第12話 鈴森サヤは訝しがる

 今日最後の授業は実習だった。

『体育館に集合』と大きく書かれた黒板を見て、しぶしぶ腰を上げる。みんなの前で無能を披露する実習は、毎回気が重い……。机の横にかけていたサブバッグを手に取ったところで、こちらを見ていた柊ハルキと目が合った。

 転入生組は見学だから、制服のままでいいはず。


「着替えなきゃだから、先行っといて」

「分かった。……多比良」

「はいはい、頼まれましたー」


 いつのまにか傍に来ていたマホが棒読み口調で答える。柊ハルキは頷くと、御坂くんと入澤くんを従え教室を出て行った。

 昼休みにあんな話を聞いてしまったせいで、若干気まずい。

 そうか。あの人が未来の恋人か……。

 今までの彼の言動に説明はつくけど、はいそうですか、でいきなり私も好きになれるものじゃない。それでも気持ちの目盛は、無関心から好意へと確実に進んだ。

 悪い人じゃないし良い匂いするし、条件的にもったいないくらいだし、ありといえばあり?


「マホはどう思う?」

「何が。もう読めないんだから、ちゃんと口で言ってよ」

「あ、そっか」

「まあ、大体分かるけど。柊ハルキのことでしょ。あれだけ食堂でいちゃついてたら、嫌でも分かるわ」


 マホは呆れ顔で肩をすくめる。


「い、いちゃ……!? そんなことしてないよ!」

「内緒話して、2人で照れちゃって。どこからどう見ても出来てる感じだったよ。まあ、いいんじゃない?」


 淡々としたマホの口調にひっかかりを覚えた。


 実習は全クラス合同で行われる為、更衣室はぎゅうぎゅうだった。全く人目を気にせず豪快に脱いでいく女の子たちの間を縫って、空いてるロッカーに辿り着く。見られて恥ずかしい感覚を持ち合わせていない純血パワードばかりの学園では、これも日常の風景だ。体育館での実習の際に着用を義務付けられているセントラル製のジャージに着替え、ロッカーに電子錠をかけた後、同じくジャージ姿で髪をポニテに結んでいるマホの顔を覗きこむ。


「柊ハルキはだから、反対しないの?」


 サードパワードという言葉を慎重に避け、マホの真意を問う。アンチリーズンズであるマホが、柊ハルキの言葉に素直に従うこと自体、不思議で仕方なかった。


「それもあるし――」


 マホは結んでなお長い髪の先を、ジャージの首の後ろから取り出し、軽く頭を振った。それから私の肩を掴んで回れ右をさせる。手に持ったブラシとヘアゴムで、ふわふわとまとまりのない髪を一つに結んでくれるつもりらしい。母さんがまだ生きてた頃、こうやって髪をとかしてくれた事を不意に思い出した。

 母さんが死んだ直後は父さんも抜け殻みたいで、私の着る服や髪はいい加減なものだった。子どもなりに何とかしようと悪戦苦闘してた私を助けてくれたのは、マホとマホのお母さんだ。

 髪を梳くマホの手はどこまでも優しくて、ホッと心が緩む。


「見えちゃったんだ。昨日あんたにアレした時、柊くんがサポートしてくれたの。あんたのことすごく心配してたからだと思うけど、二人の過去が断片的に流れてきた。あんなの見たらさ、もう何も言えないよ。今度は上手くいけばいいな、ってそれだけだよ。――それなのにあんたは」


 マホは声を低め、必要以上に力を込めてゴムを私の纏め髪に巻きつけ始めた。


「『やだ~婚活出遅れちゃう~きゃは』とか、まじふざけんなって感じ。なにいい女気取ってんの。自分の男をあそこまで追い詰めといて、よく気持ち踏みにじれるよね」

「いたっ……いたいよ~」


 さっきのやっぱ嘘! マホは全然優しくない!


「痛くしてますが何か?」

「そんなイラつく言い方してないし、知らなかったんだから仕方ないと思います」

「正論かもしれないけど、腹立つから却下」


 すげなくあしらわれ、「ほら、早く行くよ」と肩を押される。マホはすっかり柊ハルキ贔屓になってしまったようだ。基本人嫌いなマホにここまで言わせる彼はすごい。っていうか、未来の私よ。一体何をやらかした?


