第7話 多比良マホ、参戦する

 放課後、私はまたもや裏門を使うことになった。

 柊ハルキはどうしても私に話したいことがあるらしい。自分が問い詰めたからだということは、すっかり頭の中から飛んでいた。

 あの3人の恨みを買ったら、余計に面倒なことになりそうだ。金も地位もあるヤツは覚悟なしに敵に回しちゃいけない。予定が狂うのは嫌だけど、部活見学は明日にしよう。


「ちょっと待ってて。いつも一緒に帰ってる子に言ってくるから」

「俺が言おうか?」


 過保護なママのようなことを言い出した柊ハルキには答えず、帰り支度を始めた皆の間を縫って最前列の席に向かう。マホはふくれっ面で席に座っていた。

 ……あ、なんか面倒くさそうな気配がここにも。


「やっと来た」


 私を見あげてそう言ったマホに「ごめん、今日も裏門から帰るね。柊くんたちが話があるんだって」と耳打ちする。彼女は盛大に顔をしかめ、椅子を蹴倒しそうな勢いで立ち上がった。それから私の腕を掴み、教室の隅に連れて行く。


「なんなの!? 一体どうしたのよ! お昼も勝手に行くし、休み時間もクソ野郎たちが取り囲んでて近づけないし、どんな弱み握られたわけ!?」


 マホは私の腕を掴んだまま、低い声で詰問してきた。声量は抑えてるけど、勢いは全く殺せていない。


「マ、マホこそどうしたの。なんで怒ってんの」


 あまりの剣幕にどもってしまう。

 マホは悔しげに歯を食いしばり「あんたこそ何言ってんの。今までずっとつるんできたのに、男が出来そうになったら友達なんかいらないって?」と奥歯の隙間から掠れた声を押し出した。

 言われてみればマホとは、ジュニアスクール時代から昨日まで一緒にいることが多かった。気紛れ猫みたいな性格だから腹立つことは沢山あったけど、助けられたことも数えきれない。

 私にそんなつもりはなかったけど、マホは私に縁を切られると思ったのかもしれない。そんなわけないのに。


「なんとか言いなよ」


 言葉を失った私にますます苛立ったんだろう、マホは据わった目で私を睨んだ。

 背中までの艶やかな黒髪に白い肌。くっきりと目立つ大きな瞳に赤く小さな唇。名のある作家がこしらえた日本人形っぽいマホがそんな顔をすると、夜中に勝手に髪が伸びる呪い人形みたいで怖い。


「ちょっと待ってよ。柊くん達を狙ってるわけじゃないけど、私が婚活がんばるのは分かってたでしょ? マホとの付き合いはお互い結婚したって変わんないよ」

「そんなことない。なんで分かんないの? 私はあんたの相手が純血でもミックスでもパワードなら応援する。それにあんたはそうでも、柊ハルキは絶対あんたを狙ってる。ノーパワーの癖に――」

「マホ!」


 リーズンズが同じ教室にいるのに、なんてことを!

 私はマホの口を両手で押さえた。マホは私をギラギラした目で見据えながら、今度はテレパスで訴えてきた。


「ねえ、もっとちゃんと考えてよ! ノーパワーなんかと結婚したら、良いように利用されて早死にするに決まってる。私とは住む場所も、働く場所も別々になるんだよ? 卒業したら、もう会えなくなるんだよ!?」


 必死な訴えを聞いているうちに、リーズンズと結婚したマホの叔母さんを思い出した。

 要人警護の任務途中で助けた男の人に、マホの叔母さんは一目惚れされたそうだ。一途に想われ愛を囁かれたら、単純な純血パワードは絆されてしまう。

 だけどマホの叔母さんは、リーズンズの子供を産んですぐに死んでしまった。死因は能力の使い過ぎ。旦那さんだった人は、喪が明けるのを待ち構えたように次の奥さんを貰った。次の奥さんも純血で、彼女はミックスパワードの息子を産んだ。


――『今度はちゃんと産まれてくれて良かった。リーズンズの子供は金がかかるばかりで、何の役にも立たない』


 旦那さんはそう言って、叔母さんの忘れ形見を孤児院に入れたそうだ。

 どうしてそんな惨い真似を、出来るものなら私が引き取りたかった、とマホのお母さんは泣いたという。

 純血パワードが済む国営マンションには、たとえ血縁だろうと純血以外の人間が入居することは出来ない。そして純血パワードは、国営マンション以外に住むことを許されていない。

