第10話 いつのまにか婚約

 気づいたら朝だった。

 何を言っているか分からないと思うけど、本当に朝だった。いつの間にか制服からパジャマに着替えさせられている。


――父さん……ころす。


 物騒な怒りのお蔭ですぐに目が覚めた。まだカーテンの外は薄暗い。手早くバングルのフレームを回し【起床活動】へ。全身の細胞に喝が入れられたところでベッドから飛び降り、お風呂場に向かう。これで下着まで替えられてたら本当にただじゃおかないところだったけど、違ったので安心した。

 シャワーを浴びた後、メイクルームブースに入り化粧台の前に座る。鏡の右上に埋め込まれたTVをつけると、朝のニュースが流れ始めた。

 見るとはなしに眺めながら、髪を乾かす。ブースに備え付けられてるドライヤーが勝手に乾かしてくれるから、いつもならその間に肌の手入れをしたり爪を磨いたりするんだけど、今日は何もせずに座り込んでしまった。


 昨日の話が心をめいっぱい占領してて、上手く消化できない。

 マホのプロテクトが上手くいったのかも分からないまま、じりじりと学校が始まるのを待つしかないのも辛かった。


――『俺達のとりあえずの目標は、アセビの能力を穏便に目覚めさせることだ』


 柊ハルキは言った。


――『未来のアセビは詳しく教えてくれなかったが、能力開花当時、彼女がかなり辛い目にあったことは分かってる。開花の引き金となる事件を防ぐことを第一の目標にするつもりだ。お前がアレを埋め込まれたタイミングは、開花直後しかないんだ。神野ヒビキの保護から外れた覚醒直後の無力なアセビを狙って、奴らは動いた。目覚めた後のお前が、セントラル勤めのミックスに後れをとるわけないからな。それさえ防げれば、勝機は見えてくる。セントラルで倒れる神野アセビを保護する誰かが、当面の俺達の敵ってことだ』


 彼は一息に話し、これで分かっただろ? と言わんばかりの目つきで私を見てきた。さっぱり分からん。それぽっちの説明で即時に状況が把握できるほど、こっちは上等な脳みそしてないんだよ、馬鹿たれ! いや、馬鹿は私だけど!


 開花の引き金となる事件ってなに?

 埋め込まれたアレって?


 今思えば、もっと詳しく聞いておけば良かった。昨日はいっぱいいっぱいで、そこまで気が回らなかったけど、結構重要な部分じゃないのかな。


「あー、もう~。なんなの!」


 思い切り突っ伏したのと、バスルームの外から父さんの声がしたのは同時だった。


「あーちゃん、起きてるの?」

「起きてる!」


 八つ当たり気味に叫び、「起こしてくれたら自分で着替えたよ! 年頃の娘への配慮が足りない!」と続けて怒鳴る。


「着替えさせてくれたのは、マホちゃんだよ。起こしても起きなかったし、すっかりくたびれて疲れてたみたいだから……ごめんね」


 扉にくっつくようにして父さんが言い訳してるのが分かる。

 素直に謝罪され、今度は激しい自己嫌悪が湧いてきた。

 父さんが私に甘いのをいいことに、違うとこで生まれた苛立ちをぶつけるなんてダメなことだ。

 のろのろと立ち上がり、扉を開ける。しょんぼり顔の父さんは、思った通り、開けてすぐの所に立っていた。


「寄り道して遅くなったこと、ごめんなさい。私が寝てて、父さんもびっくりしたよね。心配させてごめん」


 目を見て言うのはどうにも気恥ずかしく、俯き加減で謝った。しばらくの沈黙の後、大きな手が、乾いたばかりのまだ温かい私の頭に乗る。父さんはじっと私の頭蓋骨を確かめていたと思うと、フッと笑った。


「なんにも読めなくなっちゃったね。そっか……。アザミさん、ひどいなぁ。18までは僕たちだけの可愛い娘だと思ってたのに、3年も早いじゃないか」

「え?」


 言葉の意味が分からず、とっさに顔を上げる。愛しげに私を見つめている父さんと視線が合った。


「母さんからの手紙、後で渡すね。家の外には持ちだしたらダメだよ。春と冬の名前を持つ男の子には、見せてもいい。彼にも関係することだから」

「春と冬……」


 とっさに浮かんだのは、柊ハルキだった。

 彼の名前には春が入ってる。柊の漢字にも冬が入ってるし、他に思い当たる人はいない。


「その顔、やっぱり心当たりあるんだね。……ああ、さみしーなぁ……。手紙はあーちゃんがその子を信じてもいいと思えたら、でいいと思うよ。あと!」


 父さんはそこまで言うと、私の頭から手を下ろし、今度は両肩を掴んできた。

 真剣な表情で顔を覗きこまれ、一体何事かと身構える。


「家に入れるのは仕方ないけど、変なことされそうになったら股間を蹴り上げなさい。キスくらいならまぁ……いやでも、あの年の男子なんてみんな猿だもんな。キスもだめ。いいね!」

「いいね、じゃない!」


 私は叫び返して父さんの頭に頭突きをくらわせた。

 何が悲しくて自分の父親と朝っぱらからそんな話をしなきゃなんないの! 無理!


