第24話 彼と彼女

 アッシュが辿り着いたのは、村外れの小さな家の裏手だ。森を切り開いて作られたであろう更地は青白い月に照らされている。

 そこに、フェンと数人の男たちがいる。青年が三人、年老いた男が一人。


「分かってくれ、フェン……このやり方では、限界があるんだ」


 老いた男が物々しく口を開く。


「この土地で、作物を作るのは限界だ。そんなことは薄々あんたも気づいてるんだろう」

「どうしてそんなことを言うんですか? 今まで頑張ってきたでしょう……まだ改善できるところはあるはずです。土も、植える農作物の種類も、まだ工夫できるところはたくさんある」


 フェンの必死の声に、青年の一人が首を振った。


「毎年あんたはそういうがね、もう限界だ。今年こそ、と思って俺たちもやってきた。けど、結果はどうだ。収穫量は年々厳しくなるばかり。狩りで仕留められる獲物も少ない」

「でも、今年の小麦の出来は良かったでしょう? 夏には畑用の水を皆で引いたじゃないですか。諦めずに来年まで待てば、きっと、売って収入にできるだけの小麦がとれる」

「あんたは、ここに住んでいないから、そんなことが言えるんだ!」


 大柄の青年が苛立ったように声を上げた。フェンがびくりと体を震わせ口をつむぐ。それに勢いづいたように青年達がフェンに詰め寄った。


「ここで冬を過ごしてみろ! これっぽちの収穫量じゃ、足りないことなんてすぐわかるだろうさ!」

「あんたはいいよな! 自分がやりたいだけやって、あとは城でぬくぬく過ごせるんだから!」

「お前の言葉に騙されて、待った俺たちの身にもなってみろ! 去年の冬に生まれた子供は十人も生き残れなかった! 皆食うものがなくて死んでるんだ!」

「じゃあ! 畑作をやめて何をするって言うんですか!」


 フェンが声を張り上げる。青年たちは一斉に口をつぐんだ。静かに鳴り響く虫の音。

 ややって、老いた男が静かに応じる。


「若い衆には王都に行ってもらう。どこの村もそうしているだろう?」

「出稼ぎをさせるんですか? 彼らに?」

「そうだ」

「……そう上手くいくはずがない。どこも、若い働き手がいなくなって、村として上手く回らなくなってるんですよ? 王都に行ったからって、職にありつける保証もない。そんなの……それこそ他の村を見てれば分かるでしょう」


 フェンは顔を青ざめさせて、ゆるゆると首を振る。けれど相対する男たちに、彼女を思いやるような気配は微塵もない。ぼそりと、誰かが呟く。それは村長だったのか、青年だったのか。


