第31話 鈴森サヤの事情

 退院後、家に着いたのは夕方近くだった。

 お馴染みのレトルト食品でお腹を満たし、お風呂にゆっくり浸かってから早めに自室に引き上げる。部屋の電気を消してベッドに入った後、私は端末を起動させた。

 グループルームに今日あったことをつらつらと報告していく。

 皆も気になってたみたいで、すぐに反応があった。


 【大規模テロ対策本部】のことはハルキくんも知ってたみたいで、私の話を更に補足してくれる。


『うちの父親も外部協力者としてメンバーに入ってる。今日病院に行くって言ってたから、アセビも見たかもな』

『ハルキくんのお父さんもいたの!? 見た目どんな?』


 私が打ちこむと、いきなりドッと皆が打ち込み始める。


『……ハルキくん?』

『ハルキくん!?』

『呼び方変えられたんですね』

『わー……。昨日もしかして、あれから何かあったの? なんかこっちが恥ずかしい』


 上から順に入澤くん、マホ、御坂くん。最後が鈴森さんだ。

 くっ! 鈴森サヤめ、勘が鋭い!


『なにもないよ』


 照れくさくてつい否定してしまった私の直後に、ハルキくんの返信が入った。


『あったよ』


 それを見て、また皆がわーわーと騒ぐ。

 ものすごいスピードでメッセージが流れていく中、何とか私もメッセージを打った。


『ハルキくん!』

『あっただろ? ちゃんと両想いになった』


 ハルキくんの何とも可愛い返信を見て、端末を放り投げそうになった。

 なにこれ! 今ものすごく胸がそわそわぁってした!

 私は嬉しかったけど、皆はげんなりしたらしく、砂を吐いたり、壁を殴ったりな顔文字を送ってくる。どのボタンを押したらこんな顔文字出るんだろ。


『えーと、どこまで話したっけ。あ、そうだ――』


 話がすっかり逸れてしまった。無理やり話題を戻し、皆への報告を続ける。調書を取りに来た刑事さんの話をした時は、さすがに真面目な雰囲気になった。


『所轄の刑事は面白くないでしょうね。自分達のテリトリーで起きたテロ事件なのに、捜査権を取り上げられた恰好になったわけですから』


 御坂くんの言葉に、ハルキくんが同意する。


『だろうな。だが、末端の組織員にまで全てを明かすわけにはいかない。俺達の素性とアセビの未来視、そしてRTZの情報はトップシークレットだ。未来でも奴らに徹底抗戦してた信頼できる人間にしか明かしてない』


 そこまで読んだ私は、ずっと気になっていた質問をぶつけることにした。


『鈴森さんは、信頼できる人間ってことになったの?』


 画面の向こうで皆が息を飲んだのが、想像できた。しばらくの沈黙の後、鈴森さんのアイコンが浮かぶ。


『明日、2人で話せる?』

『いいよ。明日は学校に行くし、放課後でもいい?』

『うん、大丈夫。セントラルで話すのはリスク高いから、柊くんのとこの離れを借りられないかな』


 柊くんのとこの離れ、という言葉に何だかもやもやする。

 そういえば、鈴森サヤもハルキくんのこと好きなんじゃないか疑惑も残ってるんだった。


『うちでもいいよ? 場所、送ろうか?』


 私の返信の後、再び誰も話さなくなった。

 あれ? 私、なんか変なこと言ったかな。

 首を傾げて画面を見つめていると、マホの猫アイコンが点滅した。


『それ、ちょっとキツいよね』


 キツいってどういう意味だろ。

 質問を打ち込もうと端末に触れたところで、鈴森さんの返事がくる。


『多比良さん! 明日自分で言いたいから、先に言わないで!』


 男子メンバーはすっかり沈黙してる。

 何とも微妙な雰囲気になった理由が分かったのは、翌日の放課後だった。


 

 翌朝、私は父さんから学校に通うにあたっての注意事項を聞かされた。

 本部の会議で、これからのおおまかな方針が決まったらしい。

 セントラルに潜入している可能性の高いRTZ構成員を油断させる為、私の能力は引き続き隠す方向で話はまとまったんだって。


「どの実習でも、今まで通り能力を発揮できない振りをして欲しい。あーちゃんはすごく嫌だろうけど、僕もそうした方がいいと思う。誰が裏切り者なのか分からない今、下手に目立つのは危険だから」

