第44話 不協和音
無駄足を踏んでいる余裕はない。
ハルキくんは一階へ降りたところで、御坂くんの端末GPSを起動させた。画面に視線を走らせた彼の顔が、みるみるうちに厳しくなる。
「セントラルを出てる……。これは、ダミーか?」
ダミー?
ポカンとした私に、ハルキくんは「ダミー情報を流されてる可能性もあるが、位置情報が正しければ港区に向かってる」と補足してくれた。更には「この移動速度は、車じゃないな。早過ぎる」と呟く。
「どうしよう、そこまで飛ぶ?」
「いや。テレポートは彼らの移動がとまるまで無理だ。先にケイシ達と合流しよう」
「分かった。ケイシくん達はまだ、現場の教室?」
「いや、サイコメトリーはもう終わったらしい。カフェテリアで待機してるとメッセージがきた」
「おけ!」
言うなり、ハルキくんの腕を掴む。
A棟のカフェテリアまでちんたら走るのが惜しい。ハルキくんはともかく、私の偏平足じゃ大したスピードは出ないのだ。
「待――」
「て」というハルキくんの声が耳に届いたのは、カフェテリア前の廊下。
「あ、なんか……ごめん?」
すでに移動は済んでいる。
私の歯切れの悪い謝罪に、ハルキくんは首を振った。
「いや、いい。確かにこっちの方が早いな」
「でしょ?」
「今のテレポートでの体力の消耗は、どの程度なんだ?」
「0.1パーもないくらい。医療センターでは訓練と同時に体力消耗テストもやってたから、どこで限界くるか、ある程度は自分でも分かるようになってるんだ……まあ、襲撃者の時は忘れた私が言うのもアレだけど」
尻すぼみに声が小さくなる。
ハルキくんは私の失敗を蒸し返したりせず、そうか、と微笑んだ。「アセビが好きなように思いっきり能力使ってるとこ、いつか俺も見てみたい」とも言ってくれた。
彼のこういうところ、すごく好きだ。私の気持ちをなるだけ尊重しようとしてくれるとこ。
ハルキくんの好きなところが、どんどん増えていく。
人の感情の大きさに、終わりはあるんだろうか。初めてそんなことを考える。その問いは、すごく甘くて少し痛かった。
――とかなんとかロマンティックな感傷を抱いていられたのも、ほんの数秒。
カフェテリアに足を踏み入れた私達は、ひたすら食べまくってるマホと、げんなりした顔の入澤くんを見つけた。ひとけのないカフェテリアのど真ん中に居座る、異色の二人組。
無事で良かったという感想を、ぽかーんな気分が軽く上回る。
マホは、カップラーメンの山の隙間から顔を覗かせるなり、「もう! バカ!」と叫んだ。叫んでから、ちゅる、と食べかけの麺をすする。
バカ? は?
誰に言ってるのか分からなくて、思わず後ろを振り向いてしまった。
そこには誰もいない。カフェにいるのは、私達4人だけだ。
「シュウと連絡が取れない。何か知ってるか?」
ぷりぷり怒ってるマホを華麗にスルーし、ハルキくんは入澤くんに話しかける。
「うん、知ってる。順序立てて話すから、そこ座って。……うう、見てただけなのに、なんか腹痛い……」
入澤くんは胃の辺りを押さえながら、前の席を指差した。マホってば、そんなに食べてるのか。――それはつまり、大量のパワーを使ったってこと。マホは怒るだろうけど、寿命の心配をせずにはいられない。
「先に話す余裕はある、ってことでいいんだな?」
ハルキくんが念を押すと、入澤くんはうん、と事もなげに頷いた。
「それは大丈夫。マホちゃんが鈴森ちゃんと連絡取り合ってるんだ。2人に何かあったらすぐ分かるよ」
素早くマホを見ると、今度はたこ焼きを頬張りながら、コクコク頷く。
ハルキくんは肩の力を抜き、ふう、と息をついた。
「コーヒーでも飲みながら、お互いの情報交換しよ。シュウ達はまだ時間かかるみたいだし。――だよね? マホちゃん」
「うん。行先突き止めた後、ついでに接点も調べてくるって。向こうは全然気づいてないみたい。何かあったら連絡くることになってるから、ここで待ってて大丈夫だよ」
詳しいことは分からないけど、サヤも御坂くんも無事らしい。
私も一気に緊張が解けた。
ホッとした途端、美味しそうな匂いに鼻がくすぐられる。匂いの出所は、マホの目の前のご馳走だ。カフェ自体は夏休みで休業中だけど、自販機は稼働してる。おそらくそこで買い込んだんだろう。
「いいなあ、一口ちょうだい」
栄養バーは食べたけどさ。あれ、ほんと美味しくないんだもん。口直ししたい。のっぺりしたパサパサなバニラ味が残った口を、ホカホカたこ焼きで癒したい。
マホは、チラリと背後の自販機を見遣った後、しぶしぶ残りのたこ焼きを私にくれた。
……うん。新しく買えないもんね。全種類のボタンが、売り切れの赤字を点滅させてる。
「鈴森ちゃんは最初、神野ちゃんにコンタクト取ったみたいだけど、取り込み中だった? 全然繋がらないって、彼女すごく焦ってたよ」
ドリンク自販機から皆の分のコーヒーを買ってきた入澤くんが、再び席について話を切り出す。
「あ……! うん。テレパス回路、全部遮断してた」
「バカアセビ! いざという時にすぐ連絡取れるようにしとこ、って話したでしょ、何やってんの!」
いや、それはそうだけど、こっちにも事情があるんだよ。あの状況じゃ、外部からのコンタクトは遮断するしかなかった。っていうか、そんな頭ごなしに怒らなくてよくない!?
