第46話 暴走

【大変なことは次から次に起こる】――そんな法則でもあるんだろうか。

 まるで、せっかく綺麗に並んでいたドミノの端を、うっかり押してしまったみたい。

 私達の計画は順調に進んでいると思ってたけど、そうじゃなかった。私達もRTZも、お互いを全部なぎ倒すまで止まらないのかもしれない。

 

 駒を取ったと思ったら、取り返される。それは陣取りゲームにも似ている。

 若月先生を仲間に加えたことを加点とするなら、サヤの暴走はまちがいなく減点だった。


「ああああああああぁぁ!」


 サヤはバングルの抑制機能を全部ふっとばし、すさまじいパワーを爆発させようとしている。

 今、この離れがかろうじて無事なのは、御坂くんがサヤの力を全力で抑え込んでいるからだ。

 サヤの瞳は焦点を結んでいない。

 絶え間なく悲鳴をもらし続ける唇の端からは、鮮血が一筋流れていた。


「サヤ!!」


 想像以上に危険な状態だ。

 すぐさまハルキくんと入澤くんがパワーを解放し、御坂くんに加勢する。

 私は動けなかった。どの程度の力で押さえ込めば、サヤを壊さず正気に戻せるか分からなかった。


 以前の私なら、ダメ元でパワーを解放しただろう。

 でも今はもう出来なかった。一度壊してしまったものはもう、二度と取り戻せないと、私は知ってしまった。


「アセビは動かないで!」


 マホは叫ぶと、乱暴な手つきで制服のネクタイを緩め、シャツの第二ボタンまで開けた。

 スクールバッグを放り投げ、ダン、と両脚を踏ん張る。彼女は躊躇わず、バングルの保護レベルを最低まで落とした。

 マホのバングルの色を見て、唇を噛む。


 セントラル生のフレームではあり得ない色だ。

 マホのバングルは水色――保護レベル1を示す色になっていた。


 いつのまにフレームを交換したんだろう。

 彼女がサイコメトリーを使うことになったのは、病室での話し合いの途中。医療センターには、『鍵』がある。あの後マホは、自分のバングルを成人用フレームと交換してもらったのかもしれない。


「落ち着かせるから、30秒もたせて!!」


 マホの怒鳴り声に、入澤くんが「マホちゃんがもたない!」と叫び返す。


「今日はもう無理だ! また呼吸を止めるつもり!?」


 また? 呼吸を止める?

 物騒な台詞に、全身の血の気が引く。

 マホは、はは、と笑って入澤くんを見た。


「あれは、油断しただけ。私の力は、あんなもんじゃないっつーの……っ!」


 言い終えるや否や、マホは両手を組み、拳をサヤへと向けた。

 マホの拳に、光が集まり始める。最初はホタルくらいの淡い発光だったのに、みるみるうちにその光は強さを増し、輝きを増していった。


「なに、これ!?」


 映画の特殊効果みたい。現実離れした光景に仰天してしまう。

 思わず洩れた心の声に答えをくれたのは、御坂くんだった。


「暗示解除と強力なメンタルヒーリング、現状を客観的に認識させるテレパスを組み合わせてるらしい。一度に貯めこむエネルギー量がすさまじいので、目にも見えるんですよ。私とケイシも、彼女のこの力でRTZの洗脳を解いて頂きました。……もう、開花したんですね。よかった」

 

 最後の「よかった」を、御坂くんは噛みしめるように声にした。

 その言い方がどこか気になり、彼をじっと見つめる。


「未来の多比良さんの、【とっておき】ですよ?」


 私の視線を受け止め、御坂くんが自慢げに言う。

 こんな非常事態だというのに、彼の表情は明るかった。これいけるんじゃないか、と私まで明るい気分になる。

 やっぱり未来でも2人は、マホに会ってたんだ。柊くんがマホを知ってるんだから、そうじゃないかと思ってた。


 マホの拳に貯められた綺麗な光は、まっすぐサヤへと伸びていく。

 その光がサヤの全身を包むのと、荒れ狂っていたサヤの咆哮が途切れるのは同時だった。


 両手両足を硬直させ、サヤは固まる。

 息を詰めてどうなるか見守っていると、次第にサヤは全身から力を抜いていった。

 と同時に、部屋中を支配していた強い空気振動が収まる。


「サヤっ!」


 ぐにゃり。華奢な身体が折れ曲がっていくのを見て、慌てて駆け寄り支える。

 意識を失ったサヤをそっと絨毯の上に横たえながら、彼女のバングルに目を遣る。彼女の細い手首に嵌められたそれも、水色に灯っていた。

 



 

