第17話 柊ハルキは自分勝手

 2人暮らしには広すぎる間取りとはいえ、普通の分譲マンションだ。調べられる部屋は限られている。

 父さんの寝室に入るのはちょっと抵抗があったから後回しにして、今は使っていない部屋から探すことにした。クローゼットの中まで見てみたけど、綺麗に片づけられた洋室に本らしきものはない。

 母さんが私室にしていた部屋も同じだった。

 生きてた時と何一つ変わっていない家具の配置に、何ともいえない感傷がこみあげてくる。パソコンデスクの上に転がっていたヘアピンを手に取り、しばらくじっと見つめた。


――『ああ、報告書作りって苦手~。あーちゃん、元気分けて~』


 前髪を横に分け、これで留めた母さんが振り向き、にかっと笑う。おでこを全開にした母さんは、いつもより若く見えて可愛かった。

 私はヘアピンを慎重に元の場所へ戻した。置いた後、指で押して角度を調整する。父さんはこの部屋のものが少しでも動かされることを嫌がるだろうと思った。


 仕方ないので、父さんの寝室へと向かう。

 まさかとは思うけど、エロ本とかありませんように。万が一見つけてしまったら、発火能力パイロキネシスの封印が解けそうな気がする。その時は燃やし尽くすさ、全てをな!

 鼻をつまみながら部屋のドアノブを回す。足を踏み入れた後、小走りで窓に向かい、新鮮な空気を入れてから手を下ろした。思ったより臭くなくてホッとした。

 父さんの寝室に置いてある書架は、天井に届く高さの巨大なものだった。広い壁面全部が本で埋まっている。……この中から探すのか。げっそりしながら、右端の棚から見ていく。

 父さんの蔵書は、仕事関係の法律書とかパワードについての研究レポートとか、難しそうな本が多かった。これ、ほんとに読んだのかな?

 疑り深い気持ちで、手に取った一冊を軽くめくってみる。

 開いた途端、癖のある小さな赤字が目に飛び込んできた。父さんは辞書を引き、調べた意味を書きこんでいた。難しい言い回しの部分には傍線がひっぱられ、父さんなりの解釈が記されている。パワードは頭悪いから、で終わらそうとせず、何とかリーズンズの考えを理解しようとしてる父さんの努力の跡に、胸が熱くなった。

 こういうとこ、母さんは好きになったんだな。

 誇らしい気持ちで、私は本を閉じた。すごい両親を持った自分は幸せだと心から思えたし、頑張ろうと改めて決意した。


 お昼を回った頃、私はようやく書架から全ての児童書と絵本を掘り出した。飽き性の私にしては奇跡的な持続力だ。片っ端から脇に積んだ本は、すでにタワー状になっている。

 次はこれを一冊ずつ調べていく作業。装丁ですぐにそれと分かるものはなかったから、手作りの本ではないみたい。タワーのてっぺんの本に手を伸ばしたところで、激しい空腹に気づく。


……だめだ。力が出ないや。昼食を食べてから、残りの作業に取り掛かろう。


 父さんからの電話はまだない。試しに個人端末にかけてみたけど、やっぱり電源は切られていた。

 明るい陽射しが差し込んでくるリビングで一人、温めた冷凍食品を食べているうちに、また心細さに襲われた。せっかくのハンバーグの味が分からない。噛む度に口中に溢れる肉汁といい、風味を引き立てる甘めのデミグラスソースといい、本当に美味しいんだよ、いつもは。

 デザートを食べたら気分がマシになるんじゃないかと思ったけど、今日に限って何もなかった。どうしようもなく悲しい。


 情緒不安定なお年頃だから、仕方ないんだ。頑張ってるよ、私。もっと頑張れるよ、いけるいける。

 自分を励ましながら食器の片づけを済ませたタイミングで、柊くんがやってきた。

 片手にケーキの箱をさげて、玄関先に立っている柊くんをカメラで確認した瞬間、胸がキュンと音を立てた。


 私、やっぱりこの人のこと好きな気がする!


 柊くんが持ってきてくれたのは、こっくりしたマロンクリームと絶妙な甘さの栗が乗ったモンブランだった。ケーキの中では、モンブランが一番好きだ。そう伝えると、柊くんは「知ってる」と綺麗な瞳を眇めた。


「知ってるよ」


 なんで2回言ったのかな。

 彼の眼差しはこっちを落ち着かなくさせる熱をたっぷり含んでいて、うっかり直視したら吸い込まれそう。何かに似てる。……そうだ、あれ! 目を合わせた人を石に変える怪物。

 私は視線を彷徨わせながらお礼を述べた。誰かと話すことが照れくさい、という感覚は初めてだ。1人で食べたハンバーグは味気なかったのに、モンブランはすごく美味しかった。

 柊くんはコーヒーだけでいいというので、6個あったケーキは私が全部食べた。


「全部食ったのか」


 空っぽになった箱を覗き込み、柊くんが肩を落とす。そんなにしょんぼりする理由が分からない。


「え? だって、柊くんはいらないんでしょ?」

「ヒビキさんの分も買ってきたつもりだったんだ」

「あ……ごめん」


 なんとケーキは父さんへの手土産も兼ねていたらしい。

 気を遣ってもらえて嬉しいし、柊くんの口から父さんの名前が出るの、すごくくすぐったい。なんだ、これ。お尻をもぞもぞさせながら謝ると、柊くんは口元を緩めた。


「よっぽど美味かったんだな。他の種類のケーキも買えば良かった。モンブランじゃなきゃダメってこともなかったのにな。自分で買い物すること自体久しぶりで、いっぱいいっぱいだったみたいだ」


