第29話 彼女と彼待つ王都

 スゥーリのはなは しろいはな

 あきのおわりに はなひらく


 王都の夜に、か細い少女の声が響く。歌うたびに白い息が暗闇を彩る。


 日中は賑やかな王都の通りも、今は人気がない。ぺたぺたと、擦り切れて裸足同然の靴音を響かせながら、少女は先を急ぐ。時折吹く鋭い風は簡単に体温を奪い去る。少女は首をすくませ、かじんだ手で襤褸ぼろを引き寄せた。


 角を曲がり、入り組んだ路地に足を踏み入れる。深夜を告げる王都の鐘が鳴り響く。幾つも分岐する道の奥の暗闇には何かが潜んでいそうで、少女は極力前だけ向いて歩を進める。銀の月だけが屋根と屋根の隙間から冷めざめとした光をふりまく。


 スゥーリのはなは いやしのはな

 いとしのきみを よびさまさん


 必死で彼女は口を動かした。優しい母が口ずさんでくれた歌。彼女の故郷の歌なのだという。出稼ぎで王都に出てきた母は、故郷を懐かしんでこの歌を歌っていた。少女も、この歌は好きだった。それはけれど、故郷が懐かしいからではない。王都で生まれ育った少女は故郷を知らない。


 歌が好きなのは、母を思い出すからだ。優しい母を。

 そしてその母は、今朝死んでしまった。無理がたたったのだろう、と周囲の大人は同情の視線を向けながら言った。医師に診せることなどできなかった。当然だ。少女と母親が身を粉にして働いたところで、その日に暮らすだけのお金を手に入れるので精一杯だったのだから。

 少女の胸がじくりと痛んだ。


 不公平だ、と思う。

 少女は日中、商人の屋敷の召使として働いている。だからこそ思わずにはいられなかった。商人や貴族の艶やかな生活。夜ごと催される夜会の数々。その十分の一でも、少女のような貧しい者に分け与えられていれば、彼女の母は死ななくてもよかったかもしれない。

 富める者に、少女のような貧しいものを労わる気持ちさえあれば……例えばそう。


 あの夜会の時に、性質の悪い商人から少女を助けてくれた、銀の髪の女性のような。


「……っ」


 目を潤ませながら、まろぶように足を進める。そうするうちに目的の場所にたどり着く。

 家々はどこも暗闇に沈んでいる。その中で、ぽつりと軒先に燈籠ランタンが吊るされた建物がある。扉には、スイラ薬局と書かれた木板が無造作に吊るされていた。

 鼻をすすり、少女は戸を叩いた。


「……ごめんください」


 一拍して、戸が開いた。橙色の眩しい灯りが部屋の内側から溢れて、少女は目を細める。


「なんだ。こんな夜更けに」


 頭上から降ってきた若い男の声に、少女はそろりと顔を上げる。


「あ、あの……ここ、、ですよね……」


 男は顔をしかめる。小さく舌打ちして、少女を無理やり家に引きずり込んだ。驚く少女を他所に、扉が背後で閉められる。


 小さな部屋だった。壁の至る所に棚が取りつけられていて、雑然と小瓶が置かれている。床のあちこちに木箱が置かれていた。薄汚れた身なりの男たちが数人いて、思い思いに椅子や箱に腰かけている。

