第23話 彼と収穫祭
「完璧な人間はいない、か……」
あぜ道を一人歩いていたフェンは、ぽつりと呟いて空を見上げた。秋空は少しずつ日が傾き始めている。
収穫も一段落し、フェンはアッシュの元に向かう途中だった。後片付けはいいから、友達を迎えに行ってきなさい、というのがリズからの伝言である。
この村の人は優しい。アッシュを友達と称する、フェンの嘘をあっさり信じてしまうほど。余所者であるはずのアッシュを、あっさり受け入れてしまうほど。その率直さが、今は少しばかり羨ましかった。
自分も彼らのように、アッシュへ真っすぐな優しさを向けることができるだろうか。そうありたいと思う。そうできればいい……言い聞かせるように胸の内で呟く。
その時だった。
不意に、フェンの名が呼ばれる。前を見やったフェンは、目を瞬かせた。
自分と少し離れたところに、幾つか人影があった。青年が三人。フェンと同じように、収穫作業を終えた後なのだろう。あちこち汚れていて、その額には汗がにじんでいる。何故か、その顔は険しい。
笑顔なのは、その中央にいた年かさの男だけだ。彼は腕を大きく広げて、フェンに声をかける。
「やぁ、フェン。今年も帰ってきてくれて嬉しい限りだよ」
「副村長? どうしたんです?」
「どうしたもこうしたも、色々と話があってね」
「話、ですか?」
フェンはちらりと青年たちを見やった。彼らは何故か気まずそうに目を逸らす。それに言いようもない不安を感じつつ、フェンは再び副村長に目を向けた。
彼は相変わらず笑みを浮かべている。その瞳が一瞬だけ抜け目なく光る。
「そう、色々とな……例えば、畑のこととか。あんたが今年、我々にいくら払えるのか、とか」
フェンは眉をひそめた。自分がいくら村に払えるのか。その質問自体は、フェンにとって驚くことではない。彼女は毎年、騎士団で稼いだ給金を各地の村々へ渡していたからだ。少しでも村の役に立てればいい。そう思ってのことだったし、今回も幾ばくかの給金を持ってきている。
ただこれまで、そのことを直接聞かれたことは一度もなかった。まして、いくら払えるのか、だなんて。
「あぁ、今じゃなくていいんだ。腹も空いているだろう? 今日の祭りが終わる頃にでも、また声をかけるよ」
返事のないフェンにさして気を悪くするわけでもなく、副村長は肩をすくめた。
呼び止めて、すまなかったな。そうとだけ告げて、副村長たちはくるりと踵を返して歩き去る。
フェンの胸中に僅かに影がさした。言いようのない不安が。けれど。
「……やっと見つけたぞ、フェン・ヴィーズ……」
それを掴み切る前に、聞きなれた低い声が耳朶を打つ。振り返れば、アッシュがいた。朱い髪が秋風になびく。服のあちこちが汚れ、表情にもどこか疲れが見える。赤の目は、恨めし気にフェンを睨みつけていた。
この感じだと、村人に相当頼まれ事をされたに違いない。そう思って、そのことにほんの少しだけフェンはほっとして。
「どういうつもりだ、え?」
「どうって、言われましても」
漠然とした不安を胸中に押し隠し、フェンはにこりと微笑んだ。
*****
アッシュがフェンのことを捕まえられたのは、夕方になってからだった。村人たちは皆、良く言えば気のいい人間ばかりである。ただ悪く言えば遠慮がなさすぎた。行く先々で雑用を言いつけられる。何度、自分の身分を明かしてやろうと思ったことか。全て滞りなく終わらせられたのは、戦に出ていた頃に学んだ知識と、フェンに対する憤懣やるかたない気持ちのせいに他ならない。
日も暮れはじめ、収穫がようやく終わりを迎えたところで、アッシュはやっと解放された。道中で見つけたフェンを問い詰めるのは至極当然のことである。
「どういうつもりだ、え?」
「どうって、言われましても」
夕日の中、少し先を歩くフェンは曖昧な笑みを浮かべる。その笑みに、少し影を感じた気がした。気がしたが、それを気にしてやれるほど、アッシュはお人好しではない。
彼はますます眼差しを鋭くする。
「何故、こんな村に俺を連れてきた」
「素敵な村でしょう?」
「誤魔化すな。こんな雑用をさせるためだけに、俺を呼んだわけではあるまい」
「あはは。皆さん、ありがたがってましたよ? なんでもやってくれるって。殿下、子守りまでしてたらしいじゃないですか?」
「フェン・ヴィーズ」
苛立ちと共にアッシュがその名を呼べば、フェンは足を止めて、くるりと振り返った。困ったような笑み。その頬には土汚れがついている。
「……知ってもらいたかったんですよ」
