第三章 水神の巫女

第22話 彼女と村

 秋の森は極彩色だ。赤、黄、緑。明るい色から散る寸前の深く濃い色まで。昨晩まで降り続いた雨で濡れた木々の葉が、陽光に照らされて一層輝きを増す。

 緑の深い香りを吸い込みながら、フェンは静かに手綱を捌いていた。馬が歩くたびに、地面に散った葉を踏み抜く乾いた音がする。響く足音は二頭分。

 フェンは隣をちらりと見やった。アッシュは何も言わず、ただ黙って前を見つめて馬に揺られている。


 ――自分と一緒に、来てほしいところがある。フェンの願いに応じ、王城を出たのは昨日の朝早くだ。それからずっと、アッシュは何も言わない。何も言わないが、自分についてきてくれている。そのことだけがフェンにとっての救いだった。


 アッシュが何を考えているのか、横顔からは何もわからない。フェンは視線を外す。手元に目を落とす。緩やかに動く、自分の馬の毛並みを見つめる。


 自嘲しそうになった。自分の気持ちにさえ自信が持てないというのに、どうして彼の気持ちを推し量ることができるだろうか、と。


 駄目だ、弱気になっては。小さく頭を振って、不安を振り払った。フェンは前を向く。森の終わりはもうすぐそこだ。明るい陽射しに照らされた先に、小さな村の入り口が見える。


 彼女と彼の、小さな旅の目的地。


「ディール村にようこそ、殿下」


 努めて明るく、フェンはアッシュに笑いかけた。




「やあ、フェンじゃないか! 今年は来ないのかと思ったよ!」

「遅れてすまない! 騎士団での仕事が長引いてしまってね!」

「あらまぁ、騎士様じゃないの! 来て下さるなら、もっとちゃんとした服を着てきたのに!」

「こんにちは、ラル婦人! 貴女はそのままでも十分美しいから大丈夫ですよ!」


 馬から降りて村の中に入っていけば、通りのあちこちから活気に満ちた声がとんできた。フェンは一つ一つに丁寧に答え、時に片手を振って応じる。アッシュは呆れたようにフェンの方を見やった。


「大層な歓迎ぶりだな」

「ちょくちょく顔出してますからね。手伝いをしに」

「手伝い?」

「冬は雪かき、春は種まき、夏は水を引くための堀を作って」


 指折りしながら数え上げていたフェンは、アッシュの方を見て、小さく笑った。


「……で、今日は収穫の手伝い、ですね」

「待て」


 アッシュが怪訝な顔をする。察しの良い彼が何かを言う前に、フェンは声を張り上げた。


「みなさーん、今年は収穫手伝うの、僕だけじゃないですよー!」


 フェンの言葉に、村人の視線が一斉にアッシュの方に向けられた。彼の顔が引きつる。フェンの方を睨みつける。その視線をあえて無視して、フェンは馬から飛び降り、大仰な身振りで人々にアッシュを示して見せた。


「紹介します。僕の所属する騎士団の友人、グレイ君です」


 偽名を口にし、フェンはにこりと村人たちに微笑みかける。


 ディール村は良い意味で田舎の村だ。水の国の北に存在し、実りも少ないこの地域一帯は、先の戦争でも火の国から攻め込まれていない。普段、余所者が訪れることもない。それもあって、ディール村では、ある常識が存在しない。


 赤は王族を示す、という火の国での常識が。だからこそ、フェンはあえて、アッシュに髪や目を隠すように言わなかった。


 村人たちはフェンの紹介に、改めてアッシュの方をじろじろと見ている。フェンは少しばかり緊張した。やはり、そうは上手くいかないか。僅かな不安が胸の内をよぎる。が。


「良い体つきしてるじゃないか。流石、騎士団勤めは違うな!」

「丁度いい、収穫物を運ぶのに男手が足りなくて困ってたんだ」


 最初に声を上げたのは男たちだった。アッシュの体を無遠慮に触ろうとする。流石にそれはまずいのでは、と慌てたフェンの服のすそが、思い切り引っ張られた。驚いて見やると、女性陣が目を輝かせている。


「良い仕事してるわ! フェン!」

「グレイさん、すっごくイケメンじゃない! この辺の芋っぽい男の人と大違い!」

「ちょっと、あとでこっそり紹介してちょうだいよ」

「あっ、なに抜け駆けしようとしてるの! ずるい!」


 フェンは小さく噴き出した。よかった、ばれていないらしい。少しばかりほっとしつつ、再びアッシュの方に目をやった。目があう。彼は相変わらずフェンの方を睨みつけている。面倒なことをしてくれた、と言わんばかりに。それに肩をすくめて、フェンは視線でアッシュを促す。


