第25話 自制技術を磨こう(実践編)
ちょっとしたボヤ騒ぎじゃないことは、一目で分かった。
全部で50階くらいはありそうな高層ホテルの上半分が、煙と炎で覆われている。蛇の舌を思わせる炎が割れたガラス窓から洩れ、ちろちろと外壁をなめていた。このままだと死者多数の大惨事になってしまうことは、私にだって想像できる。
「まずいな。あのホテル、客室は全て30階以上にあるはずだ」
眉間に皺を寄せた柊くんが、ボソリと零した。彼の言葉に弾かれ、マホが私の袖を掴む。
「アセビ、行こう! 中にいる人、避難させないと!」
「うん、だよね」
セントラルには、沢山の校則がある。授業以外で勝手に能力を使ってはいけないとか、保護者の許可なくリーズンズと接触してはならないとか。
だけどその校則を無視していい場合が、たった一つだけあった。
『人命救助』だ。
今がその時だとマホは判断したし、私も彼女の判断を正しいと感じた。
マホは袖をめくりバングルの保護レベルを5まで落とすと、ホテルに向かって駆け出そうとする。そのマホの腕を、入澤くんが素早く掴んで引き留めた。
私もいつのまにか柊くんにがっしり肩を押さえられてる。
「待って、マホちゃん。一人で行っちゃダメだ」
「離して! 急がないと、間に合わない……!」
入澤くんの腕を振りほどこうともがくマホに、周囲の目が集まる。
傍からみたら、高校生カップルの痴話喧嘩だ。だけど、女の子の方が激しく嫌がっているように見えるので、助けようとする人も出てきそう。私と同じことを思ったのだろう、入澤くんは珍しく焦ったように柊くんを振り返った。
「柊、どうするの!」
「とりあえず、現場まで行こう。表は封鎖されてるだろうから、裏に回れるか」
「いけると思う。じゃ、飛ぶよ」
答えるが早いか、入澤くんが能力を発動させる。
周りの空気が圧縮したような感覚を覚えた直後、私達はホテルの裏手側に立っていた。
物が燃える時の嫌な臭いと、上から舞い落ちてくる火の粉に思わず顔をしかめる。搬入口に横付けされたトラックはどれも無人だった。ホテル側にも人の気配はない。下の階層の人達は、従業員も含め、すでに避難が終わったのかもしれない。
「サードパワードって、みんなそんなにすごいの?」
マホの問いかけに、入澤くんは首をこてんと傾げた。あざといポースも、彼がやると妙にしっくりくる。
「すごくはないでしょ。普通だよ」
「入澤くんは私にしか触れてなかった。半径数メートルの円状から特定の人だけを選んで一緒に飛ぶなんて、初めて見たんだけど」
あ、それ私もビックリした。
入澤くんがさっきやってみせたテレポートは、鈴森サヤでも出来ないと思う。成人純血でトリプルSランカーの能力者なら、もしかしたら可能かもしれない、ってくらいのレベル。
直接触れるか、能力者を中心とした円形の中に対象を集めるか――集団転移の条件は、その2つだけだって思ってたよ。
「感知能力とテレポートを組み合わせただけなんだけどな。10年も経てば、研究も進むでしょ。能力関係は特に重要視されてる分野だし。それにほら、俺は元鉄砲玉だから。実験場で色々仕込まれたんだよ」
へらっと笑ってそんなことを言う入澤くんに、胸の奥がちくちくする。マホも唇をへの字に曲げた。でもすぐに今はそれどころじゃないと思い直したみたいで、建物に体を向け、意識を集中し始める。
「最上階には誰もいない……その下にも……その下もなし……」
マホは精神感知の範囲を広げ、人の気配を探っている。
私も手伝わなきゃ! 意識を研ぎ澄ませて集中してみたけど、沢山の羽虫が一斉に羽ばたくような不快な音が全方位から聞こえてきただけだった。とてもじゃないけど、一つ一つの発信場所を特定して確認することは出来ない。素直に申告すると、柊くんは私の背中を軽く叩いた。
「仕方ない。精神感知の精度をあげるには、かなりの訓練が必要だ。それに持って生まれた素質も大きい。アセビは未来でもあまり得意じゃなかったから、ここは多比良に任せよう。シュウ、補助に入って」
「分かりました」
それまで黙っていた御坂くんが、マホの隣りに並ぶ。
「お手伝いします」
「よろしくね」
マホはホテルから目を離さないまま答えた。
御坂くんはそんなマホの左手を握り、彼女の呼吸に合わせて息を吸ったり吐いたりし始める。どれだけもしないうちに同調と補助に成功したみたいで、マホの苦しげな呼吸がゆったりしたものに変わった。
