第16話 半覚醒

 バングルが黄色く点滅して登校時間を知らせる。

 学校へ行きたくないと思ったのは、ジュニア時代から通算して初めてのことだった。大して楽しくなくても、学校というのは行かなきゃいけない場所だった。どんな嫌な目に合っても、気分が乗らないから休むなんて許されない。そう思っていた。

 だけど、母さんの遺書が私に与えたショックは、あまりにも大きかった。


――寿命を削って能力を発動しない次世代パワード。


 過去知の中で聞いた衝撃の一言が、脳内をぐるぐる回る。未来を知っていても結局は回避できなかった母さんの最期が、胸の底でとぐろを巻く。

 許容範囲を超えた情報量に圧倒され、私は両膝を抱えて胸との間の隙間に頭を突っ込んだ。薄っぺらい体の感触が、今は余計に心細い。

 もっと大人なら良かった。もっと、もっと私が賢かったら良かった。

 両手を組んだ拍子に、左手が硬い輪っかに触れる。そのまま指で掴んでみた。


……このバングルに、意味はないってことだよね。


 そう考えれば、入学式のフレーム交換で全く変化がなかったことにも説明がつく。

 私がパワーを暴走させていないのは、バングルではなく母さんの封印のお蔭ってこと? 寿命を削らないのなら、一体私は何を代償にパワーを発動させるの? それともサードパワードと同じで、力は有限なの?


 キリなく浮かんでくる疑問に答えられる人がいるとするなら、それは父さんだ。父さんも母さんの遺書を受け取ったって言ってた。


「なんでこのタイミングで仕事詰まっちゃうかなぁ……」


 今すぐ父さんに会って、知ってることを全部聞きたい。でも父さんがしばらく帰れないとメッセージを残す時は、本当に帰ってこないってことを私は経験から知っている。


――あーちゃんが次にこの絵を見る時、あーちゃんの傍には誰もいないかもしれない。一人にしてしまうこと、許してね。


 母さんの声が頭の中に蘇る。と同時に、ものすごく不吉な可能性に思い当たり、ハッと目をあげた。


 ……?


「……誰もって、……父さんは!?」


 父さんのいない未来が、母さんには見えていた……?

 思いつきが呼び水になって、過去に聞いた言葉が次々と浮かんでくる。


――『神野ヒビキの保護から外れた覚醒直後の無力なアセビを狙って、奴らは動いた』


 そうだ、確かに柊くんはそう言った。その時は意味が分からなくて聞き流してしまったけど、父さんの保護から外れるって、なに?

 未来の私が能力開花時に体験した辛い思い、ってなに……?


 こうしてはいられない。父さんの無事を確かめないと!

 特殊任務の間、個人端末は繋がらなくなる。保護省の代表番号にかけて、メッセージを残せばいいのかな。ああ、でも今は混雑していて繋がらないかもしれない。父さんの所属してる部署ってどこだっけ? どこかにメモがあったような……。

 勢いよく立ち上がり駆け出そうとして、慌てて急ブレーキをかけた。勢いを殺せず、その場で足踏みしてしまう。


 いや、まって……絵本かも。


 母さんが残した未来の絵本を、先に探さなきゃいけないのかも。私の部屋にある本棚に、絵本はない。昔はこの和室に小さな絵本棚が置いてあった。父さんが母さんの買ったものを捨てるなんてありえないから、どこか別のところに大切に保管してあるはず。


 今すぐ父さんの無事を確認する選択で、合っている?

 それとも絵本を先に探して確保する選択が、正解?


 今まで考えたこともなかった【未来の分岐】についての圧倒的不安が押し寄せてくる。おそらく柊くんの体験した未来で、もう一人の私は全部間違えた。間違えて、悲しい過去を持つ偉そうなスーパーパワードになってしまった。今度こそって言い方はおかしいけど、大切な人を失う未来には進みたくない。