爆発寸前の怒気をいち早く察知した入澤くんが、「まあ、まあ」と割って入る。
「それ聞いて、マホちゃんもすっごく心配したんだよ。でも君らのGPSは職員棟の2階から動いてないし、終わったら絶対連絡くるから、それまでに体力回復させとこ、って宥めてたとこ」
「なるほど、それは悪かったな。もっと早く連絡を入れればよかった」
私より先にハルキくんが謝ってしまう。
マホはグッと喉を詰まらせ「……そんなに心配してないし、もういいよ」と口籠った。今日も安定のツンデレっぷりだ。
マホが落ち着いたのを見て、ハルキくんは若月先生とのやり取りを話し始めた。2人は真剣な顔で、ハルキくんの話に耳を傾ける。
だけど、私が先生にマインドスキャンをかけた下りで、入澤くんが口を挟んだ。
「話の途中で悪いけど、柊、よく許可したね。不法行為云々、ってのは今更だけどさ。でもそれは超えちゃいけないとこじゃないの? 証拠も何もない状態で、ただ俺達から見て怪しいってだけで、強制尋問? 味方以外なら、加減間違えて廃人にしてもいいってこと?」
入澤くんの言葉の棘は、ハルキくんに向いている。
ハルキくんは首を振り「いや、違う。完全に俺の判断ミスだ」と項垂れた。私も慌てて「深追いしちゃダメだって、ハルキくんには言われたんだよ! やりたいって言い出したのは私なの」と付け足す。
私達の弁解を聞いても、入澤くんの表情は曇ったままだった。
「謝って欲しいわけじゃない。ただ俺は――」
入澤くんは躊躇った後、低い声で付け加える。
「あいつらと同じレベルに落ちたくないだけだ。目的の為に手段を選ばないのは、テロリストのやり口だろ」
「じゃあケイシは、やられっぱなしで黙ってろって言うの?」
入澤くんの言葉に、すかさずマホが噛み付く。
【やられる前にやれ】というマホの信条とは正反対の主張だ。彼女が反発するのも無理はない。
「そうは言ってない!」
入澤くんも負けじとキツい口調で言い返した。
以前の入澤くんなら、「ごめんごめん。やめとこうよ、こんな話」ってヘラヘラ笑ってたと思う。だけど今の入澤くんは違った。
私達に心を預けてしまったからだ、と遅れて気づく。
だから、口先だけで誤魔化せない。嘘をつけない。本音を理解して欲しいと願ってしまう。
でもそれは、マホも同じだ。
マホもケイシくんを身内にカウントしているのが、言動の端々から伝わってくる。マホは人見知りが激しい分、懐に入れた相手には大変なことになる。距離感なんてゼロだ。
誰よりも大事な身内が自分に同調してくれないことに、マホは苛立っていた。
「どちらの言い分も分かる。うやむやにしていい問題じゃないと、俺も思う。だが今は、まず情報を共有してしまいたい。その議論は、改めてゆっくりしよう」
ハルキくんが静かに言う。彼の声には、何とも言えない説得力があった。
入澤くんもマホも、思うところがあったんだろう。すぐに尖った空気を引っ込めてくれた。
若月先生と神野アザミとの関係を知り、流石のマホもようやく先生への疑いを晴らしたみたい。
むしろ、くるりと手の平を返した。若月先生の父親が、従兄妹の父と同じような仕打ちを先生にしたと知り、激しく怒り始める。
「ああ~、もうクソばっか! だから、リーズンズの男は嫌いなんだよ!」
吐き捨てたマホに、今度は入澤くんが反応した。
「そうやってざっくりレッテル貼って纏めて嫌うの、どうかと思うけど。リーズンズの男にも良い人はいるでしょ」
「それは、分かってるよ」
「そうかな?」
「あ、そう。なら、分かってないんだろうね。これでいい?」
うわ、胃がきりきりする! めちゃくちゃハラハラしてしまうんですが!