「見つけた! みんな30階に集まってる。防火扉が閉まったせいで、そこから下に降りられないって。全部で……134人だ。小さい子も混じってる。これ、かなりやばいよ。もう煙が回ってきてるみたいで、子供達の反応が薄くなってる。早く助けないと、持たない!」
「避難経路が塞がれてるってことか。人為的な事故の確率が高いな」
柊くんの分析に、みんなの表情が厳しくなる。おそらく全員の頭の中に『RTZ』の名前が浮かんだ。
30階に134人、か。
思ったより少ない数だ。まだ夕方っていう時間帯が幸いしたのかもしれない。中にいる全員を外に転移させることが出来たら……。
思わず入澤くんを見てしまう。彼は表情を消したまま、首を振った。
「俺が30階まで飛んで行っても、いっぺんに運べるのは5人が限度かな。そこから27往復連続で飛べるか、自信ないや~。ごめんね。途中で落としたら洒落にならないし」
いつも通りの軽い口調だけど、声に力がない。
「分かってる。お前だけに無理をさせるつもりはない。シュウ、111は?」
そんな入澤くんを労うように、柊くんは言い切った。それから御坂くんに確認する。111というのは、パワードレスキューへ繋がる緊急電話の番号だ。
「もちろん、111にも119にも通報済です」
「どうなってるか、ちょっと表見てくる」
入澤くんはそう言い残すと、姿を消した。それから一分もしないうちに再び現れ、顔をしかめる。
「消防車が何台も来て、放水作業は始まってる。でも、肝心のパワードはまだ到着してないっぽい。どの階に生存者がいるか分からないから、とりあえず一階から順に救急隊のレスキューが入ってくって話」
「ホテル火災にパワードの派遣がないのはおかしい。要請があったのなら、数分でチームがやってくるはずだ」
入澤くんの報告を受け、ますます柊くんの雰囲気は尖ったものになった。マホを補助しながら、御坂くんが答える。
「情報が錯そうしているのかもしれません。これがRTZの仕業なら、やつらの常套手段です」
さくそう、って何だろう。よく分からないけど、助けが来ないように犯人が仕向けてるってことかな。
私はもう一度、すっかり煤けてしまった元は真っ白のホテルを見上げた。
沢山の人が、ここで楽しい時間を過ごすはずだった。立派な外観だし、立地条件もいい。きっと宿泊費もバカにならないよね。人の楽しみを台無しにしただけじゃなく、命まで奪おうとしてる何者かに、堪えきれない怒りが湧いてくる。
「反応が128人に減ったよ。6人の意識消失! 他の人達の意識も混濁してきてる」
マホが悲痛な声で報告する。これ以上は、待てない。
「私が行く」
このままじゃ、ホテルの中の人は全滅してしまう。そんなのは絶対にダメだ。私もマホも、そんなことになったら耐えられない。私達はおそらく、精神に致命的な傷を負うだろう。災害現場に派遣されたはいいものの人命救助を果たせなかったパワードは、例外なく精神を病むというのは有名な話だ。柊くんたちもそれを知っているから、私とマホに付き合ってくれてるんだと思う。
「――それしかないな。ケイシ、俺とアセビを30階に送ってくれ」
「勝算は? 神野ちゃんは覚醒してから一度もテレポートを使ったことがないんだよ?」
「大丈夫だ、俺を信じろ」
「柊のその言葉を信じたせいで、タイムスリップする羽目になったんですけど」
入澤くんが皮肉気に唇を歪める。柊くんは言葉に詰まり、わずかに視線を落とした。怒りではなく、悲しみと申し訳なさが彼を包み込んでいく。
「ケイシ、言い過ぎです」
御坂くんが怖い声で注意すると、入澤くんはふっと肩の力を抜き、トゲトゲな空気を引っ込めた。
「ごめん。でも、これでも心配してるんだ。オレにとっては、134人の命より2人の命の方が重いから」
「ここで彼らを見殺しにしたら、アセビと多比良はダメになる。それはケイシにも分かってるはずだ」
「まあね。……はぁ~、ほんっと! なんで純血ってこんなお人よしばっかなんだろ」
入澤くんは小声でぼやきながらも、視線をホテルに固定した。
「準備はいい? 送るよ」
「頼む」
「頑張ってくるね」
柊くんと私はハンカチを拡げて口元を覆い、頭の後ろできつく結んだ。どの程度の効果があるかは分からないけど、ないよりはマシだよね。はぐれないようしっかり手を繋ぎ、入澤くんに向かって頷く。
次の瞬間、私達はもうホテルの中にいた。
煙もひどければ、熱さもひどい。こんなところに長くいたら、肺まで焼けてしまいそうだ。
