第55話 反撃開始

 次に気づいた時、私は医務室にいた。

 反射的に旭シノを連想し全身が強張る。両手を開き臨戦態勢に入ろうとする私を現実に引き戻したのは、右手に感じるぬくもりだった。

 この手の感触は――。

 

「アセビ!」


 ハルキくんの切羽詰まった声がする。声がした方に顔を動かすと、そこには皆が揃っていた。

 ハルキくんはベッドの横に跪き、私の手を両手でがっしり握り締めている。入澤くんはなぜかマホを背中から抱きしめ、彼女の頭に額を押し付けていた。

 マホとサヤは強張った表情をホッとしたように緩める。

 

 ……ええと。

 あれ? 私、予知夢見てたんじゃなかったっけ?


「気づいたみたいだね。柊くん、ちょっとだけでいいから場所変わって」


 新しい保健室の先生が視界に映り込んでくる。

 きりりと凜々しい一重瞼の目に、柴犬みたいな短い眉。

 なんともアンバランスな愛嬌を備えたこの先生は、10年後の未来ではRTZに夫と娘を殺される。今回は毒ガスで自分が死んでた。不幸な運命の元にいる彼女だけど、今は元気に生きている。他のテロ対策委員の皆も似たようなものだ。みんなRTZに大切なものを奪われた。

 

 きびきびと動く先生を眺めているうちに、胸の奥に熱い炎が灯る。

 真っ当に生きてる人達のささやかな幸せを、今度こそ守りたい。今度こそ絶対に、守ってみせるんだ。

 

 決意を新たにした私のこめかみに、先生は大きな機械に繋がるパッチを当てた。医療センターでもおなじみのその機械は、規則正しい曲線をモニターに写し始める。


「湊(みなと)先生。――どうですか?」

「――……うん、大丈夫。バイタルは安定してる。暴走した痕跡もないよ。……神野さん、よく耐えたね。すごいよ」


 湊先生は本気で感心してるみたいだけど、何がなんだか分からない。

 仕方ないのでとりあえず曖昧に頷いてみた。


「まだちょっと混乱してるみたいだけど、大丈夫。脳圧を上げないほうがいいし、無理に思い出そうとしないでね。みんなも下校時刻までここに居ていいよ。全員要休養だって他の先生達には連絡済みだから。若月先生は午後一の授業が終わったら合流するって。私は隣で報告書書いてるから、何かあったら呼んで」


 先生はそう言い残すと、白い仕切りのカーテンを開けて出て行った。やがて、医務室と続き部屋になっている準備室のドアが閉まる音がする。

 私は身体を起こし、何があったか思いだそうとしてみたけどダメだった。すっぽり綺麗に記憶が途切れてる。

 

「ごめん、ちょっと記憶が飛んじゃってるみたい。何があったか説明よろしくお願いします」

「力をいっぺんに使いすぎた副作用だろうな。……すごく助かったのは確かだけど、お前が気を失った時は肝が冷えた。あんまり心臓に悪いことしないでくれ」


 ハルキくんが今にも泣き出しそうな顔で頼んでくる。

 どうやらまたもや私はやり過ぎてしまったみたい。


「誰かのこと、傷つけた?」

「真っ先にそれ聞くの、ほんと神野ちゃんらしい」


 ようやくマホの頭から顔をあげた入澤くんが「マホちゃんも鈴森ちゃんもだよ。純血パワードのそういうとこ、マジでしんどい」と笑う。彼の目は真っ赤だった。


「入澤くん、大丈夫?」

「ああ、ほら! またすぐ人の心配する!」


 入澤くんはもどかしそうにそう言って、勢いよく首を振る。


「大丈夫、俺は全くなんともない。神野ちゃんは俺たちに、予知夢の全容を見せてくれたんだよ。すごく大量で、細かかった。俺たちだけでは受け止めきれないってすぐに分かったから、慌ててここに飛んだんだ。湊先生も応援を呼んでくれてさ。10人がかりで映像を記録した。応援にきてくれた人達、びっくりしてたよ。トリプルSのランカー達がみんな目を丸くしてた。それくらい、神野ちゃんのパワーは圧倒的だった。予知夢を時系列に並べ直して映像化したうえで、自分の深層意識に10人全員を引き込むなんて真似、神野ちゃん以外に出来ないよ」


 興奮で頬を上気させ、入澤くんは一気に説明してくれた。


 そっか。そんなこと、してたんだ。

 どうにかして情報を持ち帰らないとって必死だったからかな。

 無事に伝えられて良かったと安堵するのと同時に、申し訳なくなる。

 

