第26話 神野アセビの選択
柊くんは息を飲み、くしゃりと前髪を掴んだ。
これからどう動くのがベストなのか、目まぐるしく考えている波動が伝わってくる。『手遅れ』――途中、そんな言葉が私の頭の中にも飛び込んできて、ハッとした。
マホが感知した数は134人。私が捉えた赤い点も、134。漏れがないよう何度も数えたから間違いない。
それなのに、予知は私に『この火災で4人の死者が出る』ことを伝えてきた。
テレポートさせた人の中に、絶命した4人が混じっていた?
それとも、マホが能力を行使し始めた時にはもう亡くなっていて感知出来なかった?
「俺は離脱して、外の状況を確認した方がいいと思う。じきにレスキュー隊もここまでくる。どこにいるのかも分からないリーズンズを、この状況で探し回るのはリスクが高すぎる」
「うん……うん、そうなんだけど」
柊くんが言ってることが正しいって、私にも理解できる。それなのに、今ここでホテルを去ることに言いようのない不安を感じる。危険を知らせるアラーム音が、さっきから脳内で鳴りっぱなしだ。
「保護省のリーズンズをここで死なせたら、ダメな気がするの。よくない方向に一気に舵が切り替わる感じがする。手遅れかもしれないけど、ここで諦めたらもうその流れは止まらない感じがするんだよ」
自分でも、何を言ってるんだ、と思う。根拠も確信もない。ただの勘を信じて、命を危険にさらしてくれと言ってるも同然だ。
それなのに柊くんは、真剣な表情で私の拙い主張を聞くと、「分かった」と言ってくれた。あまりにも迷いのない返事が、逆に怖くなる。
「いいの? 何のあてもない、ただの勘だよ?」
「未来でもお前のその勘に、何度も助けられたんだ。今更だよ。それにアセビは『死なせたらダメだ』って言った。まだ間に合うんだと思う」
柊くんは私の肩を軽く叩き、「大丈夫、俺もついてる」と続けた。
「とりあえず、ケイシ達と連絡を取ろう。火災自体は鎮火されてきてるみたいだし、あとは空気だな」
消火活動が功を奏してきたのか、足元に感じる熱の勢いはさっきより弱まっている。確かにこの熱気さえどうにかしたら、息がしやすくなるよね。
私達は目を見合わせ、頷いた。手をほどいてエレベーターホールまで走り、大きな一枚ガラスの前に立つ。
「弁償しなきゃいけないと思う?」
「どうだろ。人命救助に必要な破壊行動だったって、うちの弁護士に主張してもらおうか」
柊くんは少し笑っていた。こんな状況なのに、無性に気持ちが高揚する。私は落ちこぼれなんかじゃなくて、無敵の能力者なんだって思える。
柊くんの眼差しに溢れてる絶対の信頼は、それだけの力を持っていた。
「せっかくだから、50階までの窓を全部ぶち抜いてくれるか。バックドラフトだっけ。燃焼した気密性の高い部屋を外部から開けると危険だって聞いたことある」
「あ、それ私も聞いたことある。ここと同じ位置に窓があるといいな。じゃなきゃ、壁をぶち抜くことになりそう」
「どの階も同じような作りにはなってると思うけど、確かに祈るしかないな」
大きな窓ガラスはすごく強度が高そうだ。今日の実習で使った『羽』を思い出す。コンクリートを粉に変えた例の羽だ。あれを脳内に浮かべて、50階までの窓を一斉に撫でることにした。
目を閉じて意識を研ぎ澄ませると、上に向かってずらりと並んだ20個の窓がくっきり像を結ぶ。あ、大丈夫そう。窓の位置、同じだわ。
「……柊くんシールド張ってくれる?」
「了解」
彼は私の背後に立つと、シールド能力を発動させた。
バックドラフトとやらが起こって、上の階の床が抜けてきたりしませんように!
