第8話 神野アセビは早死にする

 柊ハルキが通してくれた部屋は、コンピュータールームだった。

 沢山の電子機器が立てる機械音がまず聞こえ、血管みたいに床をうねるケーブル類が視界いっぱいに飛び込んでくる。分厚いファイルが並んだ棚に、大きなモニターとデスク。そして回転椅子。

 一言で言うなら、客を通す部屋じゃない。

 え、ここ? ここで話をするの?

 私が思わず顔をしかめたのと、柊ハルキが噴きだしたのは同時だった。


「真っ先に思うことがそれか。ほんとお前だな。何も変わってない」


 この人やっぱり心が読めるんだ! マホの言った『パワードもどき』という言葉を思い出す。

 例の耳ピアスがリーズンズからそこまでの力を引き出せるのなら、実験はほぼ成功してるってことじゃないの? っていうか、何も変わってないってどういう意味? 

 ああ、もうわけが分からな過ぎて苛々する!

 彼は何がおかしいのかくつくつ笑いながら、部屋の真ん中に置いてある応接セットを指した。


「そこ座って、テーブルの上のもの適当にどけといて。コーヒーでいい?」

「中に何入れられるか分かんないのに、飲むわけないでしょ。話を先に聞かせて」


 とりあえず何か胃に入れて落ち着きたい。砂糖とミルクも、と言いかけた私の腕を引っ張り、マホが断ってしまう。

 それもそうか。でも甘いコーヒー飲みたかったな……。


 柊ハルキは気を悪くした風もなく、「じゃ、とりあえず3人分だな」と言って、続き扉の向こうに消えた。どうやら、隣にキッチンがあるらしい。数分後、彼は湯気の立ったマグカップを小さなお盆に乗せ戻ってくる。

 御坂くんと入澤くんは慣れた様子で、彼の差し出したお盆から自分のコーヒーを取った。

 意外だ。

 2人には王子の従者イメージを持っていたけど、上下関係があるってわけでもないのかな。


 御坂くんはメインコンピューターらしきでっかいモニターの前に座り、入澤くんと柊ハルキは五人くらい座れそうなソファーに腰を下ろした。私とマホはローテーブルを挟んで向かい側に配置された二人掛けソファーに並んで座る。

 対決感がすごく高まった。

 いざとなったら逃げられるよう、退路を探す。幸いここは一階だ。外に面している窓も大きい。あの窓を破って庭に出ればいいな。よしよし。


「すぐには信じられないと思うが、俺達は未来から時間を遡行そこうしてきた」


 コーヒー貰わなくて良かった。

 口に液体が入ってたら、思いっきり咽せたか噴いたかしただろう。

 時間遡行って、あの時間遡行? まだ成功例が見つかってない特殊能力の一つだよね。座学の授業でやったばかりだから覚えてる。

 

 ……えーと。どんな顔をしていいか分からないんですが。


 もしかしてこれ、思春期のリーズンズがかかると噂の厨二病ってやつ? 笑うと逆ギレされちゃうかな。かといって、真面目な顔してるの辛いんですけど。

 そこまで考え、ハッと気づく。


 そうだよ、マホ! マホがガチギレする方が怖い!


 虚仮こけにしたら殺すとまで言っていた彼女をおそるおそる見遣ると、マホは真剣な顔で聞いていた。


―― ま じ で ?


「時間遡行の能力は存在しない、って常識なんだけど、その辺はどうなの。あんた達の頭が揃っていかれてるっていう可能性もあるよね」


 マホの問いかけに、柊ハルキは「もっともな疑問だな」と頷き、おもむろに手を上げた。

 私もマホもとっさに身構える。


 彼はその手を右耳の銀色ピアスまで持っていき、無造作に外した。


「パワードの能力をリーズンズから引き出す研究は確かに進められている。だけど、装置開発に成功したという情報はフェイクだ。そもそも不可能だということは、今から5年後に分かる」

「じゃ、じゃあ、なんでテレパスを……じゃあ、やっぱりミックス?」


 訳が分からなくてとりあえず気になったことを聞いてみる。

 マホもついに話についていけなくなったみたいで「ああ~、もう! 何なの! 大体の事情は読み取れたけど、こんなの消化出来ないよ!」と叫んだ。どうやら彼女は3人の頭の中をずっと探っていたみたい。