フェンは辺りに視線を移した。山あいの辺境の村だ。何か目立って大きい建物があるわけでもない。かといって、畑がそう多く広がっているわけでもなかった。森を少しずつ切り開いたところに、小さな畑が点在している。収穫の終わった畑は今にも夜闇に沈みそうだ。フェン達が向かう先には、身を寄せ合うように家々が立ち並んでいた。あちこちに灯された
「ここは、昔ながらの水の国の暮らしをしている村ですから」
「はっ、なんだ。今さら罪悪感でも覚えろというのか?」
アッシュは鼻先で笑った。一方で納得もする。彼女はアッシュのことを憎んでいるはずだからだ。
だが、アッシュの予想に反して、フェンはゆるりと首を振った。
「……ただ、知っててほしいだけです。貴方は水の国が滅びた、っていいますけど、国は滅びても民は生きてるということを」
「知って、どうしろと?」
「さぁ、どうしてほしいんでしょうね?」
フェンは苦笑いした。本気でそう言っているようで、アッシュは毒気を抜かれる。
一体何を考えているのか。真意が掴めない。王城で、下心のある人間とばかり付き合ってきたアッシュにとって、これは初めての経験だった。
下心のない人間などいるはずがない。その証拠に、フェンは時節何か考えている風である。ただ、何を考えているのか。憎しみか、同情か、憐れみか、蔑みか。そのどれでもであって、どれでもない気がする。
アッシュの思いを知ってか知らずか、歩き始めた彼女はあちらこちらを指さして話し始めた。
ここの畑は三年前に村の人と拓いた畑。
あっちの溝は、去年の夏に畑まで水を引くために作ったもの。
あの森は、来年の春に切り拓いて畑にする予定の場所。
「……畑しかないじゃないか」
ぼそりとアッシュが呟けば、フェンは小さく笑った。
「ここは気候も厳しいですし、土地も豊かじゃありませんから……畑の数を増やして、収穫数を増やさないといけないんです」
「それをお前は手伝っているのか?」
「えぇまぁ……騎士団の休みの日くらいですけどね、来られるのは。どこの村でも、若い人出が足りないんです」
「なぜ」
「王都の方が魅力的なんでしょうね。彼らは戦も経験していないし……あ、でも畑もなかなか奥深いんですよ? 植える作物とか、土の具合とか。ちょっと工夫するだけで収穫量が上がったりして」
「……騎士団の人間とは思えない発言だな」
「ふふっ、そうですねぇ。でもあと少しなんですよね。この村の人たちが、安心して暮らせるだけの収穫量になりそうなのが。だからそれまでやめられないな、って」
秋風がフェンの銀の髪をさらりと揺らしていく。虫の音が響き始める。その中で、彼女の楽しげな声が響く。あぜ道を踏みしめる、二人分の足音と共に。
さして重要でもない会話を淡々と続けるだけのそれは、ひどく奇妙で、けれど穏やかな時間だった。
*****
「おおい、こっちの酒が足りんぞ!」
「このキッシュは最高だな! どうやって作ったんだ?」
「今年の森の狩場はいまいちだ……来年に期待ってとこか」
「飲んで忘れろ! そんな辛気臭いこと!」
アッシュの目の前では、老若男女、揃って酒を飲み、食事を頬張り、談笑していた。
日はとうの昔に暮れている。村で一番大きな寄り合い所には、あちこちから収穫を終えた村人たちが集まった。老いも若きも、男たちはその手に酒やつまみを携えている。女たちは自分の家でこしらえてきた食事を次から次へと運んでくる。子供たちは年長者と協力して机や椅子を運び込んでいた。
寄り合い所の中心の暖炉には火がくべられ、広い部屋で盛り上げる村人たちを優しい橙色で染め上げる。天井や壁のあちこちに、小さな花弁をつけた白の花が飾られていた。
収穫祭なのだと、フェンは言った。年に一度、収穫が終わった最後の日に催されるお祭り。今年収穫された穀物で作られた料理が振舞われるのだという。そう言った彼女はしかし、すぐに村人に連れられ、別のテーブルに連れていかれてしまった。男たちに囲まれ、楽しげに酒を飲んでいる。
フェンは、アッシュをここに連れてきた理由を話さずじまいだ。
そしてアッシュには、彼女の意図がまるで分からない。
「グレイさん、あんた飲んでるかい!?」
陽気な声をかけられた。赤ら顔をした青年が一人、アッシュの返事も待たずに隣に座る。こげ茶色の髪を持つ彼は、今日ずっと、アッシュと共に仕事をしていた青年だ。名前は確か、ルイといったか。
「なんだなんだ、仏頂面して」
「余計なお世話だ」
「酒が足んねぇだろう! ほら、こいつやるからさ!」
ルイは自分が飲みさしていた酒をアッシュの方に押しつける。ところどころ食べかすが浮いていた。アッシュは顔をしかめる。そんなアッシュに気づくことなく、ルイは通りがかりの女性から新しい酒を受け取り、喉を鳴らして飲む。
「やっぱり収穫の後の酒は最高だねぇ!」
「……よく飲むな」
「いやぁ! 俺なんかフェンに比べたらさっぱりだぜ? あいつ、すげえ酒に強えの知ってんだろ?」