「そんなに嫌だというなら、もっと俺たちに金を寄こせ。俺たちが安心して暮らせるだけの金を」

「……っ」


 フェンが押し黙った。老いた男が大きく息をつく。


「とにかく、だ……畑作はもうやらん。あんたに伝えたいのはそれだけだ」


 言い捨て、男たちはフェンを置いて去っていった。

 フェンが一人、取り残される。ずるずるとその場に座り込む。


 青白い月明かりに照らされて、彼女は寄る辺なく身を縮めている。頼りなく輝く銀の髪が、横顔を隠す。


 その肩が、微かに震える。


「……おい」


 耐えきれなくなって、アッシュはフェンに声をかけていた。物陰から出て、フェンの方に歩みを進める。


 彼女は驚いたように顔を跳ね上げた。その眦が僅かに光る。それにアッシュは何も言えなくなる。こういう時に、何を言えばいいのか、分からなくなる。奇妙な沈黙。


 そして。


「……殿下。収穫祭は楽しめましたか?」


 ふわりと、フェンは微笑んだ。


 何事もなかったかのように。傷ついた素振りを微塵も見せずに。アッシュを慮るように。

 騎士のように気高く、王女のように毅然として、少女のように真っすぐなそれは、アッシュがよく知る彼女の目で。


 唐突に、アッシュは思う。


 彼女は、一体どれほどの努力を重ねてきたというのだろう、と。


 いくら見かけを男に偽っても、筋力の差はどうしたって埋められないだろうに。それでも彼女は騎士として、火の国で地位を築いている。


 もう国は滅んで、民を守るという責務もないだろうに。それでも彼女は亡国の王女として、残された民を助けようとしている。


 今だって、そうだ。

 泣きそうだったくせに。

 どうして。


 胸が、つきりと痛む。その痛みに押されるように、アッシュは口を動かす。


「……お前は、どうしてそこまで出来るんだ」

「え?」

「言い争っていたじゃないか。村人と」

「あ……あはは、見てたんですか。恥ずかしいな」


 フェンはわざとらしく笑った。


「ちょっと、揉めてたんです。今後の村の方針というか……ずっと畑作でやってきたんですけど、耐えられないって言われて。まぁ前から言われてたんですけどね」

「金を寄こせというのは?」

「……あれは、その……私が騎士団で頂いたお金をちょっと村に回してただけです。増やせって言われちゃったから、もう少し騎士団の仕事増やさないといけないなぁ、なんて」

「…………」

「……大丈夫ですよ。心配なさらなくても、殿下に迷惑をかけるつもりはありませんし、自分でなんとか」

「なぜ、そこまでする? たかが村人のために」


 アッシュが重ねて問えば、フェンは不意に作り笑いをやめた。

 冬の日の湖面を思わせるほど、凪いで深い蒼の瞳が、逸らされる。


 そういう顔が見たいのではないとアッシュは思う。さりとて、彼女のどんな顔が見たいのか。分からぬまま、アッシュは早口で言葉を続ける。


「諦めればいいじゃないか。お前が幾ら助けの手を差し伸べたところで、あいつらは所詮、お前のことを金づるとしか思っていない」

「それが、どうしたっていうんですか? いいんです、彼らの糧になるなら私が何て言われようが」

「お前はお人好しすぎるんだ。全員を助けることなどできないと、言っているだろう」

「……じゃあ、助けられない人たちは見捨てろっていうんですか」


 ぽつりと呟いて、彼女は顔を覆った。

 表情は見えない。けれどその声は震えている。


「そんなこと、できるはずがないでしょう」

「夢物語だ。お前が語るのは理想ですらない」

「…………」

「妙な義務感を振りかざすのはやめろ。お前は……お前はもう、王族じゃないんだ。お前の国は俺が滅ぼしたんだから」


 彼女の気持ちを少しでも楽にしてやりたくて、懸命に紡いだアッシュの言葉の結末は、あまりにもずるかった。フェンを傷つけるだけの最悪の言葉。そんな言葉しか出てこない自分をアッシュは歯がゆく思う。

 けれど。


「……私が信じなくて、誰が信じるんですか」


 フェンは責めるでもなく、怒るでもなく、ただ声を上ずらせながら言葉を続ける。


「皆に幸せでいてほしいんです。そう願うことの何がいけないんです? 夢をみなきゃ、叶えることだってできない」


 月明かりに照らされた彼女は、弱くて脆くて、今にも壊れそうなほど震えていた。それでも痛々しいくらいに真っすぐで清廉だった。

 


 彼女は必死に掴み取ろうとしているのだ。アッシュがとうの昔に捨て去った夢を、諦めてしまった願いを。そのことに気づいて、アッシュは言葉を失って。



 彼は、ふらりとフェンへと手を伸ばした。頼りげない小さな肩を抱きしめてやりたいと思った。けれど。


 彼女が悲しむ元凶を作ったのは、自分だという、滑稽な事実に、その手を止める。


「…………」


 アッシュは、やや乱暴にフェンの隣へ腰を下ろした。フェンが驚いたように顔を向ける。


「殿、下?」

「好きなだけ泣けばいい」

「……泣いてなんか」

「見なかったことにしてやる」


 フェンはそれ以上何も言わなかった。再び顔をうつむける。小さな嗚咽が夜闇を震わすのに、そう時間はかからなかった。


 その声を聞きながら、アッシュは夜空を見上げる。黒に一滴の青を混ぜたような宵闇色。幾つもの星が瞬きもせず白銀の光を放っている。月明かりは冴え冴えと冷たい。


 それを見つめながら、彼は思う。



 フェンは、矛盾だらけだ。

 誰よりも高い理想を掲げるくせに、小さな悪意で傷ついてしまう。

 アッシュのことが憎いと、暗い感情を見せる時もあるくせに、誰も彼もを――アッシュでさえも救いたいという。

 だというのに、その”誰も彼も”の中に、彼女自身は入っていない。


 彼女は、強くて、脆い。醜くて、美しい。矛盾に満ちた彼女は、けれどアッシュにとってはひどく愛おしく。


 どうすれば、彼女を守ってやれるだろうか。夜空を見上げながら、アッシュは静かに目を細めた。

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