「ペンと紙貸して! アケビにも説明するから」


 マホが手を突き出すと、入澤くんがおかしそうに瞳をきらめかせた。


「随分アナログだね。タブレット、持ってるでしょ?」

「うちらが持たされてるタブレットはセントラルの支給品で、この先3年学校で使うの。オフラインで使っても、敵の中に精神測定能力サイコメトリー持ちのパワードがいたら意味ない。紙なら燃やせる」

「確かに。多比良ちゃん、頭いい~」

「それ嫌味にしか聞こえない」


 にこにこ笑いながら褒める入澤くんを一刀両断し、マホは柊ハルキが滑らせてきたコピー用紙とボールペンを手に取った。


――ああ、なんかもうだるいわー。これ絶対めんどくさいやつじゃん。


 事情はすごく込み入ってそうだし、マホが理解できたんなら、私は聞かなくてもいいかな。とりあえず、柊ハルキとお付きの2人は未来人なんだね。それで何でも知ってるし、能力も持ってる。はい、おっけー。


 遠い目になりかけた私の腕を、マホが握ったペンの先で突く。痛みでめんどくささが吹っ飛んだ。

 マホは紙に、パワードが生まれる条件を書き殴った。

 パワード×パワード。パワード×一般人。その2つを丸印で囲む。

 それから、ミックス×一般人。ミックス×ミックス。一般人×一般人、と並べ、その3つにはバツ印をつけた。丸印の組み合わせからしか、パワードは生まれない。


「クソみたいな話だけど、柊一族はパワードが欲しかったんだろうね。家を継ぐ長男はみんな純血パワードと結婚してきた。まあ、あの男みたいに嫁を変えたりしないで、リーズンズの息子でもちゃんと育てて後継にしてるのはマシだけどさ。純血パワードとリーズンズが結婚してミックスが生まれる確率は1割しかない。柊家の子どもはこれまで全員リーズンズだった。だけど、因子は残ったみたい。その1割の可能性が、柊ハルキの父親まで受け継がれてきた」


 マホはバツ印のついた『一般人×一般人』の文字を、今度はぐりぐりと丸印で囲む。


「柊ハルキの父親は、ゼロ期以来のしきたりを破って一般人と結婚した。ところが奥さんの実家も、純血とリーズンズの混血を進めてきた家だった。突然変異を引き起こす条件が偶然に揃ってしまい、2人の間に生まれた子は能力持ちだった。それが柊ハルキ。彼はリーズンズを両親にもちながら能力を開花させた特別種サードパワードなんだよ」


 私はぽかんと口を開けた。

 サードパワードって、なに?

 そんな呼び方、初めて聞いたんだけど。


「今はまだない言葉だからな。それに俺の能力が開花した時期も遅かった。ずっと自分はリーズンズだと思っていたのに、20で突然微弱なサイコキネシスを使えるようになったんだ。先に目覚めた能力がテレパスだったら、頭がおかしくなってたかもしれない」


 ちょっと待って。『はたちで』って言った?

 ……この人、本当は何歳なの!?


「同い年だよ。俺がリーズンズの特別変異で、お前は純血パワードの特別変異だった。俺達はとある研究所で引き合わされた。お前はすさまじく強く、能力の発現の仕方も特殊だった。俺に能力の使い方を教えてくれたのは、アセビだよ。初めて会ったのは、21の時。最後が25だ。だから、さっきの質問に答えるのなら、俺の精神年齢は25歳ってことになる」

「……はあ……そうですか」


 突拍子もない話の連続だ。しかも情報が多すぎる。早々にパンクした私は、完全他人事な間抜けな返事を返すのが精一杯だった。

 今、俺の師匠だった、的なことを言われた気がするんだけど、幻聴だよね。

 心の奥から痛々しい願望が顔を出しちゃったかな?


