第65話 神野アセビは諦めない

 やめて……、もうやめて……苦しい、痛い、苦しい

 

 苦痛から逃れようと意識を遠ざける度、また別の種類の痛みが与えられ現実に引き戻される。

 全身から汗が噴き出る。瞼裏が白く染まり、もう自分が何をわめいているのかも分からない。

 叫びすぎて枯れてしまった喉を反らし、必死に身を捩る。鉄枷で固定された身体は僅かに跳ねるだけでそれ以上は動かない。

 

「そろそろ危険ですね」

「では一旦、休憩を入れましょう」


 ようやく断続的に与えられていた刺激が止まる。私は何度も浅い呼吸を繰り返し、意識を正常化しようと努めた。

 このチャンスを逃せば、次はいつ解放されるか分からない。誰かがすぐ傍にいる状態だと、この力はうまく発動できない。周囲の気配を探り、巻き込む相手がいないことを確認した後、深く深く息を吸い能力を開放する。

 全身が燃えるように熱くなり、つま先から粉塵へと変わっていく。


 次はどの時点に戻れるだろう。

 跳躍先を指定できないことが、心底口惜しい。



 初めての時間遡行は、目の前でハルキを殺された直後に起こった。

 RTZに身柄を拘束された私を救う為、彼は単身で乗り込んできたのだ。私の元へまっすぐたどり着けるようわざと開かれた道を、罠だと気づかない人ではないのに。


 無意識のうちに開花した新たな能力を使って飛んだ先は、一年前の同じ日だった。

 自室で武器の手入れをしていた過去の私は、大きく目を見開き、突然現れた私を見た。

 彼女は消えてしまう最後の一瞬まで、訳が分からない、という顔で固まっていた。察しが悪い私らしい消え方だ。

 

 二度目の時間素行の時、過去の私は「またやったのか」といわんばかりの表情を浮かべた。

『ハルキが死んだの?』と問われ、首を振る。彼は生きていた。今度は私が失敗した。

 RTZが流した偽情報を鵜呑みにして、とある建物を吹っ飛ばしてしまったのだ。そこにいたのはRTZ関係者ではなく大切な仲間だった。リーズンズを含んだ50名を超える協力者を、私はこの手で炭に変えた。

 

 3度目、4度目、と回数を重ねるごとに、過去の私は空っぽな表情を浮かべるようになっていった。

 どうあがいても詰んでしまう未来をもう知っているといわんばかりに、諦めと絶望が私を侵食していく。過去の私を消していく度、大切な何かが抜け落ちていく。

 

 そこまでしても、未来は変わらなかった。

 幾度選択を変えようと無駄だった。

 仲間だと思っていた人に裏切られたこともあれば、同じ人の助言を信じなかったせいで最悪の結果を迎えたこともある。


 終わりまでの道は様々だったが、結末は決まっていた。

 私はRTZの手に落ち、実験動物にされた挙句、生きた兵器になる。

 彼らの邪魔になるものはすべて焼き尽くし、標的は一人残さず殺戮していく。ハルキもマホも、シュウもケイシも。大事なものは全部この手で消していく。


 時間遡行の能力だけが、私に残された希望だった。

 その希望にも翳りが見えたのは、15度目の遡行を終えた時。

 最初の遡行では1年前に戻れたのに、次第に戻れる時間が短くなった。

 

 30度目の時間遡行後、私は『RTZのアジトを特定し、全ての研究データを消そうとしたがそれは相手の罠で、こちら側は全滅する』という絶望的な未来が完全に固定されたことを知った。


 そこからは何度飛んでも、同じ未来にしかたどり着けなくなった。

 何種類もあったはずの未来は消え、本流として残ったその未来だけが私の時間の上に訪れた。


 アジトに行かないよう部屋に閉じこもっても駄目だった。

 別の場所で高見の見物を決め込んでいるであろう敵を探そうにも時間がない。

 ハルキに真実を話したこともあった。彼と共に逃げ出したこともあった。


 だが、結局は私達は同じ時間に同じ場所で死ぬことになった。

 『本流』の強制力はとてつもなく強大で、頑固で、無慈悲だった。


 あまりにそっくりな最期を迎えるせいで、もう何度時を超えたのか分からなくなる。

 バングルに線を刻み始めたのは、その頃だ。

 フレームに増えていく傷だけが、私にこの悪夢が現実だと知らせてくる。

 悲しみも後悔も、何も感じなくなった。

 

