第60話 カウントダウン
マホとサヤの偵察大作戦は、無事成功した。
やり切った顔で戻ってきた2人は、端末で撮ってきた写真を私達に見せながら報告してくれる。
「髪の毛ばっさり切って染めて、眼鏡かけてるけど、間違いなく旭シノだよ」
どこからどうやって撮ったのか、写真にはベランダに出て鉢植えに水をやっている旭シノが映っていた。
拡大してよく見なければ、彼女だとは分からないほど痩せている。赤茶けたショートウルフヘアに、黒縁の大きな眼鏡。指名手配書の白衣姿からはとても連想できない変わりようだ。
「以前尾行した時、一緒に移動してたミックスの男がいたんだけど、その人と同棲してるって設定みたい。日中はずっと引きこもってて、買い物もネットスーパーがメインらしいわ」
「そうか。分かった、ありがとう」
ハルキくんは2人が持ち帰ってきた情報を手早くまとめ、対テロ委の本部へと転送した。
それから、私達に向き直って両手を組む。
彼が何かを説明しようとする時の癖だ。
「今、旭シノの身柄を拘束すると、また未来が分岐してしまう可能性が高い。マンションに踏み込むのは文化祭前日――予知夢で父が攫われる時刻に合わせてもらうつもりだ」
ハルキくんの言葉に、入澤くんと若月先生が頷く。
入澤くんは電子ボードの前へと移動し、USBを差し込むとパスワードを打ち込んで保存画面を呼び出した。これまたハルキくんが持ち込んだ真新しい電子ボードの画面に、予知夢を纏めたタイムスケジュール表が表示される。
入澤くんは、文化祭前日である11月14日、金曜日の朝9時半の部分を指さして言った。
「未来では、ここで偽情報を掴まされた委員会のメンバーから旭シノの居場所がリークされる。報告した委員にはおそらく見張りがついてた。彼が電話するのを見計らって、別働隊が柊ユウさんを拉致する流れだったんだろうね。俺達はこの時間に、本物の旭シノを確保するってことかな」
おお~。
電子ボードを見ながらだと、すごく分かりやすい!
文化祭前日に起こった全ての出来事が、起きた時刻と共に綺麗に整理されている。
「柊ユウさんについてるSPは? 未来では周防サイドに出し抜かれたみたいだけど、大丈夫?」
サヤの質問に、ハルキくんは首を振った。
「父についているSPは変えない。文化祭が決行される以上、文化祭前日に起きることは全て起こさせなければならない。途中で分岐してしまえば、対策が打てなくなる」
「……え? どういうこと?」
マホがきょとんとした顔で聞き返す。
私もマホと同じ点に引っかかった。全部起こさせたら、大変なことになるんじゃ――。
「私も分からない。わざとユウさんを拉致させるってこと? 私達って、未来で起きることを阻止する為に動いてるんじゃないの?」
「もちろんそうだ。その為にも、俺達が知らない未来へと分岐してしまうのは困る。周防キリヤが計画を変更すれば、先手を打てなくなる」
ハルキくんはそう答え、入澤くんに視線を移す。
入澤くんは頷き、電子ボードのスケジュール表に赤い囲みを入れていった。
「そうだね。外せないのは、柊ユウさんの拉致。あとは、柊と神野ちゃんが研究所の敷地にある別棟へ行って姿を消すこと。それと、テロ対委を通じて当日の業者と警備の入れ替えの指示をすることかな。特にこの3つは変えちゃダメだろうね」
赤い囲みがついた出来事を見て、ますますわけが分からなくなった。
それはどうやらマホも同じだったみたいで、頭をがしがしかき回し悲鳴に似た声をあげる。
「そんなことしたら、テロが起こっちゃうじゃん!」
「なるほど、そういうことね」
同時にあがった声はサヤのものだ。
サヤは理解できたみたいで、納得したように頷いた。
「未来で起こるはずの出来事は、同じように起こす。だけど、その中身は変えるってことでしょう?」
「そういうこと。鈴森はかしこいな!」
若月先生が嬉しそうにサヤを褒める。
あ、これ知ってる。よく座学の授業中にみかける流れだ。
私とマホは顔を見合わせ、声をひそめてお互いの察しの悪さを嘆いた。
「ねえ、これパワードがどうとか関係なくない?」