 その後もマホの図解は続き、3人がマホの言葉を補足する形で、陸に打ち上げられた魚状態で口を開け閉めしている私に根気よく説明した。

 要約するとこうだ。

 

 柊ハルキは生粋のサードパワード。後の2人も同じサードパワードで、彼らは実年齢も精神年齢も15歳。

 柊ハルキは10年後に起きる大規模テロを阻止する為、過去の自分の中に戻ってきた。だから私と同い年って言ったんだね。

 彼の記憶にはこの先10年分の未来が蓄積されているらしい。

 そんなことが出来るなんて未だに信じられないけど、マホが暴れ出さないところを見ると、少なくとも嘘をついてはいないんだろう。

 御坂くんと入澤くんの体は、現時点では存在してないという。

 そうなの? 単純に引き算したら、5歳だと思うんだけど。

 頭にふと浮かんだ疑問を読み取ったのか、2人の表情が強張る。強い悲しみの波動が伝わってきた。……軽々しく踏み込んじゃいけない話みたい。その位は私にも分かったから、口には出さなかった。

 とにかく彼らは、未来から時間遡行してきた。してきたというか、柊ハルキの能力の発動に巻き込まれたらしい。こんなとんでもない騒動に巻き込まれるなんて、災難としかいいようがない。


「この人のこと、恨んでないの? 突然引き離された人に再会できるのは、10年後ってことだよね? 年が違ってきちゃうよね?」


 確認せずにはいられなかった。御坂くんも入澤くんも、質問を予想してたみたいにすぐに首を振る。


「私達に家族はいません。残った仲間も、ここにいる2人だけです。未来の私たちの打った手は、全て後手でした。ですがこうして時を遡ったことで、今度こそ有利に戦うことが出来る。救える命がある。私はハルキ様に感謝していますよ」


 御坂くんの口調は真摯で、嘘っぽさはなかった。

 一方、入澤くんは嬉しそうにニヤついている。


「俺? 俺は楽しいよ。リーダー風吹かせまくってた柊先輩と同じ年になったんだもん。今なら呼び捨てにしても怒られないし。ね? 柊」

「全面的に俺が悪い。巻き込むつもりはなかった。あの時は頭に血が登ってしまって、冷静さに欠けていた。彼らには俺に出来る範囲であれば、どんな償いもすると言ってある」


 なるほど!

 王子の痛恨のミスで下剋上が起こっちゃった感じなんだ。……柊ハルキはそのうち入澤くんに背中を刺されそう。


「やだな~、そんなこと考えたこともないよ。俺も敵さんに腹立つことは沢山あるし? せっかくのチャンスだもん、5人で力を合わせて頑張りたいなって思ってるよ」


 そうなのか……って、5人!?

 転入生は3人だ。残りの2人は、もしかしなくても私達!?

 素早くマホを見ると、どこに忍ばせていたのか栄養補助バーを取り出し、かぶりついている。

 さっきからちょこちょこ能力使ってるからお腹空いたんだろうけど、自由過ぎない? 


「いや、マホはともかく私はほら、知っての通りへっぽこ能力者なんで、役には立たないと思います。出来れば3人で頑張って欲しいなぁ、と思うんですけど」


 愛想笑いを浮かべながら及び腰で言ってみる。

 目の前に座っている男は、時間遡行できるくらいのスーパーエリート能力者だ。しかも未来を予知ではなく実体験として知ってるとか無敵じゃない?

 下手に怒らせて恨みを買いたくないという気持ちが、何倍にも膨れ上がった。

 彼らが答える前に、チョコ味の栄養バーを食べ終わったマホが口を開く。


「それは駄目。今のアケビには何も出来ないだろうけど、だからこそ皆で守んないと。このまま何もしなければ、アケビは25歳で死んじゃうみたいだよ」

「はあっ!?……いやいやいや。嘘だよね?」

「嘘じゃないと思うけど、嘘なの?」


 私とマホの視線を受け止め、柊ハルキは苦しげに瞳を歪めた。

 

 ……ちょ、やめてよ。……そんなシリアスな顔やめてよ。何か言ってよ。

 

 救いを求めるように、御坂くんを見れば、何を思いだしたのか片手で口を塞いでしまう。


「あの死に方はグロかったもんね……」


 入澤くんは小声でぼやいた。

 待って。待って、もういい。

 どうやら本当に私は死んだらしい。

 未来から来た人に自分が死んだことを聞かされた私の身にもなって欲しい。衝撃的すぎて、暴走するかと思った。『神野アセビの本来の能力』とやらが開花してたら、この屋敷全部ふっとんだんじゃないかな。


 25歳の若さで、しかも未婚で死ぬなんていやだ! 

 そんな絶望的な未来、絶対に認めたくない!


「俺も死なせたくない。だから、来たんだ」


 柊ハルキは強い決意のこもった眼差しでそう言った。

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