

 生徒たちは弾んだ足取りで各教室に戻り、担任が一学期最後の号令をして解散。

 待ちに待った夏休みが始まった瞬間である。

 正確には明日からなのかもしれないけれど……ええい、細かいことはどうでもいい!

 

 無雨先生が教室を出たのち、はやる気持ちを抑えながら僕は帰り支度を始めた。

 ああ、これで朝も昼も関係なくアニメ尽くしの毎日を送ることができる!

 学生にとって夏休みほどテンションのあがる期間はない。それは、陰キャの僕でも同じことだった。サーフボードを抱えて奇声をあげる陽キャの気持ちが、いまならすこしだけわかる。


「まずはなにを見よう……『僕パン』はリアルタイムで視聴してるから、撮り溜めてるやつを消化していこうかな? ああでも、昔のアニメを見直すっていうのもアリか……」


「ミツカゲ、ミツカゲはおるか!」

 

 と。クラスメイトたちが各々帰宅していく中。相変わらずの大きな声で、黒縁眼鏡のオタク友達――灰村カイトが、武士のような口調と共にこちらに歩み寄ってきた。

 こんな茶番を仕掛けてくるだなんて珍しい。

 カイトもカイトで、夏休みでテンションが上がっているらしい。


「カイト様。僕でしたら、こちらに」


「おお、そこにおったか! あまりにも小さくて見えなかったぞ!」


「カイト様。介錯をいたしますので、切腹の準備を」


「ナハハハ! 冗談だ冗談、ミツカゲは毒舌よのぅ!」


「して、僕にどのようなご用件で?」


「ああ、そうだった!」

 

 ポン、とわざとらしく手を叩いて茶番終了。いつもの口調でカイトは続けた。


「夏休みの海に行く計画について相談しようと思ってな! 紺野からのグループチャットで、お盆を過ぎてからにしてほしいという要望は聞いていたが、日程や宿泊先はまったく決めていなかったからな! 早いうちに決めてしまおうと思ったのだ!」


「ああ、そういえばその辺りの詳細がまだでしたね……でも、どうしましょう? 赤霧さんと紺野さんは、もう帰っちゃったみたいですし」

 

 先ほど。帰りのHR中に飛んできた赤霧さんのRINEによると、今日は紺野さんとふたりで夏休み開始を祝うパーティーを行うらしい。陽キャっぽいイベントだ。それもあって、今夜の夕飯は作れそうにないとも知らされていた。


「僕たちだけで決めるわけにはいきませんもんね……かと言って、いまからふたりを僕たちの下に呼び戻すのも、なんだか気が引けますし」


「ふむ……まあ、後日RINEで相談し合うのが妥当か。では、俺たちだけで良さそうな候補だけでも探しておくとするか! ノープランのまま相談しても時間を食うばかりだからな!」


「ですね。そうしましょう――、あ」

 

 と。ふと視界の端に、帰り支度をしているルリカの姿が目に入った。

 転入してから十日ほど経ったが、ルリカに友達らしい友達ができた様子はなかった。いまもひとりで、どこか寂しげな表情で鞄に教科書を詰めている。

 変人然とした言動で引かれているわけではない。むしろ学校にいる間は、前に僕が注意したからだろうか、比較的常識的な発言しかしないようになっていた。

 だから。ルリカに友達ができない原因は、その容姿。

 

 綺麗すぎるのだ。

 

 自分の周囲にグラビアアイドルのような体型の人間が、はたまたそれに匹敵するほどの美貌を持つ人間がいるか、思い出してみてほしい。

 そして、仮にそんな人間が身近にいたとしたら?

 まずはじめに『近寄りがたい』と思うのが人間の心理ではなかろうか。

 

 もちろん、中にはそんな心理さえも飛び越えて近づいてくる人間もいるが、十日という短い期間ではそうした勇者も現れにくい。

 ルリカと同じくらい綺麗な赤霧さんは、陽キャ特有の積極性を駆使して交友関係を広げた。中学三年間不登校だったルリカに、そんな対人スキルは望むべくもない。

 それら様々な要素が作用して、いまのルリカの孤独な現状は生み出されていた。

 なら、幼馴染の僕がしてやれることは、ひとつしかない。


「ルリカ。すこしいいですか?」

 

 教室にクラスメイトがほぼいなくなったのを見計らい、僕はルリカに声をかけた。

 思わず目を見開くカイト。僕の幼馴染であることは知っているはずだが、やはりカイトとしても近寄りがたい印象を抱いているらしい。

 物音に気付いた猫のように素早くこちらに視線を向けると、ルリカはトトト、と小走りで僕の席までやってきた。

 その表情は、心なしかうれしそうでもある。


「なに? ミツカゲ」


「夏休み、僕たちと一緒に海に行きませんか?」


「なッ……!? み、ミツカゲお前!」

 

