第9話 お付きの2人にも事情がある
柊ハルキの説明は、私の脳の処理能力を大幅に超えていた。
一度家に帰りゆっくり休んだ後で、また明日考えたい。とにかく今は家に帰りたかった。
正直に伝えてみたが、柊ハルキとマホの2人がかりで却下される。
「なに呑気なこと言ってんの!」
「悪いが、説明は一度に済ませたい。アセビの今のプロテクト能力じゃ、向こうは自白剤を使うまでもないだろう。簡単な誘導尋問で全てがバレてしまう。お前にあれを埋め込む実行犯を特定できてない現状、それは避けたい」
だよね。だと思った。もしかしたらワンチャンあるかな、って言ってみただけだよ。……それよりアレ? アレって何?
私が口を開くより早く、マホが柊ハルキを鋭く見つめた。
「これからの計画立てる前に、あんた達の言ってることが本当だって心底納得したい。過去知ポストコグニッションを使わせて」
マホの言葉に、3人はものすごく驚いた。私も驚いた。
「そこまで開花しちゃってるの!?」
声をあげた入澤くんをちらりと見遣り、マホはあっさり首を振った。
「まさか。今の保護レベルじゃ無理だよ。どんなに頑張っても、昨日の夜ご飯何食べたかくらいしか見えない。でも、私のバングル外してくれるんでしょ? その間なら完全じゃないけど、出来ると思う」
「はぁ!?」
今度は私が叫ぶ番だった。
バングルは鍵プロテクトキーなしじゃ外せないし、そもそもこれは私達パワードの命綱だ。バングルなしで過ごせば、いくら自制技術に優れてたって、栓が開きっぱなしのガスみたいに能力は漏れていく。漏れた能力の分だけ、寿命も削れていく。
「そんなのダメ、絶対だめ! そんなことしたら絶交だよ、マホ!」
無茶な行動に出ようとするマホを止める魔法の言葉。ジュニア時代からマホがこれで諦めなかったことはないのに、彼女は思い詰めた瞳で私を見つめた。
「絶交って口きかないって意味でしょ? それならそれでいいよ」
「……マホ?」
「あんたはこの3人の心を読んでないから! だから、どんなに大変な事が未来に起きるか分かってないんだよ! 10年後のことだけじゃない、もうすぐあんたの――」
マホは言いかけ、ハッとしたように口を噤んだ。
柊ハルキが恐い顔でマホを睨みつけている。テレパスで止められたんだとすぐに分かった。
もう何度目か分からない苛立ちが全身を包む。歯がゆくて歯がゆくて、こめかみが波打つように疼いた。
私だって、好きで落ちこぼれてるんじゃない。
努力には何の意味もないって気づくのに数年かかった。今はパワード向けのファッション雑誌の最後に載ってる怪しい広告見て通販するくらいには、追い込まれている。――『このリングをはめるだけで、驚くほど能力値アップ』『指輪が届いた日から私、モテモテになっちゃいました』――にっこりほほ笑む女の子の指にはまってるボルトみたいな指輪、私買ったことあるんだよ。全然効果なかったけど、それでも諦めきれなくて、何か方法ないかなって馬鹿みたいにいつも考えてるんだよ。
この部屋に入った瞬間から、私もずっと3人の頭を探ってた。でもなにも見えなかった。同じパワードだと分かって少しホッとしたけど、分かる前は私は一般人の考えも読めないのかってめちゃくちゃショックだった。
強い力じゃなくていい。
純血なら当たり前に持ってるプロテクト能力さえあったら、そしたら、マホの命を危険にさらさずに済むのに!
悔しい。悔しくて、情けなくてたまらない。
「落ち着け、アセビ。今はまだその時じゃない。半端に暴走したら壊れるぞ!」
ぶるぶる震えだした私を見て、柊ハルキは素早く立ち上がった。行儀悪くテーブルを飛び越え、私の目の前にしゃがみ込む。彼は躊躇わず私の両手を取った。その手はひどく熱かった。自分の手が冷え切っているせいだと遅れて気づく。
私が握り込んだ拳を驚くほど優しい手つきでほどきながら、柊ハルキは「大丈夫。大丈夫だ」と繰り返した。
例のレストランで荒ぶる私を抱き締めた父さんの声が、脳裡に蘇る。父さんの声に、やがて柔らかな女性の声が重なった。
――『だいじょうぶ。だいじょうぶよ、あーちゃん』
これは……この声は。
――『あーちゃんがあのこにあえるまで、いくえにもまもりをかけてあげる』
……母さん?
