第64話 新しい未来
一か月後――。
私は、来週に迫った期末テストを迎え撃つ為、ハルキくん主催の勉強会に参加することにした。
久しぶりやってきた柊邸の離れは、見違えるほど綺麗に片付いている。
埃避けのクロスがかぶせられた巨大コンピューターと一つに纏められたケーブル類を横目に、応接ソファーへと進む。ローテーブルの上には問題集や資料集が山のように積まれていた。
見ただけで頭が痛くなりそうだけど、今度こそ補習は受けたくない。
冬休みはのんびり楽しく過ごすんだ!
「――はい、10分経ったー。テキスト伏せて。問題だすよ」
入澤くんがキッチンタイマーのボタンを押して、容赦なく宣告する。
「待って、待ってあと3分」
「たった5ページ分の暗記にそんな時間かけてたら、範囲終わんないでしょ」
サヤが言うと、マホもそうそうと言わんばかりに頷いた。
なんで皆そんなに覚えるの早いの!?
涙目になった私の肩をハルキくんがポンポンと叩き「とりあえず覚えたとこまで確認しとこう」と追い打ちをかけてくる。
「そうだよね、ずるずるやっててもキリないもんね。よし、こい! 全問正解してやる!」
拳を作ってファイティングポーズをとった私を見て、皆が笑った。
全く笑ってる場合じゃないのに、私の頬も緩んでしまう。
勉強つらいとかテストめんどくさいとか、そんな愚痴をこぼせる何てことない日常が愛おしくてたまらない。嫌なことさえ嬉しいとか、矛盾してるけどね。でも本当の気持ちだ。
「ねえねえ。テスト終わって冬休み入ったら、皆で御坂くんの様子見に行かない?」
見事に撃沈した私が自主学習をしている間、残りのメンバーはゆったりお茶を飲みながら雑談し始める。マホの提案に、入澤くんは渋い顔をした。
「知りたくないわけじゃないんだけどさ。あいつ、頭も勘もすっごくいいでしょ? 不用意に接触したら、怪しんできそうで怖い。俺たちのことを思い出せば、自分の素性だって思い出す。せっかく全部リセットして新しい人生歩んでんのに、今更苦しめたくない」
「分かるよ。もちろん話しかけたりしない。気づかれないよう充分注意して、あくまで他人の振りして見るだけ。……ダメかな?」
マホがハルキくんの方を見て、同意を求める。
ハルキくんは少し考えた後、柔らかな表情を浮かべた。
「それで多比良の気が済むなら、いいと思う。俺もシュウの元気な様子をこの目で見たい。自己満足だろうが、目的は遂げたと心の中で報告したい。ケイシはどうする?」
「そんなの、俺もそうしたいに決まってんじゃん」
「私も行きたい」
入澤くんとサヤの返事に、私も黙って手を上げる。
今声を出すと、詰め込んだばかりの歴史の年表が口からこぼれてしまいそうだった。
「じゃあ、みんなで行こう。その為にも、補習は回避しないとな」
ハルキくんはからかいを帯びた声で言って、私にも温かなお茶を運んできてくれる。ローズマリーのハーブティーは、記憶力と集中力をアップさせる効果があるんだって。
ハーブティーを何度もお代わりしながら頑張ったからか、それとも意外とスパルタな入澤くんの指導のお陰か、期末テストはギリギリ赤点を免れ補習を受けずに済んだ。
ほんとにギリギリだけどね。でも一学期に比べたら、かなりの進歩だ。
若月先生と父さんにもよく頑張ったと褒められ、私は満更でもない気持ちで冬休みを迎えた。
終業式の翌日、私はアラームより先に目が覚めた。
今日は御坂くんに会いに行く日だ。
楽しみすぎて早起きしてしまったので、早々に手持無沙汰になる。
私は待ち合わせの時間までリビングで待つことにした。
何とはなしにテレビをつけてみたが、どのチャンネルもまだ周防キリヤの事件の話題ばかりで見るものがない。
面白おかしくデフォルメされた周防キリヤの半生を、ワイドショーで見るのは不快だった。
彼は確かに稀代の犯罪者で、断罪されるべき人だろう。だけど彼の生き様を、何も知らない第三者が嗤ったり蔑んだりするのを見るのは嫌だった。
