第14話 彼女と女装

「アンジェラ、これは……」


 夜会に行く前に医務室に寄りなさい。お望み通り、着替えさせてあげるから。

含み笑いを浮かべたアンジェラの誘いをしかし、フェンは断る術を持たなかった。そうして言われた通りに医務室を訪れ、呆気にとられる。


 そこにはアンジェラだけでなく、王宮で下働きする少女たちが一同に会していたからだ。フェンの顔を見るなり、彼女たちは頬を蒸気させ、興奮したように挨拶をした。


 これは一体どういうことか。戸惑うフェンにわざとらしく、アンジェラは少女たちに言い渡す。


「今日あんた達に集まってもらったのは他でもないわ」

「はい!」

「フェンは任務で夜会に忍び込まなきゃいけないの。身分を偽るためには変装しなきゃいけないんだけどね……まさか誰も、フェンが女に変装するとは思ってないでしょう? だからあんた達、彼の女装を完璧に仕上げて」

「勿論!!!」


 悲鳴ともつかない返事をした少女たちは、フェンの返事も待たず殺到する。


 少女たちはフェンの髪を整え、肌の手入れをし、何人かは興奮のあまり鼻血を流して床にぶっ倒れ、アンジェラに介抱されていた。こういう時に医務室って便利よね、とアンジェラは始終ご機嫌である。彼女の恐ろしいところは、少女たちに好き放題させながらも、肝心なところ……フェンが女だとばれるようなところだけは、さり気なく自ら手を動かして少女たちを寄せつけなかったことだ。


 そして少女たちの恐ろしいところは、フェンが男だと思い込んでいるにも関わらず、彼女を女らしく着飾るのに大歓喜しているところだ。熱心なフェンの追っかけ、あくまでもフェンの追っかけである主人から預かってきたというドレスを見せられた時には、流石のフェンも引き攣った笑みを浮かべた。


 とにもかくにも、こうして女であるフェンが女装をするという何ともおかしな数時間が過ぎ、夜会会場で皆の視線を一身にさらう令嬢が出来上がったわけである。


「ごきげんよう、麗しいお嬢さん。見たことない顔だが、どこの貴族のご令嬢だろうか?」

「こちらのネックレスに興味はないかい!? 貴女の美しい肌にぴったりあうと思うのだけれど?」

「よろしければ、私と一曲踊っていただけないだろうか?」


 広間に入るなり、あちらこちらの男性から声をかけられて、フェンは、ええと……、だの、はい……だの、曖昧な返事をしながら、ぎこちなく笑う。


 普段自分が言い慣れている言葉が、立場が変わっただけで、こうにもむず痒く感じるとは。注がれる視線も痛かった。騎士として、こういう憧れと好意が混ざった視線に晒されるのは日常茶飯事のはずなのに、衣装が変わるだけで……というより、肩口がこんなにも開いた服をまとうだけで、いたたまれなく感じる。


 傍らでフェンの手を引くゲイリーは、少しばかり面白くなさそうにぼやいた。


「なんだなんだ……俺がいるってのに、声かけてきやがってよぉ」

「す、すまない。本当はドレスなんて着るつもりもなかったんだが」

「……いや、あんたの服装を悪いっていってるわけじゃあねぇんだ。むしろそっちは役得というか、お前の友人に感謝っていうかな」

「え?」

「や、なんでもありませんよ。”銀の花シルヴァリー”殿」


 誤魔化すように首を振って、ゲイリーは今夜限りのフェンの名を呼ぶ。銀の花シルヴァリー、だなんて大層な名前だが、この夜会では身分を隠すために名前までも偽名を使うことが許されているのだった。


「なるほど。今宵の夜会の麗しき花の色は銀なのですね」


 ゲイリーが呼んだ名を耳ざとく聞きつけたのだろう。見知らぬ男が声をかけながら近づいてくる。こうなれば、逃げ出すことの方が不自然だ。男の甘ったるい視線に浮かべそうになる苦笑を、フェンはなんとか微笑に変えた。


「すまな……申し訳ありません、”歌う烏ソングロウ”殿。私、他の方とお話してきますね」


 ゲイリーがひらりと手を振った。それを確認して、フェンは男の方に近づき、ドレスの裾を摘んで丁寧に頭を下げる。所作にあわせて、美しく輝く銀髪が流れるように動く。男が小さく息をのむ。


「私、シルヴァリーと申します。よろしければ、貴方様のお名前を伺ってもよろしいかしら」

「……あ、あぁ。”陽気な羊ダンシー”とでも呼んでくだされば」

「ダンシーさん、ですね。素敵なお名前です」


 フェンが微笑めば、男は何故か額に手を当て、天を振り仰ぐ。つかの間の沈黙。なにか失礼なことでもしてしまっただろうか。フェンが不安になりかけたところで、彼はフェンの手をやや強引に掴んだ。顔を僅かに赤らめて。


「素晴らしい……貴女は実に素晴らしい方です……」

「は、はぁ……」

「これも何かの縁でしょう! さぁ、こちらへ! ワインでも飲みながらお話いたしましょう!」


 ぐいと手を引かれて、フェンは思わずに足を踏み出した。連れていかれた先は、広間の一角のテーブルだ。フェンを連れてきた男に小さく手を叩く者もいれば、フェンを見て、早速グラスにワインをつぐ者もいる。


「あ、あの……ええと……」

「シルヴァリー殿だ! 皆、今日は彼女に無礼がないように!」


 戸惑うフェンを他所に男が上機嫌でフェンを紹介した。まるでフェンが自分のものであるかのような言い方だが、彼の友人たちにそれを気に留める者はいなかった。


*****


 シャンデリア、人々のざわめき、どこからともなく響く優美な甘い調べ。用意された食事に交じって香るのは、婦人たちが思い思いに纏った香水の香だ。この手の夜会での警備も、フェンの務める騎士団の仕事の一つである。だから当然慣れ切った空気のはずだった。


