第32話 補習決定
鈴森サヤの衝撃的な告白を聞いた後、私は帰宅してきた父さんを問い詰めた。
「鈴森さんと、深い仲だったんだね! なんで言ってくれなかったの?」
「ふ、深い仲!? そんなわけないでしょ! サヤちゃんは、なんて言うか、年の離れた妹みたいなものなのに」
「あれ? そういうの、深い仲って言わないっけ。昔からの知り合いのこと」
「――もしかして、旧知の仲って言いたかった?」
「それだ! と、とにかく、話してくれたら良かったのに。今日聞いてびっくりしたわ」
私が唇を尖らして抗議すると、父さんは静かに「そんなの無理だよ」と答えた。
まさかそんな真面目に返されるとは思わなくて、びっくりした。ごめんごめん、うっかりしてて、とかそんな返事がくると思ってた。
「サヤちゃんの個人的な話だからね。彼女がいないところで、彼女が望んでないのに、いくら娘でも勝手に事情は話せない」
それもそうか。
父さんの言ってることは正しい。私はすぐに抗議を取り下げ、ごめんと謝った。
翌日、サヤに父さんとのやり取りを話したら、彼女は真顔のまま、ぽろり、と一粒涙をこぼした。
うわあ、なに!? と慌てる私に向かって首を振り、サヤは涙に潤んだ瞳を和らげて言った。
「なんでもない。報われたな~って、思っただけ」
何がどう報われたんだろう。長い長い片思いが叶ったわけじゃないのに。
不思議でしかたなかったが、彼女がとても幸せそうに笑ったので、まあいいかと私も笑っておいた。
そして今に至るわけなんだけど――。
ホテル火災のテロ犯人が捕まったわけでも、セントラルに潜入してる敵の正体が分かったわけでもないのに、何となくこのまま地道に調査していけば大丈夫じゃないかという気分になってる。
サヤがメンバーに加わったことで、母さんの予言通り6人の仲間が揃った。
もうこれ、明るい未来ルートに乗ったんじゃないの? 的な気分。
マホはせっかちな性分なので、「若月先生が怪しいんでしょ? やつを拉致って尋問かけよう!」と事あるごとに言う。その度、御坂くんに窘められ、入澤くんにどうどうと押さえられていた。
若月先生、ね……。
確かにあのサイコキネシス実習の時の言動は怪しかった。
でもあれ以来、先生はこれといって変わった行動を取らないんだよね。
「あれはたまたま私がやらかさないか見張ってただけでさ。真犯人は別にいるんじゃないの?」
夏休みが目前に迫ったある日。
柊邸の離れのソファーにぐったりともたれかかった私は、退屈しのぎに話を振ってみた。
この部屋は冷房効いててまだマシだけど、外の暑さは異常だ。湿気が多くじめっとしてる上に、最高気温は日々更新されている。
純血パワードは暑さにものすごく弱い。それを証拠に、マホもサヤも死んだ目をしてソファーの上に転がってる。
御坂くんには『精密機器と同じですね』と笑われた。何がおかしいのかさっぱり分からない。
私はネクストパワードだけど遺伝子上は純血だから、その特性をばっちり受け継いでしまっている。つまりは、暑いです。溶けそうです。
ハルキくん達はいつものごとく巨大コンピューター前に陣取り、各地から送られたきた情報を分析したり、本部メンバーとのネット会議に参加したりと忙しそうだ。
今は、母さんの例の絵本について詳しく調べているらしい。
私の祖母と関わりのあった人物の中に、なにやら未来でもマークされていた人がいたとかなんとか。
はっきりしたことが分かり次第、教えてもらえることになってはいるものの、現時点での私達の仕事は『待機』だけだった。
つまり、私とマホとサヤがここにいる必要は特にない。
ないんだけど、何となく放課後はここに集合するのが暗黙の了解になっている。
サヤとは特に、セントラルでは殆ど話せないからね。この時間はとっても貴重なんだ。
「――いや、怪しいのは怪しいよ」
テーブルの大きなガラスピッチャーから氷を摘まみあげ、口に放り込んだサヤは、頬をリスみたいに膨らませながらそう言った。
「ホテル火災のあった日、『マホのバングルが異常を示してる、もしかしたら人命救助中かもしれない』って言ったのは、若月先生だって話、したでしょ?」
「ああ、そういえばそうだっけ」
「あれだって、なんで私に言うの? って話じゃない? 担任なんだから自分で確かめに行けばいいのに、おかしいよ」
氷はすぐに溶けてしまったらしく、サヤは2つ目の氷をまた口に入れた。
それをころころ口の中で転がしながら、「私にアセビたちの邪魔をさせようとしたんじゃないかな」と推測する。
「それさ。若月に直接言われたの? 様子を見に行けって」
向かいのロングソファーにへばりついてたマホが、のろのろと顔をあげて質問した。
「どうだったかな。……そういえば、そんな風には言われてない! 先生は、困ったことになるかもしれないな、って言っただけ。マホとアセビはいつも一緒にいるから、もしかしてアセビもトラブルに巻き込まれたんじゃないかって、私が勝手に心配したんだわ」