 たった2歳でその子は――マホの従兄弟は、寄る辺を失くした。

 マホのお母さんは年に一度だけ許されてた面会を欠かしたことはなかったけど、その子は結局8歳の時に風邪をこじらせて死んだそうだ。

 小さな骨壺が宅急便で送られてきた日から、マホはリーズンズを『無能ノーパワー』と呼んで憚らなくなった。


「マホ、聞いて。リーズンズ全員があの男みたいな奴じゃないの、ほんとはマホも分かってるでしょ?」

「分かりたくない」


 小声で窘めてみても、マホは頑として首を縦に振らない。


「あんなのの自宅に着いていったら、何されるか分かったもんじゃない。行かないでよ、アセビ」


 こんな時だけきっちり本名を呼んでくるなんて、ずるいよ。

 幼馴染になりふり構わず縋られ、私は根負けしてしまった。

 元々こういうやり取りがすごく苦手なんだよ。マホは知ってて粘ったんだろう。ほんとずるい。でも責められない。リーズンズとの色恋はマホの心的外傷トラウマだ。


「じゃあ、一緒に来て。それならいい?」


 マホは値踏みするように私と、教室の後ろで同じく何やら話し込んでいる3人を見比べた。


「……それならいい」


 辛抱強く返事を待っていると、ようやく頷く。

 クラスメイトはとっくに下校したり部活に行ったりしてしまった。教室に残っているのは、私とマホ、そして転入生達だけだ。


「マホから喧嘩をふっかけないこと。嫌なこと言われてもパワーを使わないこと。その2つを破ったら、本気で絶交するから」

「いいよ。パワー使って喧嘩しなきゃいいんでしょ」


 私のテレパスを読み取り、マホは物騒に微笑んだ。より呪いの日本人形感が増した。


 マホの寄り道届けも出して欲しい、一緒に話を聞きたいそうだから、と柊ハルキに告げる。マホは大きな瞳を潤ませ、上目遣いで小首を傾げた。


「あの……ダメですか? 私、アセビちゃんが心配で」


 出たよ、マホの猫かぶり。

 目的の為には手段を選ばない彼女らしい作戦だ。

 柊ハルキはすい、と目を細め、マホを見つめ返す。


「……多比良……? ああ、なんだ、お前か」


 彼の周りから警戒の色が消えた。柊ハルキは目元を和らげ、「お前ならいい。むしろ一緒に来て欲しい」と言った。今度はマホの警戒レベルが一気に脹れあがる。私は慌ててマホの手を掴んだ。

 この人のこういう謎かけめいた言葉が気になるから、話を聞きたいの!

 心の中で叫ぶと、マホは肩の力を抜き、引き攣った頬に何とか愛想笑いを浮かべる。猫かぶり自体は上手いんだけど、すぐに地が出ちゃうんだよね。そこが純血パワードの悲しいさがだ。


 今度は裏門の開く時間ちょうどを狙って校舎を出たお蔭で、カップル達のいちゃらぶ光線爆撃に合わずに済んだ。門を出てすぐのところに、黒塗りの大きな車が停まっている。柊ハルキの送迎車だ。校外学習に出かける時によく使ったから、リムジン自体はそんなに珍しくないけど、でもやっぱりお金持ちなんだなと再認識する。

 車の中では、主に入澤くんがマホに話しかけていた。御坂くんは端末を操作しながら難しい顔で画面に集中している。入澤くんはマホが気に入ったのかもしれない。パワードの男子達からモテモテなマホだけど、リーズンズのことも惹きつけるなんて流石だ。