 警戒するような視線が、一斉に少女に突き刺さった。


「その名前を知ってるってこたぁ、関係者か」


 少女を部屋の中に引きずり込んだ若い男が詰問する。目の下には黒々とした隈ができている。その声音はとげとげしく、少女は震える手で服の裾を握った。


「あ、あの、母がここで働いてて」

「母? 何て名前だ?」

「ライラ……です」

「あぁ」


 部屋の奥にいた、別の男がだみ声を上げた。若い男が、知ってるのか、と男の方を見やると、だみ声の男が何度も頷く。


「知ってる知ってる。花の蜜の抽出と精製を担当してた奴だ。ここ一か月姿を見てなかったが……なんだ、死んだのか」


 天気を尋ねるかのような気軽さで訊かれて、少女はくらくらと眩暈がした。なんとか一つうなずくと、男たちが顔を見あわせる。


「おいおい……今年に入って何人目だ……」

「純度が高ければ高いほど、毒になるんだ。こうなることは分かってたじゃあないか」

「どうするんだ。ただでさえ、納品数を増やせって言われてて……」


 ひそひそと部屋を満たす暗い声。そのどれも、母の死を悼むものではない。やりきれない気持ちになって、少女は唇を噛む。その時だ。


「……なんにせよ、だ」


 静かな声と共に、肩に手を置かれた。

 恐る恐る顔を上げれば、若い男が少女を見下ろしている。顔が影になっているせいだろうか。その瞳はひどく暗い色を宿していて、恐ろしい。


「……工房の名前を出したということは、ここで働く意思がある、ということだな?」

「っ……そう、です……」

「ここで何をしているのか、お前は知っているのか」

「詳しくは……でも、水の国の民だけが就ける仕事だ、って……給金はどこよりもいい、って、母が言ってたので……」

「このことを他言してないだろうな?」


 少女は首を横に振った。若い男が一つ頷く。


「決まりだ」


 そう言った男は、少女の背を押して歩き始めた。他の男たちが憐れむような視線を少女に向ける。


「おいおい、こんなチビにまで仕事をさせるっていうのかい?」

「空いた穴は埋めるべきだろう」

「だがなぁ……」

「渋るということは、他に良い案があるんだろうな?」


 若い男の苦り切った言葉に、返事はない。若い男は鼻を鳴らした。少女をいざないながら、淡々と口を動かす。


「俺の名前は、ライだ。ライ・ティルダ……ディール村の出身で、ここの工房を取り仕切ってる」

「ディール村……?」

「ここから北にある、元水の国の村のことだ。知らないか?」

「……しらない。私、ここで生まれたから」

「あぁ、最近多いよな。そういう奴……お前、名前は?」

「リン」

「そうか。その名前を皆が覚えてられるくらい、長くここで働ければいいな」


 二人は部屋の奥で立ち止まった。子供が一人入りそうなくらい大きな木箱が置かれている。蓋は開いていた。


 中に溢れんばかりに入っていたのは、小さな白い花。


 それは、少女……リンにとって、ひどく馴染みのある花で。

 けれど、どうしてこの花がここに。そうリンが尋ねる前に、ライと名乗った若い男は、足で無造作に木箱をどけた。白い花が箱からこぼれて床に散る。

 その床に、真四角の切れ込みがあった。だみ声の男が、渋々といった調子で切れ込みの隙間に手をいれた。切れ込みが外れる。少女は目を丸くする。


 地下だ。何人もの人の声がする。そうして鼻先をくすぐる、甘く苦い香り。

 母がいつも纏っていたのと同じ香りだ。けれどそれよりもっと濃密で、少女は眩暈を覚えて。

 けれどそんな彼女の様子を気に止める風もなく、ライは淡々と告げた。


 ようこそ、ルンドン工房へ、と。


*****


「いやあ、やってらんねぇよ!」


 ゲイリーは騒々しく音を立てながら、飲み終えたばかりのジョッキをテーブルに置いた。

 そうしたところで、誰が咎めるわけでもない。騒々しい王都の場末の酒場だ。老いも若きも、好き勝手に飲んで、騒いで、食べ散らかしている。まったく品がない。あの夜会とは大違いだ。勝手に見下しながら、ゲイリーは干し肉を指でつまみ上げ、口に押し込んだ。


「やってらんないって、ねぇ、お客さん。それを言いたいのはこっちの方だよ」


 カウンター越しに、店主が嘆息をつく。ゲイリーがねめつけるような視線を送るが、老いた店主は動じた風もなく肩をすくめた。


「あんた、ここ一週間、一度も金を払ってないじゃあないか」

「細けぇこと言ってるんじゃねぇや。男がすたるぜ?」

「あんたよりはマシだと思うがね」

「失礼な! 俺ぁ、天下一の吟遊詩人になる男だぞ?」

「はいはい、またその与太話か」

「与太話じゃねぇってば!」


 店主の呆れた視線に、ゲイリーは勢いよく立ち上がった。酔いも手伝って、顔を真っ赤にしながらまくしたてる。


「あのなぁ、俺は銀の騎士サマや王太子にも覚えがめでたいわけ! しかも! しかもだぞ!? この前の……爆発騒ぎがあった夜会があっただろ! あの事件で、俺はなんと、」

