第52話 時を遡った代償

 父さん推薦のイタリアンレストランは、完全予約制の高級店だった。

 折りじわ一つない制服を着たウェイターの案内で、奥の個室へと通される。


「父さん、こういうお店が好きなのかな? 入学祝いで連れていってもらったとこも、似た感じだった」

「大衆的なレストランだと、値段は安いが安全性も低いからな。変な奴らに絡まれない為にも、純血パワードはある程度高めの店に行くのが普通みたいだよ」


 そうか。保護区外だとそういうのも気にしないといけないんだ。

 言われてみれば、車から降りてこのお店に来るまでの間、何人かのリーズンズにガン見されたっけ。


「みて、あの子。パワードっぽくない?」

「バングルしてるね。セントラル生かな。襲撃事件あったってね」


 そんなひそひそ声が広がる。中には、端末のカメラを向けてきた人もいた。

 もちろん、遠慮なく壊させてもらったけどね。

 パワードを本人の許可なく撮影するのは、パワード保護法で禁止されてる。そして私達には、現行犯の端末を破壊する権利が与えられているのだ。


 料理はコースではなく、単品を選んで一度に運んできてもらう形にした。

 その方がゆっくり話せるだろうというハルキくんの配慮だ。


 料理が揃うまでは、誰に聞かれてもいいよう当たり障りのない話をしといた方がいい。

 そう思った私は、マホ達と沢山の映画を見た話をすることにした。

 楽しそうに聞いていたハルキくんが、途中「RP作品まで見たのか」と声をひそめて睨んできたことを除けば、至って和やかに会話が進む。


「――それでは、ごゆっくりお過ごし下さい。食事が終わりましたら、ベルを。デザートと食後のお飲み物をお持ち致します」


 配膳を終えた店員さんが出て行くのを見届けると、私はパワーで扉をロックした。更には個室全体に防音バリアを張り巡らす。


「これで盗聴の心配もなし。さ、ハルキくん。私はここで聞いたことを誰にも言わない。安心して、全部話して」


 彼は目前に並んだ大量の皿と、真剣な顔の私を見比べた後、「そうだな。食べながらの方が、話しやすいかもしれない」と苦笑した。


「父との関係がうまくいかなくなった原因は、俺が時間遡行を行ったことだ。まずは、時間遡行について話そうと思う」


 ハルキくんは大きく深呼吸した後、彼の体験について話し始めた。


 10年後の未来でも、時間遡行の能力については色んな説があったという。

 別次元のパラレルワールドへジャンプする能力じゃないかとか、大量の予知夢を一度に見ることによって未来から戻ってきたような感覚になるんじゃないかとか。

 だけどハルキくんが実際に体験したそれは、どの説とも違っていた。


「アセビが死んだ時、とてつもなく大きな能力が解放されるのを感じた。直感的に時間遡行能力が発動したと分かったものの、力の大きさに身体が耐えきれないんじゃないかと危惧した。だが、俺はどうしても過去に戻りたかった。……矛盾するようだが、死んでもいいから戻りたかった。自分が内側から爆発したんじゃないか。そう一瞬錯覚したくらい激しい能力解放の後、次に気づいた時にはもう、俺は柊のあの家にいた」


 ハルキくんの顔が、苦しげに歪む。

 ここからが本題なのだと、私も身構えた。

 何があったのだとしても、私はハルキくんの味方でいる。だから、大丈夫だよ。

 励ますように、ハルキくんを見つめる。

 ハルキくんは私を見つめ返し、小さく頷いた。


「この世界とは違う分岐の先にある別世界に飛ぶわけでも、10年前の俺の精神に未来の記憶がインストールされるのでもなかった。――俺は、25歳の俺のまま、両親とともに夕飯を食べていた15歳の俺の隣に現れたんだ」


 ……え?

