第53話 本当の6人目

 二学期が始まれば、私達は学生の本分である学業で忙しくなる。

 ハルキくん達も日中はセントラルで過ごさなきゃいけなくなるし、今までのようには自由に動けなくなる。


 ってことで夏休みのうちに、後回しにしてきた【相互理解を深める会】を開くことになった。

 名目は仰々しいけど、中身は単なるお疲れ様会兼新人歓迎会です。

 私とマホとサヤはすでにこれからの方向性で一致してるし、マホと入澤くんは和解したみたいだし、私もハルキくんとのランチデートで色んな話をしたところだから大した議題はないのだ。

 あるとすれば御坂くんの『処置』とやらについてだけど、本音を言ってよければその議題は永遠に先延ばししたい。


 会場は若月先生の自宅に決まった。新人さんのお宅を拝見したいと言い出したのはマホだ。


「先生はうちら全員の住所を知ってるでしょ。でもこっちは知らない。それって、仲間としてフェアじゃない気がする」


 マホは小鼻を膨らませながら主張した。

 フェアじゃないって言ったって、先生が積極的に仲間になりたがってるって話は聞いてないけど……。あとハルキくんたちはすでに先生の住所を知ってる気がする。


 ハルキくんが先生に確認してみたところ、「非番の日なら来てもいい」との返事がきたそうだ。

 若月先生の自宅は、保護区内にあった。

 学校が始まる直前の木曜日。私達は柊家の運転手さんに送迎を頼み、先生の自宅へと向かった。


 セントラルの教職員の給料って、かなりいいみたい。

 先生の家にお邪魔すること自体初めてだから世間の相場が分からないけど、えらく立派な一軒家だ。しかも、保護区の中でも高級住宅地とされてる一角に建ってる。

 家屋はこじんまりとした平屋で、庭がとても広かった。隣の家との境界は青々とした常緑樹で仕切られている。秋にはドングリが実るんだって。ドングリ! 実際に見たことないよ。いつか見てみたい。


 わくわくしながら庭の入り口にひっそり設置されてるインターホンを押す。

 先生はモニター越しに私達を見るなり、「……うわ。ほんとに来た」と呻いた。



「なんで、うちで? っていうか、新人歓迎会ってなに? 俺、一応君たちの先生なんだけど」


 先生はげんなりした表情を浮かべて言った。

 いかにも面倒そうだけどそれ、カフェエプロン姿ではりきってパンケーキ焼きながら言っても、説得力ないと思う。


「あ、先生。私、メープルシロップかけて食べたい!」

「私はいちごホイップ!」


 マホとサヤが瞳を輝かせながら、元気よく手をあげる。


「はいはい、どれも準備してますよっと。――入澤くん、お皿とコップ並べてくれる? それ終わったら、あっちのミキサーでフレッシュジュース作って。作り方メモして置いてあるから。柊くんはホイップ泡立てるの手伝って。御坂くんは、もういっこホットプレートあるからそれでタネ焼いて」


 なぜかうちの男性陣全員分のエプロンまで用意されていた。

 はじめはあっけに取られてたハルキくんたちも料理体験が珍しいのか、文句も言わずきびきび働いている。


「イケメンカフェだ! これ、お金取れるんじゃない?」


 4人お揃いの黒エプロン姿にテンションがあがってしまい、思わず本音が口からこぼれる。

 これでみんな白いシャツ着てたら言うことなしだ。細腰にきりりと巻かれたギャルソンカフェエプロン姿、最高!


「この場合、お金取られるの神野ちゃんだけど、いいの?」


 奥のキッチンシンクから入澤くんの声が飛んでくる。


「あ、そっか。うーん……金ならある! って札束積みたいけど、現金持ってないや」

「持っててもやらない!」


 すかさずハルキくんに叱られた。

 マホとサヤがけらけら笑い出す。若月先生まで笑ってる。

 御坂くんが『実際にこの立地でイケメンカフェを開業したとして、いくら儲かるか』を試算し始めたので、ますます皆が笑った。


 陽光が天窓から差し込み、若月先生が陣取るアイランド型の作業台を明るく照らしている。作業台を囲むように、皆は立っていた。夏の終わりの日差しは金色で、皆の黒髪がキラキラと輝いて見える。

 軽口を叩きながら皆と話す若月先生を眺めているうちに、胸がいっぱいになった。

 突然押し寄せてきた歓喜と安堵に泣きたくなる。


 ――やっと全員揃ったね、あーちゃん


 母さんの声が耳奥に響いた気がした。


 やっと? なんで、やっと? 私達の仲間は前から6人いたよ。

 そう反論しかけて気づく。

 御坂くんの力はもう残ってないんだって。本当の6人目はここで抜けてしまう彼じゃないんだって。


 ――ソウのお陰であーちゃんの予知の精度はあがった。すぐ近くの未来しか見えない代わりに、細部まで分かるようになった。……そうだよ。あとテレパス一回分で、その子は完全に力を失う