「多比良さんはすごく友達想いなんだね。そういう子、好きだな~。ね。マホちゃんって呼んでいい?」

「私、自分の名前があんまり好きじゃないんです。苗字で呼んでもらえたら嬉しいな」

「そうなの? 可愛い名前なのに~」

「入澤くんの名前の方がカッコいいですよ」

「じゃあ、ケイシって呼んでいいよ」

「ふふ。もっと仲良くなったら、呼ばせて貰いますね」


 猫かぶりマホVSチャラ男入澤くんの攻防をにやにや眺めていると、柊ハルキの視線を頬に感じた。

 みてみて! こっち見て! ってワンコが尻尾を振っているような感覚満載で、とてもじゃないけどそっちは見られない。

 どんなに懐かれても、私は飼えません。そこまでの度胸も余裕もないんだ、ごめんね。


 送迎車には驚かなかったけど、柊ハルキの自宅には度胆を抜かれた。

 東京の一等地にこんなに大きな一軒家を立てられるなんて、彼の実家は桁違いの資産家だ! やっぱり喧嘩売っちゃだめな部類の人じゃん。

 家というより、御屋敷って感じだった。車でだいぶ進まないと家に到着しない広い庭もすごいし、でっかい噴水もすごい。あの噴水、何に使うんだろ。

 玄関先まで出迎えに来た使用人たちに向かって、柊ハルキは軽く手を振った。


「構わなくていい。離れを使う。茶もいらない。こっちでもてなすから、誰も近づけさせるな」


 畏まりました、と頭を下げる彼らの前をおっかなびっくりで通り過ぎ、すたすたと先に進んでいく柊ハルキの後をついていく。


『なにあれ。自分の金で雇ってるわけじゃない癖に、超えらそう』

『次期当主だからいいんじゃない? 知らないけど』

『アケビの弁護、適当すぎ。今度からアイツのこと、王子ってよぼっか。王子かっこ笑』


 こそこそマホとテレパスでやり取りしていると、柊ハルキの足取りがどんどん荒くなった。悪口聞こえてみたい……って。あ、もしかしたら装置使ってるのかも!


『マホ、しーっ。王子、パワード装置持ってるからうちらの会話聞こえてるかも』

『ああ、そういえば実験しにきてるんだっけ。ん~。でもそれっぽいもの見当たらないな……』


 ピアスがそうなんだよ、と思いかけ、内緒だったと慌てて心の中で口を噤む。だけどマホは容易く私の心を読んでしまった。


『へえ、すごい小型化されてんだね。どれくらいの力を出せるんだろ』


 迷路みたいに何度も廊下を曲がり、ようやくたどり着いた突き当りの部屋のドアを開け、柊ハルキは私達を振り返った。ものすごくげんなりした表情で、主に私を見てくる。


「お前なぁ……」

「だから言ったんです」


 柊ハルキの溜息混じりの声に被せたのは、御坂くんだった。私たちの後ろにいた彼を振り返る。入澤くんは御坂くんの隣で苦笑を浮かべていた。


「彼女が16になるまでは、詳しく話さない方がいい。この調子では、私たちの情報は敵に筒抜けになりますよ」

「……どこまでなら話せる?」


 柊ハルキは苦しげに眉を寄せた。


「会えるかどうかは賭けだった。俺は言いたい。隠しておきたくない」

「気持ちは分かります」


 2人の会話をただポカンと聞いていた私と違い、マホはみるみるうちに顔を強張らせた。


「――なんなの。あんた達、何者なの。なんでそんな真似できるの?」


 マホまで何か悟ったようなことを言い始める。


「ちょ、待って。え。どうなってるの?」


 完全に蚊帳の外に置かれたことだけはかろうじて分かり、私は慌てた。何が何だかさっぱり理解できない。

 柊ハルキはマホに視線を移し、じっと彼女を見つめた。マホも彼を凝視し始める。


 ……テレパス? 

 まさか、テレパスで話してるの?


 マホの強力なプロテクトのせいで、聞き取れない。私とテレパスで話していた時はフリーだったのに、いつの間にかマホはプライベートモードに切り替えてしまっていた。特定のグループチャットが可能なテレパス能力の一つだ。私はまだその技術を取得出来ていない。


「――――出来るよ」

「それならいい。今の段階で話せることは、全て話す」

「嘘が混じってたら、私にはすぐに分かるから」

「そうだな。俺にも分かる」


 やがて彼らは声に出して、会話を締めくくった。

 柊ハルキは、御坂くんと入澤くんを見て説明を始めた。


「大丈夫だ。多比良の能力はこちらの予想以上に開花している。アセビに事情を話しても、後から彼女の脳内にプロテクトをかけ情報を俺達以外の第三者から隠すことは可能だそうだ」

「いくら校外とはいえ、そこまでパワー使ったらバングルに記録残っちゃうでしょ。多比良ちゃんが目をつけられて調べられたら、まずいんじゃない?」


 入澤くんが言うと、御坂くんが「いえ。それなら手はあります」と首を振る。


「もしかして、鍵使うつもり?」

「ハルキ様に抑え込んで貰えれば、30秒ほどで替えられる。大した影響はないでしょう」

「……君はそれでいいの?」


 入澤くんは真剣な顔でマホを見た。

 マホは「あんたに心配される義理ない。嘘があるなら、私には分かるって言った」と答え、3人を順番に見つめた。それは静かで、でも射抜くような視線だった。


さん達に警告だよ。もし今のが全部芝居なら、コケにしたつけは命で支払ってもらう。純血舐めんな。私は罰なんて怖くないんだから」


 マホは本気だ。

 わけが分からないまま震えあがったのは、私一人だった。

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