早乙女キクの件は国家レベルのトップシークレットらしく、正しい報道がされていないことも大きいんだと思う。彼がどうしてあんなことをしたのか、大抵の人は理由を知らないままだ。こうして周防キリヤは、単なる差別主義者のテロリストとして世間の記憶に残っていく。
鴛鴦の掛け軸があったあの部屋も、祖母の為の小部屋も、じきに壊されてなかったことになるのだろう。
私は諦めてTVを消し、仏壇のある和室に移動した。
旭シノが周防キリヤに協力した動機も、復讐だった。
彼女の兄は、任務中能力を暴走させたパワードによって死亡したそうだ。たまたま現場を通りかかったというそれだけの理由で、彼は亡くなった。
パワードが命の限界までその能力を使い切った時、本人の意思とは無関係にパワーの及ぶ範囲が広がってしまうことが稀にある。『航空機の墜落事故よりも低い確率』『あと数秒ずれていたら』『本当に運が悪かった』――そんな言葉で片付けられた兄の死を、旭シノは受け入れられなかったのだという。
周防キリヤに声をかけられなくても、いつかきっとパワードに酷いことをした。その為にセントラルに就職したのだから。そう彼女は自白したそうだ。
例のクローン少女は今、鈴森家で保護されている。
最愛の娘そっくりの少女を放っておけなかった鈴森のご両親が、養女として引き取ると申し出なければ、彼女は能力医療センターで一生を終えることになっただろう。手続きは複雑でそう簡単にはいかなかったみたいだけど、柊ユウさんや里内さんが奔走した結果、無事彼女は鈴森家で暮らすことになった。
少女には『鈴森 スミレ』という名前が与えられた。鈴森夫妻は少女の実験レポートを読み、そこに残されていた誕生日から誕生花を調べて名前を決めたらしい。
子どもの世話に専念したいと育児休暇まで取った二人に手厚く世話されているスミレは、最近ようやく彼らと会話を交わすようになったと聞いた。
『この年で妹ができるなんてね』とサヤは笑っていた。
スミレの為に新たに作られたバングルが、彼女の残り僅かな命をうまくコントロールしてくれるといい。
死ぬまでに一度でいい。生まれてきてよかったと、そう心から思える日がくるといい。
「――ね? 母さんもそう思わない?」
仏壇の前で手を合わせたあと、小声で語り掛ける。
返事の代わりにインターホンが鳴った。
ハッと我に返り、時計を確かめる。ロビーでの待ち合わせ時間を2分過ぎていた。しまった、遅刻だ!
「アセビー、まだー? なんかあった? 大丈夫?」
「何もないよ! ごめん、今出るから!」
玄関越しに聞こえてくるマホの心配そうな声に大声で返事をして、私は和室を後にした。
今日はクリスマス。
路面店のショウウィンドウは緑と赤を基調とした華やかなディスプレイで賑わっている。流れてくる有名なクリスマスナンバーに胸を弾ませながら、軽い足取りで目的地を目指した。
若月先生とサヤを除き、皆いかにも高校生らしいカジュアルファッションに身を包み、グループデート中です! って顔で歩いている。特にハルキくんのダッフルコート姿なんて、ほんとレアだからね。目に焼き付けておかなきゃ。
「ここだな」
最寄りの駐車場から歩き始めること15分。ようやく目的地に到着する。
ハルキくんが立ち止まったのは、なんともお洒落なカフェの前だった。
メニューボードが店先に出てるけど、フランス語で書かれてるみたいでさっぱり読めない。メニュー表までこれだったら、ハルキくんに頼んで訳して貰おう。
「絶対にじろじろ見ちゃダメだからね。俺たちはあくまでお茶しに来ただけ。会話内容にも気を付ける。分かった?」
入澤くんの注意に、皆しっかりと頷く。
引率ポジションの若月先生まで真面目な顔で頷いたのは、ちょっと可愛かった。
お店の前でいつまでも話している方が怪しい。私達は早速カフェの中へと足を踏み入れた。
ジャズアレンジされたクリスマスソングが流れる店内は、北欧風インテリアでシンプルかつ大人っぽく纏められている。ゆったりとした木枠のソファーなんて見るからに座り心地がよさそうだ。カウンター内の壁際に飾られたティーセットはアンティークかな? 一人ずつ違うカップでお茶を出してくれるんだって。