 だというのに、こんなにもうんざりするのは何故なのか……笑顔で男たちの話に頷きながら、フェンは心の中でぼやく。


「……それでな、シルヴァリー殿。我々の商会はここいらの商会の中でも大きい部類なんだがね」

「はい」

「この前ほら。王都で不審火があっただろう? 陛下の宝物庫で」

「えぇ」

「実はあそこで燃えたものの中に、我々の商会が納品していたものも入っていてね……! それで大赤字という訳さ!」

「それは……大変ですね……」

「そうそう! まったくもってその通り!」


 がはは、と男たちは笑う。フェンもあいまいに笑みを浮かべる。そろそろ、彼らから離れることはできないだろうか。フェンはこっそり辺りを見回して様子を伺う。


 談笑に興じる人達に交じって、こまどりのように働くのは、地味な服装をした下働きの者たちだ。飲み物を求められるままに運び、空いた皿を下げて、美しく皿に盛られた料理を持ってくる。


 そのうちの一人、一際小柄な召使が、まろぶようにフェン達の方に近づいてきた。幼い少女のようである。男たちが談笑する中、そっとグラスを取り下げ、新しいグラスに交換しようとして。


 男の肘が、少女の伸ばした手に当たる。その拍子に、少女はグラスを取り落とした。グラスが落ちる。不幸なことに僅かにワインが残っていて、男たちの服にそれがかかる。


「……おい! 何やってるんだお前!」

「きゃっ」


 突然、男が激高し、少女を張り倒した。少女が倒れこむ。彼女が抱えていた残りのグラスも転げ落ちて、地面に粉々に砕け散る。黒いしみが床に敷かれた絨毯に広がる。

 周囲の人々はちらりとそれを見やった。見やったが、気づかないふりをして、それぞれの談笑の輪に戻っていく。


「ぁ……あう……」

「給仕一つまともにできないで、何やってだお前! あぁ!? この服、幾らしたと思ってるんだ!?」

「ご……ごめんなさ……」

「謝って済む問題か! この……!」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 男が少女を蹴ろうとする。フェンは慌てて、少女を庇うように二人の間に割って入った。


「なにしてるんですか! まだ年端もいかない子供ですよ!?」

「シルヴァリー殿、あなたのその美しい心は称賛に価すべきものですが……こういう時こそ、躾が大事なんですよ」

「躾って……! 彼らは奴隷じゃありません……!」


 きっ、とフェンが男を睨みつければ、男たちは呆気にとられた顔をして……やがて誰からともなく、クツクツと笑い始めた。


「……何がおかしいんですか」

「シルヴァリー殿はずいぶん美しい心をお持ちだ。まことに、飾って愛でたいほどですな」

「いや、貴方には是非そのまま変わらないでいてほしいものです。躾などという野蛮なことは、我々男に任せておけばよろしい」

「さあ、こちらにいらっしゃい。うちの商会自慢の新物のワインを持ってこさせましょう」

「……っ、分かりました」


 男に強引に腕をとられる。しかしフェンはその手を振り払い、毅然と男たちを見つめた。


「では勝負をいたしましょう」

「勝負?」

「ご自慢のワインがあるのでしょう? どちらがたくさんそれを飲めるか、競いあおうじゃありませんか。私が勝ったら、この子を許してあげてください」


 男たちが互いに目配せしあった。既に若干酔いが回っているのか、思考がうまく働いていないらしい。

 その中でしかし、ダンシーと名乗った男だけが小さく笑う。彼は、酒に強いのだろう。どこまでも冷静に、どこまでも余裕に、けれど声音に僅かに暗い欲望を滲ませて、彼は問うた。


「では、貴女が負けたら?」

「勿論、好きにしていただいて結構です」


 フェンは一瞬の迷いもなくそう答え、男を睨みつけた。


*****


 それから一時間後。

 空になったワイングラスがテーブルに置かれる。静かに。優雅に。露になった真っ白な喉を揺らし、フェンは最後の一滴を飲み込んだ。僅かに熱い吐息を吐く。唇の端についた雫を、舌先でぺろりと舐めとる。どこか、なまめかしく色づいた頬。仮面の奥の瞳は艶やかに輝く。

 そうして彼女は極上の笑みを浮かべた。とうの昔に突っ伏したダンシーに向かって。


「……ごちそうさまでした」


 いつの間にか出来ていた見物客から、わっと歓声が上がる。それはしかし、フェンにとって驚くに足らないものだ。騎士団の兵士は皆酒豪ばかりだ。ワインなんかよりも、もっと粗悪で、もっと強い酒を毎晩のように飲み、飲み比べ、時には競い合うように酒を煽るのである。


 造作もない。そう思いながらフェンが立ち上がれば、ダンシーの取り巻きの男たちは、恐れおののいたようにフェンと距離を置いた。

 若干、頭がふらつく。それでもフェンは真っすぐ少女の下へ向い、呆けたように事の成り行きを見守っていた彼女の前に膝まづいた。


「これでもう、大丈夫だ」


 少女の手を優しく包み、にこりと微笑む。安心したのか、少女がくしゃりと顔を歪めて泣き始める。その彼女を胸に抱きよせ、優しく慰める――その様は最早、美しい貴婦人というよりは、騎士のそれで。


 何度もお礼を言いながら、少女がその場を立ち去った途端、フェンの下に駆け寄ってきたのは、男ではなく貴婦人たちだった。

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