当時の私の無能っぷりを思えば、サヤの心配ももっともだ。
というより、心配してあんなところまで飛んできてくれたのが、今更ながらじわじわ嬉しい。
「サヤ……本当にありがとね!」
「うん、それ前も聞いた」
氷よりも冷たいサヤの返事に、心がひんやりする。
あ、これもなかなかいい感じの暑さ避けになるわ。
「そっかー。でもどっちにしろ、謎だよね。私が保護区外で能力使ったこと感知したならさ、もっと大騒ぎしてもいいはずなのに、サヤに言っただけなんだもん」
マホはそう言った後で、「ああ、駄目だ。頭を使ったら、また体温あがった」とぼやき、本格的に寝始めた。
ごそごそと体勢を整えて仰向けになり、まっすぐ足を伸ばす。膝上スカートがなんとも危うい。ちょっと動いたら、ずりあがってパンツが見えそうだ。
「マホちゃん、ほら」
モニター前に座ってヘッドホンを装着中の入澤くんが、近くにあった大きめのタオルを投げてきた。ふわりと宙を舞ったタオルは、見事にマホの寝転がったソファーの背もたれに着地する。
「なに、これ?」
「寝るんだったら足にかけといて」
「えー、暑い」
「おねがい」
マホとこんな会話をしながらも、入澤くんはモニター画面の方を向いたままだ。優しいようでいて、有無を言わせない声を出す。
マホはムカっときたみたいだったけど、しぶしぶタオルを膝にかけて目を閉じた。マホがこんな風に誰かの命令に従うこと自体、すごくレアなんだって入澤くんは知ってるのかな。
「今の見ました? 奥様」
隣のサヤに耳打ちする。
「ええ、見ましたわ。つまりは、俺以外の男に肌を見せるな、ということでございましょう?」
「ですわよね。当てられてしまいますわ」
夕方TVでやっている再放送のメロドラマを見るのが、最近の私達の楽しみだ。
そのドラマに出てくる噂好きな奥様の真似をしながら話すと、目を閉じたままのマホに「うるさい!」と怒鳴られた。
そんな風に何もせずに(私達は、という意味だ。ハルキくん達は常に頑張っている)毎日を過ごしているうちに、終業式を迎えてしまった。
父さんを殺して私に強力な暗示をかけた人物を探し出し、RTZの中枢に迫るというのが、当面の私達の目標なんだけど、敵もそうそう尻尾を掴ませたりしないよね。
しかも未来でその事件が起こるのは、来年の10月。まだまだ先過ぎて、ピンとこない。
タイムリミットが近づいてから動いても間に合うのか、今のうちに手を打たなきゃいけないのさえ分からないのが現状だ。
このままでホントにいいのかな。
いくら頭脳労働が苦手だからって、ハルキくんたちに任せっきりでいいの?
そんなことをつらつらと考えながら、前期最後のホームルームを受ける。
夏休み直前で、クラスの雰囲気は明るく浮き立っていた。
「各自しおりをよく読んで、節度ある行動を心がけるように。先生からは以上です。それぞれよい夏休みを。――神野くんはちょっと残って。あとは解散」
教卓に立った若月先生の締めの挨拶に、ハッと顔をあげる。
え、私だけ?
なんで居残り?
――やっぱり、若月先生は何か企んでるの?
クラスメイト達は解放感に満ちた顔で、さっさと下校準備に入り始める。
入学してから四ヶ月が過ぎたこの時期、すでに出来上がってるカップルもちらほらいて、一緒にかえろ? うん、もちろん! なんてイチャつきながら教室を出て行く。サヤはちらちらと私を気にしながらも残るわけにはいかず、帰って行った。
マホとハルキくん達3人、そして私だけが残った教室を見て、若月先生は壁から背中を離し、軽く溜息をついた。
「俺は、神野くんだけ残ってって言ったつもりなんだけどな」
いつもは自分のことを「先生」と呼ぶ彼が、「俺」と言ったことに強烈な違和感を覚える。私達の警戒メーターは否応なく跳ねあがった。
「彼女に何か御用ですか、先生」
婚約者という立場を最大限に活用するつもりなのか、ハルキくんが先に答える。
若月先生は苦笑しながら肩をすくめた。
「もちろん用事があるから、残って貰ったんだよ。――神野くん、君ね」
ごくり、息を呑み、先生の口元を見つめる。
「このままいくと、留年だよ。前期の単位、殆ど取れてない」
そっちか! 学習方面の悲しい話か!
ハルキくんが驚いたような目で私を見た。
……うう。バカな婚約者でごめんね。
こんな話だって分かってたら、1人で聞きたかったよ。
「すみません。私、どうしたらいいですか?」
「とりあえず、このことは保護者にも連絡がいくから。神野くんは夏休みの間、指定日にセントラルに来て補講を受けること。いいね?」
涙目になりながら、こくこく頷く。
父さんにも連絡が行くのか。きついな……。
実習で低い点がつくのは仕方ないことだけど、座学でも規定点を満たしてなかったらしく、どうにもカバー出来ない、とまで言われる。
若月先生の口調が淡々としているせいで、余計に自分のダメさを思い知らされた。
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