「それ思った。単にうちらの理解力の問題では?」
私達のやり取りを見ていたハルキくんが慌てて口を挟んでくる。
「いや、最初にしっかり説明できていなかった俺の問題だよ。ごめん、今からはな――」
ところが彼の説明は、事務AIの朗らかな校内放送の声で遮られてしまった。
『ただいま、19時10分前です。校内に残っている生徒は、すみやかに正門へと移動して下さい。繰り返します、ただいま19時10分前です。本日最後の開門となります。職員は各教室の巡回、施錠を始めて下さい』
全員が一斉に壁の時計を確認する。
もうこんな時間か! 途中から時間を確認するの忘れてた。
「まずい、見回り報告聞かなきゃいけないんだった」
職務を思い出して慌てる若月先生に急かされ、私達は超特急で片付けを終わらせた。
視聴覚室を出るとすぐに、先生が教室の鍵をかける。
「見回りと職員会議終わってからそっち帰るな。21時前くらいになると思う。皆も気をつけて帰って。んじゃ、とりあえずお疲れ様!」
先生は早口で言うと、急ぎ足で去っていった。
あんなに慌ててる先生、初めて見た。私もちゃんと時計見とけばよかったな。申し訳ない。
「……先生、1人で大丈夫かな」
ポツリとサヤが言う。
マホはサッと顔色を変えて、サヤに噛みついた。
「そういう不吉なこと言わないで、怖くなるじゃん! 大丈夫だよね? アセビ。何か嫌な予感がするとかないでしょ? ないよね?」
入澤くんを見送ってからというもの、マホはこれまで以上に今の仲間に執着するようになっている。
『あんた達に何かあったら、私は絶対暴走するから』というのがマホの最近の口癖だ。それだけ大事ってことなんだろうけど、その大事な仲間が一番脅されてる気がする。
「ない、と思う。何も起こらないはず、文化祭前日までは……って、そうか! そういうこと!」
私にもようやくハルキくん達の言いたいことが分かった。
未来を知った私達が不用意に動けば、また新しい未来が生まれてしまうんだ。それは、セントラルで若月先生が襲われてしまう未来かもしれない。
それを避ける為に、私達は何も変えちゃダメなんだ。
柊邸に戻った私達は、本邸の広いダイニングルームで晩ご飯を食べながら、未来を分岐させずに変える方法について話し合った。
途中まではしかめっ面で聞く側に徹していたマホも、食事が終わる頃には晴れやかな表情に変わっている。
「――私にも理解できた! ……と思う。間違ってたら大変だし、復唱させて」
マホはそう言うと、指を折って数え始めた。
「まず一点目。柊パパさんは拉致させるけど、研究所に到着するまでに相手を制圧、私達が彼らになりすます。二点目。柊くんとアセビは、研究所の離れへ行く。その間に、警察が旭シノのマンションに踏み込み彼女を逮捕。研究所で実働隊のボスと戦闘、制圧。三点目。研究所の地下にあるクローン培養ポッドの写真とデータを警察に送る。四点目。周防キリヤには、実働隊のボスの端末から経過報告。それから、えーと……」
途中で考え込んだマホに、助け船を出す。
「当日の業者と警備の入れ替えを指示する、だよ」
「そうだった! 出来れば前日までにRTZ側の警備員と業者を特定しとくんだよね。五点目。ハルキくんの合図で彼らを制圧後、こっちの味方と入れ替える。ラスト。当日送り込まれてくる元傭兵部隊は私とサヤ、アセビで無力化のち拘束。洗脳を解いて警察に引き渡す。私達の文化祭の発表はそれで終了。どうかな、合ってる?」
マホが話し終えると、入澤くんが嬉しそうに笑って拍手する。
「合ってる! メモ取れないのに聞いたこと全部言えるって、マホちゃんすごい!」
「でしょ、でしょ」
マホは得意満面な顔でウインクを飛ばした。
入澤くんに出会ったばかりの頃のマホなら「なにそれ、イヤミ?」くらいは言ってる場面なのに。本当に変わったな、としみじみ思う。
「それにしても、かなりの力業よね。ぶっつけ本番だし実戦だって多い。しかも一つだってミスは許されない」
顎に手をかけてそんなことを言うサヤを、私はじっと見つめた。
「こわい?」
答えは分かりきっていたけど、あえて声にだして聞いてみる。