 2人で頭を押さえながら仏壇にお参りし、ご飯を食べてから、まだしょぼくれてる父さんを送り出す。その後洗濯機を回して、エントランスに降りる。

 そこまではいつものルーティンだった。


「おはよう、アセビ」


 エントランスに降りてすぐ、視界に飛び込んできたものが信じられなくて、私は何度か目を擦った。


「昨日はあれからずっと寝ていたのか?」


 お付きの2人を後ろに従えた柊ハルキが、にこやかに微笑みながら近づいてくる。彼の立ち居振る舞いの全てが、集団転移を待っている3年生の男子よりもうんと大人っぽい。


 中身25歳は伊達じゃないな。

 ……って問題はそこじゃなくて!


「なんでここにいるの!?」


 そしてマホも!

 なんでそんなしれっとした顔で、彼らの中に混じってるの!


 未婚の純血パワードは基本、保護者同伴か、集団転移でしかマンションを出られない。リーズンズの高校生みたいに、その時々で一緒に学校へ行く相手を変えたり出来ないってことは全員知っているはず。


「婚約者が迎えにくるのが、そんなにおかしいか?」


 なるほど、そういうことね。

 リーズンズの男子は18歳にならないと入籍出来ない。それまでは婚約って形で、彼らと事実上の結婚をする女子生徒はいる。婚約者ならおかしくないよ。迎えに来ても。

 おかしいのは、私とあなたがいつ婚約したのかってことだよ!


「行こうよ、アケビ。私、いつまでも見世物にされたくない」

「大丈夫だよ、マホちゃん。俺がついてるからね」


 更に爆弾が投下される。

 それまで黙っていたマホが、するりと入澤ケイシの腕に自分の腕をからめ、ぴったりくっついたのだ。


「俺達も行こう」


 つかつかと歩み寄ってきた柊ハルキに腕を掴まれ、強引に引き寄せられる。


――「うわあ……」

――「つか、例の転入生と? 早くね?」

――「すごいね、今年の1年」


 ざわざわとざわめく同じ登校グループの皆の視線は、お世辞にも好意的なものじゃない。

『噂のエリート一般生を上手く捕まえやがって』というやっかみと、『リーズンズと婚約?』という蔑みの入り混じった思念が渦巻き始める。更には『女漁りに来たのかよ』という柊ハルキ達に対する侮蔑も。


 呆然と口を開いたままの私は、柊ハルキによって外に引っ張り出され、例の黒塗り送迎車に押し込められた。

 車に乗り込むが早いか、マホはべりっと入澤くんを引きはがす。


「いつまでくっついてんの、きもっ!」

「きもいとか人に向かって言わないの。も~、マホちゃんはほんと口悪いんだから」


 素直に離れた入澤くんだけど、呼び方を改めるつもりはないみたい。

 マホはそれ以上彼に構わず、私に視線を移し、突然両手を合わせた。


「ごめん、アセビ。ほんと、ごめん。かけ過ぎたみたい。プロテクトどころか、強力なシールドになってしまって、よっぽどの能力者じゃないとあんたの考えてること読めなくなった」


 ……そんなことだと思った。


 父さんは柊ハルキの名前を知らなかった。それどころか、私に何度も「まだ怒ってる? ごめんね?」と出勤する直前まで謝ってきた。怒りやすいけど冷めやすい私は、朝食の時にはもう全然怒ってなくて、むしろ頭突きはやり過ぎたかな? って反省してたのにも関わらず。

 精神系防衛型の父さんでも、私の気持ちは読めなくなるとは。マホの全力、やっぱりこわい。


「多比良のせいだけじゃない。アセビの能力が感応したんだと思う。自分の心を容易く人に読まれるのは嫌だと、おそらく眠る直前まで強く願っていたんだろう。イレギュラーな形で部分的に覚醒したと仮定するなら、長時間の睡眠にも説明がつく」


 柊ハルキは、マホを庇った。

 頑張ったマホを悪く言う人じゃないと分かって、心の扉が5センチくらい開いた気がした。それに彼の指摘は当たってる気がする。

 私は直前まで、私のプロテクト能力が底辺なせいでマホを危険にさらすこと、すごく嫌だと思ってた。


「だろ? お前の能力はいつも、誰かを守ろうとする時に一番強く発動するんだ」


 まだ何も言ってないのに、柊ハルキが柔らかく笑む。


「なんでまだ柊くんは私の考えたことが読めるの!?」

「それは違うと思います。先程から感情が全部顔に出てますよ、神野さん」


 私の疑問は、御坂くんの冷静な指摘に封じ込められた。

 全部顔に出るんなら、シールドの意味ってある? 明日から仮面かぶって学校行こうかな。


 その後、私にかかった強力な思念シールドを解くのは無理だと説明された。それはもういい。誰にも読まれなくなったのなら、私はその点では計画のお荷物ではなくなったってことだ。

 それって朗報だよね。


「朗報って言葉、よく知ってたな」

「朝のニュースで言ってたんだよ。いい知らせって意味でしょ?」

「ああ、そうだ。アセビは賢いな」


 柊ハルキに優しく褒められ、満更でもない気分になる。

 私、賢いのか! 