「分かった」


 無能扱いされるのには慣れているし、私は何もクラスメイトを見返したいわけじゃない。人並みに世の中の役に立ちたかっただけだ。

 それが可能だって分かったからには、もう何も知らない子からの嫌味や嘲りに傷ついたりしない。


「でも、命の危険を感じた時は、その限りじゃないからね? 全力で抵抗して、心置きなくぶっとばしていい。全部の責任は僕が取る」


 父さんは真剣な表情で付け足した。すごく心強い保証を貰えて、胸の中が軽くなる。普段のんびりして見える父さんを、久しぶりにカッコいいな、と見直した。


「……うん。いつもホントにありがとう」

「お礼なんて! だってあーちゃんは、僕たちの宝物なんだから!」

「ハグはやめて!」


 感極まった父さんが抱きついてこようとするのを、両腕を突っ張って阻止する。

 これさえなければ、完璧なんだけどな。


 セントラルへ行くのは久しぶりだったので、少しだけ緊張した。

 だけど実際行ってみたら、休む前と全く変わらない感じだったので、ああ、そうだった、と思い出す。

 落ちこぼれの神野アセビには、誰も期待してない。教室にいてもいなくても、大して変わらない存在だったわ。


 それでも、透視の実習でペアになった女子生徒には「体、もういいの?」と聞いて貰えた。


「うん! めっちゃ元気!」

「そ。良かったじゃん」


 たったそれだけの会話だったし、その後、私が見事に全部答えを外したことで舌打ちされたけど、放課後までほかほかと暖かい気持ちになった。


 そして放課後、私はハルキくんの送迎車に乗せてもらって、柊邸へと移動した。

 今まで全くと言っていいほど接触のなかった鈴森サヤと連れ立って行動するのはおかしいと御坂くんに注意されていたので、彼女には挨拶もせず下校する。

 マホはまっすぐ家に帰ったし、御坂くんと入澤くんは調べたいことがあるらしく別行動だ。


「私が倒れた後、鈴森さんはここで皆と話をしたの?」


 相変わらず雑然とした離れに入り、ソファーに腰を下ろした後で、ハルキくんに聞いてみる。

 彼はキッチンスペースでコーヒーを入れてから、ソファーへ戻ってきた。あたたかいコーヒーのマグカップ。そして5本のシュガースティックを私の前に置き、ハルキくんは頷いた。


「ああ。多比良は山猫みたいに毛を逆立てて警戒してた。鈴森が嘘をついていないか、心の中を読ませろって聞かなくて。鈴森がそれでいいと了承したから、その後の話は楽に進んだけどな」

「なるほど」


 砂糖を全部カップに入れ、私はそのままカップに口をつけた。スプーンでかき回して溶かさないこと、初対面の人には必ず驚かれる。最後の方になると、溶け残ったお砂糖のせいで激甘になるのが、大好きなんだよね。

 ハルキくんは何も言わなかった。きっと未来で知ってたんだろう。彼に何でも知られてることが、嬉しくもあり寂しくもある。

 こんな複雑な感情を持つようになった自分が信じられない。恋は純血の特性まで変えてしまうのか。


「それで、鈴森さんの話を聞いた結果、皆は彼女がRTZの関係者じゃないって判断を下したんだね。未来で鈴森サヤの記録がなかった理由について、御坂くんは何か言ってた?」

「ああ。そのことについても、鈴森が自分で言うと思う。彼女を信じられると思った理由とそれは密接に関係してるから、後は本人に直接聞いた方がいい」

「……そっか、分かった」


 聞いても理解できるかちょっぴり不安だけど、分からなかったらまた皆に聞けばいいか。そんな風に納得したタイミングで、入口脇の壁に埋め込まれたモニターが呼び出し音を鳴らした。