声は確かに母さんのものだけど、そんな言葉をかけて貰った記憶がない。
どういうこと? 私が忘れてしまっているだけ?
別の驚きが胸を満たしたことで、先ほどまでの苦しい気持ちは薄れていった。心が静かに落ち着いていく。
「ごめん、もう大丈夫。ありがとう」
私は深々と息を吐き、ローテーブルと私の足の間に挟まっている柊ハルキを見下ろした。長い手足のせいで随分窮屈そうだ。目があうと、彼はホッとしたように眼差しを和らげた。
嬉しそうに瞳をキラキラさせちゃって、なんなの。
でっかくて毛並みの良いわんこがぎゅうぎゅうに詰まりながら前に座っている錯覚を覚え、おかしくなる。
「ヒーリングも使えるなんて、すごいね。サードパワードって」
素直にお礼を言ったのが恥ずかしくなり軽口をたたくと、柊ハルキは「いや?」と首を傾げた。
「使ってない。というか、使えない。もともと治癒能力には長けてないし、能力は迂闊に使わないようにしてる。今はテレパスに絞って使ってるから、全部が片付くまでは持つと思いたいけどな」
「それ、どういう意味?」
そういえば、3人はバングルをつけていない。
あのピアスがただのピアスなら、どうやって能力を制御してるんだろう?
今更な疑問が湧き、突っ込んで尋ねてみる。
「サードパワードとそれまでのパワードの決定的な違いは、能力の使い方と寿命だ」
ソファーとローテーブルの間に詰まったまま、柊ハルキは教えてくれた。
「俺達が被験者となって様々な検査や実験を重ねた結果、サードパワードは命を削って能力を発動しているわけじゃないことが分かった。俺達の能力は寿命に関係しない代わりに、有限なんだ。使えば使う程減っていき、最後は無くなる。意識して使わなければ、能力は発動できない。バングルをつける意味がないんだ」
被験者となって、のくだりで彼は、皮肉気に唇を歪めた。
それって、無制限に能力を使わされたってこと? 嫌な予感にぞくりと背筋が凍る。それに柊ハルキはきっぱりと言い切った。たぶん、とかだろうとか曖昧な言い回しは一切ない。それが不思議で、更に問わずにはいられない。
「終わりがくるってなんで分かったの? 3人とも力を使えているよね。時間遡行って力も巻き戻せるの?」
「時間遡行については分かんないけどさ。サードパワードの力が有限だって事実はもう証明されてるんだ。柊は御曹司でオリジナルだから、そこまで酷いことはされてないし、遡行する前は一番力が残ってた。俺とシュウに力が残ってるのは、実験場からの脱走組だから。……あと、柊いつまでそこにいんの?」
柊ハルキの代わりに、入澤くんが場違いなほど明るい声で答えた。
すぐには飲みこめなくて、再びポカンと口を開けてしまう。
入澤くんの綺麗な顔に浮かんでる虚無が怖くて、私はそれ以上考えるのをやめた。御坂くんの顔はとてもじゃないけど見ることは出来なかった。
「……クソ共が」
マホは吐き捨てるように言った。
私の感情は麻痺してしまっている。今は無理。情報を理解するので、いっぱいいっぱいだ。
2人はクローンなんじゃないかとか、一体誰が作ったのかとか、そこまでのことが出来るのはある程度力を持った人なんじゃとか。
そんなこと考え始めたら、もう自分の立ってる地面さえ幻になりそうだった。今まで絶対安全で信頼できると思っていた国の保護機関への疑念が、じわじわと私の平和な日常を侵食していく。
「その話はまたな」
柊ハルキは早口で言って背中をローテーブルで擦りながら立ち上がり、「コーヒーのお代わり取って来るけど、皆は?」と聞いた。彼なりに気を遣い、微妙な空気を払拭しようとしているんだ。正直すごくありがたい。私も彼に乗っかり、「飲みたい!」と手をあげた。
「あと、もし良ければ、何か食べたいです」
殆ど能力を使えない割に、私はかなりの大食いだ。この時間はいつも、家で宅配のカツ丼とピザを食べている。夕食までのおやつとして。
「それは構わないけど、何かあったかな」
「あ、冷凍のから揚げならあるよ。レンジでチンするやつ」
「ああ、ありましたね。冷凍でいいなら、焼きおにぎりもあったかと」
3人がわいわい話し始める。
「聞いてるだけで美味しそう~。あとは甘いものがあったら最高なんだけどな」
