第58話 鴛鴦

「あの小部屋はこの奥だと思う。ほら、掛け軸。私が見たのと同じものだよ」


 私は床の間の方に軽く頭を傾け、二羽の小鳥が描かれた掛け軸を指さした。


『成功したみたいだな。その部屋に監視カメラはないはずだが、念の為チェックして』


 ヘッドホンを通じて若月先生の声が脳内に響く。


「了解です」


 私とハルキくんは透視の能力を発動させ、部屋中をくまなく探った。カメラらしきものはどこにもない。

 飾り戸棚の中には、タロットカードと編み物棒と毛糸玉があった。あと、編みかけのマフラーらしきもの。

 周防キリヤの私室という割に、本当に何もない部屋だ。目視できる範囲にあるのは、小さな座卓と並んで置かれた2枚の座布団だけ。


「大丈夫です。これから、目的の場所へ進みます」

『了解。人の気配を感じたら緊急信号を送ってくれ。すぐに離脱させる。くれぐれも気をつけて』


 若月先生は能力を温存する為、一旦通信を切った。

 私とハルキくんは掛け軸に近づき、2人でそれをめくりあげる。

 掛け軸の裏側には、明らかに周りとは色の違う漆喰の壁が現れた。

 ハルキくんが眉根を寄せてボソリと呟く。


鴛鴦えんおうか」

「えんおう? なにそれ?」

「オシドリのつがいのことだよ。掛け軸の絵、鴛鴦だった」

「あの小鳥、オシドリだったんだ。何か意味がある絵なの?」

 

 ハルキくんは慎重に壁を押しながら、頷いた。


「ああ。鴛鴦やつがいの昇鯉が描かれた掛け軸には、夫婦円満を願う意味がある。だが周防キリヤと夫人は20年も前に別居している。なんとも皮肉な掛け軸だと思ってな」


 押してもビクともしなかった壁は、横に力を込めた途端するすると開いていく。

 壁の向こうには、予知夢で見た通りの隠し通路があった。真っ暗な通路の奥から、かび臭い匂いがふわりと漂ってくる。


「オシドリの絵、おばあちゃんのことだったりしてね」


 何気なく言った当てずっぽうな言葉に、ハルキくんはハッとしたように目を見開いた。


「……そうか。ここは、そういう部屋か」

「え? どういう部屋?」


 自分から言い出したことなのに、さっぱり話についていけない。

 でっかい疑問符を浮かべた私の顔を見て、ハルキくんは早口で説明した。


「周防キリヤと早乙女キクさんの為の部屋ってこと。飾り戸棚の中にあったごく僅かな私物は、彼女の遺品かもしれない。座布団も二枚だった。この部屋に入っていいのは彼女と周防キリヤだけ。そんな意思表示なのだとしたら――」