サヤはふっ、と表情をゆるめ「まさか」と片眉をあげた。
「私が本当にこわいものを、アセビは知ってるでしょ?」
「うん。サヤが怖いのは、何も出来ないまま終わってしまうこと。ご両親やうちの父さんが懸命に繋いできたサヤの命に、何の意味もなかったと思ってしまうこと」
「そうだよ」
サヤは綺麗に笑って、答えた。
「私が怖いのは、それだけ。たとえ能力の全てを使い切ったとしても、私は絶対に今回のテロを阻止してみせる」
彼女の声に込められたどこまでも強い意志に、胸が熱くなる。
サヤが本当に言いたかったのは、「だから、誰も私を止めるな」だ。
サヤとの別れも近いのかもしれない、とぼんやり思う。
御坂くんの時は、まだ耐えられた。彼の未来は明るいと知っていたから。
サヤとの別れも、耐えられるだろうか。彼女の心からの願いが叶った後なら、そう思えるだろうか。
「バカ言わないで。サヤだけにいいとこかっ攫われるとか、冗談じゃない!」
しんみりしてしまった私をよそに、マホが鼻息を荒くして言う。
「ここにいる皆が、悲惨な10年後の未来を変える6人なんだよね? じゃあサヤだって私だって、10年後の未来にいなきゃいけない。御坂くんにも頼まれたじゃん、必ず未来を変えて下さいって。文化祭で簡単に能力使い切って死ぬとか、そんなの絶対許さない……っ」
マホの声はちょっとだけ、震えていた。
拳を握って力説する彼女を、サヤと入澤くんがびっくりしたように見つめる。私も正直驚いた。
短命であることにある種の達観と、誇りを抱いてるのが純血パワードなのに。
そしてマホは、誰より純血パワードらしい人なのに。
「そうだね」
サヤは反論しなかった。彼女は照れくさそうに微笑み、こくりと頷く。
「正直、どれだけセーブしても20歳は越えられないと思ってる。でも、大事に使うって約束するね。ちゃんと効率よく使うって。それならいい? それなら、マホはお別れの時に泣かない?」
「は? 私が泣くわけないでしょ」
マホは袖口でぐい、と目尻をぬぐってぶっきらぼうに答えた。ここでツンを発動させるのか、マホよ。もう手遅れな気がするけど、いいのか。
「うん、ホント泣かないでね。笑って見送って」
「無茶言うな、バカ!」
マホは怒って、サヤの肩を強めに叩いた。
サヤはえへへ、と笑っていた。どうやらわざとからかったらしい。
2人のじゃれ合いを眺めているだけで、幸せな気持ちになる。
きっとサヤの言うとおり、この掛け合いは長くは続かない。だからこそ、こんな愛おしいのかもしれない。
生まれてくる男女比率は開くばかりで、どんどんその出生数を減らしていっているパワードは、このまま滅んでいくんだと思う。その方が自然だと、最近は思うようになってきた。
この世界のどこかで毎日起こっている沢山の面白いことや楽しいこと、悲しいことや辛いことを味わい尽くすには、パワードの寿命は短すぎる。
祖母が願わなくても、周防キリヤが実現しようとしなくても、きっとその時は訪れた。
世界の歪みは、長い、長い時間をかけてゆっくり世界自身で治していくんだろう。
世界を滅ぼそうとあがいたって無理だし、救おうと懸命になったって無理な気がした。私達は結局、与えられた人生を自分の出来る範囲で、精一杯生きることしか出来ないのかもしれない。
お風呂に入った後、私は父さんの端末に電話をかけた。
たまたまマンションに戻っていたらしく、すぐに電話に出てくれる。
祖母について話したい、と切り出すと、父さんはすぐに「分かった」と答えた。
「僕がそっちに行く?」
「ううん、私がそっちに飛ぶ」
「そうか。ハルキくんには言ってから来るんだよ」
「了解」
ハルキくんの端末に『父さんと話してくるね。マンションにテレポートするけど、30分で帰ってきます』とメッセージを送る。
ハルキくんからもすぐに『分かった。気をつけて』と返事がきた。
柊邸で暮らし始めたのはつい最近のことなのに、マンションの玄関前に飛んだ途端、圧倒的な懐かしさに襲われる。バングルを認証ボックスに通しただけで泣きそうになって困った。
『ジンノアセビ キタク 21:54:06』
