第36話 初めてだらけの海水浴(後編)
電車を降りたあと、真っ先に刺激されたのは嗅覚だった。
初めて嗅いだ潮の香りは、強烈だった。生臭ささに鼻がツンとする。次に驚いたのは、海の音。
強い風に押されて何かが動く音がする、と思ったら、それは目の前の海が立てている音だった。
寄せては返す波の白に目を細める。白く見えたものは泡だった。
どこまでも続くように見える海の果てはゆるやかな直線を描き、眩い日差しを反射して煌めいていた。
「これが、海か~。…………やっぱ本物はすごい。……けど」
「うん……すごいけど」
「「「あっついっ!!!!」」」
マホとサヤと私の声が、綺麗に揃う。
電車の中は冷房が効いていたし、駅の待合室だって涼しかった。駅までの送迎車は言うまでもない。だけど、ここには何もない。太陽光によって熱された空気と、むわっとした海風と、強烈な日差ししかないのだ。
「ねえ、海って水だよね? 水って、冷たいよね?」
マホが据わった目で問いかけてくる。だめだ、この人、すでに暑さでおかしくなりかけてる。
「早く冷水に浸かりたい。っていうか、浸からないと無理!」
マホはきっぱり宣言すると、海の家らしき建物めがけて一目散に駆け出した。
「待って、マホちゃん! 1人で行動しちゃだめだって!」
その後を慌てて入澤くんが追う。
いや、マホの気持ち分かるよ。照りつけけてくる太陽が、段違いに強いんだもん。これ、ずっと同じ場所に立ってたら、灰になるんじゃないかな。
私達は急いで水着に着替え、ダッシュで海辺へ向かうことにした。
父さん達は、リーズンズしかいない更衣室に私達を送りこむのが心配だったみたい。入り口まで付いてきて「早く出て来い」だの「大丈夫か」だの言うものだから、他の女性客の注目を無駄に集めてしまった。
……はぁ。今日が平日で良かった。
週末はもっと大勢の海水浴客で賑わうだろうし、人が増えれば増えるほど男性陣の警戒は高まるだろうし。
海辺には、学生らしき若者グループと、小さい子どもを釣れたママさんグループがちらほらいるだけだった。これなら、周りを気にせずのんびり遊べそう。
着替えを終えて出て来た私達を見て、彼らは一斉にホッとした表情を浮べた。
すでに着替え終えたハルキくん達は、膝上丈の海パンの上に半袖のパーカーを羽織ってる。惜しげもなく晒された瑞々しい肉体美に、視線が吸い寄せられた。
「うわ~、カッコいい! 皆いい体してるね~」
どんなに練習しても吹けない口笛の代わりに、拍手してみる。
「待って。この流れで俺らが褒められるの、おかしくない?」
釈然としない顔をしたのは、入澤くん。御坂くんは苦い薬を飲んだみたいに顔を顰めてるし、ハルキくんも複雑そうな表情になった。
あれ? もしかして、嬉しくないの?
腰に向かって絞られたお腹の腹筋といい、しっかりした胸筋といい、これでまだ高校生? と首を傾げたくなる完成度だ。うちの父さんがまた、純血パワードらしいもやし体型なものだから、余計に感心しちゃうんだよね。比較で置かれた10円玉ポジションの父さんが可哀想になる。
「ほんと。モデルさんみたい! 3人とも着やせするタイプなんだね」
「どうやってその筋肉つけたの? ジム的な? 余計な肉が沢山あって羨ましー」
サヤとマホも目を丸くしながら口々に褒めた。
入澤くんは「褒められてるのに、なんでこんなしょっぱい気持ちになるんだろ」としょんぼり肩を落とす。ほんとなんで!? 余計な肉に常にあこがれ続けてる私達ですが!?