 アッシュが小さく呻いた。けれど結局、ため息をついて重い口を開く。


「……グレイだ。よろしく頼む」


 周囲が一斉に盛り上がった。



 フェン達が馬を井戸端近くにつなげば、一息いれる間もなく仕事が舞い込んできた。

 収穫の時期はとかく人手が足りないのだ。フェンは毎年と同じように、小麦の収穫に回る。アッシュは屈強な男たちに連れられ、収穫された作物を台車にのせて運ぶのを手伝っていた。ただ、それも最初の内だけだ。彼はあちこちから用事を言いつけられ、程なくしてフェンが作業をしている場所から姿が見えなくなった。遠くから響く男たちの声を聞く限り、アッシュは卒なくこなしているようだが。


「どうしたの、フェン兄ちゃん。そんなに嬉しそうな顔をして」


 隣で小麦を刈っていた少女に指摘されて、フェンは驚いて手を止めた。

 小麦畑の中である。金の穂が秋風に吹かれて柔らかくそよぐ。その中で、フェンは目を瞬かせた。


「え? そう、かな?」

「してるしてる。フェン兄ちゃんのそういう顔、久しぶりに見たかも」

「やっぱり、今日来てくれた友達のせいなのかしら」


 声がして、二人は立ち上がった。会話に加わってきたのは、年かさの女性だ。村長の妻、リズである。恰幅の良い彼女は、腕まくりをし、小麦色に焼けた肌をさらしている。その腕には摘み取られたばかりの小麦が抱えられていた。


「今まで友達なんて連れてきてくれなかったでしょう? 私、心配してたのよ。王城にはフェンが気を許せる友達がいないんじゃないか、って」

「そんな心配してくださってたんですか? それは申し訳ない……」

「ふふっ、真面目ねぇ。そう謝らなくてもいいんだから。でもグレイさんも素敵な方ね。騎士団の方だから、もっとお堅い方かと思っていたけれど」


 フェンの心臓がどきりとした。恐る恐るリズの方を見やる。


「あの……」

「なあに?」

「どう思われますか……? グレイのこと」

「どうって……」

 リズは首を傾げた。

「文句も言わず、よく手伝ってくださってると思うわよ?」

「あんまり喋んないけど、なんでも頼めば助けてくれる、って。さっきうちの兄ちゃんも言ってた」


 先ほどの少女がそう付け足す。そうなのか。フェンが我知らずに呟けば、少女は不思議そうにフェンの方を見上げた。


「なんでそんなこと聞くの? 友達なんでしょ?」

「それは……その、実は喧嘩してて」


 少し迷って、フェンは嘘をついた。曖昧に笑えば、少女が小さな眉を懸命にひそめる。


「喧嘩は、よくないよ?」

「うん、それは分かってるんだけど……」

「なんで喧嘩したの?」

「なんで、って……ええと、ちょっと考え方が違ったっていうか……」

「?? 考え方? 違う?」

「子供には難しいわよねぇ」


 近くの荷車に小麦を置いたリズは、くすくすと笑った。


「むう、子供じゃないもん!」


 少女が怒ったように頬を膨らませる。


「じゃあ、おばちゃんにはフェン兄ちゃんの悩みが分かるわけ!?」

「大人になれば、そりゃあね」


 リズはフェンの方に意味ありげな視線を送った。


「怒ってる時は、相手の嫌なところばかり見えてしまうものよ」

「……はい」

「特に相手が仲のいい友達や家族だったりするとね。親しかった分、裏切られたみたいな気持ちになるから、余計にカッカしちゃうわけ」


 でもねぇ、と言いながら、リズは小麦畑の方に目をやった。フェンもつられて視線を動かす。小麦が午後の日差しを浴びて、金色に輝く。決して広くはない畑は、今年の春にフェンが村人と協力して拓いたものだ。小麦の出来は決して良いものではない。けれど、村人たちが一冬を超す足しにはなる。


「完璧な人間なんていないのよ。完璧な小麦がないみたいにね。少し駄目なところがあっただけで捨てちゃったりしてたら、食べるものもなくなるでしょう」


 ね? とリズに微笑まれる。フェンは目を瞬かせた。

 作業をしていた村人が、おおい、と声を上げた。手伝いが必要らしい。それにリズが手を挙げて応じ、フェンと少女の背を押す。


「さぁ、休憩はおしまい。手伝いに行きましょう?」

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