 だって全部見たということは――。

 入澤くんは、自分の死に様と血まみれで戦うマホを見せられたってことだ。

 彼がマホにしがみついてた理由が分かった。泣いてた理由も。


「ごめんね、しんどかったよね」

「なんで神野ちゃんが謝るの? 俺たちは敗因を知った。相手の手の内を知った。これってすごいアドバンテージなんだよ? 神野ちゃんは大きな顔して『ありがたく思いなさいよね、この役立たずどもが!』って言うところだよ!」


 入澤くんがすごい勢いで熱弁を振るう。

 マホもサヤも、その通りだ! といわんばかりにうんうん頷いた。

 3人のあまりの迫力に気圧されてしまい、言わないとこの場が収まらないんじゃないかって気がしてくる。


「え、っと……あ、ありがたくお――」

「言わなくていいから」


 ハルキくんが目元を押さえ、疲れた声で割って入った。

 それから入澤くんを振り返り「アセビを困らせるな!」と怒る。「ごめん、つい」と入澤くんは頭をかいた。悪ふざけする入澤くんをハルキくんが先生みたいに叱る。いつも通りの日常風景に、思わず笑ってしまった。

 

 ああ、あれが夢でよかった。

 まだ起きてないことでよかった。

 

 こんな風に平和に過ごせるのが文化祭までだなんて、冗談じゃない。

 絶対に阻止してやるから見てなさいよ、あのテロリストどもめ!


「取ったその記録、私にも見せてくれる? 覚えるのと伝えるのに精一杯で、ちゃんと理解できてない場面がいっぱいあるの。補足解説してもらえたら助かる」

「ああ、分かった。今夜、テロ対委の緊急会議を開いてもらうことになったんだ。俺もそれまでに説明の予行練習をしておきたかったら、ちょうどいい。若月先生が来るまでちょっと待ってくれ」


 ハルキくんは頼もしく請け負ってくれた。

 その声に、マホとサヤが手をあげる。


「実は、私もちょいちょい意味不明なとこが……」

「私も全部は理解できなかったわ。いくつか確認させて」


 サヤは平然としてたけど、マホは恥ずかしそうに「ごめん、見栄張った。ちょっとじゃなくて全然理解できてない。私も頑張ってついていこうとはしたんだよ?」と弁解した。

 分かるよ、その気持ち。努力にも限度があるよね。持って生まれた理解能力の高さとかね、蓄えられる知識量とかね。

 でも、苦手なことを引け目に思うことないって、自分の得意なことで頑張ればいいって、御坂くんはよく言ってた。だから私達は私達のままで大丈夫なんだよ。分からないことはその都度、聞いたり調べたりすればいいんだよ。

 私がそう言うと、マホは何度も頷いた。



 五限目終了のチャイムが鳴った後3分も経たないうちに、若月先生が医務室に飛び込んできた。

 先生は私の顔を見るなり、大きなため息をつく。


「頑張るのはいいことだけど、無茶し過ぎ」


 そう言って私の頭をぐりぐり撫でる。ハルキくんがわざとらしく咳払いしたので、先生は慌てて私から手を離した。

 先生は両手をあげた状態で「威嚇するな、殺気をしまえ!」と顔をしかめる。ハルキくんは「なんのことですか?」とにっこり笑った。


 医務室が臨時の会議室に早変わりする。

 私達はそれぞれ端末を立ち上げ、ハルキくんが送付してくれた予知夢を纏めたフローチャートを見ながら、彼の説明に聞き入った。


 事の起こりは文化祭前日。

 私達を分断することにした周防キリヤは、旭シノの居場所の偽情報を私達にわざと掴ませ、そこへ私とハルキくんをおびき寄せた。

 周防キリヤの仲間は先に拉致してきた柊ユウさんを餌にしてハルキくんを捕縛し、私のパワーを封じる。その後私は高濃度の能力抑制剤を注射され、研究所の冷凍スリープポットに放り込まれた。ハルキくんとユウさんの生死は不明。


 彼らは柊ユウさんとハルキくんの端末と合成映像を使って、旭シノを確保したと対テロ委に報告。同時に、セントラルの宅配弁当業者と自販機オペレーター、警備員の入れ替えを指示した。


 

 ハルキくんの説明と同時に表示される画面に、目を丸くする。

 偽情報の詳細、敵の外見の特徴、研究所の地図。

 予知夢によってもらされた情報は、ものすごく細かかった。入澤くんが興奮してたのも納得だけど、私から情報を受け取ってすぐに資料を作ったハルキくんたちもすごくない?