 真面目な話をしている時はすごく大人びてみえる彼だけど、今みたいに微笑むと年相応の顔になる。可愛いな、とちょっと思った。胸の奥がじんわり温かくなる。


 柊くんが「かなり舞い上がってんな……かっこわる」とぼそりと呟いたので、いやいやいや、と首を振った。


「かっこ悪いとかないよ。柊くんはかっこいいよ」

「え? ……あ」


 素直な気持ちを口に出すと、柊くんは一瞬ポカンとし、それから真っ赤になった。


「そういうこと軽く言うな」


 間違えた。カッコいいっていうより、可愛い人だ。

 ほのぼのしながら、しばらく2人でコーヒーをすする。

 途中ハッと我に返ったらしい柊くんに、今朝あったことを聞かれた。聞き上手な彼のお蔭で、順序立てて話すことが出来た。

 春と冬の季節の名前を持つ、私を守って旅をする男の子。母さんが未来で見た人は、きっと柊ハルキだ。柊くんは信用していいと確信して、全てを打ち明けた。


「――入澤が言ってた半覚醒って、過去知のことか」

「そうなのかな。覚醒したっていうか、封印を解く為のヒントを貰ったって感じだけど……」


 母さんを亡くした経緯については知っていたのか、彼は全く動じなかった。私がネクストパワードだという話にも、黙って頷いた。

 どっしり受け止めてくれることに、深い感謝を覚える。ぐらぐらと揺れていた足元が、柊くんによってしっかり固められたような気がした。ここにいていいんだ。焦らなくて大丈夫だ。彼の表情は力強く私を励ました。


「そうか……。その絵本が見つかれば、全ての能力が解かれるかもしれないな。神野ヒビキが生きている間にお前が完全な力を取り戻せば、俺達にとって大きなリードになる」


 柊くんが気にしているのは、これからの私達がどう動くべきか。それだけだ。そのぶれなさが、眩しく頼もしい。


「父さん、未来では寿命より早く死んだんだね」


 思ったより落ち着いた声が出る。悲しみより諦めが強く滲んだ声だった。母さんですら自分の最期は変えられなかったのに、未来視能力を持たない父さんが避けられるわけがない。


「未来では、な。今は違う。今日の会議には保護省の偉いさん達も来てたから、調べてもらった。神野ヒビキのバングルに異常はないそうだ。危険な潜伏捜査の任務にもついてない。今は、被害者が失踪直前に接触した人物の聞き取り調査をチームで行っているらしい。アセビのこと伝言しておいたから、おそらく夜には一度家に戻ってくると思う」


 柊くんの説明に、心からホッとした。だから父さんの分のケーキを買ってきたんだ。父さんは生きてる。少なくとも今はまだ生きてる! 

 へなへなと椅子の背もたれに寄りかかった私を見て、柊くんはしまった、という顔をした。


「話の順番を間違えた。ごめん、心細い思いさせて」

「ううん。真っ先にケーキの箱に飛びついたの、私だし……でも、そっか。良かったぁ」


 何度も良かった、と壊れた人形みたいに繰り返す私を、柊くんは馬鹿にせず「ああ、大丈夫だ」と宥めた。

 はあ、と胸を撫で下ろし、ん? と気づく。

 待って。そういえば、柊くんって未来人じゃん!

 何でも知ってる……は言い過ぎかもだけど、私のことを今の私より知ってる人だよね。父さんより先に、柊くんに色々聞けるのでは?


「私の能力って、何を代償に発動してるのか知ってる?」


 柊くんはあっさり首を振った。


「それは未来でも分かっていなかった。だからこそ、やつらはお前にアレを埋め込んだ後も、排除する決断を下せなかった。真の平等を目指すなんて綺麗事言ってても、結局は差別主義者の集りなんだよ。賢いリーズンズにこそパワーが備わるべき、って考え。RTZは、アセビの能力が欲しくてたまらなかった。寿命も削らない。有限でもない。偏ってもいない。オールジャンルの異能力を自由自在に使えるお前の秘密を解き明かしたがってた」

「爆弾だっけ? それを外すことは出来なかったの?」


 柊グループの有する医療技術で何とか出来なかったのかな。更に質問をぶつけてみる。柊くんは眉をひそめ、一旦口を噤んだ。

 揺れる瞳が、迷いに迷っていることを伝えてくる。彼はようやく視線をあげ、大人しく待っていた私と目を合わせた。


「正確には爆弾じゃなくて、強力な暗示だ。解くことは出来なかった。神野ヒビキの死に責任を感じていたお前は、『自分さえ生まれなければ』という強い罪悪感を捨て去ることが出来なかった。RTZはお前の後悔に付け込み、特定キーワードでアセビの力が自分に向くよう暗示をかけていた。お前は殺されるのを承知の上で、やつらの本部に特攻をかけ、RTZが蓄積してきた研究の数々を自分もろとも吹っ飛ばしたんだ」


 ……ん?

 それなら、そこでテロ組織は撲滅できたんじゃないの?

 父さんも私も死んだみたいだけど、悪い奴らも皆死んだなら、それはこっちサイドの勝ちじゃないの?


 おそるおそる確認してみる。柊くんは、皮肉気に唇の端を曲げた。


「おそらくな。だから言ったろ。俺はお前が死ぬ未来を変えにきたって。RTZが壊滅したって、お前が生き残らない未来ならいらない。俺は、いらない」


 ……前言撤回。この人、怖い人だ。

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