第35話 初めてだらけの海水浴(前編)

 前半の補習が終わった翌日――。

 私達は電車を乗り継ぎ鎌倉へ向かった。

 平日の10時過ぎという時間帯のせいか、電車は空いていた。端から父さん、私、サヤ、マホの順で座り、私達の前にハルキくん達3人が立つ。

 席は沢山空いてるんだから、ハルキくん達も座ったらいいのに。そう言ってみたんだけど「いざという時、すぐ動けるようにしときたいから」というのが彼らの返答だった。


「ジュニア生ならともかく、私達もう高校生だよ?」


 守られることに不満を覚えたらしいマホが、ムッとした顔で言い返す。


 幼い純血パワードは、人身売買マーケットにおいて莫大な値段がつく。だから、外に出る時は悪いヤツに誘拐されないよう細心の注意が払われていた。保護区があるのも、純血しか住めないマンションに住んでいるのも、基本、パワードの子ども達を守る為だ。

 セントラル生になると、滅多に狙われなくなるらしいんだけどね。

 そりゃそうだ。いざとなったら、誘拐犯の首なんて軽く捻れちゃう子ばっかだもん。フレーム未交換のジュニア生を狙った方が効率がいい。ただ、ジュニア生にはミックスも混じってるから、純血を見分けて攫うのは大変かも。


「あなた方の能力を疑っているわけではありません。ですが、ここは保護区外。あなた方の素性を知らないリーズンズに絡まれた時は、どうします? リーズンズにパワードの理屈は通用しない。若い女性というだけで、目をつけられやすいものなのですよ」

 

 御坂くんが小声で丁寧に説明してくれた。


 パワードに、性差による扱いの違いはない。弱者か強者か――パワードを分ける基準があるとするなら、それだけだ。

 でも、リーズンズは違うんだって。女性は弱くて守られるべき存在だって考えが根強いらしい。

 そういえば、TVドラマでもそういうシーンが多かったっけ。ピンチに陥るのは女性で、それを助けにくるのが男性。なんで同じパターンばっかりなんだろうと不思議に思っていたけど、女性の方が体力や腕力が弱いというのなら納得だ。


「そうなんだ。それは、面倒だね。一般人相手に力使う訳にはいかないし」


 サヤが形の良い顎に指をかけ、首を傾げる。


「ええ。不本意だとは思いますが、保護区外にいる間は大人しく私達に守られて下さい。あと、『リーズンズ』という言葉も出来るだけ使わないようにして下さい。都外に暮らす一般人にとって、パワードは遠い存在です。普段、あなた方と自分達を分けるような呼び方は使いません」


 あ、それ一般常識の授業で習った気がする。


「そうだった。ごめんなさい、気をつけるわ。……だめね、すっかり気が緩んじゃってる」

「サヤでそうなら、うちらはもっとだよ。気をつけようね、マホ」

「うん、そうだね」


 珍しくマホも神妙な態度で頷く。

 せっかくの楽しいお出かけ。今度こそ、最後まで楽しみたいもんね!



「見て、サヤ。海が見えてきたよ、ほら」


 靴を脱ぎ、窓にしがみつくようにして外を眺めていたマホが、瞳をキラキラさせながらサヤの肩を叩いた。電車に乗って半時間。そろそろ目的地が近づいてきたみたいだ。

 サヤは恥ずかしそうに頬を染め「私のところからも見えてるから。もういいでしょ、ちゃんと前見て座って」と言った。

 マホと同じく窓にぺったり両手をつけていた私のワンピースの裾も、ツンツン引っ張ってくる。

 不思議に思い、周りを見回してみた。……あれ。もしかして、靴を脱いで正座しているのって、私とマホだけ? 

 少し離れたところに座った老夫妻のおばあさんの方が、私達を見て微笑ましそうに笑っている。私は、彼らの表面意識を軽く撫でてみることにした。


 『あらあら、はしゃいじゃって可愛いわねえ』

 『いい若者が、幼児の真似をしおって』


 おじいさんは素知らぬ顔をしているけど、内心苦々しく思ってるみたい。

 あちゃー。やっちゃった。

 

「……窓の外、綺麗だったから」


 マホも周りの空気を読んだのか、誰とはなしに言い訳しながらそそくさとスニーカーを履いた。

 私もあたふたと方向転換し、真新しいぺたんこサンダルに足を突っ込む。どうやら、窓貼りつき乗りは、小さい子だけに許された特権みたい。帰りの電車では、大人しく前見て座っとこう。