そう言われても、フェンのことなどアッシュはこれっぽちも知らなかった。友達ですらないのだから当然だ。騎士と王子ですらない。
じゃあ、今の自分たちはどういう関係なのか。益体もない疑問をアッシュは胸中で笑い飛ばした。
「知るか」
「へ?」
「あいつは、いつもこの村で何してるんだ?」
ルイにこれ以上追求させないための質問だったが、酔っている彼にはさして気にならなかったらしい。
つまみのパンを口に放り込んだルイは、アッシュの問いに肩をすくめる。
「何って、そりゃあ色々さ。畑の手伝いしてくれたり、水を村まで引っ張ってくるのを助けてくれたりな」
「よくそんなことをやるな」
「な! 俺もそう思うぜ……騎士団って忙しいんだろ? なのに、季節が変わるごとにフェンは来てくれるんだよなぁ。どうも他の村にも手伝いに行ってるみたいだし」
「そうなのか?」
「そうそう。この村はマシな方だけどさ。他の村じゃあ、若い奴がどんどん王都に行ってるから働き手がいねぇんだよ。だから正直、フェンはすげぇ有難られてるわけ」
「何故、そんなことを」
「なんで? そりゃあ、フェンに聞いてくれねぇと分かんねえけどよ……でもま、十中八九、お人好しじゃねぇの。自分が一番出世してるから、俺たちみたいなのを助けてくれる、なんてさ」
お人好し。たしかにその一点だけは、アッシュの良く知る彼女だった。フェンの方を見やる。彼女はテーブルを離れ、広間の真ん中で何事か話している。が、程なくしてアッシュの視線に気がついた。
駆け寄ってくる。その頬は酒気のせいで僅かに上気している。蒼の瞳が煌めいて、眩しい。
「殿……じゃなかった、グレイ! こっちに!」
「おい、何をする」
「いいからいいから!」
ぐい、と腕を引っ張られた。広間の中央に引っ張り出される。皆さん、とフェンは声を張り上げた。
「今日、収穫を手伝ってくれたグレイ君です!」
村人たちが歓声を上げる。次々と声が飛んできた。
「穀物運ぶの大変だったろう! 助かったよ!」
「台車の修理もしてくれたよな! 有難かったぜ!」
「子供たちの面倒も見てくれたのよ! ありがとう!」
「また来年もぜひ!」
どこからともなく拍手が起こった。アッシュは顔をしかめる。なんだこれは。そう思えば、脇腹をフェンに小突かれた。彼女は得意げに微笑む。
「悪くないでしょう。感謝されるのも」
――アッシュ、と明るく自分の名を呼ぶ声が蘇った。ここではない、今ではない、昔の記憶が重なる。
暖かい空気。騒ぎたて盛り上がり、酒を酌み交わす兵士たち。礼儀はなく、身に着けるものはお世辞にも清潔とは言えず、食べ物も旨いわけではなかった。それでも、こんな風に皆が笑いあっていた。
オルフェも、彼の弟も。あるいは自分も。
そんな遠い記憶がアッシュの胸の内に去来する。同時に、フェンが自分にこの光景を見せたかったのだと、気づいて。
「……くだらん」
吐き捨てた言葉はしかし、喧噪に紛れて誰にも届かない。
部屋のどこからか、音楽が鳴り始めた。荒い弦楽器の調べに、酔った男たちが辺りにある物を叩いて太鼓替わりの音を加える。調子っぱずれの歌声が響く。人々がリズムをとりながら踊り始めた。一人で、あるいは二人で。そのどれもが、捨て去ったはずの彼の過去を無遠慮に暴いていく。
フェンは村人に連れていかれ、すぐに姿が見えなくなった。いつの間にか部屋の隅に追いやられていたアッシュは、ただ見ていることしかできない。美しく、暖かく、楽しげなそれを。
不意に、腹立たしくなった。
賑やかに鳴り響く音楽に。
能天気に踊っている村人たちに。
なにより、こんな世界を無条件に信じていられる彼女に対して。
アッシュは無言で寄り合い所を立ち去る。咎める者はいない。呼び止める者もいない。
外は、思った以上に真っ暗だった。ぽつぽつと並び立つ民家の壁には
これが現実だ。最初から住む世界が違うのだ。彼らと自分は。あるいは彼女と自分は。そんな当たり前の事実に心が揺れそうになる自分にも腹が立つ。
夜明けとともに、この村を発とう。そうして、もう二度と彼女と会わなければいい。そうアッシュが心に決めた時だった。
「……待ってください!」
焦ったような声が聞こえて、アッシュは思わず足を止めた。振り返る。その先に人影はない。ただ、何かを言い争うような声は相変わらず聞こえている。
大半の男たちの声に聞き覚えはない。それに交じって届くのは、フェンの声。
アッシュは息をひそめた。迷ったのは、一瞬だ。
彼は物音をたてないよう気をつけながら、声のする方へ足を向けた。
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