週末は行列まで出来る人気店らしいが、平日でしかも時間が少し早いこともあって、すぐに席へと案内された。
私とマホ、そしてサヤはバングルに気づかれないよう、指半ばまで隠れる袖の長いニットを着てきた。
ところが店内が暖かいせいで、コートを脱ぐ時思わず袖をたくし上げそうになってしまう。ハルキくんがさりげなく手を抑えてくれて助かった。
感じの良いお店の雰囲気に安堵しながら、メニューを開く。
ここならアルバイト先にぴったり、なんて過保護なママじみた感想を抱きつつ、私はフランス語の下に書かれた日本語を目で追った。
「決まった?」
「うん、このナッツとキャラメルのワッフルサンドとね、彩り苺のスペシャルパフェとね、焼きマシュマロとバナナのパンケーキセットとね――」
「アセビ」
メニューに載ってる写真がどれも可愛くて美味しそうなので、迷ってしまう。涙を飲んで5種類に絞ったというのに、ハルキくんは途中で遮ってきた。
「ん?」
「ちょっと欲張りすぎじゃないか。そんなに食べられないだろう?」
「え、いやこれじゃ全然足り……あ、あはは。ほんとだ。じゃあ、ワッフルサンドにしよっかな」
そうだ、リーズンズの女の子はこんなに食べないんだった! 遅ればせながら気づき、注文を変更する。
マホとサヤを横目で見てみると、同じことに思い当たったのだろう、なんとも悔しそうな顔をしていた。
苦笑を浮かべた若月先生がテレパスで「今夜はうちで焼肉」と伝えてくる。
私たちは一斉に笑顔になった。
「んじゃ、皆決まったね。店員さん、よぼっか」
入澤くんが言って振り向こうとしたその時。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
懐かしい声が頭上から降ってきた。
しっかりがっちり心の準備をしてきたはずなのに、反射的に目頭が熱くなる。
私は必死に瞬きを繰り返し、視線をハルキくんの肩に固定した。
「あ、はい。コーヒー3つと――」
入澤くんが平然とした顔で注文を伝え始める。
ハルキくんと若月先生は、全く顔色が変わっていなかった。
御坂くんの様子を見に行こう作戦を立てるにあたって、それは沢山の案が出た。
塾へ行く途中の御坂くんと偶然を装ってすれ違おうとか、家にいるところをビルの屋上から覗こうだとか。その中の一つ『御坂くんのバイト先のカフェでお茶してみよう』を選んだのは、マホだ。
若月先生の家で最後に会った時、カフェの話になったから、というのが彼女の理由。
『白シャツに黒エプロンつけたとこ、アセビも見たいって言ったでしょ?』と言われ、私も賛成してしまったんだけど、入澤くんは『ほんとに大丈夫?』と不安がっていた。
まさに入澤くんの不安が的中したわけだ。
私もマホもサヤも、唇をへの字に曲げて必死に涙をこらえている。明らかに様子がおかしい3人を見て、御坂くんは不思議そうに瞬きした。
「すみません、今映画を見てきたところで」
若月先生がすかさずフォローに入る。
御坂くんは、ああ、と微笑み「もしかして、『さよならを何度でも』ですか?」と尋ねてきた。
「そうそう、それです」
「最近よく宣伝してますよね」
「思ったより良かったですよ」
「そうなんですか。いいこと聞きました」
御坂くんはいたずらっぽい口調で「僕も見に行ってみようかな」と続ける。
甘く柔らかな口調と聞きなれない一人称に驚き、涙がするすると引っ込んだ。
ようやく正面から御坂くんの顔を見ることができる。
短めの髪をワックスでカッコよくスタイリングし、ウェリントン型のハーフリムな眼鏡をかけた御坂くんは、すっかり今風の男の子になっていた。もともとの素材がよかったことに加えてこれだもん。かなりモテるだろうな、としみじみしてしまう。
白シャツと黒エプロンも、とてつもなく似合っていた。御坂くん目当てでカフェに通ってる子がいると聞いても驚かないレベルだ。