 

「うっわ。今の聞いた? マホちゃんが今日も可愛すぎて、どうしよう! ってなってるよ、今、俺」


 入澤くんが足をタンタンと床に打ち付け、御坂くんの肩を掴んでそこへ自分の額を押し付ける。御坂くんは、非常に迷惑そうな顔で、入澤くんを容赦なく引きはがした。


「それを私に言わないで下さい」

「他に誰に言うの」

「ご本人に直接言えばいいのでは?」

「やだよ、恥ずかしい」


 なんだ、この茶番。全部丸聞こえなんだけど。

 マホは耳まで赤くなっていた。膝においた拳をぎゅっと握りしめ、耐えている。自分に直接言われたわけじゃないから、反論できないのかな? ……なるほど~。流石はリーズンズ! 入澤くん策士だ!


「ケイシくんはマホちゃんが大好きなんだね。いいなぁ」


 私の隣に座ってる父さんがニコニコしながらそんなことを言いだしたので、今度は私が真っ赤になった。昔が懐かしいのか何なのか知らないけど、娘世代の恋話に混ざろうとしないでよ、もう!


「ハルキくんは? ハルキくんもあーちゃんが可愛くてしょうがない?」

「はぁ!?」


 おい、親父。いい加減にしろ。

 調子に乗った父さんを怒ろうとした私より早く、ハルキくんが「そうですね」と答えてしまう。


「可愛くて仕方ないです」

「閉じ込めて、どこにも出したくないくらい?」


 わけのわからない父さんの質問にも、ハルキくんは律義に答える。


「いえ。守りたいのは、アセビさんの体だけではありませんから。彼女には、これからも色んな世界を見て欲しいと思っています。……誰より大切でかけがえのない人なんです。幸せになって欲しい。その為の尽力は惜しみません」


 ハルキくんと父さんを覗いた全員が、咽せた。サヤまでがゲホゲホ咳込んでいる。

 いや、嬉しいけどね! 嬉しいけど、そんなこと電車の中で宣言しちゃうようなキャラだったっけ!?


「それを聞いて、安心した。ハルキくん、あーちゃんをよろしくお願いします」


 父さんの口調に滲む真面目さに胸を突かれる。それは私を残して先に逝かなきゃいけない父さんの、紛れもない本音だった。――このタイミングで確認しなくてもよくない? とは思うけどね。

 

 しんみりしたのも束の間。車内アナウンスが流れ、ホームへの到着を知らせる。

 

「アセビ、俺の手をしっかり握ってて。迷子になったら大変だから、珍しいもの見つけても勝手に走っていかないこと。分かった?」

「分かった!」

「欲しいものあったら、教えて。俺が買うから」

「うん! あとでちゃんと清算してね」


 ハルキくんの注意事項に、コクコク頷く。

 水着やタオルが入ったビニールバッグを斜めに下げて、車内では脱いでいた麦わら帽子をしっかり被る。身支度を整えた後、差し出されたハルキくんの手をぎゅっと握って、立ち上がった。

 一部始終を見ていたらしい入澤くんが、がっくり肩を落とす。


「ああ……。俺の中の神野先輩イメージが……」

「その気持ちはとてもよく分かります」

「孤高の人! って感じだったよな。凛々しくて強くて、すげえカッコよかった」


「何か文句が?」


 聞こえていたはずなのに、ハルキくんはそう言って鋭く2人を睨んだ。


「なんでもありませーん」

「神野さんがそれでいいなら、私も特には」


 彼らは肩を竦め、一斉に私を見る。

 え、これ、私が何かコメントする番?


「大人になったら、自然とカッコよくなるかもしれないじゃん。未来の私に負けるつもりはないよ!」


 思ったことをそのまま口にし、親指を突き出して見せる。

 2人は一瞬固まった後、声をたてて笑った。

 ハルキくんは繋いだ手にぎゅっと力を込め、自分の方へ引き寄せた。独占欲剥き出しの仕草に、胸がくすぐったくなる。

 彼から伝わってくるのは『一番近くにいたい』という執着と『俺のせいで……?』という疑惑。

 

 そんなに心配しなくても、私は今の私に満足してるのに。たとえ未来の「強くて凛々しくてカッコいい」私になれなかったとしても、それはそれで別にいいのに。

 どう言葉にすれば伝わるのか考えあぐねているうちに、電車の扉が開く。

 私はハルキくんに手を引かれ、眩い陽の光の下へと足を踏み出した。



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