その後、彼らも私達の水着姿も褒め返してくれたけど、多分お世辞だと思う。
私もサヤもマホも、ささやかな胸でかろうじて性別が分かる棒人間みたいな体型だからね。リーズンズの女子高生たちのような、ピチピチむっちりな色っぽい体つきには程遠い。
「こんな貧祖な体見せちゃって、ごめんね。骨ガラみたいでしょ。自分でも水着着ると、鏡見る度ギョっとするんだよ」
早足で波打ち際へと向かいながら、ハルキくんに謝る。
「いや、全然。むしろ、その……すごく可愛いよ。上手く言えないけど、人間離れした感じで」
ハルキくんは全くこちらを見ないまま、ボソボソした声で言った。
フォローだと思いたいけど、人間離れ!? 思わず眉間に皺が寄ってしまう。
「うんうん。日に焼けてないから真っ白だし、華奢だし、妖精みたいだよね」
入澤くんがニコニコしながら補足してくれなかったら、それこそ人間離れしたパワーを見せつけるところだった。
それによくよく観察してみれば、ハルキくんは単に照れているだけだということが分かる。
『ほんとかわいい』『まずい。だめだ、考えるな』そんな表層思念が漂ってきて、私はすっかり機嫌を治した。
砂浜はサラサラとしていてゴミもなく綺麗だったけど、ものすごく熱かった。更衣室で履きかえたビーチサンダルの隙間から入ってくる焼けた砂に涙目になりながら、ざくざく進んでいく。
とにかく早く海に入りたい。魚介類系の生臭ささは気になるけど、この際、贅沢は言っていられない。
「この辺にしようか」
荷物運び担当の父さんが立ち止まり、海の家で借りた大きなパラソルをグッと地面に突き刺した。
ハルキくん達はパラソルを広げ、その下にレジャーシートを敷き、クーラーボックスで端を押さえる。
あ~、この手順、テレビで見たことあるやつ!
「お昼になったら呼ぶから、好きに遊んできていいよ」
「え、でも父さんは?」
「ここでのんびりしてる。貴重品もあるし、荷物番がいた方がいいと思って着いてきたんだ。皆は気にせず楽しんでおいで」
「それは流石に悪いですよ。交代制にしませんか?」
ハルキくんが遠慮して、別の提案をする。
そうだよね。父さんも海は初めてって言ってたし、荷物番だけなのはあんまりだ。それに父さんだって、純血パワード。待ってる間に暑さで機能停止するかもしれないし。
「いやいや。ほんと気にしないで!」
父さんはきっぱり言うと、パーカーのポケットからサングラスを取り出し、手際よく装着した。更には大きなバッグの中からクッションと小型の携帯扇風機を取り出す。
やけに大きな荷物だと思ってたら、そんなの入れてたの!?
パラソルの下がちょっとしたリビング状態に早変わりする。父さんはいそいそと、テーブル代わりの折り畳み椅子の上に、よく冷えた飲み物とスナック菓子を並べていった。
「準備、すごいっすね」
さすがの入澤くんもビックリしてる。父さん……めちゃくちゃシミュレーションしたんだね。
クッションの上にごろりと横になった父さんは、端末をたちあげ小型のイヤホンを耳にかけた。くっ! この人、BGMまで完備してるよ! 浜辺を満喫する気満々じゃん!
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「いこっか」
放っておいて大丈夫だと判断したみたいで、皆はパーカーとビーサンを脱ぎ、波打ち際に向かっていく。海の中へ真っ先に駆けこんでいったのは、マホだった。
「冷たーい! きもちいい! あと、しょっぱい!」
思いっきり波をかぶってびしょ濡れになったマホが、ケラケラ笑う。
「聞くの忘れてたけど、皆泳げるの?」
入澤くんの声に、私とサヤは頷いた。
「ジュニア時代に、プールでの救助訓練は済ませたよ。人工の波でだけど、台風時のシミュレーションもあったよね?」
「そうね。海難事故へ駆り出される場合に備えて、一通りはやってるから大丈夫。理由は不明だけど、基本的にパワードで泳げない子はいないし」
「あ、それ聞いたことある。本当だったんだね」
そうなんです! 全般的に落ちこぼれだった私でさえ、水泳訓練は難なくこなせた。
目を丸くした入澤くんにピースサインを掲げ、私も海へと足を踏み入れる。
波が動く度、足下の砂まで動いてモゾモゾした。慣れない感覚に足指を丸めながら、ずんずん進んでいくと、膝までしかなかった海面が急に深くなる。
足がつかなくなったところで、腕を動かし、水を蹴った。唇につく水がしょっぱいのと、海中で舞い上がる砂で体がザラつくこと以外は学校のプールと同じだ。
「はぁ~。ほんと気持ちいい! 野外での水遊びって、最高だね!」
しばらく泳いだ後、濡れた髪をかきあげ皆を振り返る。
「分かる。室内プールだと、上見ても天井しか見えなかったもんね。……青い空に白い雲。青春って感じするー!」
珍しくハイテンションな感想を口にしたマホが、ゴーグルを下ろしてざぶんと体を沈めた。素潜りか! いいね!