 ハルキくんはしゃがみ込み、床の間と隠し通路との境目に手を置いた。

 しばらくじっと目をつぶって何かを探った後、すっくと立ち上がる。


「通路には仕掛けがある。あちこちに落とし穴らしき空間があった。おそらく数名分の加重を感知した時点で、通路の地面が開くようになっているんだろう」

「うわあ……」


 私は目の前の不気味な暗闇を呆然と眺めた。

 侵入者撃退用ってことは、かなりえぐい仕掛けが落とし穴の底で待っているんじゃ……。


「自分しか通れないようにしてるってこと? 見た目はこんなにアナログなのに! 自分の体重を入力したりしてないよね?」

「分からない、してるかもしれない」


 ハルキくんは苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべ、どうしたものか、と考え込む。


「ここで色々と試している余裕はないな。仕掛けが発動すれば警備ルームに通報がいくだろうし、周防キリヤがいつ気を変えて戻ってくるか分からない」

「分かった。じゃあ、抱えていくよ」


 私は白手袋をしっかり手首まで引き下げ、ハルキくんの前で膝を折る。


「……は?」

「要は地面に足がつかなきゃいいんでしょう? 私がハルキくんを抱えて浮かんでいくってこと」

「そ、それなら大丈夫だろうが、だがどうやって空中浮遊を――」

「よかった。じゃ、いくね!」


 まだ戸惑っているハルキくんの膝裏に手を回し、よいしょ、と俵担ぎにする。

 彼の背が高いせいでかなり無理な体勢になったけど、サイコキネシスを応用させて発動しているので私の負担はほぼない。

 ただ一つ気になるのは、彼の顔が私のお尻あたりにきていること。


「恥ずかしいから、目、つぶってて」

「分かった」


 恥ずかしいのはハルキくんも同じみたいで、蚊の泣くようなか細い声が返ってくる。


 私は彼を抱えたまま、ポケットからペン型の懐中電灯を取り出し、口にくわえた。

 私の脳内に浮かんだのは、理科で習ったばっかりの『磁力』だった。

 磁石のS極をイメージして特殊な磁場をつくり、自分の足元にも同じS極の磁場を作ればいいんじゃないかな。そう思って通路の床と足の裏に意識を集中させる。

 数秒後、ふわりと体が空に浮いた。よし、成功! 


 膨大な力が消費されていくのが分かる。まるで強力なバキュームでカロリーを吸い取られているみたい。しかも髪の毛は全部逆立っちゃったし、靴裏なんて今にも燃えだしそうなほど熱い。

 無理に作った磁場のせいか懐中電灯はチカチカと点滅し、長くはもたないことを知らせてきた。


 これ、時間勝負だな。秒でたどり着かないと。


「ひっや、ひゃわらいれね!」


 舌を噛まないでと伝えたかったが、懐中電灯をくわえてるせいで上手くいかない。ハルキくんは「アセビもな」と返してきた。この人、ホントすごいな。感心しながら、自分の背中に向かって強くサイコキネシスを当てる。

 私の体は通路の上を滑るように動き始めた。移動速度はみるみるうちにあがっていき、頬のお肉がぶるぶる震える。曲がり角やカーブで壁に激突しないよう、体の向きをコントロールするのは至難の業だった。

 ジュニア生時代によく遊んだお気に入りのテレビゲームを思いだしながら、体のハンドルを微調整する。

 ゲームではコースアウトしても、予備の車が一台減るだけだった。

 だけど現実ではそうはいかない。

 ようやく小部屋の明かりが見えて来た時には、心底ホッとした。


 小部屋に頑丈な扉があったら詰んだところだったけど、幸い扉はなかった。穴倉の突き当たりに四角い空間があるという方が正しい。

 

 どうかこの部屋の床には仕掛けがありませんように!

 心の中で強く祈りながら、着地する。

 じゅ、と何かが焼け付く音がする。熱くなった靴裏が絨緞の上に黒焦げを残した音だった。軽くつま先を動かし、焼け跡を消す。

 しばらく全神経を尖らせて部屋の変化を待ってみたが、何も起らなかった。監視カメラも見当たらない。

 通路の仕掛けに絶対の自信を持っていて、誰もここまでは来られないと思っているのか、それともこの部屋に余計なものを置きたくないのか。


 通路の壁は殺風景だったが、この空間にはきちんと壁紙が貼られていた。

 アッシュローズ色の壁には、大小様々なサイズのパネルがかけられてる。おじいさんの部屋とは思えないほど、ガーリーで可憐な造りだ。部屋の天井から下がった照明はスワロフスキー製だった。煌めくガラスに淡く照らされたパネルを見て、きゅ、と唇を噛む。

 パネルは全部、同じ女性の写真だった。

 