 母さんはどこまでも優しい声で言った。


 ――自由な未来を選ばせてあげて。大丈夫。その子の未来に悪いものは混じっていない。


 母さんの声が聞こえたのと、私の視界いっぱいに真っ白な光が走ったのは同時だった。


 突然の閃光に驚き、目をつぶる。直後、瞼裏に浮かんだのはとある教室の風景だった。

 カジュアルな私服を着た御坂くんが、真剣な表情でノートを取っている。

 次の場面で彼は、可愛い女の子と談笑してた。友人らしき青年が遅れて登場し、御坂くんの肩に手を回す。彼はとても幸せそうだった。普通の男子高校生になって、明るい瞳で青春を謳歌していた。

 

 今日、その手を離さなきゃいけないんだと理解する。理解はしても、胸は激しく痛んだ。

 寂しい。もうすでにすごく寂しい。

 だって御坂くんは忘れてしまう。何もかも忘れて私達を見知らぬ他人にしてしまう。あの時彼が言った【処置】っておそらくそういうことだ。


「アセビ、大丈夫? 目になんか入った?」


 マホの声で勢いよく現実に引き戻される。

 私は何度も瞬きを繰り返し、予知夢と現実の端境を馴染ませた。


 私が聞いた母さんの声は、予知の一種なのかもしれない。

 若月先生の精神を深く探ったあの時、過去の母さんの姿を見たことで、私の予知能力は本覚醒したのかもしれない。


 長く深いため息をついた私を見て、ハルキくんも心配そうに眉根を寄せた。


「どうしたんだ、アセビ」

「これ全部食べたら話す。……私ね、今、御坂くんの予知夢を見たよ」


 私は後半の言葉をまっすぐ御坂くんを見つめて、言った。

 御坂くんは何かに気づいたみたいに目を細め、「分かりました」と答えた。


 先生の作ったタネに仕掛けがあるのか、できあがったパンケーキはどれもふっくらと見事に膨らみ、食感もふわふわだった。しかも色んなソースが用意されてるものだから、フォークが止まらない。

 我先にむさぼる私とマホ、サヤのパワードガールズを、男性陣はにこにこ眺めていた。


「ハルキくんたちは、食べないの?」

「一個で十分。あとは、こっちを頂くよ」


 ハルキくんが掲げてみせたのは、胚芽パンで作られた分厚いサンドイッチだ。

 こっちは先に作り置いてあったみたい。カリカリの肉厚ベーコンにしゃきしゃきレタスと瑞々しいパプリカが、美味しそうなパンの隙間から覗いている。ああっ……! 目玉焼きまで挟んであるよ!


「ほっちもはべたい!」


 口いっぱいにパンケーキを頬張ったマホが、もごもごしながら言う。口の中のものを慌てて飲み込んだせいで、マホの口の端にはべったりホイップクリームがついた。


「まだ沢山あるから。落ち着いて食べなさい」


 先生は苦笑しながらそう言うと、マホの口の端を紙ナプキンで拭った。

 入澤くんが「ああーっ!」と奇声をあげる。


「マホちゃんの口のクリーム取るの、楽しみにしてたのに! 絶対このシチュくるはずって、待ち構えてたのに! 先生、ずるい!」

「え、……あ、ごめん。つい」

「つい、で済んだら警察はいらないんですよっ!」


 うわ~。入澤くん、大人げない……。実際大人じゃないけど、駄々っ子過ぎない?

 マホに怒られるパターンだよ、これと思って様子を見ていたら、なんとマホはわざとお皿から生クリームを掬い上げ、自分の口につけた。


「はい、ケイシ。取って?」


 うわ~。マホ、甘い! 甘すぎる!

 いつの間にか、入澤くん限定でベタ甘になってるんだけど、なにこれ。

 リア充め、爆発……はだめだ。今の私が迂闊に願うと、ほんとにそうなりそう。えーと、足の小指をテーブルの脚で強く打て!