 すぐには意味が理解できなくて、私はそのまま固まってしまう。フォークに刺していたパスタがしゅるとほどけて皿に戻った。


「食卓に並んだメニューと開けられたばかりのプレゼントには見覚えがあった。俺の15の誕生日が両親が贈ってくれた腕時計だ。15歳の俺は、その腕時計を手にしたところだった。あっけにとられた顔で血まみれの俺を見上げてたよ。母親は悲鳴をあげてレスキューコールのボタンを押した。契約してる警備会社が駆けつけてくるまでの間、両親はなんとか自分の息子を救おうと必死だった」


 当時の光景を思い出したのだろう、ハルキくんの頬がひきつる。

 彼は手にしたフォークをテーブルに戻し、目元を覆ってしまった。


「15歳の俺は少しずつ薄れていった。消えていく自分の両手を見ながら『なんだよ、これ』と言った。あの顔と声は、今でも忘れてない。……同一世界に同一体は二体以上存在できない。俺が時間を遡ったことで、10年前の俺は消えてしまったんだ」


 私は立ち上がり、向かいに座ったハルキくんの方へ回った。

 それから、苦しむ彼の背中をぎゅ、と抱きしめる。ハルキくんは自分の身体に回された私の手を、縋るように握った。


「彼が消えてしまうと、今度は俺の身体が変化し始めた。若返っただけじゃない。髪の長さや服装まで、たった今消えた彼と同じになった。警備員が駆けつけた時には、全部終わってたよ。俺の記憶通り、親子3人で特別な食卓を囲んでいた。……過去と違うのは、両親が滂沱の涙を流していたこと。彼らの大事な一人息子は、目の前で消された。10年後の本人によって、存在を絶たれたんだ」


 血を吐くようなその声にたまらなくなる。

 ご両親は確かに気の毒だ。すごく驚いただろうし、混乱しただろう。目の前で大切な家族が消えていくなんて、想像しただけで辛い。でも。

 でも、今のハルキくんだって彼らの大事な一人息子には変わりないはず。


 自分の意見が偏ってるのは自覚してる。身贔屓だって分かってる。

 それでも私は、消えたハルキくんより、今もきっと悲しんでるご両親より、目の前のハルキくんの肩を持たずにいられなかった。

 私が好きになったのは、ここにいるハルキくんだ。

 たとえ同じ人でも、10年前のハルキくんじゃない。


 そこまで考え、ああ、と目を見開く。


 ハルキくんのご両親にとっても、同じじゃないか。


 彼らが愛し、大切に育ててきたのは、ここにいるハルキくんじゃない。

 たとえ同じ人でも、10年後の柊ハルキじゃない。

 だから、柊ユウさんは彼を息子だとは認めないんだ。

 共通の敵に立ち向かう同志としては認めても、家族としては受け入れられないんだ。


「誰がハルキくんを憎んでも、私が好きなのはあなただよ。ハルキくんが未来から戻ってきてくれてよかった。私を諦めないでいてくれて、よかったよ」


 どんな言葉を使えば、ハルキくんの心の重荷を軽くできるのか分からない。

 人の心が読めたって意味はないんだと思い知らされる瞬間だ。心の傷が癒える方法なんて、きっと本人すら分からない。

 それでも私は慰めずにはいられなかった。

 ハルキくんはようやく顔を上げ、力なく笑った。

 

「ずっと言えなくて、ごめん。アセビは細かいことを気にしないだろ? だから、こんな風に父とのことを聞いてくるとは正直思わなかった。このまま知られずにいられたらいいのにって、虫のいいことを考えてた」

「……打ち明けたこと、後悔してる?」


 不安になって問い返してしまう。

 ハルキくんは勢いよく首を振った。


「それはない。自分でも笑ってしまうほど、気が楽になった。アセビが俺を許してくれて良かった」

「許すの許さないのって、私にそんな権限はないよ」


 すかさず言った私を、ハルキくんはじっと見つめた。

 それから掠れた声で尋ねてくる。


「権限ならある。俺が消した過去の柊ハルキこそが、今のアセビのパートナーだった。……アセビは数年後、彼と出会う予定だった。そして彼を好きになるはずだった。相手は俺じゃない」


 許すってそういう意味か。

 深刻そうなハルキくんには悪いけど、私は思わず笑ってしまった。

 笑いながらハルキくんの頬をむに、とつねる。

 

