第二章 銀の花

第13話 彼女と夜会

 事の顛末を聞いたアンジェラは烈火のごとく怒った。彼女の怒りに応じたかのように、窓の外で土砂降りの雨が降り始める。それを、しかし、フェンは首をすくめ、正座をし、じっと耳を傾けて耐えた。耐えに耐えた。

 そうして、上目遣いでアンジェラを見る。


「……協力、してくれないかな、アンジェラ。君しかいないんだ」


 アンジェラはひくりと頬を引き攣らせた。


「フェン、あんた私の話聞いてた?」

「聞いてた」

「じゃあ私が何て言ったか復唱して?」

「アッシュ殿下と距離を置くこと。余計なことはせずに、騎士団で大人しくしてること。事件の深追いもしない。ええとそれから……」

「で、あんたの頼み事はなんなんだっけ?」

「え? だから爆弾を仕掛けたのが誰か知るために協力してほし、」

「やっぱり私の話聞いてないじゃない!」


 アンジェラは悲痛な声を上げた。


 深夜の医務室。真夜中のいつもの時間、久方ぶりに訪れたフェンは、正直にこれまでのことをアンジェラに打ち明けた。


 アッシュと怪奇事件の真相の手がかりを探しに行ったこと。

 その先で野盗にあったこと。

 急に現れた謎の炎。

 それを鎮めるために巫女の力を使って、それゆえに自身の素性がアッシュにばれたこと。


 野盗の襲撃から一夜明け、フェン達はすぐさま王都に戻ってきた。フェンがアンジェラの下を訪れたのは、王都に戻ってきた当日の夜だ。すぐに彼女に話をしに行った点は褒めてほしい……という下心も実はあったのだが、案の定というか、予想以上にというか、アンジェラは怒り心頭で、説教を食らうこと小一時間。


 あのねえ、とアンジェラは疲れたように嘆息をつく。

 アンジェラは椅子に腰かけ足を組んだ。フェンは床に正座したままである。


「私はあんたのこと心配してるのよ? あのバカ王子につく、って言った時点で嫌な予感はしてたけど、まさかここまでだなんて」

「その点に関しては、すまないって思ってる……」

「本当ね。私の心配を返してほしいわ。正直、あんたとあのバカ王子、相性最悪よ」

「……それは私も分かってる」

「分かってるんなら、とっととやめなさい。バカ王子の下で働くなんて」

「分かってるってば! ちゃんと考えるよ……でも、アンジェラ。ちょっと待って。私の話も聞いてほしいんだ」

「なによ」

「君の協力が必要なんだよ。不審火……というか、多分何かを爆発させているんだと思うんだけど、その手掛かりを見つけるために」


 フェンは真剣な目でアンジェラを見つめて、彼女が何かを言う前に早口で説明を始めた。



*****


 話は数日前……野営をした時まで遡る。

 ――――商会を、調べてみてはどうか。馬車の断片を見つめて、フェンが口にした案は、すぐさまアッシュに一笑された。


「商会を疑う? 馬鹿げたことを言うな」


 アッシュが笑い飛ばす。焚火がパチリと爆ぜる。ゲイリーはぽかんとした顔をしている。

 それでもフェンは必死にうなずいた。


「大真面目ですよ、こっちは。考えてもみてください! この荷馬車は元々商会のものだったんでしょう? だったら荷馬車に何か仕込むことだって簡単だと思いませんか?」

「阿呆か。商人は積み荷が命なんだぞ。それをわざわざ爆発させて、何が楽しいんだ」

「その理由は分からない、ですが……でも、だからこそ調べてみる価値はあると思います」

「どうやって? おたくは爆弾を運んでいるんですか? とでも聞いて回るのか?」


 アッシュが小馬鹿にする。フェンは彼を睨みつける。

 そんなフェンに助け船を出したのはゲイリーだった。


「……いや、待てよ。調べる方法はあるかもしんねぇな」

「! 何かご存知なんですか!?」


 フェンがぱっと顔を輝かせてゲイリーの方を向けば、彼は少しばかり頬を赤らめながら一つ頷いた。


「あぁーっと……その前に騎士サマは市民嗜好シビリズムという言葉をご存知かね?」

「? その言葉は知らない、ですが……」

「じゃあそこからさな」


 ぼりぼりと頭を掻いたゲイリーは人差し指を軽く振って説明を始めた。


 市民嗜好シビリズム、という言葉は今、貴族の間で流行っている言葉である。

 これまで、芸術も食事も装飾品も、貴族たちは貴族のために作られたものしか使わなかった。ところが、ここ数年の商会の隆盛により、貴族たちのもとに市民の日常品が届くようになる。『貴族のための貴族のもの』に飽きていた上流階級の人々にとって、市民の使うものは何であれ新鮮であった。