 イラっときたのは私だけではなかったらしく、マホの口を拭いたのは御坂くんだった。わざわざ立ち上がって手を伸ばし、口元のクリームをぐいぐい拭っている。

 さすがのマホもこれには驚き、あっけに取られていた。


「シュウ~!」


 ぎりぎりと奥歯を噛みしめ、入澤くんが御坂くんを睨み付ける。

 御坂くんは満足そうに笑って、腰を下ろした。


「ケイシをからかえるのも今日が最後みたいですし、大目に見て下さい。――ね? 神野さん」


 御坂くんの言葉に、全員がハッとする。

 若月先生まで、私を凝視してきた。


 父さんやハルキくんから、これまでのことを全部聞いてるというだけあって、先生もこれから何が起こるか分かったみたい。

 ハルキくんは、先生に強制尋問をかけたお詫びとして、彼に時間遡行の映像記録を見せたそうだ。今の若月先生は、全部知ってる。御坂くんと入澤くんがサードパワードのクローンだってことも、母さんの遺言についても全部。


「御坂くんに残された力は、あとテレパス一回分。……さよなら、しなきゃいけないんだね?」


 冷静に話そうと思ったのに、ダメだった。勝手にせり上がってきた熱い塊が、喉奥を塞ぐ。

 への字にさがった唇がぶるぶる震えて、視界はどんどん曇っていった。


「私が見た未来で、御坂くんは幸せそうだった。私服OKの高校に行くみたいだよ。もう可愛い彼女までいた。友達も沢山出来てた」

「そうですか。それはいいことを教えて頂きました」


 御坂くんの覚悟はとっくに決まっていたみたいで、彼の表情はどこまでも穏やかだった。

 ポロポロと涙をこぼすマホとサヤが、曇った視界の端に入る。

 ハルキくんは、きつく唇を噛んでいた。先生も複雑そうな顔をしている。

 入澤くん一人が、ニコニコ笑っていた。


「よかったな、シュウ! 勝ち抜けじゃん。そうなったらいいのに、って皆で話したよな。力なんてさっさと使い切って普通の人間になって。先が短くたって何だって、楽しく暮らせたら俺たちの勝ちだな、って。言ってたよな?」


 皆、という言葉に、とうとう涙腺が決壊する。

 彼が今言った『みんな』は、未来で死んでいったサードパワードのクローン達だ。使い捨ての駒として戦って戦って。結局、生き残ったのは俺たちだけだったって、入澤くんは言ってた。


 入澤くんは心から、御坂くんの旅立ちを祝っている。喜んでいる。

 それがよく分かった。

 それでも涙がとまらないの、本当にごめん。笑って見送れなくて、本当にごめんね。


「ええ、言ってましたね。……若月先生、あとをよろしくお願いします」


 御坂くんはそう言うと、最後のグループテレパスを展開させた。


『アザミさんの予言にある6人目は、おそらく若月先生です。私じゃなかった』『本当は私も、最後まで見届けたかった』『最高の仲間でした』『出会えてよかった。時を超えてきてよかった』『必ず未来を変えて下さい』


 怒濤のメッセージが流れ込んでくる。

 出会ってから、たったの四ヶ月。

 でもその四ヶ月で重ねた思い出映像の数々を、御坂くんは花火みたいに打ち上げた。


 やがて、線香花火の勢いが弱まるみたいに、映像がゆっくり消えていく。

 御坂くんの最後のメッセージがか細い声で聞こえる。


『どうか私を忘れないで下さい』


 その言葉を最後に、グループテレパスは途切れた。

 テーブルに突っ伏した御坂くんは、安らかな顔で目を閉じていた。

 マホが黙って立ち上がり、若月先生のシャツの袖口を掴む。


 マホは深く眠ってしまった御坂くんの脇に立ち、記憶暗示操作ディープヒンティパスの能力を解放した。それを、若月先生が補助する。

 マホはしゃくり上げながら、「大丈夫。綺麗に消すね。どこにも傷なんかつけないからね」と呟いた。


 ハルキくんも立ち上がり、どこかに電話をかけ始める。

 そして、10分後――。

 電話で呼ばれた黒服のパワード達が、眠り込んだままの御坂くんを抱え上げ、大きなワゴン車に積み込んだ。

 

 これから御坂シュウは、名字を変えて一般人になるんだって。

 戸籍や学歴をきちんと貰って、新しい記憶と共に再出発するんだって。


 よかったね、って私もいつか言えるだろうか。

 入澤くんみたいに、ほんとに良かったね、って今のこのどうしようもない喪失感を乗り越えたら言えるだろうか。


「あああああ、ごめん、言わせて!!!! くっっそ寂しい!!!! むり、心が破ける!!!!」


 一瞬、私が言ったのかと思ってギョっとした。

 叫んだのはマホだった。

 

「お前を、忘れるわけないだろうが!!」


 ハルキくんも大きな声で叫ぶ。

 サヤもすうっと息を吸い「私より先に抜けるなーー!!」と叫んだ。

 それから、入澤くんをちらりと見遣る。

 

 入澤くんは、へへ、と笑った。

 笑った拍子に、彼の頬を大粒の涙が転がり落ちる。


「俺だって、お前と最後まで一緒に戦いたかったよ、シュウ……!!」


 入澤くんの叫びに、また泣けてしまう。

 恥も外聞もなく泣き始めた私達の頭を、若月先生も真っ赤な目で、順番に撫でてくれた。


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