「はいはい、ただいま戻りましたよっと」
いつも言っていた台詞をただいまの代わりにして中に入る。
キッチンから香ばしいコーヒーの匂いが漂ってきた。ということは、父さんが就寝前のリラックスタイムに入ってるってこと。
私の予想通り、父さんももうお風呂に入ったみたいで部屋着姿だった。コーヒーメーカーの前に立っているその後ろ姿を、じっと見つめる。
父さんはこちらを振り返らないまま、笑みを含んだ声で尋ねてきた。
「おかえり。あーちゃんも飲む?」
「ただいま。うん、砂糖もミルクもたっぷりのやつがいい」
「いつものだね。ソファーのとこ、座って待ってて」
「はーい」
以前よく交わしていた会話をして、ソファーに落ち着く。
つけっぱなしのTVから流れているのは、海外ドラマ。母さんが好きでよく見ていたらしいその番組の再放送がある度、父さんは飽きずに同じ番組をつけるのだ。
私も、またこれ? なんて言いながら父さんの隣に座って、数名の男女が繰り広げるラブコメディを眺めるのが常だった。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
ローテーブルに置かれた私専用のマグカップに息を吹きかけながら、今日あったことをポツポツ話す。
早乙女キクさんのメモの話には、流石の父さんも顔を顰めた。
「――そうか。そんな酷いことがあったんだね。アザミさんが話したがらなかったはずだ」
「うん……。おばあちゃんが死んだ直後に内閣が解散して再選挙があったって、ハルキくんは言ってたよ。その後の選挙で、政権は周防キリヤが所属してた野党に移ったんだって。世間向けには別の理由がでっちあげられてたけど、多分、早乙女キクの自死の責任を取って総辞職の流れになったんだろう、って」
父さんは真面目な顔で私の話に相槌を打った。
手記の最後のページと、その時見えた過去についても打ち明け、話を終える。
父さんは私の顔を覗き込み、小声で尋ねてきた。
「もしかして、周防キリヤさんに同情してしまったとか?」
数日中には父さんも知ることになる情報だ。わざわざ私が直接話しにきたことに、何か理由があると思ったらしい。私は首を振り、父さんの視線をまっすぐ受け止めた。
「おばあちゃんも周防キリヤも可哀想だし、気の毒だとは思う。でもだからって、無差別テロを起こしていい理由にはならない。自分が不幸になったからって、人の不幸を願うのは理不尽だよ。少なくとも私はそんなの認めないし、手加減しない。……それを懺悔したかった。おばあちゃんの最後の願いなのに、正反対のことをしてしまう薄情な孫でごめんね、って。もうおばあちゃんも母さんもいないから、代わりに父さんに聞いて欲しかったんだ」
「そうか」
父さんは短く答え、黙ったまま私の頭を撫でた。
暖かい手のひらの感触に、嬉しいような寂しいような何とも複雑な気持ちになる。
父さんに甘えるのもこれが最後だ。
私は守られているだけでよかった子ども時代に背を向け、全ての行動に責任が伴う大人への一歩を踏み出す。
誰かと戦うって、そういうことだ。
別れ際、父さんは眩しげに瞳を細め、励ますように声をかけてくれた。
「母さんもきっとアセビの選択を支持すると思う。母さんが選んだのは、名前も顔も知らない大勢の人を救うことだ。自分の母親の個人的な復讐じゃない」
「うん……! ありがとう、父さん」
私はすっきりした気分で外に出た。
夜空に輝く星を見上げ、大きく息を吸ってテレポートを発動する。
戻った柊邸の客室では、マホとサヤが『人体の急所図鑑』を2人で読み込んでいるところだった。
若月先生に許可を貰って借りてきた閉架書庫の本だ。
少ないパワーと少ない時間で効果的に敵を殲滅するやり方を学ぶのは、とても大事なことだと思う。
私もハルキくんに言って予知夢で見たのと同じタイプの銃を取り寄せてもらおう。一瞬で解体できるように訓練しとかないと。
文化祭まで残り二ヶ月弱。
運命へのカウントダウンが始まった。
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