第20話 一人足りない?

 片づけを終えて時計を見ると、17時を回っていた。

 更によれよれ度が増した柊くんをお風呂に放り込み、その間に腹ごしらえを済ませようと台所へ向かう。夕食にはちょっと早い。冷蔵庫の前で迷ったあげく、牛丼に決めた。よかった、ご飯が無事で……。炊飯器から中身が飛び出てたら泣いてた。

 レンジで温めた牛丼の具材をほかほかの白飯にかける。食欲を煽る肉の匂いが鼻先に漂ってきた。この食品メーカーのレトルトは絶品なんだよね。

 いそいそとテーブルへ移動し、つゆだくのご飯と甘めの牛肉を口いっぱいに頬張る。しっかり煮込まれた玉葱にもほどよく味が沁みてて、最高に美味しい。

 あっという間にたいらげ、二杯目にとりかかったところで、柊くんがお風呂場から戻ってきた。


「俺だったからいいものの、よその男に同じ真似をするなよ? 勘違いするやつだっているんだからな!」


 同じ真似って何だろう。本当は入りたいと思ってるのに遠慮してるのが分かったから、てっとり早くスーツを脱がせようとしたことかな。

 柊くんはぷりぷり怒っていたけど、全く怖くなかった。最初は怖かったのに不思議だな。私は口の中のご飯を飲みこみ、こくりと頷いてみせた。


「分かった。柊くんだけにする」


 素直に告げると、柊くんは返事に詰まってしまった。ぐ、と黙り込み、頭からかぶったバスタオルで髪をふき始める。真新しい紺色のスウェット姿で濡れ髪を拭く柊くんを、じっと観察してみた。

 彼のスーツは捨てるしかないレベルの酷い代物に変わり果てていたから、買い置きしてあった父さん用のルームウェアを出したんだよね。それこそ遠慮するかと思ったのに、大人しく着替えてきたんだ。

 無防備な色気を漂わせる柊くんを眺めているうちに、胸が締め付けられた。きゅう、と微かな音が鳴った気がして耳を澄ませる。

 彼へと気持ちが傾く度に嬉しくなるのは、どうしてなんだろう。柊くんと一緒にいると、不思議なことだらけだ。


「怒って悪かった……さっぱりしたし、これも助かった。ありがとう」


 自分の胸元をつまんで、柊くんはお礼を言った。高そうなスーツがダメになったのは私のせいなのに、律義な人だと感心してしまう。

 父さんが帰ってくるまで一緒にいてくれるというので、夕ご飯を食べていくよう勧めた。


「いや、そこまでして貰うわけには……」


 柊くんはまた遠慮したけど、能力が目覚めたせいで、本音か建て前かすぐ分かるようになっちゃったんだよね。見えない尻尾がパタパタ揺れてる。本当はすっごく食べたいみたい。といっても、パワード用にカロリー調整されたレトルトは出せないし、どうしよう。


「自炊殆どしないから、レパートリーあんまりないんだ。えーと、カレーでもいい?」

「カレー、好きだよ。アセビもまた食べるのか?」


 牛丼は軽いおやつですが何か。

 手伝ってくれるつもりらしく、柊くんはバスタオルを置き、私の後をついてきた。

 まずは冷蔵庫にあった野菜を、手分けして切ることにする。誰かと並んでご飯を作るのは久しぶりで、なんだか胸がぽかぽかした。


「これって新婚さんみたいだね!」


 ふざけるなってまた怒られると思ったのに、柊くんは黙ったまま袖で目元を拭った。玉葱の汁が目に染みたんだと言い訳してたけど、彼が刻んでたのは人参だった。


 ちょうどカレーが出来上がったタイミングでインターホンが鳴った。父さんは鳴らさないし、きっとマホ達だ。……ええ~。カレー、私と柊くんの分しかないんですけど。

 あからさまな不機嫌な顔で出迎えた私を見て、入澤くんは口笛を鳴らした。


「なにその顔~。そんなに俺ら、邪魔だった?」


 ニヤニヤ笑う入澤くんに「うん。もうちょっと後で来てくれたら良かったのに」と抗議する。夕食タイムは避けて来るのがマナーじゃないの? 

