第15話 彼女と時の歌い手

「シルヴァリー様! こちらにお座りになって!」

「私の持ってきたお菓子を食べて下さいな! 心を込めて作りましたの!」

「紅茶はいかがかしら? この紅茶は一年で少ししか取れない貴重なものなのよ?」

「え、ええと……ありがとうございます」


 自分を取り巻く貴婦人たちの剣幕に押されて、フェンがぎこちなく微笑めば、彼女たちは一様に黄色い声を上げた。


 召使の少女を助けてから一転、フェンの周りを囲むのは女性ばかりだ。彼女たちは、どんな紳士たちのエスコートよりもさりげなく、けれど確実にフェンを自分たちのテーブルに連れ帰り、彼女を囲んで話を弾ませる。貴婦人たちには悪気も下心も微塵もない。ただ、そう。


「私、先ほどのシルヴァリー様の活躍を見て、胸がときめきましたの……」

「まるで流行りの王宮小説に出てくる殿方みたいに格好良かったですわ!」

「シルヴァリー様が男であれば良かったのだけれど……あぁでも勿論、女性としても十分魅力的ですのよ?」


 ……最後の言葉にはどう返していいか分からず、フェンは苦笑いをする。それにさえも、貴婦人たちの嘆息を誘うのに十分だった。

 そうして彼女たちが、フェンを置きざりにして盛り上がること暫し。


「……あの、皆さまはどうしてこの夜会に?」


 頃合いを見て、フェンが切り出せば、彼女の一番近くにいた金色の髪の婦人が微笑む。


「勿論、買いつけに、ですわ。ここでは、珍しいアクセサリーが買えるんですもの……シルヴァリー様も、そうではなくて?」

「私は……その、実はこういう夜会に出るのが初めてで」

「まぁ!そうでしたの?」

「ええ、だから勝手がよくわからなくて、困っているんです」

「ちなみに、何をお探しなのかしら」

「お守りを」

 フェンは笑顔で嘘を吐いた。

「私の兄が騎士団に勤めていて……ほら、最近物騒な事件が多いでしょう? だから持ち主の安全を守るお守りがほしいんです」

「物騒な事件、って、例の怪奇事件のことかしら」

「えぇ」

「怖いわよねぇ。あちこちで燃えているのに、犯人は見つかってないんですもの」

「……私、それについて少し噂を聞いたことがありますわ」


 小さな、ささやくような声。それをしかし、フェンは聞き逃さなかった。

 向かいに座る、茶髪の女性に目を向ける。

 フェンの視線を感じたのだろう。彼女は頬を僅かに赤らめ、嬉々として声を潜める。


「あの、これは主人が誰かと話していたのを漏れ聞いただけですから……ここだけに止めておいてほしいのですけれど……燃えるというより、爆発した、らしいですわ」

「爆発、ですか?」

「えぇ。主人のご友人の方が、その日宝物庫のところにいたらしいのですけれど。大きな音がして、それから突然炎が上がったって。しかも見たらしいですわ」

「見たって、何をです?」

「ちょうど爆発の音がした方から、ルルド商会の方が大急ぎで逃げてきたところを」


 貴婦人たちは一様に納得したような声を上げた。フェンが首をかしげると、隣に座っていた金髪の貴婦人がひそひそと耳打ちする。


「良くない噂ばかり聞く商会ですわ」

「そうなんですか?」

「えぇ……最近できた商会なんですけれど。取引が禁じられているものまで扱っているとか、法外な値段で商品を売りさばくとか。今日も来てますのよ? ほら、あそこに」


 貴婦人は、持っていた扇子で広間の片隅を示す。見やれば、暗い顔をした男たちが数人たむろして酒を飲んでいた。

 いかにも、である。フェンは密かに眉根を寄せた。ルルド商会。あの、爆発された馬車に書いてあった名前だ。期待でフェンの胸がはやる。今すぐにでも近づいて、真相を確かめる必要があるんじゃないか。少しばかり酔った頭でフェンはそう考えて。