 私はそうっと屈んでハルキくんを下ろす。

 薄明かりの中でも分かるほど、彼の顔は真っ青だった。


「ありがとう。大変だったな、お疲れ様」


 ハルキくんは懸命に笑みらしきものを浮かべて私を労ってくれるけど、立ち上がる力はないみたい。あぐらをかいて、頭を押さえてる。

 車酔いの激しいバージョンかな。

 私でさえ頭がくらくらするんだから、為す術もなく振り回されたハルキくんはもっと酷いんだろう。


「帰りは教室までテレポートだから。もう、ないから」

「助かるよ。二回はきつい。情けない話だが、吐かないようにするのが精一杯だった」

「ううん、分かるよ。もっと楽に浮遊できると思ったんだけど、イメージと現実は違うんだね……」


 お互いを気遣っているうちに、ハルキくんの顔色が良くなってくる。

 ようやく立ち上がった彼が部屋のあちこちを調べている間、私は例の特製栄養バーをウエストバッグから取り出した。お腹が空きすぎたせいで、余計に気分が悪くなっていたみたい。

 5本の栄養バーを胃に収めたところで、ようやく人心地がつく。


 ハルキくんはパネルを一枚ずつ確かめた後、私を振り返る。


「早乙女キクさんの写真だ」

「うん、そうだと思った」


 私は祖母の顔を知らない。私が生まれるよりうんと前に亡くなった人だし、母は一度も祖父母の話をしなかった。

 ハルキくんの隣に並んで、パネルを眺める。


 頬を膨らませ、子どもっぽく拗ねている顔。

 嬉しそうにシャボン玉を吹いている横顔。

 よそ行きのツーピースを纏った立ち姿。

 誰かの腕に掴まり、甘えるように見上げてくる顔。


 写真の中の祖母は若く、生き生きとしていた。とても幸せそうだった。

 そしてその写真に映っている祖母は、全部同じ年頃に見えた。


「引き出しを開けよう」


 ハルキくんが思い切るように声をかけてくる。

 私は頷き、書斎机に近づく。指紋認証はかかっていないようで、私が触れても夢と同じ銀色のポップアップ画面が浮かんできた。

 暗証番号を打ち込むとすぐ、カタン、と乾いた音を立てて机の引き出しが全て開く。


 一番上の引き出しには、古いモバイルと充電器があった。

 二番目の引き出しには、透明のファイルが。

 三番目のもっとも深さのある引き出しにしまわれていたのは、桜色の覆い袋に入った骨壺だった。

 

 予知夢の中で周防キリヤが抱き締めていたものの正体は、これだ。


 純血パワードの遺族の元に届けられるのは、リセットされたバングルだけ。

 うちの仏壇には、両方の祖父母のバングルが確かに収められている。

 だが周防キリヤは何かしらの手段を用いて、祖母の遺骨を手に入れたらしい。


 その強い執着に、背筋がゾッとする。

 周防キリヤは結婚して、子どもを作った。孫までいる。なのに今でも後生大事にこの部屋に通い、祖母の遺骨を抱いているのだ。


 ハルキくんは端末を取り出し、引き出しのモバイルにケーブルを接続した。

 それから若月先生を再度呼び出し、モバイルの中身を転送する。


「……どうですか?」

『転送完了。セキュリティはかかっていない。かなり古いシステムを使ってるみたいだけど、中身はきちんと読めるよ。といっても、中身は画像とメール、メモ帳くらいだ』

「分かりました。ファイルの中身は写真を撮って送ります。クローンや旭シノに関する報告書も混じっているようです」

『やったな! 旭シノの身柄とクローン培養の証拠を押さえることが出来れば、周防キリヤは終わりだ』

「ええ。危険を冒した甲斐はありましたね。では、侵入の証拠を消し次第、帰還します」


 途中で私達が捕まってしまった時に備えて、ハルキくんは集めたデータを若月先生にも全部送った。

 全てが終わると引き出しを元通りに閉め、小型の携帯掃除機を組み立てる。私も乾いた雑巾を取り出し、現状復帰の掃除を手伝った。髪の毛一本落として帰るわけにはいかない。

 私達のいた場所をくまなく綺麗にしてから、若月先生に合図を送れば任務完了だ。


 私は最後にもう一度、パネルを振り返った。

 満面の笑みを浮かべた無邪気な少女の姿が、瞼に焼き付く。


 私にとっては名前だけの存在だった祖母の短い一生を、私はその夜知ることになった。

 

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