「私が好きになったのは今のハルキくんだって言ってる。それに約束したでしょ? 善悪に関わらず、運命を共に――私達は一蓮托生なんだって」


 私は言って、つねった頬を優しく撫でた。

 あっけに取られた端正な顔を至近距離でじっくり鑑賞し、にこ、と笑いかける。

 ハルキくんの瞳がみるみるうちに明るくなった。


「かなわないな。……アセビには絶対かなわない」


 ハルキくんは呟くとおもむろに立ち上がり、くるりと身体の向きを変えた。

 それから私をきつく抱き締めてくる。

 彼の体温や身体の重み、その全てが愛おしくてたまらない。


 【誰を裏切ってでも】――会議室でハルキくんはそう言った。

 あの言葉の意味が身に沁みてくる。

 彼が本当にいいたかった言葉は、多分こう。


 【たとえ過去の自分を消して両親を苦しませると分かっていても、俺は時間を遡る】


 きっと私も同じだ。誰を裏切ってでも、誰の好意を台無しにしても、仮に私が間違っていたとしても。

 それでも私は、ハルキくんと共に行く。


 母さんも父さんの手を取ると決めた時、こんな気持ちだったのかな。

 おばあちゃんは? 周防キリヤと離れた時どんな風に思ったの?


 色んな感情が一気に押し寄せてきて、気持ちがぐるぐると渦を巻く。

 今はただ、せめて大きく間違わずに済みますように、と祈るばかりだ。


 

 スーパーハグタイムの後、私達は再び席につき、今度こそ食事を再開することにした。

 ちょっと冷めてたけど、さすが高級イタリアン。どの料理もすごく美味しい。

 くわえて、量もかなり多い! ここ、すごく重要。

 

 ずっと一人で抱えていた悩みを吐き出せて少しはスッキリしたのか、ハルキくんもよく食べた。

 私は今がチャンスと、他にも気になっていたことを色々聞いてみることにした。


「時間遡行は、過去の自分のすぐ傍に戻るっていうのがハルキくんの推論なんだよね? 御坂くんと入澤くんは? どこへ飛んだの?」

「彼らは、RTZのクローン培養ポッドがあった研究所に飛んでた。今は、まだ何もない更地だ。おそらくそこへいると思って迎えに行ったら、2人とも空き地を囲んだ柵の上に座って途方に暮れてたよ」

「それは……。笑っちゃダメだけど、なかなかシュールな絵面だね。ハルキくん、怒られたんじゃない?」

「ああ、それはもうすごい勢いで怒られた。飛ぶなら飛ぶって言え、とかな。巻き込んだ俺が完全に悪いから、彼らが納得するまで現状を説明したし、ひたすら謝まったよ」


 怒ったのは主に入澤くんだろうな。当時のやりとりが目に浮かぶわ。

 

 その後、御坂くんと入澤くんを柊ユウさんに紹介し、警備会社に残っていた記録映像を回収し、その映像を見てしまった警備員全員の記憶を意識暗示操作ヒンティパスで別のものとすり替え、となかなか忙しかったみたい。

 テレポートや精神系能力を使いこなすハルキくんを見て、ご両親も納得せざるをえなかったんだろう。

 

 彼がサードパワードとして目覚めてしまったのは、ご両親のバックグラウンドのせいでもある。状況を詳しく把握すればするほど、ハルキくん一人を責めるのはおかしいと思うようになったみたい。

 

「父も母も、今では俺を息子として扱ってくれているよ。アセビとの婚約も認めてくれたし、将来についても保証すると言ってくれてる。だが、愛情までは期待してくれるな、と釘を刺されてるだけだ。感情まではどうにもならないと、母には頭を下げられた」


 ごめんね。私はあなたが怖い。あなただって私の子どもなのに、気持ちがどうしてもついてこないの。本当にごめんなさい。

 ハルキくんのDNA鑑定の結果が出た日。お母さんは泣きながら何度も謝ってきたんだって。

 

「未来の両親と築いていた良好な関係を、壊したのは俺だからな。仕方ない。……それに、俺は覚えてる。15から25までの10年間。両親がどれほど俺の為に心を砕いてくれたか、ちゃんと覚えてる」


 自分を励ますように、ハルキくんは言った。


 訪れるはずだった親子の幸福な10年は、永久に戻ってこない。

 ハルキくんが時を遡る為に払った代償は、彼一人が払えば済むものではない、かなり大きなものだった。


 

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