この階まで降りてきたはいいものの、これ以上は降りられないと分かったせいで、宿泊客の希望は消えていた。彼らは廊下の壁にもたれ、浅い呼吸を繰り返している。日常では決して見ることのない凄惨な光景に、全身の毛が逆立った。皆、意識がぼんやりしているのか、突然現れた私達に気づく人は誰もいない。それがまた状況の異常性を高めている。
「アセビ、このフロア全体を範囲にして、全員を一気にテレポートさせるんだ。アセビなら出来る。イメージを膨らませて」
頭の中に柊くんのテレパスが飛び込んでくる。私はセントラルで習ったことを必死に思い出し、意識を広げた。脳内に浮かんだマップ上に、赤い点が広がっていく。
感知能力を同時に発動する、という入澤くんの言葉がよっぽど印象深かったんだろう。私は無意識のうちに、彼の真似をしていた。
そうか、赤い点が人か。
ハッと気づき、落ち着こうと深く息を吸う。ハンカチ越しにも煙たい空気が入り込んできた。
「アセビ。大丈夫だ、きっとやれる」
柊くんは私の手を取り、きつく握りしめる。握られた箇所から、癒しの力が流れ込むのが分かった。一気に息がしやすくなる。
赤い点を数えて自分のテリトリーに入れ、それらを連れて外に出ればいいだけ。
大丈夫、シンプルなことだ。
私は息を詰め、感知した気配をコルクボードにピンを刺す要領で留めていった。134人を数えたところで、いよいよテレポートに移ることにする。これだけの人数を同時に転移させるのなら、転移先には十分な広さが必要だよね。
「どこへ飛べばいい?」
「病院に近い方がいいな。飛ぶ先は、俺がイメージを送る」
「分かった。じゃあ、行くよ」
本当に出来るかなんて、私にも分からない。でもやらなきゃ、みんな死んでしまう。せっかく手の中に掬い取った命が、灰になって零れていってしまう。
それだけは、絶対にダメだ。
――私に力を貸して、母さん!
心の中で願いながらパワーを発動させようとしたところで、鋭く白い光が視界全体を焼いた。な、なに!? 目の前でカメラのフラッシュをたかれたような眩しさと目の痛みを感じる。その白い光の中、うすぼんやりと何かが浮かんできた。
あれは、私達?
必死に目をこらして、はっきり見ようと瞬きを繰り返す。
そこで見えたのは、TVの前に陣取った私達だった。私達は、TV画面を食い入るように見ている。何をそんなに必死に見ているんだろうと不思議に思う間もなく、すぐにその画面はズームアップされた。
『大規模なホテル火災』
『死者4名』
『遺体は行方不明になっていた保護省のリーズンズと判明』
テロップを読み取ったのと同時に、白い光は淡く薄れ、あっという間に空中に溶けていった。
「……セビ! アセビ!!」
誰かに両肩を掴まれ、強く揺さぶられている。柊くんだ、と認識した途端、膝から力が抜けそうになった。足裏、そして膝に力を入れ、土壇場で踏みとどまる。
私が見たのは、おそらく未来視。予知だ。
「柊くん、先にこの人達だけ、外に出すね」
説明している時間が惜しい。後から来た私でさえもう、肌も喉もカラカラに乾燥しきっている。命のタイムリミットはすぐそこまで迫っていた。
柊くんは驚いた顔をしただけで、質問したりせず、転移先のはっきりした地図を私の脳内に提示してくれた。そこに赤い点を纏めて動かす。出来るだけ水平に。氷上を滑る球みたいに。
さあ、行って!!
きつく目をつぶり、テレポート能力を解放する。
柔らかい土に深くシャベルを突き刺したような手ごたえがあった。ぐ、と力を込め、行き止まりまでシャベルを突き刺す。やがてそれはコツン、と止まり、手ごたえはかき消えた。
おそるおそる目を開け、視界を確認してみる。さっきまであちこちから聞こえていたうめき声がしない。廊下にぎっしり並んで座り込んでいた人達も、防火扉を何とかこじ開けようと奮闘していた人達も、ぐったりした子供を抱き締め泣いていた母親もいない。
「成功、したのかな」
「分からない。俺達も外に出て、確かめよう。ケイシに連絡を取る」
私たちはずっと手を繋いだままだ。柊くんは空いている方の手で端末を取り出そうとした。
「待って。まだ終わってないみたい」
私はすかさずテレパスを飛ばし、先ほど見た映像を彼の脳内へ一気に流し込む。このまま引き上げるわけにはいかない。
このホテルには、あと4人残ってる。
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