 更衣室を出ようとしたところで、数人の女の子に行く手を阻まれた。私とマホが楽しそうにしていたのを見て、ムカついたのかもしれない。彼女達は最初から喧嘩腰だった。


「あのさ。柊くん達にチヤホヤされて勘違いしてるみたいだけど、あんまり調子に乗らないでね。身の程弁えて行動して」

「そうそう。どんだけ親がすごくても本人が能力使えないんじゃ、ただの寄生虫だから。パワードの面汚しって自覚ある?」


 私は拳を握り込み、俯いた。

 何を言われても仕方ない。彼女達の言ってることは全部本当のことだった。

 私は純血パワードというだけで、何不自由ない暮らしを保障されている。このまま能力を開花出来ず、誰の役にも立てないまま終われば、税金泥棒の寄生虫だ。


「ああ!? 誰に喧嘩売ってんのか分かって言ってんの? パワードの面汚しはどっちか、証明してやろうか?」


 マホは眦をつり上げ、彼女たちに向かって凄んだ。

 ものすごく柄が悪いし、マホはやるといったらやる女だ。彼女はテレパスを応用した精神撹拌をもっとも得意としている。マホが本気を出せば、自殺に見せかけた殺人だって出来てしまうだろう。そんなマホの介入に、女の子たちはそそくさとその場を逃げ出した。

 更衣室に残ったのは、鈴森サヤ一人。逃げ出した女生徒たちからは離れた場所に、彼女はポツンと立っていた。


「あんたもこの子に因縁つけたいの?」


 マホは腕を組み、顎を反らして挑発した。


「いいえ。全員出てくれないと鍵がかけられないから、待っていただけよ」


 クラス委員長でもあり、一年生をまとめる学年長でもある鈴森サヤはそう言うと右手を掲げ、手の中にあるダブルロックキーを見せた。特定のサイコキネシスに感応して鍵がかかる、これもセントラルの特別製だ。

 移動教室の時は、学年長が自分のパワーを使って専用の鍵をかけることになっている。貴重品は生徒の私物ではなく、セントラルの制服。売買は禁止されているのに、オークションで盗品が取引されそうになった過去があるらしい。


「ふうん、そう。待たせてごめんね。……いこ、アセビ」


 マホに腕をとられ、出口をまたぐ。瞬間、鈴森サヤはすぐ前にいた。能力を使って私たちの前に回り込んだのだ。


「どういうつもり?」


 私は思わず非難めいた声をあげた。彼女の行動理由が分からず、眉間に皺が寄る。

 学園での能力行使は全てバングルに記録されるし、教師たちに通報されること、鈴森サヤが知らないはずがない。テレポーテーションは扱いが難しい為、実習以外での行使は禁止されているはず。

 ところが、鈴森サヤのバングルはぴくりとも光らず、先生達が駆けつけてくる気配もなかった。


「……なんで?」

「学年長には校内をパトロールする特権が与えられてるの。反逆者を摘発し、場合によっては拘束できる。だからこれは、警告。能力者同士の私闘は厳禁だよ、多比良さん」


 鈴森サヤは無表情のまま、マホに釘をさした。ここで素直に頷くマホではない。マホは目つきを鋭く尖らせ、腰に手をあてる。


「なんで私? 先に喧嘩売ってきたのはあっちじゃん」

「流せば済むことだと思うけど。……神野さんも、それだけすごいシールドを張れるのなら、他のことだって本当は出来るんじゃないの?」


 鈴森サヤは軽い溜息をひとつつき、私達を押しのけるようにして扉の前に立った。両足を軽く開くと、ダブルロックキーを宙に投げる。ふわりと空を舞い落ちてきたそれに、鈴森サヤは両手を重ねて力を照射した。


 ガツンッ!!

 扉が大きく揺れ、すぐに鎮まる。

 更衣室の扉の上に、赤い刻印がじわりと浮かびあがった。ダブルロックキーが溶けて、扉全体を封印した証拠だ。これを解けるのはかけた本人か、ロックキーの所有者だけ。鮮やかな能力発動に、思わず口が開いてしまう。


「行きましょう。実習、始まってしまうわよ」


 首のラインで綺麗に切りそろえられた黒髪がさらりと揺れる。切れ長の一重瞼の下から覗く瞳は、純血らしからぬ理知的な光を湛えている。同性の私から見ても、鈴森サヤはずばぬけて魅力的な能力者だった。