 今は医療センターに運ばない方がいい。そう、ハルキくんは言った。

「サヤが目覚めた時、私達が傍にいた方がいい」と、マホもハルキくんの判断を支持する。

 私も真剣に考え、そっちの方がいいと答えを出した。何があったのかは分からないけど、御坂くんは『今は、家に帰せない』って言ってた。

 それは多分、サヤそっくりの襲撃者と関係があるんだろう。


 ハルキくんは母屋に連絡し、医療ベッドと点滴セットと運ばせた。

 家庭用の救急道具とは思えない立派な医療セットに、視線が釘付けになる。


「これ、普通に買えるものなの?」

「普通には買えないだろうな。非常事態に備えて、最近購入したばかりだ」


 ですよね……。それにしても、準備いい。流石はハルキくんだ。

 

 ベッドに移された後も、サヤは眠ったままだった。バングルが示す健康状態に異常はない。おそらく、カロリー不足で眠ってるんだと思う。

 ハルキくんは栄養パックを点滴台にぶら下げ、慣れた手つきでサヤの腕に針を刺した。それから念の為と言って、呼吸補助器をつける。


 他の皆は、巨大コンピューター前の椅子に座り、処置するハルキくんを見ていた。


「もしかして、ハルキくんって看護師免許持ってたりする?」


 あんまり手際がいいので、更に尋ねずにはいられない。


「ある程度の処置しか出来ないよ。未来ではよくやってたことだから、手が覚えてるだけ」


 ハルキくんは苦笑し、「まさか鈴森に使うことになるなんてな。エネルギー不足で倒れるのは、アセビだと思ってた」と付け加えた。

 

 あれ?

【体が覚えてただけ】って、どういう意味だろ……。

 今のハルキくんは15歳で、未来のハルキくんは25歳。中身は同じでも、体は全然違う気がするんだけど――?

 頭が混乱して、上手く情報を整理できない。


 そもそも、時間遡行がどんなものか、具体的に知らないから話にならないのだ。

 私は勝手に、この世界にいたハルキの中に未来のハルキくんの記憶が丸々インストールされたんだと思ってた。それって、体の感覚までしっかり引き継がれるものかな? ……なんか変。


 また後で詳しく聞いてみよう。

 私は首を捻りながら、処置を終えたハルキくんと共に皆のところへ移動した。


 気付けば、とっぷりと日が暮れている。

 私達は、夕食を取りながら個別行動の結果報告会を行なうことにした。

 

「私はいいや。さっき食べ過ぎて、口が疲れた。栄養ドリンク貰える? ハイカロリーのやつ」


 確かに。あれだけ食べたら、口が疲れるよね。

 マホは、ハルキくんが冷蔵庫から持ってきたエナジードリンクを3本、立て続けに飲み切り、長い溜息をついた。


「あと、ごめん。10分、仮眠取らせて」


 元来ショートスリーパの私達が眠くなるのは、体がSOSを発した時だけ。

 

「10分といわず、寝て! あと、保護レベルを戻して」


 私が強く言うと、マホは「はいはい」と気のない返事をし、その場でこてん、と上体を倒した。

 入澤くんが「ひゃっ」と小さな悲鳴をあげる。


「え……。あのー。俺の膝でいいの? 硬くない? もいっこ、ベッド持って来てもらおうか」


 そう。マホはなんと、入澤くんの膝の上に頭を乗せたのだ。

 人目があるところで、マホが誰かに甘えるなんて!!

 天変地異の前触れな気がして、一気に不安になる。

 

 マホは入澤くんの膝を、ぎゅ、と掴んだ。


「ここが、いいの。一番落ち着く。……だめ? 重い?」


 グハッ。

 入澤くんの精神体が、喀血する音が聞こえてきそう。

 それくらい、彼の顔は真っ赤になっている。


「えー、と。うん。駄目じゃないし、重くもないよ。……さっきはごめんね。マホちゃんの気持ち全部無視して、当たっちゃった」


 マホは目をつぶり、ゆるゆる首を振った。


「ケイシの言うこと難しいけど、ちゃんと考える。頭では分かってても、気持ちがついていかないこともあるけど。でも、努力する。勝手にしろって、他の人だったら思ってた。でも、そんな風にはもう思えない。……私の方こそ、ごめ……んね」


 最後の言葉は、掠れてよく聞こえなかった。

 バングルの保護レベルを戻す時に、ついで『睡眠』に切り替えたんだろう。

 すぐにマホは、安らかな顔で寝息を立て始めた。


 遺言か!!


 むず痒い空気に耐え切れず、心の中でツッコんでしまう。

 入澤くんは、マホの肩にそっと手を置いた。大切な宝物に触れるようなその手つきに、私はますますげんなりした。


 さっきまで険悪だったよね。あれ、一体なんだったの?

 夫婦喧嘩は犬も食わないって、本当だったのか。


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