 入澤くんは「え……それ、マジなやつ?」と目を見開いた。


「誰だった? ……ああ、皆で来てくれたのか」


 そこにスウェット姿の柊くんがやって来る。ドライヤーを使わなかったせいで、髪はまだ湿っている。

 前髪を下ろした柊くんの登場に、マホは何を勘違いしたのか「やだぁー!」と悲鳴をあげ、入澤くんにビンタを食らわせた。


 なぜ叫ぶ。そしてなぜビンタ。


 避けずに殴られてあげた入澤くんはえらい。何てことない顔をしようと頑張ってるけど、真っ赤になった頬が可哀想だ。


「マホ、謝りなよ!」

「う……ご、ごめん、つい」


 つい、でビンタされたら堪ったもんじゃない。それだけマホが入澤くんに気を許してるってことなんだけど、彼は分かってるのかな。入澤くんは優しいから、分かってて避けなかったのかもしれない。


「まあ、まあ。びっくりしちゃったんだよね、柊が風呂上りだから。っていうか、なんで? 流石の俺も引くんですけど」


 おどけてみせる入澤くんの頬に手を伸ばし、ヒーリングをかけてみる。触れるか触れないかのところで能力は発動し、みるみるうちに頬の赤みと腫れは引いていった。


「神野ちゃん、これって……」

「うん。覚醒したみたい」


 マホは私の返事を聞くが早いか、素早くバングルに触れた。制御レベルを下げ、あっという間にテレパスのグループチャットルームを作り上げる。


――どうやって覚醒したの? 体は何ともない?

――大丈夫。えっとね、こんな感じで……。


 全員同時にテレパスでやり取りするのは、これが初めてだ。ダイジェスト版の映像を再生し、予言の絵本を見つけた経緯と内容を伝えた。


――それはお疲れ様でした。 

――神野ちゃん、よく頑張ったね。 

――ハルキ様の恰好はそういうわけでしたか。 

――ケイシ、下世話な想像をするな。 

――ええ~、だっててっきり……。 

――それ以上妄想垂れ流したら、あんただけ即遮断するから。


 あまりの便利さと意思疎通の早さに、震えがくるほど感動する。

 そうか、これが本来のパワードの世界か。


 学園で特に変わったことはなかったらしい。私が欠席したことを怪しがる人もいなかったみたい。

『あんなに何も出来ないんじゃ、そりゃ来たくなくなるよね』一つだけ空っぽの机を振り返り、皆が笑ってる場面が見えた。


 お互いの情報をおおかた共有するのに、5分もかからなかった。

 これ以上はマホに負担がかかる。私がそう思った瞬間、全員がチャットルームから離脱した。


「寿命使わないネクストパワード、か」


 マホがバングルの制御レベルを戻しながら、ポツリと呟く。


 柊くんの緊張が一気に脹れあがった。テレパスを使わなくても、彼がマホへの警戒を高めたのが分かる。マホはハッ、と柊くんの不安を鼻で笑い飛ばし、腰に手を当てた。


「言っとくけど、羨ましいとか、これっぽっちも思ってないからね。リーズンズには分かんないだろうけど、長生きしたいと思ったことなんて一度もない。だけどアケビが長生き出来るのは、いいことだと思う。どっちかだけ早死にって、辛いじゃん」


 マホは私と柊くんを順番に指差し、「良かったね」と唇を曲げた。

 作り笑いは可愛いくせに、素の笑顔は微妙なマホ。本当は誰より情が深いくせに、優しさを表に出したら負けだと思ってるマホが、笑った。

 明日死んじゃうんじゃないかと不安になった。


 玄関で立ち話もなんだし、中へ入るよう促す。

 御坂くんは鞄から取り出した2つのダミーバングルを認証させ、マンションの通報機能を遮断した。いつもは広すぎるくらいのリビングダイニングが、一気に狭くなる。スパイシーな香りを嗅ぎつけ、入澤くんは鼻をうごめかせた。


「お、カレーか~。いいね! 神野ちゃん、料理できたんだ」

「これは私と柊くんのだから。何か食べたいなら、何でも使っていいから勝手に作って食べて。私は今からカレー食べるから、作って欲しいなら食べ終わるまで待ってて」

「大丈夫ですよ、誰も取りませんから」


 カレー鍋を背中に隠してまくしたてる私を、御坂くんが宥める。


「柊、一口ちょうだいよ」

「絶対にやらん!」


 私のカレーを狙うのは諦めた入澤くんは、今度は柊くんに目をつけた。だけど柊くんもやっぱりお腹がすいていたのか、本当に一口もあげなくて、妙に親近感が湧いた。分かる、分かるよ。食べ物ってそうそう人に分けられないよね。