「すぐに準備しますね。しばらくお待ちください」
にこやかな表情で軽く頭を下げ、御坂くんがカウンターへ戻っていく。
「……なんか、全部飛んだわ」
サヤが小さくこぼした言葉に、マホが大きく頷く。
2人はあっという間にグループテレパスを展開し、好き放題言い始めた。
「そりゃないぜーって気分。いや、いいことなんだけどね。でもなんか、ええー……」
「あれ、僕も『彼女と』見に行ってみようかな、ってことだよね」
「多分ね。ちょっとケイシっぽくなってない? 真面目なうちの子がちょっと見ないうちに! な気分だよ」
「なってる! わかる!」
能力を使ってるとバレないよう、口では次に見たい映画の話をし始めてるんだから、器用というかなんというか。
「『さよならを何度でも』って原作が漫画のやつだっけ? 宣伝は見たことあるけど、内容知らないや。先生、よく知ってたね」
御坂くんの変身ぶりについてのコメントは控え、気になったことをテレパスで尋ねてみる。
「いや、知らない。話を合わせただけ」
「ええっ!?」
私の驚きに、入澤くんも「待って、そういうの危険だから!」と慌てる。
ハルキくんはおもむろに端末を取り出し、『さよならを何度でも』について調べ始めた。
「……大丈夫だ。最後はハッピーエンドだが、途中何度も別れるらしい。片思いに苦しむ一途な主人公が泣けると書いてある」
ネタバレ感想を見たらしく、ハルキくんが映画の内容を教えてくれる。
「まあ、別れる原因はすべて男側の浮気だから、カップルで見るのは非推奨とも書いてあるけどな」
「クソ映画じゃん! よくこの時期に公開しようと思ったね。っていうかそんな映画シュウに勧めないで!?」
入澤くんの素早いツッコミに、マホとサヤが噴きそうになる。
若月先生はてへ、というように小首を傾げた。先生らしからぬあざとい仕草に私まで噴きそうになる。
私達はクスクス笑いながら、クリスマスに見るならどんな映画がいいかについて声に出して話し始めた。
やがて運ばれてきたスイーツを瞬殺しないよう気をつけながら平らげ、最後の一滴までコーヒーを飲み干してから、立ち上がる。
ここへ来るのは今日限りだと決まっている。
御坂くんの顔を見るのはこれで最後だと思うと、未練が募って辛かった。
「ありがとうございました。雪が降ってきたみたいなので、足元に気を付けてお帰りください」
見送りにやってきた御坂くんが、スマートに微笑みながらドアを開けてくれる。
「ありがとう」
「おいしかったです、ご馳走様」
皆は口々に言いながら、御坂くんの脇をすり抜けていった。
本当にありがとう。
私達も頑張ったよ。
そんな思いを込めて、私も頭を下げる。
御坂くんは最後まで明るい笑みを浮かべていた。なんの曇りもない優しい笑顔だった。
白い粉雪が舞い始めた空の下、私達はしばらく無言で歩いていった。
カフェが見えなくなったところで、入澤くんが「気が済んだ?」と尋ねてくる。
「うん、済んだ。会いに来てよかった。今なら私も、心からよかったねって見送れる」
そう言いながらもマホは泣いていた。
とことん寂しがりなマホらしい。
入澤くんはマホの頬を手のひらで拭い、ぐい、と肩を引き寄せる。ぴったりくっついて歩いていく2人の背中はよく似ていた。
周防キリヤが表舞台から消えたことで、未来は大きく変わることになるだろう。
だが、全盛期のRTZを支えていた中心人物はまだ残っている。私やハルキくんの存在を知った彼らがどう動くかは全くの未知数だ。
私達の前には完全に手探りの、まっさらな未来が広がっている。
私達はこれからも手ごわい敵と戦っていくのかもしれないし、もう危険な事は何も起こらないのかもしれない。
唯一分かっているのは、どっちに転んでも、ここにいる皆と一緒に頑張っていくってこと。
隣に並んだハルキくんの手を確かめるように握る。彼はすぐに私の手を力強く握り返してくれた。
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