 モニター画面に映っているのは、廊下に立ったお手伝いさんと鈴森サヤだ。


「ハルキ様。鈴森様がおいでになりました」

「通して」


 ハルキくんが答えてしばらくすると、扉がゆっくり開く。

 一旦家に戻ったみたいで、鈴森サヤは制服ではなく私服姿だった。

 ゆったりした紺色ニットにチェックのパンツを合わせている。清楚な見た目の彼女の良さを引き立てるシンプルカジュアルってやつだ。同性の私でも思わず見蕩れてしまう煌めきを、鈴森サヤは放っていた。


「じゃあ、俺は母屋にいる。話が終わったら、モニターで呼んで」


 ハルキくんはそう言い残すと、すぐに部屋を出て行く。

 いきなり鈴森サヤと2人きりになるとは思わなかった私は、すっかり動揺してしまった。


「えーっと。……あ! 鈴森さんもコーヒー飲む?」

「私はいいわ。ここ、座っても?」

「もちろん。どーぞどーぞ!」


 自分の家じゃないけど、そう答えるしかないよね。

 鈴森サヤは緊張した面持ちで、さっきまでハルキくんが座っていた場所に腰を下ろした。


「神野さんにとっては聞き苦しい話になると思うけど、出来れば最後まで黙って聞いてくれたらありがたいな」

「そうする。分かんないことあったら、後でまとめて聞くね?」

「よろしくお願いします」


 鈴森サヤはぎこちなく微笑み、膝の上で両手を組んだ。

 それからすうっと息を吸い、口を開く。


「私の生年月日ね。新暦162年の11月5日なんだ」


 しょっぱなから驚き過ぎて、口があんぐりと開いてしまった。

 新暦162年生まれ!? それだと、現在は23歳ってことになるんですが……。

 今の話が本当なら、鈴森サヤは私達より8歳も年上だ。


 全くそうは見えない。お肌とかそういうの、特殊メイクしてたって加齢は誤魔化せないと思う。

 私の心はもう読めないはずなのに、彼女は「体は15歳だよ、みんなと同い年っていうのは本当」と付け足した。


「私は生まれつき能力が強くて、しかも複数の能力が1度に目覚めたせいで、バングルの制御が上手くいかなかったそうなの。何度も能力を暴走させては寝込んでの繰り返しに、両親は耐え切れなくなった。彼らは国立能力医療センターに駆け込んで、私を助けて欲しいって頼み込んだの」


 母さんの遺書を通して視た、かつての自分が浮かんでくる。

 私もそうだった。幼い私もそんな風に、能力を暴走させてた。


「神野さんも小さい頃、能力の発現をコントロールしきれなくて大変だったんだってね。ただ私と神野さんで大きく違うのは、私がれっきとした純血パワードだったってこと。このままいけば、この子は10歳まで持たずに死ぬって、両親は宣告されたそうよ」


 鈴森サヤの衝撃的な告白に、頭が真っ白になる。

 唖然とした私を見て、彼女はかすかに笑んだ。


「何か手はないか、両親は必死になって私が生き延びる為の方法を探した。そして見つけたのが、神野ヒビキさん」


 神野ヒビキって……父さんじゃん!

 ここで父さんの名前が出るとは思わず、変な声が漏れそうになる。


「私は5歳の時に、18歳の神野ヒビキさんに出会った。当時すでに防衛型のパワードとしてはトリプルSのランカーだった彼は、私に能力の抑え方を教えてくれた」


 もう何からツッコんでいいのか分からない。

 混乱の渦にぐるぐると巻きこまれながら、必死に情報を整理する。


「それと同時に、私はセンターで冷凍ショートスリープの延命治療を受けることになったの。半年ごとに、半年眠るっていう方法なんだけどね。成長して生理がきたらホルモンバランスが変わって、能力の暴走が収まるかもしれない。それまでとにかく能力を使い切って死なないよう私の時間を止めましょうって話になったんだって」