「じゃあなんでそんな大そうな人物が、こんな酒場で飲んだくれてるってんだ?」

「そりゃあ……その……夜会ではぐれちまったっていうか……」


 ゲイリーが口ごもると、店主は馬鹿にしたように笑った。


「嘘を吐くにしても、もっとましな嘘を吐くんだな。吟遊詩人だっていうなら、なおさら」


 そうとだけ言いおいて、店主は他の客に呼ばれて去っていった。

 ゲイリーは苦々しく息をついて、乱暴に椅子に座る。腹立たしい気持ちのまま、ジョッキに手を伸ばす。けれどそれが空であったことに気づいて、散々店主に悪態をついて。


「やってらんねぇ……」


 再び嘆息をこぼして、カウンターに突っ伏した。

 深夜を告げる鐘の音が遠く聞こえる。 


 どうしてこうなってしまったのか。

 フェンと共に夜会に行くまではよかったのだ。彼女のおかげで、十分に注目は集められた。おまけに、アッシュに脅されたからとはいえ、夜会中に歌を歌えたのもよかった。間違いなく、あの瞬間までは、ゲイリーは商人や貴族の目を引きつけていて、顔を売れていたはずだった。


 ところがだ……突然の爆発。そのあとのボヤ騒ぎ。そして場を収めるために王城から派遣されたという第一王太子率いる騎士団。混乱のまま幕を閉じた夜会のせいで、ゲイリーは貴族たちから声をかけられる機会を失った。その上、フェンとアッシュとも合流することができなかった。


 結果、華々しい出世街道を歩むかと思われたゲイリー・ルードマンは、哀れ庶民に逆戻り。

 芝居がかっていうなら、そんなところだろうが。


「あー……金欲しい……」


 およそ吟遊詩人らしからぬ言葉を、ゲイリーは遠い目で呟く。そんな彼に近づく物好きは勿論いない。


 はずだった。


「隣、良いかな」


 突然、声がかかる。

 もしかして、夜のお誘いか……! 酔った頭で、かけられた声音を女のものだと勘違いしたゲイリーは、ぱっと顔を輝かせて、振り返って。

 次の瞬間、落胆した。


「……なんだ……男かよ……」


 フード姿の男が二人。ゲイリーのあからさまな態度に、老いた男が顔をしかめる。


「失礼な奴よ……これだから火の国の人間は……」

「ああん? 文句があるなら、どっかに行けってんだ」


 ゲイリーと老いた男が睨みあう。その時だ。


「落ち着いてくれ、爺……アランの仇をとるんだろう?」


 二人の間に、別のフードの男が割って入った。壮年の男だ。顔には火傷の跡。

 ゲイリーの方を見て、すまなさそうに頭を下げる。


「……許してくれ。この人、ダリル村を出て、王都に来るのが初めてで。俺たち、あんたに訊きたいことがあってきたんだ」

「訊きたいこと、だぁ? あのなぁ、見ず知らずのあんたらに、何を話すことなんか」


 壮年の男が、すり切れた袋を、カウンターの方へ投げてよこした。硬貨の音が鳴る。ゲイリーは揉み手で、椅子に腰かける。


「よっしゃ。何を訊きたいってんだ?」


 老いた男が呆れたように天を振り仰いだ。それを無視して、壮年の男がゲイリーの隣に腰かける。


「さっき言ってたな。銀の騎士と王太子と顔見知りだって」

「あんた、良い耳してるな。そうさ、その通り」

「その二人について、出来る限りの情報がほしい」

「ふふん、あんたは運がいい……とっておきの情報を知ってるぜ?」


 壮年の男が身を乗り出す。

 ゲイリーは悪い気がしなかった。何から話してやろうか。何から話せば、目の前の男たちの興味を鷲掴みにできるだろうか。酔った頭で、面白い話の種を素早く挙げて、考えを巡らせて。


 一つ、思い当たるものがあった。同時に、ちらりとアッシュの言葉が蘇る。このことは、他言無用だ。そう言った時の、彼の視線の鋭さはしかし、今のゲイリーにはちっとも怖くない。