 私がそう言うと、ハルキくんは「研究所の地図は、サポートにきてくれた委員の1人が見たままを手書きしてた。それをさっき製図しなおして送ってくれたんだよ。すごいよな」と自慢げに答える。

 受け取ったテレパスの映像を図面におこす授業は、二年で習うことになってる。でもそれには数学的ソヨウとやらが必要みたいで、誰もが会得できる技術じゃないって聞いた。

 本当にすごい人達が沢山味方してくれてるんだな、としみじみ嬉しくなる。

 


 文化祭当日、RTZ側は早々にセントラルの安全管理ルームを制圧。

 食事や自販機のドリンクに混入した能力抑制剤で生徒や警備員の動きを封じると同時に、各廊下の防火シャッターを下ろし毒ガスを散布。

 多くの生徒達が集まる体育館には、洗脳済みの元傭兵を数十名送り込んだ。

 能力抑制剤を口にしていない生徒達は勇敢に抵抗したが、実戦経験のない彼らは人命を奪うことをためらった。その僅かなためらいが生死を分けていく。

 

 サヤと若月先生は安全管理ルームを奪還しようと動いたが、激しい迎撃の前に力尽きて死亡。

 入澤くんは生徒達を外に逃がそうとテレポートを繰り返していた最中、特殊部隊に狙撃され死亡。マホもその後すぐに死亡。

 セントラルの異変が外に漏れ、警察と自衛隊がかけつけた頃には全ては終わっていた。


 死亡者数は生徒・職員・来校者を含めて326名。

 10年後に起きた大規模テロ事件の死亡者は一万人を超えたというから、それに比べたら軽い損害だけど、そういう問題じゃない。


「周防キリヤの動機が謎だな。ここまで派手に動けばただでさえマークされてるんだ、自分の身も危なくなるって分かりそうなものなのに」


 若月先生が首をひねる。ハルキくんは「完全な憶測になりますが、俺たちの分岐点潰しが効いてるってことだと思います」と答えた。

 それに入澤くんが、補足を加える。


「周防キリヤは、組織の立ち上げ人ではあるけど未来のRTZの中心にはいなかったんですよ。当時はもう故人だったし、RTZはもっと巨大な組織でした。周防キリヤの思想の流れを汲むテロリスト集団以外にも、パワードのクローン産業で一儲けしたい医療関連企業のトップ、現政権に不満を持つ反政府派閥の連中が手を組んでRTZを作り上げてた。その元となる組織を立ち上げる前に、周防キリヤは俺たちにマークされた。そのせいで、色々と段取りが狂ってしまったんじゃないかということです」


 ふわあああ。そんなにでっかい話なの!?

 ぽかんと口が開くのを止められない。

 

「ええと、待ってね。……周防キリヤって人は、もともとは『パワードとリーズンズの混血を進め、パワードだけに負担をかけない平等な世界を実現しよう』という理想の持ち主だったんだよね? それが途中でガラリと変わったのは、うちの祖母とのゴタゴタのせいじゃないかってハルキくん達は予想してる。原因はともかく、周防キリヤはすでにゼロ期以前に世界を戻そうと動き始めてた。それを途中でハルキくんたちに邪魔されたから、ブチ切れて暴走したってことでOK?」


 ハルキくんは私を見て「おそらくな」と頷く。


「RTZが勢力を増したのは、サードパワードとアセビの存在が公になってからだ。俺たちの力をリーズンズのものにしたい。それぞれの思惑はあっても、その点において彼らの目的は一致してた。未来で起きた大規模テロ事件は、アセビと俺、そして政府へのいわば示威行為だ。俺たちは国民の命を人質に取られ、追い詰められた。今回の事件とは全く種類が違う」


「シイ行為って何?」


 マホが小声で若月先生に尋ねる。ナイスマホ! 私も知らない言葉だ。

 先生は険しい表情をゆるめ、早口で答えた。


「ここまでやるぞ、本気だぞって意味だよ。あとで辞書でも確認しとくんだぞ」


 ええっ!? それだけの為に1万人も殺したの!? 

 私やハルキくんはただ普通に産まれてきただけだ。たまたま特別変異しちゃってるけど、それはRTZの為じゃない。なのに、なんでそいつらに協力しなきゃいけないの。


「はぁ!? 図々しいにもほどがない? アセビや柊くんは、お前らが都合良く利用していい素材じゃないっつーの! そんなんで大量に人を殺すなんて頭おかしい!」


 マホが私の言いたかったことを代弁して怒ってくれる。

 サヤも珍しく憤りをあらわにして拳を握りしめた。


「じゃあ今はとりあえずの間に合わせで、純血パワードのクローンを使ってデータを集めてるってこと? 随分好き放題やってくれるじゃない」

「その無意味な実験もじきに終わらせる」

 

 ハルキくんはきっぱり言い切った。


「ヒビキさんの暗殺を阻止することが当面の目標だったが、こうなった以上変更するしかない。――まずは周防キリヤを潰す。みんな協力してくれ」


 ハルキくんがまっすぐ伸ばした手の上に、私は自分の手を重ねた。

 その上にサヤ、若月先生、マホ、そして入澤くんが手を置いていく。


「んじゃ、反撃開始といきますか」


 入澤くんが浮かべた不敵な笑みに、私達は全員強く頷いた。



 

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