なんでこの2人、こんな急に仲悪くなっちゃったの!?
両手を揉み絞ってる私に気づき、入澤くんが眉間の皺をほどく。バツが悪そうな顔で、入澤くんは話題を戻した。
「まさか旭シノがほんとにクロだったとはね。シュウの仮説を聞いた時、考えすぎだって笑ったの後で謝らなきゃ」
「びっくりだよね! 御坂くんはどこで気づいたんだろう」
すっかり悪くなってしまった空気をリカバリーしたくて、いつも通り能天気な声を出す。
「旭先生が医療面での責任者を兼ねること知ったあたりで、もう目はつけてたみたい。彼女が補習の時、飲み物を配ってた話聞いてすぐ、去年も同じだったか調べ始めたしね。神野ちゃんが飲んだのと同じ飲み物を校長経由で速攻押さえて、分析に出したのは柊だよ」
「あの時、そんなことしてたんだ! ちなみに、結果は……?」
おそるおそるハルキくんを見上げる。
体調は何ともなかったし、薬物が混ぜられてたとは思いたくない。
「低持続性の能力抑制剤が検出された。効果は30分ってところか。パワードが暴走熱を出した時に処方されるものと同じだ」
ハルキくんの答えに、少しだけホッとする。
能力抑制剤なら、そんなに悪いものじゃない。パワードの延命剤としても用いられる治療薬だ。やたらめったら使われるのは困るけど、危険な副作用はなかったはず。
「でも、なんでそんな薬……」
「アセビの正体を確かめる為、かな。パワードなら、しばらく力が入らなくなる。平気で動けるのは、リーズンズか俺達くらいだ」
「待って、それじゃ――」
先生は、私が【純血パワードじゃない】って、疑ってたってこと?
どうして、旭先生が?
頭の中がはてなマークで埋め尽くされる。
ところが動揺したのは私だけで、ハルキくんも入澤くんも落ち着いていた。
訳が分からず途方に暮れてしまうこの気持ち、マホなら分かってくれるはず! 藁にもすがる思いで、マホに視線を移す。
「そうだよ。旭シノは、アセビは純血パワードじゃないんじゃないかって疑ってた」
ところが、マホまで平然とした顔でそんなことを言い出した。
そうか。マホはサイコメトリーで、犯人サイドの記憶を見てるんだった。
どうやら分かってないのは、私だけみたい。前にもこんなことあったよね。強烈なデジャブに、膝をつきたくなる。
「私の能力を知ってるのは、皆と父さんだけ。皆のプロテクトのすごさは、私も知ってる。父さんだってそう。誰かにやすやすと心を覗かれたりしない。それなのに、保健室の先生は私を疑ってた。――これって、どういうこと!?」
マホが口を開こうとしたところで、皆の個人端末が一斉に光る。
私達のグループチャットにメッセージが入った合図だ。
慌てて画面を確認すると、そこには御坂くんからの連絡が入っていた。
『旭シノと周防キリヤとの接触を確認。旭側の動機の確認も取れました。これから別邸に戻ります。鈴森さんの消耗が酷い。ですが、今は自宅に返せません。神野さんのヒーリングをお願いします』
ああ~、もう! どうなってるの、これ!?
どこからツッコんでいいのか分からないほど情報てんこもりのメッセージは、全員分の既読がついたところで消去される。
ハルキくんと入澤くんが、スッと表情を消して立ち上がる。入澤くんは空になった紙コップを握り潰し、背後のゴミ箱に投げ入れた。
こんな状況じゃなければ、ノールック! カッコいい! とはしゃいだだろう。
でもそんな軽口叩ける雰囲気じゃない。私とマホはテーブルの上を無言で片づけた。
「起こるはずのことが起こらなかったせいで、未来が変わることもある――これ、柊が昔言ってたことだよ。こうなるかもしれないって、分かってた?」
入澤くんの声に、ハルキくんは首を振る。
「そこまで考える余裕はなかった。正直、混乱してる」
「じゃあ、襲撃者の正体については? 柊のことだから、予想ついてるんじゃない?」
立て続けに繰り出された質問に、ハルキくんはああ、と答えた。
「襲撃者はバングルをしていなかった。クローン技術はすでに、未来と同程度に発達している。現時点で俺達以外のサードパワードは存在していない。俺達の精細胞を盗むことは、ほぼ不可能。……以上を踏まえれば、立てられる仮説は限られてくる」
入澤くんは苦しげに眉根を寄せ、「これじゃ、被害者が変わっただけだ」と吐き捨てた。
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