 マホとは小さい頃からお互いの家をよく行き来している。

 彼女はスクールバッグを椅子に置いて台所へ移動すると、食品庫を漁り始めた。勝手知ったる自分の庭という感じだ。


「アケビー。パスタあるけど、食べていい?」

「いいよ。でも、パスタソース切らしてるんだ」

「トマトとベーコンあるし、適当に作るわ」


 マホはまだ立ったままの入澤くんと御坂くんを振り返り、「あんた達も食べる?」と聞いた。


「食べる! マホちゃん、やっさし~」


 入澤くんは大喜びでマホに飛びつき、直後、頭を抱えて蹲っていた。きついお仕置きをくらったんだろう。今のは自業自得だ。

 5人で夕食を食べ、食後のコーヒーを飲んだ後、母さんの絵本を囲んだ。


 母さんが『王女様』で私が『その娘』だろうという前提で話は進む。

 復讐ってアザミの花言葉なんだね。御坂くんに教えて貰って初めて知った。

 やがて『固い絆で結ばれる仲間が4人。娘と王子様を合わせて6人。1人欠けても開かない、新たな希望の道が見えました』という部分にさしかかる。

 入澤くんが「王子様」のところで噴き出し、そんな入澤くんの首を柊くんが締める振りをしたので、シリアスとは程遠い雰囲気だった。


「仲間がうちらのことだとして。これって、1人足りないってこと? 足りないと駄目ってこと?」


 4の数字に、マホが疑問の声をあげる。柊くん達も同じ部分が気になるようで、じっと文章を見つめている。御坂くんは体を起こすと、私に視線を移した。


「それこそ、神野さんに見て貰えばいいのでは? 今日は覚醒したばかりで安定していないかもしれませんが、時間はまだあるはずです」


 時間はまだある、ってどういう意味?

 隣に座った柊くんを見上げる。彼は眉間に皺を刻んだまま、重い口ぶりで説明してくれた。


「俺達がいた未来で神野ヒビキが亡くなったのは、来年の11月だ。学園祭の最終日、調理実習室で爆発が起こる。その爆発事故に巻き込まれて死亡したと記録には残っていた。だが、アセビ本人に裏を取ったことはない」

「爆発事故!?」


 私が見た、過去とも未来ともつかない映像とは違う! 父さんが死んだのは教室の前の廊下だったし、殺した相手は目の前にいた。私が主張すると、マホは首を振りながら両手をあげた。


「ごめん、何が何だか私には分かんない。考察とか推理とかそういうの、ホント向いてないんだ」

「分かる」


 私の頭も爆発しそうだ。


「残っていた記録が改ざん済みのものだったか。それとも、すでに未来はずれ始めているのか。どちらにしろ、警戒は必要です。絵本にある4人目が神野ヒビキを指すのだとしたら、絶対に失えない」


 御坂くんの言葉に、違和感を覚える。

 父さんが4人目の仲間? ざらざらと頭の中で摩擦が起こる。


「――上手く言えないけど、父さんじゃない気がする」


 私が口を出すと、一斉に沈黙が落ちた。

 その沈黙を破るようにして、突然ソファーの隣りの空間が大きく歪む。テレポートの先触れだ! 全員が立ち上がり身構えた瞬間、歪んだ空間から父さんが転がり出てきた。


「あーちゃん、無事!?」


 いつもは普通に帰ってくるのに、よほど焦っていたんだろう。父さんの顔は、真っ青だった。遠隔テレポーテーションは、補助特化型にしか使えない能力。防衛型である父さんは近距離テレポートを繰り返しながら、家まで飛んできたんだ。どうしてそんな無茶なこと!


「なにやってんの、能力の無駄遣いやめてよ!」


 私も叫び返す。父さんは柊くんに目を留めると、唇をぱくぱくと動かし、涙目になった。

 父さんが無事ですごく嬉しいけど、でも。

 もっと穏便に帰ってきて欲しかった。

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