 『冷凍ショートスリープ』という言葉自体は学校で教わって知ってたけど、実際の被験者を見たのは初めてだ。

 えーと確か、1年で半年しか年を取らなくなるんだよね。

 ある意味、不老を叶える魔法みたいなものだけど、欠点として莫大な費用と使用期間の上限がある。


「途中で口挟んでごめん。それって、2年で1歳分成長する計算で合ってる?」


 最後まで黙って聞くと約束したのに、尋ねずにはいられない。

 鈴森サヤは、「うん、それで合ってるよ」と答えてくれた。


「それからは、目を覚ます度ヒビキさんに会えるのだけが楽しみで。半年ずつ年が離れていってしまうのは寂しかったけど、彼はいつもすごく優しくて、私にとっては王子様みたいな存在だった。……私が6歳の時、20歳になったヒビキさんは神野アザミさんと結婚したの。それを聞いた時はショックで、彼の前で大泣きしたんだよ、私。ほんの子供なのに、失恋なんておかしいでしょ? でもね。学校にも行けない、病院の外にも出られない、真っ白な病室が世界の全てだった当時の私にとって、ヒビキさんは眩しい外の世界の象徴だった。頑張って生き延びて、いつか彼のお嫁さんになるんだ~って思ってた」


 彼女は今にも泣きそうに瞳を歪め、はぁ、と一つ息を吐いた。


「結婚してからもヒビキさんは、能力のコントロール方法を教える為に、定期的にセンターまで来てくれた。私が7歳の時だったかな。ヒビキさんが赤ちゃんの写真をみせてくれたの。すごく可愛いんだって、そう言ってた。13の時に初潮がきて、私はようやくセンターを退院できることになった。ヒビキさんに、ジュニアスクールに通えることになったよ、って報告したらね。ニコニコしながら『退院おめでとう。うちの娘も13になったんだよ。サヤちゃんと同じ年だね』って。私が何を話しても、毎回最後はあなたの話になった」


 ……なんというか。

 本当にすみませんとしか言えない。

 彼女がうちに来るのを渋った理由も、何となくわかった。

 鈴森さんにとって母さんは、恋敵のようなものだ。夫婦の思い出が沢山詰まったあのマンションに来るのは、かなりの思い切りが必要な気がする。

 そこまで考えた私は、次の瞬間ものすごく怖い可能性に気づいた。


「もしかして、父さんのこと今でも好きだったりする? 父さんの再婚相手候補って、まさか――」


 自分で言っておいて、腕に鳥肌が立った。

 同級生と父さんが男女の仲になるなんて、鈴森さんには申し訳ないけど、絶対に嫌だ。生理的に受け付けない!


「ふふっ」


 両腕をさすった私を見て、鈴森さんはクスクス笑い始めた。

 何がおかしいのかな。全く笑いごとじゃないんだけど!


「ごめん、違うの。ホント、神野さんって憎めない。思ってること全部顔に出るんだもん。……もちろん、今でも大好きだよ。完全に子供扱いされてるって分かってても、それでもヒビキさんが好き。でも再婚なんて、ありえないよ。ヒビキさんは昔も今もアザミさん一筋だし、それに――」


 笑いながら話していた鈴森さんは、一旦口を閉じた。

 しばらく黙った後、澄んだ瞳をまっすぐ私に向ける。


「私の余命、大して残ってないんだ。結婚自体、多分誰とも出来ないと思う」

「……え?」


 余命、という言葉を引き金に、入学式の時の出来事がありありと脳裡に蘇ってくる。

『すみません、お騒がせしました』

 能力を一時的に暴走させた後、彼女はその場に崩れ落ちた。担架からこぼれた白い腕が、私の脳内で力なく揺れる。


「ええっ!?」


 じゃあ、10年後の未来に鈴森サヤがいなかったのは。

 いなかったのは――。


「というわけで、私の死ぬまでにやりたいことを発表します!」


 完全に固まった私の前で、鈴森さんは背筋を伸ばして手をあげた。

 授業中によく見るポーズだ。鈴森さんがそうやって手をあげる時は必ず正解で、先生が笑顔で褒めるのが常だった。


「両親とヒビキさんとセンターの人達がここまで繋いでくれた命には、ちゃんと意味があったって思いたい。皆と一緒にRTZの野望を潰せば、私も10年後の大勢の人の命を救うことになるよね?」

「……なると思う」

「私がいて良かったって、皆に思わせてみせる。それが私の最後の目標」


 まあ、私なら楽勝だけどね?

 そういって笑った鈴森サヤはすごく綺麗だった。悔しいけど、本当に綺麗だった。

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