 希望はとうに潰えたというのに、どうしても諦めきれずほぼ惰性で時を巻き戻っていたある日、私は久しぶりに予知夢を見た。

 

 

 夢の中で私は、ずいぶん若返っていた。

 セントラルの制服を着た私が、同じくセントラルの制服に身を包んだハルキと楽し気におしゃべりをしている。

 

 ありえない、と一笑に付すには、あまりに眩しく幸せな光景だった。

 私の隣には、父さんがいた。元気に生きて、笑っていた。

 マホとケイシもいる。ケイシまでセントラルの制服を着ていた。なんて都合のいい。


 予知夢と同じ発動の仕方をしたから勘違いしてしまったが、これは完全に妄想だ。

 こうだったらいいな、と。

 こうだったら、よかったのにな、と。

 辛すぎる現実から逃げ出したい私が描き出した、ただの夢だ。


 分かっているのに、途中で離脱することができない。

 叶うなら、ずっと、ずっと見ていたかった。


 いつからか途絶えた涙が、ぽろり、とこぼれ頬を伝う。

 涙をぬぐえば夢が途切れてしまいそうで、指一本動かせない。

 しゃくりあげながら夢の中の私を見つめているうちに、不意に彼女と目があった。


 彼女は私をじっと見つめると、ゆっくり唇を動かした。

 私だと思っていた人は、いつのまにか母へと変わっていた。


『分岐点は、もっと前だったんだよ、あーちゃん』


 母は悲し気に眉尻を下げ、『ごめんね』と謝った。


『今のあーちゃんを助けてあげられなくて、ごめん』


 母の顔も声もとっくに忘れていたのに、まるで昨日まで会っていたかのように近しく感じる。

 母との会話を引き金に、膨大な未来の欠片が流れ込んでくる。私は激流のようなそれを、息を詰めて受け止めた。


 全て受け止めきった時にはもう、予知夢は終わっていた。


 さっきと何一つ変わらない風景が目の前に戻ってくる。

 だが、私の中では全てが変わっていた。


 私はもう、戻れない。

 今の私では、10年前まで時を遡ることはできない。

 もし可能だったとしても、あの頃に戻るには汚れすぎたし、疲れすぎた。

 身体は15歳に戻れたとしても、中身は変容しきっている。


 私の代わりに時を戻り、新しい未来を拓いてくれるのは最愛の人。

 過去の私なら、彼を愛するだけじゃなく、彼を心から信じ、しっかりその手を握って離さないだろう。


 私は涙を拭い、顔を洗って、髪を梳いた。

 これが今の私にとっては最後の逢瀬だから、せめて身綺麗にしたかった。


 彼に何を言えばいいかは分からない。ただ、彼の顔を記憶に焼き付けたかった。

 

 もっと早くに出会えていればよかった。

 そうすれば私だって……。

 湧き起こりそうになる恨み節に正面から向き合い、考える。


 まだサードパワードとして目覚めていないハルキに出会ったとしても、何も起こらなかっただろう。この未来が変わることはなかった。

 私との記憶を持ったサードパワードの彼がセントラル時代の私と出会うこと。

 それが本流を変える鍵だというのなら、なるほど今の私も必要な布石だったのだ。


 時間遡行のせいで消えてしまう15歳のハルキが今の私の道連れになるのだと思うと、気の毒でもあり嬉しくもあった。

 ほらね。

 私はもう、歪みきっている。


 過去のまっさらな私にご期待ください、だな。

 浮かんだ言葉にふっと笑みが漏れる。


 今の私に出来るのは、この最低な現実に華麗に幕を引いてみせること。

 このまま、最低なまま終わるなんて許せない。

 大丈夫。ちゃんとやれる。あの幸せな未来にいる私も私だって、本当は分かってる。頼んだよ、15歳の私。あなたは頑張って生き抜いて。


 今の私を消すことになっても。愛する人に深い傷を残すことになっても。

 私は決して未来を諦めない。





 

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