 迷う時間すら許さないと言わんばかりに、黄色いランプは点滅し続ける。

 ああ、学校行かなきゃ。時間がない。私は再び泣きそうになった。


「未来視の封印を解いてよ、母さん!」


 両手を握り締め堪らず叫んだ瞬間、玄関のインターホンが鳴った。


「……父さん!?」


 転がるような勢いで廊下を走る。飛びついて開け放った玄関扉の向こうに立っていたのは、マホと入澤くんだった。


「ちょ、アケビー。ちゃんとカメラで確認してから開けなっていつも言って……って。なに、どうしたのアケビ」


 目を丸くしたマホとチャラく制服を着崩した入澤くんを見た瞬間、ぼろぼろと涙が零れてくる。入澤くんはすばやく両目を隠し、叫んだ。


「うわ、まず……! 待って、何があったか分かんないけど、今は我慢して。柊のいないとこで泣かないで!」

「は? なにそれ」

「神野ちゃんが自分の知らないところで泣いたって、しかも俺は見たってなったら、マジで報復されるの!」

「それどころじゃないよ、あんた馬鹿!?」


 マホが持っていたスクールバッグで入澤くんのお尻を思い切り叩くと、入澤くんは両手で目を覆ったまま「いたー!」と情けない悲鳴をあげた。

 目の前で繰り広げられるどつき漫才に、全身の力が抜ける。

 思わず口元が綻び、笑えたと認識した途端、心が落ち着いてきた。意識して、深呼吸を繰り返す。深く息を吸う度に、ぼんやりと思考を覆っていた膜が消えていくような感覚を覚えた。


 手の平で涙を拭いながら、「柊くんと御坂くんは?」と聞いてみる。御坂くんはともかく、柊くんがエントランスで大人しく待っているところは想像できない。


「泣きやんだ? 涙、拭いた?」

「うん、大丈夫」


 入澤くんはようやく手を下ろし、私の目を見つめた。彼の表情はどこか気まずげで、視線をすぐに外してしまう。


「なんかもう、ほんと調子狂う。俺の中の神野先輩イメージが……」


 ぶつぶつ零したあと、入澤くんは短く息を吐き、再び口を開いた。


「ニュース見たかな? 保護省の失踪事件のやつ。あれで柊とシュウは、本社ビルに行った。柊の親父さん達と今回の事件についての会議を開くから、今日は学校休むって」

「私も休む」


 即座に答え、私は踵を返した。

 柊くんは動いてる。

 私も自分に出来ることをやらないと。めそめそ泣いてたって、事態は変わらない。


「はぁ!?」

「ちょ、何!?」


 2人の素っ頓狂な声を背中に浴びながら、リビングに入ってTV電話の前に立つ。短縮に入っているセントラルにコールすると、すぐに応答があった。画面に映し出された女性事務員さんは人工知能AIが作ったホログラムだ。

 AIに向かって『父さんに届け物を頼まれたので、今日は遅刻する』と告げた。休む為には保護者の申請書が必要だけど、遅刻は生徒本人のTV電話でも受理して貰える。


「生徒IDを入力の上、画面に顔を近づけて下さい。――本人認証終わりました。神野ヒビキへ確認の上、記録しておきます。登校可能になった際は、再度連絡を入れて下さい。ゲートが開く時間を伝えます」

「はい。よろしくお願いします」


 これで父さんに連絡もいく。セントラルからの連絡なら、高い優先順位で父さんに繋いで貰える。父さんの手が空き次第コールバックがくるはず。待っている間に、絵本を探そう。

 あらかじめ登録された人間以外を家に入れる為には、手続きが必要だ。

 バングルを持っているマホなら、玄関先にある認証ボックスに手を突っ込んで臨時登録するだけでいいけど、リーズンズである入澤くんを中に入れるにはその家の成人パワード、つまり父さんの承認がいる。


「2人は学校に行って。私はここで父さんからの連絡を待ってる。私の能力について、分かったことがあるの。もっと調べたい」


 開けっ放しの玄関へ戻り伝えると、マホは大きく目を見開き、食い入るように私を見つめた。入澤くんはズボンの後ろポケットから個人端末を取り出し、どこかに電話をかけ始める。


「――あ、うん。俺。あのさ、神野ちゃん、半覚醒したっぽい。……いや、原因は分かんない、自分で聞いて。会議終わったらこっちくる? うん、適当な情報ぶっこんだダミーバングル持ってきてね。……俺らは学校行くわ。集団で休んだら流石に怪しいでしょ。まあ、つるんでる時点で目をつけられてる可能性大だけどね」


 んじゃ、よろしくー。

 軽い調子で端末を切った入澤くんは、固まったままのマホの手を取った。


「ほら、マホちゃん、いこ。遅刻しちゃうよ~」

「わ、引っ張んないでよ! アケビ、学校終わったらすぐ来るからね、外に出ないでよ!」


 何度もこちらを振り返りながら遠ざかっていくマホ達を見送ってから、玄関に鍵をかけた。重たく響く金属音に、唇を噛みしめる。


 私の知らないところで、きっともう戦争は始まっている。


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