 だから、気づけなかった。


「――こんばんは、麗しいお嬢さん方。よろしければ、僕も入れてもらえないかな?」


 ほんの少し甘さを帯びた声がする。貴婦人たちが小さく色めく。それにフェンは振り返り……振り返って、後悔した。

 長身の男が一人立っている。巻き毛の青年。いつもかけている片眼鏡の代わりに、片方の目だけにかかる仮面を身に着けて。


「お、オルフェ……」


 フェンは思わず顔を引き攣らせて呟いた。けれど、それは正解ではなかった。耳ざとくフェンの声を拾い上げた彼は、おや、と仮面に隠れていない方の目を輝かせる。


「これはこれは。美しい銀の君殿に名前を呼んで頂けるとは光栄だ……でも、今夜ばかりは、私のことを”時の歌い手クロノス”と呼んで頂けないだろうか?」

「いや……あの、私は……」

「それから、貴女のお名前をお聞かせいただいても?」


 懇願するように言われ、フェンは目を瞬かせた。もしかして、気づいていないのだろうか。なら、それに越したことはないのだけれど。


「……し、シルヴァリー、です」


 少し逡巡して、結局フェンはそう名乗った。オルフェが顔を綻ばせる。


「教えてくれてありがとう。シルヴァリーは、夜会は初めて?」

「……どうして、そんなことを聞くんですか?」

「今まで見たことない顔だなって。君みたいに美しい女性は、一度見たら忘れないと思うんだ」


 なんだ、この甘ったるい空気は。フェンは胸中で悲鳴を上げながら、周囲を見回す。見回すがしかし、貴婦人たちは遠巻きにフェンを見て微笑むだけだ。ある者は、がんばってこい、と言わんばかりに大きく頷く。


 冗談じゃない。


 オルフェの話に生返事をしながら、フェンはさり気なく逃げ出せる隙がないか、必死で探った。フェンの知る限り、彼は軽薄で、やる気がなくて、自分の都合の悪いことが起こったら、すぐに逃げ出すような人間で、隙なんていくらでもある。あるはずだった。


 ところが、どれだけ探しても、逃げられる余地が見つからない。フェンの腰に手を回し、貴婦人たちの輪から抜け出るように歩みだす。

 オルフェはさりげなく、フェンの髪を一房すくった。


「君の髪、とても綺麗だね」

「え、あの……」

「ここにいる人は皆、地毛を誤魔化すために被り物をしてるんだけど」


 君のそれは、元々の髪なのかな。耳元に吹き込むように言われて、フェンは慌てて髪を抑えた。

 オルフェが小さく笑う。


「ふふっ、地毛なんだ」

「か、からかわないでください」


 やっぱり正体がバレてるんじゃないか。警戒しながら、フェンは用心深くオルフェを見つめる。

 幸運なことに、オルフェはフェンの正体には気づいていないようだった。

 そして不幸なことに、彼はフェンのことを女だと――いや、実際そうには違いはないのだが――思っているようで。


 微かに熱をはらんだ視線に耐えられなくて、フェンは足早に歩きだした。極力、前だけを見て歩く。あわよくば、彼をまくことができないか……そんな下心が原動力となって、フェンの足がますます早まる。

 ドレスを着ているとはいえ、騎士団仕込みの健脚だ。夜会には不釣り合いな速度である自覚もあった。

 だというのに、そんなフェンにぴったりとオルフェは寄り添う。


「君は、貴族の子、ていうことでいいんだよね」

「……えぇ、まあ」

「じゃあ、何か買いに来たのかな」

「……そう、ですけど」

「何を買いに来たんだい? 僕でよければ力を貸すよ?」

「別になんだっていいでしょう」

「ふふっ……冷たくあしらう君も素敵だけれど、相談してくれると嬉しいな。こう見えても、僕は商人でね?」

「え?」


 思わずオルフェの方を見てしまった。そうすれば、彼は悪戯に成功した子供のように屈託なく笑う。フェンの注意を引きたくて、わざとそう言ったのだ。それにフェンが気づいて、怒りから顔を真っ赤にした時だった。

 ざわめきを縫って、一際大きな声が上がる。広間の中心。朗々とした歌声だ。

聞き覚えの、ある。それはゲイリーの声で。



「――深き森に 王子一人、騎士一人 赤き炎の謎追いて 至る先に待つは 光か闇か 今宵語るは夢物語の はじまりのはじまり……」



 談笑は徐々に静まっていった。一人、また一人と、広間に響く詩に耳を傾けていく。そうさせるだけの力が、あるいは聞くものを物語の世界へと誘う不思議な力が、その声音には籠っている。それをフェンは肌で感じて、思わず彼女も聞き惚れて。

 その時だった。視界の端で何かが動く。ちらりと見やれば、顔色の悪い男たちが……ルルド商会の男たちが、居心地悪そうに身じろぎして、部屋の外へ出ていく。


「…………」

「あ、ちょっと、待って!」


 オルフェが追ってくるのも構わず、フェンはルルド商会の男たちが消えていった扉に向かった。足早に。取っ手に手をかける。



 そして次の瞬間、爆発音が響き渡った。

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