心の中で願い、頭の中の羽を浮かせて20個の窓ガラスを撫でた。
私の目の前のガラスは、さらさらと砂のように崩れて外側に落ちていったけど、上の方からは少し遅れて盛大な爆発音が聞こえてくる。同時にフロア全体がビリビリと震えた。
柊くんは素早く私の両耳を塞いでくれた。それでも激しい音が連続して聞こえる。
フロアの空気を燃やし尽くした後、一旦は大人しくなった火種が、新鮮な空気を得て爆発したんだ。救助隊の人が入る前に、ガス抜きが出来て良かった。
窓が開いたせいで、外のどよめきも風に乗ってここまで届いてくる。
「きゃああああ!!」
「な、なんだ!?」
「いきなり爆発したぞ!!」
間を置かず、柊くんの端末が鳴る。
爆発音に驚いた皆が、私達を心配してかけてきたんだとすぐに分かった。
「戻ってきて! テレポートは成功してる! なにしてんの、早く戻ってきてよ!」
柊くんが通話ボタンを押すが早いか、マホの怒鳴り声が響く。彼女の声に混じった湿り気に、鼻がツンとした。
「大丈夫。わざと窓を抜いて空気を入れただけだ。アセビの話では、まだリーズンズが4人残ってるそうだ。それがどうも例の保護省の行方不明者らしい。俺達はこのまま捜索を続ける。多比良、感知できそうか?」
「ちょっと待って、4人!? ……今やってる。…………ダメ、分からない。沢山の人が今入って行ったところだから。もう専門家に任せた方がいいよ、レスキューパワードもきっとすぐ来るって!」
レスキューパワード。
マホが発したその言葉をトリガーに、再び白い光が私の視界を包んだ。
オレンジ色の防火服に身を包んだミックスパワードが4人。
彼らはよれよれのスーツ姿のおじさん達を一人ずつ俵担ぎにし、ショートテレポートを繰り返してる。後ろ手に縛られたおじさん達の意識はなく、彼らが動く度、ぶらぶらと革靴が揺れた。45階までくると、おじさん達は焼け焦げた廊下に下ろされた。人形みたいにぐったりした彼らを壁に凭れさせ、縛っていた縄をほどくと、パワードの一人がヒーリングをかける。縛った跡が消えたことを確認した後、もう一人が発火能力を発動させた。残りの三人は、スーツ姿のおじさんたちの周りにシールドを張り、彼らを球体に閉じ込める。
このまま、炙り殺す気だ。
それ以上見ていられなくて、私は大声で叫んだ。
やめて! やめてよ……!!
実際には無音のまま、事態は何一つ変わらない。
レスキュー隊員に扮した彼らの表情には、恨みも怒りも混じってなかった。部屋の隅に積んである空のダンボールを解体するような気軽さと少しの面倒さを持って、彼らは無抵抗のリーズンズを殺そうとしていた。
どうしてこんな残酷な真似ができるの?
その人達は、あんた達に何をしたの?
これは圧倒的な暴力による、一方的な蹂躙だ。――認識した瞬間、こわくて、気持ち悪くて、全身が総毛立った。
能力で生み出された炎が、おじさん達を包み込んでいく。叫ぶしか出来ない私の目の前で、リーズンズが殺されていく。
ああ、彼らが。
彼らがきっと、保護省の――。
自分の悲鳴で、我に返った。
階段を3段くらい踏み外したみたいな浮遊感の後、私は現実に戻ってきた。私が予知を見ていると分かったらしい柊くんは、息を詰めてこちらを見ていた。落ち着いた黒い瞳が視界に映った瞬間、大粒の涙が零れる。
「……ひ、ひいらぎくん」
「見たんだな。一人で背負ったらダメだ。俺にも分けて」
柊くんは言うと、私を強く抱きしめた。
生きている人の体温は、恐怖に縮まった私の心を柔らかく包み込む。彼に思い切りしがみつき、泣きながら今見た映像を流した。柊くんの体もみるみるうちに強張っていく。
「パワードレスキューの中に奴らがいるのか!」
「分からない……分からないけど、あんな風に隠そうとしたって、詳しく調べたら分かるよね? 習ったもん。パワーによる殺人の痕跡は、特殊な感知能力を備えた司法解剖医によって暴かれるって。あの人達が火事で亡くなったんじゃないって分かったら……パワードがリーズンズを拉致して殺したって世間に発表されたら、どうなるの? ものすごくまずい気がするんだけど、そんなことない?」
柊くんは黙ったまま、きつく唇を噛んだ。何も言わなくても、大変なことになると彼の表情は語っている。
平和的に保たれているバランスが崩れて、パワード排斥の方向に皆の意見が流れていったら、私達は生きていけなくなるんじゃないの?
「どうしよう、止めなきゃ。止めなきゃ!」
彼らの居場所を突き止めて、リーズンズを奪還しなきゃ。
でもどうやって?
私にも柊くんにも、そこまでの感知能力はない。
「――何を止めるの?」
聞き覚えのある声が、少し離れたところから聞こえる。私達は勢いよく背後を振り返った。
そこに立っていたのは、セントラルの制服を身に纏った鈴森サヤだった。
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