 早まるな、とでも言いたげに、僕の肩を揺さぶってくるカイトを制し、僕は続ける。

 これは、間違っても恋愛感情に起因する行動ではない。

 僕はただ、ひとりぼっちの幼馴染を見過ごせなかっただけだった。


「……海に?」


「はい。お盆を過ぎた辺りに僕とこちらのカイト、そして、赤霧さんと紺野さんの四人で海に行く計画があるんですよ。ルリカはお盆過ぎ、時間空いてそうですか?」


「空いてると思うけど……でも」


「? でも、なんです?」


「……ボクが一緒だと、その、みんな楽しめないんじゃない?」

 

 つぶやいて、ルリカは申し訳なさそうな表情を作ると、僕の隣に立つカイトを見やった。

 クラスでの自分の立ち位置、敬遠されている現状を、ルリカ自身が一番理解しているようだ。

 

 くだらない。

 あの大胆なルリカはどこへ行ったのやら。

 

 僕は鼻で笑い飛ばし、あえて茶化すようにルリカを煽った。


「ハッ。なにを言いだすかと思えば……ルリカ。あなたがひとり増えたぐらいで、海の楽しさは損なわれないんですよ。むしろ、人数が増えることで楽しさが倍増する不思議な場所なんです。それぐらい、海は雄大で面白いところなんですよ」


「……でも、ほかのみんなが」


「ああ、もう面倒くさい!」

 

 言い捨てて、僕は椅子から立ち上がると、目の前のルリカの手を握った。

「は、はわわわ……!?」と動転するルリカを『攻め』ながら、僕は続ける。


「僕たちと遊びたいか、遊びたくないか、どっちなんですか? その二択で答えてください」


「そ、それは……」


「どっちですか?」

 

 問いかけ、僕は手を握る力を強めた。

 すると。ルリカは「~~ッ!」となにかを堪えるように唇を引き結んだのち、降参するかのようにこう告げた。


「あ、遊びたい! ボクもみんなと遊びたいですッ!」


「はい、よく言えました。それじゃあ遊びましょう。カイトも、それでいいですか?」

 

 パッ、とルリカの手を解放して、僕はカイトのほうに向き直る。

 事後承諾になってしまったけれど、大丈夫だよね?

 赤面しながら乱れた呼吸を整えるルリカを横目に、カイトは唖然としつつ、どこか呆れたようなため息をついた。


「ったく。ミツカゲは時々、予想外のことをしでかしてくれるよな……別に俺はかまわんぞ。ミツカゲの幼馴染を省く理由など、どこにも存在しないからな。それに、幼馴染を持つ者同士、白里とはすこし話してみたかったのだ。不意打ちめいてはいたが、まあ、この機会を僥倖と捉えよう」


「……ありがとう、灰村くん」


「う、うむ! た、ただし、まだ俺の対人『BTフィールド』が白里の侵入を拒んでいる状態なので、気軽に話せるようになるまではすこし待ってほしい! いや、待ってください!」

 

 ひぃ、とおびえながらルリカとの距離を取るカイト。

 根っからの陰キャだなあ……いや、僕が言えた義理ではないけれど。

 でも、紺野さんとの打ち解け具合からするに、その『BTフィールド』が消えるのも時間の問題だろう。

 なぜなら。そんなカイトの反応を見て思わず吹き出したルリカの表情は、近寄りがたくもなんともない、ひどく人懐っこい笑顔だったのだから。

 



 

「ミツカゲ。ありがとう」

 

 帰宅後。マンションのエントランスで鉢合わせたルリカに、開口一番そう感謝された。

 変な噂を立てられないように学校を出る時間をズラしたのだが……一緒になるぐらいなら、あまり気にしなくてもよかったかもしれない。


「ありがとうって、なにがですか?」


「海。誘ってくれて」


「ああ、そのことですか」

 

 郵便受けを確認して、僕は淡々とエレベーターに足を向ける。

 RINEのグループチャットで『ルリカも海に連れて行っていいですか?』と訊ねたところ、赤霧さんは当然として、紺野さんも快く了承してくれた。

 近寄りがたいというだけで、嫌われているわけではない。

 そのことが、ルリカにもちゃんと伝わってくれているといいのだけれど。


「ただし。旅行先でのエッチなことは禁止ですからね? まあ、家にいても禁止ですが」


「うん。ボクもそこまでバカじゃない。海では、みんなとただただ遊びたい」


「ですね。思いっきり遊びましょう」


「にゅふふ、にゃはは」

 

 エレベーターに入り五階のボタンを押すと、ルリカは口元を押さえながら笑い出した。

 タッタッタッ、とその場で小さく足踏みして、期待に弾んだ声音で言う。


「久しぶり、夏休みがこんなに楽しみなの。中学の頃は毎日原稿ばっかだったから」


「……よかったです、喜んでもらえて」


「ありがとう、ミツカゲ……にゃはは、ほんとにありがとう」


「どういたしまして」

 

 ポン、と音を立てて、エレベーターの扉が開き、夏の陽射しが僕たちに差し込む。

 あまりのまぶしさに一瞬、視界に映るものすべてが歪んで見えた。

 だから。

 エレベーターを出る間際。ルリカの瞳に喜びの涙が浮かんでいるように見えたのも、きっと、太陽にくらんだせいなのだろう。

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