「母屋に行けば、何かあるだろう。ケーキでいいか?」
柊ハルキが言うと、それまで黙っていたマホが「私も食べたい」と小声で答えた。黙ってたのは言い出すタイミングを見計らっていたんだと思うと可愛くて、つい笑ってしまう。入澤くんも御坂くんも、柊ハルキも一緒になって笑い出す。
笑った顔はみんな年相応に無邪気で、何だか胸が痛かった。
夕日が傾いてきた頃。
書類やメモが散乱していたローテーブルの上は片づけられ、温かい食事と飲み物でいっぱいになった。
「食べていい? もう食べていい?」
目の前に美味しそうなご飯がある。それだけですごく幸せな気分になった。
早く食べた過ぎて2回聞いてしまう。柊ハルキは苦笑しながら「どうぞ」と許可をくれた。
「いっただきまーす!」
私の声を合図に、5人が一斉に箸を伸ばした。
屋敷に来た時の緊張が嘘みたいに、打ち解けた雰囲気が漂っている。毛を逆立てた猫みたいだったマホも、満更でもなさそうな顔で焼きおにぎりにかぶりついていた。
テーブルを埋め尽くしていたお皿は10分ほどで全部空になった。
「あー、もう無理。もう俺、晩飯いらなーい」
「私もいりません」
入澤くんと御坂くんが苦しげにお腹を押さえる。
「つられて食べ過ぎたな」
そういう柊ハルキも、はあ、と溜息をついていた。
私とマホは顔を見合わせ「こんなの、軽いおやつだよね?」「おやつだね」と囁きあう。
「その細い体のどこに入ってくんだろ。そりゃあいつらも中身見たくなるわ」
入澤くんの心底感心したような呟きは、聞かなかったことにした。
腹ごしらえが済んだところで、マホはソファーに座り直し、改めて切り出した。
「アセビにプロテクトをかけることなんだけど、この先もこのメンバーで色々相談することあると思うんだ」
3人も真面目な顔になって、マホを見た。
「だから、私達に関連すること全部をプロテクトするやり方を試してみる。それなら、この子の頭にうちらの名前が浮かんだ時点で、自動的に読まれなくなるから」
「限定プロテクトか……かなりの難易度だが、成功したことは?」
「試してみたことも、まだない。可能だってことは分かるから、発動できると思う。それにプロテクトなら強くかかり過ぎても副作用はないから安心だし、全力でやってみる」
「悪いが、頼む」
申し訳なさそうに顔をしかめ、でも迷う余地はないと言いたげに即答した柊ハルキにマホは頷き、次は私に体を向けた。
「アケビは、全部終わるまで寝てて。変に抵抗されたら上手くいかないと思う。初めてだからもたつくかもしれないし、あんたすぐ動揺するから」
「……分かった」
本当は頷きたくなかった。
マホの全力のパワーを受け止めるのには、かなりの勇気が必要だ。それに何より彼女がどこまで能力を使うのか、この目で確かめられないのが嫌だった。
「マホの寿命、削らないで。お願いします。何とかサポートして下さい」
しつこく頼みながら、3人が場所を開けたでっかいソファーに横たわる。彼らの体温が残った革張りのソファーはほかほかしていた。
「分かってる。
柊ハルキは力強く請負い、制服のジャケットを脱いだ。そしてそのまま私の膝の上にかけてくれる。こういう振る舞い、すごく王子様っぽい。鍵のことは初耳だった。柊グループって何してるとこなのか、後で調べとこう。
「柊くんがバングルを外す。外したバングルに御坂くんがダミーの情報流してる間に、マホは私にプロテクトかける。終わったらまたバングルを元に戻す。それだけだよね?」
不安で何度でも確かめずにはいられない。
柊ハルキと御坂くんは頷いたが、私の枕元に跪いたマホは、両手をグーパーさせながら精神統一モードに入っていた。
「
「あーもう、うっさいな。しないって言ったよ?」
マホはしっしっと動物を追い払うように手を振った。そしてそのまま私に覆いかぶさり、私の両方のこめかみに指を当てる。さらりと流れたマホの長い髪が、確かな存在を持って私の首筋に落ちた。
「いいから、おやすみ」
滅多に聞けないマホの優しい声を最後に、私の意識は闇に呑まれた。
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