 体育館に到着してすぐ、私を見つけて歩み寄ってきた柊ハルキの腕をつかみ、皆から離れたところに連れていく。入澤くんは冷やかすように口笛を吹いた。


「鈴森サヤって、分かる?」

「ああ。委員長だろう?」

「あの子も、いた?」


 どうしても気になって、聞かずにはいられなかった。未来の鈴森サヤがどうなったのか、知りたくてたまらなかった。長い睫を瞬かせた柊ハルキは、しばらく考え込んだ後、首を振る。


「記憶にないな」

「あれだけの能力者なのに、全く? 苗字が変わっていて分からないとか、ない?」

「少し待ってくれ。シュウに調べてもらう。――彼女に何か言われたのか?」

「ううん。ただ……気になるだけ」


 なんじゃそりゃ、とは笑わず、柊ハルキは「分かった。教えてくれてありがとう」と真面目な顔で言った。

 

 その日の実習は、テレポーテーションだった。

 まずは物体を移動させる練習から始まる。一人ずつ配られたキューブ状の実験スポンジを、100メートル離れた先の籠の中に移動させろと言われる。

 順番を待つ鈴森サヤに、どうしても視線がいく。彼女は自分の番がくると、左手の上に乗せた黄色いキューブ型のスポンジを見つめた。

 あっという間に姿を消したスポンジは、次の瞬間には籠の中にあった。籠に繋がっている小型の電光掲示板が「+1」と数字を点灯させる。


「手をかざさなくてもいけるってすごくね?」

「はぁ~。ほんとかっけー」


 純血パワードの男子たちはうっとりと鈴森サヤを見つめている。転校生組の反応が気になり、斜め後ろを振り返ってみた。


 入澤くんは退屈そうに壁にもたれかかり、足でリズムを取っている。携帯オーディオプレイヤーで音楽を聴いてるっぽい。私物の持ち込みは厳禁なのに、特別に許可されたのかな。羨ましい。

 御坂くんと柊ハルキは、何事かを囁き合いながら鈴森サヤを見ている。御坂くんは冷静な態度を崩していないけど、柊ハルキはどこか興奮しているようだった。自分の番を終えた鈴森サヤが後ろに回るのを、キラキラした瞳で追っている。


 ……なんなの。


 奇妙な靄が胸にぷかりと浮かび、みるみるうちに広がっていった。心臓の周りがもやもやして、みぞおちあたりも曇って重い。


 ……これ、一体なんなの!?


 苛々しながら視線を前に戻し、自分の番を待つ。マホは実行系の能力行使が苦手だ。サイコキネシスは人並みに使えるけど、テレポートはまた勝手が違うんだろう。スポンジはほとんどその場から動かなかった。そういう子は他にもいたけど、笑われたりはしない。実行系の能力を発動させられない子は皆、精神系の実習でトップレベルの成果をあげているから。


「はい、次。神野アセビ」


 呼ばれて前に出る。

 左手に乗せたキューブに、全神経を集中させて右手をかざした。

 お願い! 籠に入って!

 懸命な祈りが通じたのか、キューブは消えた。ところが、電光掲示板の数字は全く変わらない。あ、あれ? どこ行った?


「おいおい。どこまで飛ばしたんだ~」


 テレポート実習を受け持つミックスパワードの先生が、大げさに辺りを見回す。皆はどっと笑い出した。


「消せただけでマシじゃん?」

「言えてる~。前の実習の時は、50センチ先にテレポートさせたんだっけ?」

「あれ、手で投げたのかと思った」


 好き勝手な囁き声に身を縮める。……はぁ。また失敗だよ。

 とぼとぼと後ろに回ると、鈴森サヤが近寄ってきた。


「私に怒ってるの?」

「え?」


 鈴森サヤは、握り込んでいた右手を開いて私に見せた。ふわふわとした黄色い粉が、一斉に空に浮かび、霧のように消えていく。


「……なに今の」

「あなたがやったんでしょう?」


 実習で使われるスポンジは、対訓練用として開発された特別合成樹脂で出来ている。たしか、発火にも軽い爆発にも耐えられるというキャッチコピーだったはず。


「まさか。違うよ!」


 それを粒子レベルまで分解し、粉々にした上で鈴森サヤの手に握らせるなんて芸当、私に出来るわけがない。


「それに、それだけの力を使ったのなら、バングルが反応するはず。でしょ?」


 実習で求められる以上の能力を発動させようとした時点で、バングルは警告を発する。だからマホはあの時、バングルを外して私にプロテクトをかけたのだ。


「それは、確かに」


 頷いた鈴森サヤは、それでも納得がいかないように目を細め、いつまでも自分の右手を眺めていた

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