 金を払わなかったあいつが悪い。当然のように結論づけて、ゲイリーは意気揚々と……けれど思わせぶりに声を潜めて口火を切った。


「お前ら、知ってるか? 銀の騎士サマの正体を……」

「銀の騎士の、正体?」

「驚くなよ? 銀の騎士サマの正体は、水の力を操る巫女様だ」


 男たちが一様に目を見開いた。忙しなく目配せしあう。


「ま、待ってくれ……巫女様、というのは、あの……」


 老いた男が声を震わせる。ゲイリーはにやりと笑った。


「お察しの通り。水の国の王女様ってこった。さあさあ、どうして王女様が男に扮して火の国一番の騎士サマになってるのか……」


 奇妙なお話のはじまりはじまり……。

 そう言えば、男たちの集中がゲイリーに注がれる。それが心地よくて、ゲイリーは機嫌よく話をつづける。


 男たちが何故、自分の言葉に驚いたのか。その真意を知らないまま。


*****


 牢屋の中で男は悲鳴を上げた。暗闇に鮮血が舞う。格子がはめられた窓枠ごしに、銀の月が冷たい光を落としている。

 男は震える息を吐きながら、肩の付け根を押さえた。そこから先に腕はない。とどまることを知らない赤い血が溢れて床を濡らす。

 その様を鉄格子越しに見つめていた青年は、柳眉をしかめた。


「ねえ、いつまでこの茶番に付きあわなくちゃいないのかな」


 声音こそ穏やかだが、少しばかり苛立ちが滲み出ていた。それに、今しがた男の腕を切り落としたばかりの兵士が、素早く頭を下げる。


「申し訳ありません、早急に」

「ま、待て……待ってくれ!」


 再び剣が振り上げられる。男は痛みを押し殺し、必死で声を張り上げた。

 剣が止まる。青年は退屈そうに欠伸をする。その彼に向かって、男は懸命に語り掛ける。


「な、なにも俺を殺す必要はないだろう……! あんたにはまだ俺が必要なはずだ!」

「あのねぇ、さっきも言ったでしょう? 不審火の正体は、爆発で、その真犯人は君なんだ。国民を不安に陥れた張本人なんだよ? 君が死なないと、民は安心して暮らせないだろう?」

「犯人は俺じゃない!」


 男は激しく頭を振った。なりふり構ってられなかった。兵士が問うような視線を青年に送るが、青年は目だけでそれを制する。

 男は必死の思いで床を這い、青年に近づく。


「俺はあんたに言われて、流通の手助けをしてただけだ!」

「そう。それで?」

「第一、俺が死んで困るのはお前だろう……! 俺たちの伝手がなくなれば、お前はどうやってアレを運ぶ?」


 青年が思案するように目を光らせる。

 男は僅かに期待する。もしかすると、助かるかもしれない。そう思って、必死に青年の顔を見つめる。

 ややあってから、青年は口をゆっくりと開いた。


「なるほど。つまり君自身の価値は私の頼んだ積み荷を運ぶことにある、と」

「そうだ……言わせてもらうが、あの瓶は特殊だ。俺の商会の人間でないと運べない」

「うん、そうだねぇ……でもじゃあやっぱり、君はいらないね」

「……は?」


 男が思わず耳を疑うと、青年はにこりと微笑んだ。


「だってそれは、君の商会の人間が必要なだけであって、君自身が必要なわけじゃないよね」


 青年の明るい声とは裏腹に、兵士がゆっくりと男に近づく。


「ルルド商会の人間は、責任をもって面倒を見るから安心して」

「ま、待て……」

「実は流通の方もなんとかなりそうでね? 君ほど使いやすくはないけど、流通網ではこの国一番の大商会だから……心配しなくていいんじゃないかな」


 剣が掲げられる音が響く。絶望的な音に、男は顔を青ざめさせる。


「それにやっぱり、君が犯人だ……僕がそう決めたからね」


 剣を振り下ろす音。深夜を告げる鐘の音。そうして届いた、赤い目をした青年の声。


 それを最後に、男の意識はぶつりと途絶えた。

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