 最初は物好きな貴族が面白半分で商品を買い始めたのが始まりだ。

 ところが少しずつ物好きな貴族の数が増えるにつれ、その買い付けは流行りとなり、流行りに敏感な貴族たちはこぞって日常品を買い求めた。


 さらに金と時間のある者たちは、自ら夜会を主宰し、方々から商会を集めてその質を競わせる。


「そういう流れをな、市民嗜好シビリズム、って呼んでんのさ」

「はぁ? ええと……それで……?」

「流行りが来てるんだよ、物好きな夜会の。ほぼ毎週、王都のあちこちで開かれてるんだ。買い付けに来てるのはもちろん貴族さ。だが、貴族に物を売る気概のある奴なら誰だって夜会に参加できる」

「まさかそれに参加しろと?」


 アッシュが不機嫌そうに呻いた。


「出来るわけないだろう。俺たちは商人じゃない」

「なら、貴族として参加するってぇのはどうだ?」

「こいつの目立つ容姿でか? ハッ、この国一番の人気を誇る銀の騎士様だぞ? 顔が割れているせいで警戒されて終わりだろう」

「……じゃあ、私と分からないようにするのは? 変装するとか」


 フェンがポツリと呟けば、再び二人分の視線が向けられた。

 一人は呆れて。

 もう一人は目を輝かせて。


*****


「……待った。あんたそんなこと言ったの?」

「言った」


 フェンが至極真面目に頷けば、アンジェラは天を振り仰いだ。


「あんたは、もう少し大人しくするってことができないのか……」

「だ、だって、このままだと水の国の人たちが疑われることになるんだぞ?」

「その前に自分の身の危険を自覚してほしいものね!」

「アンジェラは心配しすぎなんだ。私なら大丈夫。ちゃんと護身術は心得てるし、夜会での作法も昔教わったし、」

「そういうことじゃないの」


 ぴしゃりとアンジェラに言われ、フェンはしゅんと項垂れた。

 ……これは、いよいよ本格的にアンジェラを怒らせてしまったようだ。フェンは肝を冷やす。さりとて、彼女にこれ以上の名案があるわけでもなかった。


 アッシュは元より、夜会に出ることに反対していた。曰く、面倒だし、商会を疑うのは馬鹿らしい。行きたいのなら勝手に行けばいいが、手助けはしない。正直に言って、フェンにとってもこれは願ったり叶ったりだった。隣で散々悪態をつかれるのはまっぴらごめん……、というのがフェンの本音である。


 逆にゲイリーは大層乗り気だった。曰く、吟遊詩人として、これほど面白い話の種を見過ごす手はない。幸いにも、彼は幾つか直近で開催される夜会を知っていて、そこに一緒に行けばいいとまで言ってくれた。


 この手の夜会に行くには、招待状は必要ない。成功の鍵は、自分がちゃんと変装できるかどうかにかかっている……少なくともフェンはそう考えている。ところが、フェンの手持ちの服は騎士団から支給された服ばかりなのだ。

 だから。


「だから……その……アンジェラにお願いしたくて。君の知り合いから、男物の服を借りられないかな。男物の、夜会に着て行ってもおかしくないような」


 おろおろと床に視線を這わし、必死で考えて……フェンは結局、たどたどしくそうとだけ言う。

 もう一度、そっとアンジェラを見上げる。彼女は眉を吊り上げた。男物。そう反芻したアンジェラの声音は冷え切っている。

 やっぱり駄目か、とフェンが諦めかけた時だった。


「……分かったわ」

「え! じゃあ……!」


 フェンは顔を跳ね上げた。引き受けてくれるのか! そう思い、上げかけた歓喜の声はしかし、途中でしりすぼみになる。

 アンジェラは微笑んでいた。

 ただ、なぜだろう。その笑みが少し怖いのは。


「言って分からなければ、体で分かってもらうしかないわよね」

「え、ええと……アンジェラ……?」

「確認だけど、アッシュ殿下は女だってことをバラすな、って言ってたのよね?」

「あ、あぁそうだけど……」

「ふ……ふふ……っ! そんな当たり前のことを偉そうに命令してきやがってバカ王子……! あんたはあんたで私の話聞かないし……! いいわ、目に物見せてあげるわ……!」