私とサヤも早速マホに続く。潜ってすぐは濁って見えた視界が、深く潜るにつれて透明度を増す。
海の底にも、当たり前だけど砂浜があった。落ちてる貝を拾っては、海面にあがり、拾った貝を見せ合いっこする。
「見て、これピンクで可愛くない?」
「ほんとだ。ちょっと端っこが欠けてるの、勿体ない」
「そうなんだよ。今度は完全なヤツ探す!」
「私はシマシマの貝を探そっと」
私達3人がキャッキャしているところのすぐ傍で、男性陣も遊んでいた。
入澤くんと御坂くんは、ビーチボールを打ち合って盛り上がっている。ハルキくんはというと、大きな浮き輪の外側に腕ごともたれ、眩しそうにこちらを見ていた。
「一緒にもぐろうよ!」
大きく手を振って、誘ってみる。ハルキくんは少し恥ずかしそうな顔で「そんなに長く潜れない」と返してきた。
「一緒に泳いできたら?」
隣にぷかりと浮かんだサヤが、ニヤニヤしながら私の脇をつつく。
マホまでがしっしっ! と私を追い払う真似をして笑った。
「そっか! 恋人同士だもんね!」
素潜りして貝殻拾ってる場合じゃなかった。
急いでハルキくんのところへ泳いでいき、「一緒に遊ぼう」と誘ってみる。ハルキくんは、それは嬉しそうに頷いた。久しぶりにパタパタ揺れる尻尾の幻覚が見える。
ハルキくんが捕まっていた浮き輪の中へもぐり、腕と足を外に投げ出した。
TVドラマの中にこんなシーンがあったんだよね。泳げない彼女を浮き輪に乗せて、彼氏が運んでた。逆の方が絶対効率いいと思ったけど、それが様式美というものらしい。
「テレビで見たのか?」
ハルキくんが笑いながら聞いてくる。
「うん。恋人同士ってこういうことするんでしょ?」
「一般人の真似をする必要はないよ。アセビが楽しいことをしよう」
彼が本気でそう思っていることに気づき、嬉しくなった。ありのままで私でいいと、事ある毎にハルキくんは伝えてくれる。
「じゃあ、これはいらない!」
浮き輪を思いっきり浜辺に投げる。パワーを少し乗せた浮き輪は大きく空を切り、寝そべってかき氷を食べている父さんの首にかかった。
輪投げ成功! 父さんは飛んでくるパワーを察知してたみたい。驚きもせず、呆れ顔で浮き輪を外した。
「こら!」
「誰も見てなかったよ」
「そういう問題じゃない!」
とりあえず怒ってるけど、本気じゃない。そんな甘さを含んだ声と顔で、ハルキくんが私を捕まえようとする。私はするりと身をよじらせ、滑るように泳いで逃げた。
「お説教なんか聞かないもんねーだ。言うこと聞かせたいなら、捕まえてごらんなさーい!」
「言ったな?」
ハルキくんは、きらーんと目を輝かせた。直後、力強く水をかき始め、一気に距離を詰めてくる。
私ははしゃぎながら、ぐるぐる逃げた。最初は余裕だったんだけど、そのうち体力面でハルキくんに軍配があがり、とうとう掴まってしまう。
「これで逃げられないだろ」
ハルキくんは息を切らせながらそう言って、私をぎゅうぎゅうに抱き締めた。
体に感じる圧は心地よく、美味しいものをお腹いっぱい食べた時みたいな幸福感が押し寄せてくる。わあ、これすごく好き!
私も遠慮なく彼の硬い体を抱き締め返す。隙間なく彼と密着できて、嬉しい。もっとその感覚を味わいたいと思ったのに、ハルキくんはゆでだこみたいに真っ赤になって腰を引いた。
「自制スキルが上がったのは分かったから、人前で気軽にパワーを使わないこと。はい、説教終わり」
「え~。もっと! 物足りない!」
「終わりったら、終わりだ!」
今度は私がハルキくんを追いかけ回す番だった。必死に逃げるハルキくんを全力で追いかける。
「なにやってんの、あの人達。典型的なバカっぷる過ぎて、見てられないんだけど」
「楽しそうで何よりです。ほっときましょう」
入澤くんと御坂くんが私達を見てそんな会話を交わしてたことを知ったのは、お昼休憩の時。
ハルキくんはタオルに顔を埋めていた。
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