「……今度は依存させてくつもりかよ。執着こわ」


 ぼそりと入澤くんが呟く。

 そんな入澤くんの足を、柊ハルキは思い切り踏みつけた。



 セントラルに着くまでの間、彼らに婚約者云々についての経緯を説明してもらった。纏めると、このメンバーで常に行動することへの正当な理由が欲しいから、だそうだ。

 婚約者同士になれば登下校も一緒にできるし、休日を共に過ごすことも可能だ。潜入捜査を続けるにあたって何かと都合がいい、と言われ、一応は納得した。


「何かと便利なのは分かったけどさ。でもそれだと婚活、完全に出遅れることになるよね……」


 セントラルの間に相手を見つけるという計画が早くもダメになりそうで、不安になる。私のぼやきをマホは聞き逃さなかった。


「まだそんなぬるいこと言ってんの? それどころじゃないんだって」


 マホは偉そうに腕を組み、顎をツンとそらす。


「男探しなんてしてる暇ないし、あってもさせないよ。あんたに近づいてくる男が敵か味方か分かんないうちはね」


 その高圧的な態度に、むかっ腹が立った。

 マホって時々こういう言い方をする。その度喧嘩になってるのに、マホも私も学習しない。私は拳を握りしめ、キッと彼女を睨みつけた。


「マホには何もかも分かってるみたいだけど、はっきり言って現実味ないんだよね。私は、この人たちの心読めなかったんだ。私に隠してること、他にもあるんじゃない? そういうのめちゃくちゃ腹立つ。死ぬのはもちろん嫌だけど、25まで未婚っていう未来も私にとっては最悪なんだよ」


 強い言葉で言い返すと、マホは返答に詰まった。それでも謝ろうとはせず、ふん、と鼻を鳴らす。

 あ、もう怒った。完全に怒った。

 今度は柊ハルキに目を向け、私は首を傾げた。


「柊くん、マホのことも知ってるっぽい言い方してたよね? 未来で会ったとこあるんじゃない?」

「え? あ、ああ。会ったというか、顔見知り程度だが」

「じゃあ、なんで私がマホの名前出した時、分かんなかったの?」


 私の勢いに押され、柊ハルキは目を何度も瞬かせた。


「それは――」


 言いにくそうに口ごもった柊ハルキを、びしりと指差す。


「何故だか当てようか? 未来のマホは結婚して姓が変わってたから、実際に顔を見るまでマホだって分からなかった。そうでしょ?」

「……そうだ」


 当たった! やった!

 一瞬嬉しかったけど、怒りを収めるまでには至らない。


「結婚願望ないマホだけ結婚できて、早く結婚したい私の方がずっと未婚とか、笑っちゃうよね。マホのパートナーってどんな人?」

「いや、そこまで多比良と親しかったわけではないから」


 名前しか知らない、と答えた柊ハルキはすっかり腰が引けていた。


「私はさ。平凡でいいから優しいパートナーと可愛い子どもが欲しいの。それが夢なの。早めに結婚して、出来るだけ長く子どもと一緒に過ごして、成人式をちゃんと見届けてから死にたいの」

「それは分かってるけどさ」


 将来結婚確定組のマホが口を挟んできたので、カッとなった。


「分かってるなら、婚活したい気持ちバカにしないでよ!」


 私の剣幕に、さすがのマホも黙り込む。

 3人も何も言わず、じっと息をひそめている。私のヒステリーがおさまるのを待っているのかもしれない。

 今度は無性に悲しくなってきた。

 事件の当事者なのかもしれないけど、今のままじゃ私だけ完全に蚊帳の外だ。それもこれも私のテレパス能力が底辺で、昨日3人の心が読めなかったから。


 ……なんだ。結局全部、私が悪いんじゃん。


「どうせ、私は結婚出来ないよ。婚活したって無駄だと思ってるんでしょ」


 涙目になりながら完全な駄々っ子と化した私の手を、柊ハルキがそっと握ってくる。


「そんなことない。その……年齢的にも今は無理だが、何もかも終わったら俺が責任を取る」

「は!? 責任なんかで結婚して欲しくないっ」


 私は再びカッとなり、思い切りその手を振りほどいた。5センチほど開いていた心の扉が、音を立てて閉まっていく。

 結婚相手にスペックは望まないと言ったけど、愛情を望まないとは言ってない。

 責任感じた男に嫌々結婚してもらう未来だってお断りだ!


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