 くつくつとアンジェラが笑う。窓の外で雰囲気たっぷりに雷鳴がとどろいて、フェンは体を震わせた。



*****



 天井から幾重にも吊るされたシャンデリアが、まばゆい輝きを放っている。その下でゆらりゆらりと踊る影は、広間にいる客の数と同じだけあって、実際よりも随分人がいるようにさえ感じた。

 談笑する者、熱心に話し込む者、何人かの若い男を目で追う貴婦人たち――その全てが仮面をつけ、頭から被り物をしている。なんでも商人と貴族の間の貴賤の差をなくして、対等に商品を売り買いしあうためなのだそうだ。


「くだらんな」


 広間の少し上に設置されたバルコニーからそれを見下ろし、アッシュは呟く。不意に後ろから失笑がした。緩慢に首を捻れば、暗がりから見知った顔が出てくる。


「そういうと思った。でも珍しいね。こういうの、殿下は興味ないと思ってたけど」

「オルフェか……なんでお前がここに?」

「え? だって俺のところの商会も、今日は取引があるからさ」


 オルフェは言いながら、アッシュにワインの入ったグラスを手渡した。あぁ、とアッシュは一つ頷く。


 オルフェ……オルフェ・ルアードは貴族だが、商人上がりだ。彼の父親が興したルアード商会を彼の代で大きなものにした。オルフェとの付き合いが長いアッシュは彼の商才をよく知っている。なるほど、確かに彼ほどのやり手が、こんなにいい商売の機会を逃すはずもない。


 アッシュはワインを一気に飲み干す。ブドウの香りと渋みが口いっぱいに広がる。

 オルフェが苦笑いした。


「一応言っとくけど、それ、高価なワインだからね?」

「美味かった」

「アッシュはいっつもそうとしか言わないからなぁ」


 呆れたように言いながら、オルフェはアッシュの向かいから広間を見下ろした。


「さてさてっと、僕好みの素敵なご婦人はいるかなぁ」

「……取引しにきたんじゃなかったのか」

「お嬢さんとの熱い一夜に比べたら、取引なんて塵芥も同然だよ」

「そういうところは昔から変わらんな」

「というより、僕はアッシュがそういうことに無頓着すぎるだけ……だ、と」


 身を乗り出してまで、熱心に広間を見渡していたオルフェの声が途中で途切れる。


 その視線が固まった。それくらいならば、特段アッシュも気にはならなかった。オルフェのお眼鏡にかなう女でもいたのだろうと。

 ただ、それだけではなかった。広間が一瞬、水を打ったように静まり返る。それからざわつく。無秩序に、ではない。明らかにある一つの事柄に対して、密やかに声が交わされる。それで思わずアッシュは広間の入り口に目をやる。


 そうして目を見開いた。


 一組の男女だ。女の手をぎこちなく引くのは、仮面で目元を隠しているものの、明らかに見覚えのある小柄な醜男だ。だが、問題は女の方である。


 身にまとうのは、深く、澄み渡った水面を思い起こさせるような青のドレス。襟ぐりが大きく開いているせいで、光にさらされた白い肌が初々しく光る。歩くたびに美しく揺れるのは銀の髪。顔はもちろん仮面で見えない。見えないが、それが逆に、謎めいた美しさに花を添える。


 間違いない。フェンだ。直感し、アッシュは言葉を失った。次いで、怒りが沸き起こってきた。女であることをバラすなと言ったのに、なんでここにいるんだ。それもドレスを着て。


 けれどそんなアッシュの気持ちも知らず、オルフェは感嘆したように呟いた。おそらく、広間中の人間が思っているであろうことを。


「あの子……どこの子? 見たことない顔だね」

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