第16話 彼女と彼の画策
話は爆発が起こる少し前にさかのぼる。
他の客と同様に、ゲイリーは大いに夜会を楽しんでいた。なんせ、食べ物は上手いし、ワインは水のように出てくるし、何より全てタダだったからだ。
こうなってくると、俄然次は貴婦人を狙いたくもなってくる。指先についた粉チーズの残り滓を舐めながら、ゲイリーは値踏みするように広間を見渡した。
夜会が始まった時には、あちこちに散らばっていた貴婦人たちだが、今は広間の片隅に集まっていた。その隙間から、ちらりと見えた銀髪にゲイリーは納得する。確かに、あの下働きを救ったフェンの振る舞いは見事だった。あれも歌の材料としては十分だろう。下働きの少女と、銀の騎士の恋物語、という脚色で。
ゲイリーは機嫌よく鼻を鳴らして歩き始めた。これであとは、女の一つでも味わえれば最高だ。さりげなく貴婦人たちの輪に近づく。一番外側にいる誰かに、そっと声をかけて、あわよくば……そう思ったゲイリーの肩はしかし、突然誰かに掴まれる。 そのまま広間の片隅の暗がりに引きずり込まれた。
「……ゲイリー・ルードマン……」
「っ、ひい……っ!?」
地の底から這うような声に、ゲイリーはぎこちなく首を後ろに捻った。朱の髪を惜しげもなくさらし、目元だけ隠れる真っ黒な仮面をつけている。つけているがしかし、その奥からはゲイリーを射殺しそうなほど鋭い紅の瞳がのぞく。
「……おっ、俺ぁ今は
混乱と恐怖のあまり、ゲイリーはどうでもいいことを口走った。くッ、とアッシュが喉の奥で笑う。
「……いいだろう、ソングロウ殿。お前は何してるんだ……?」
「な、何って夜会を楽しんでんだよ……」
「夜会を、楽しむ?」
ゲイリーがぼそぼそと呟けば、アッシュが片眉を上げた。端正な顔立ちは美しいが、恐怖は増す。ゲイリーの恐怖の限界値は、それで一気に振り切れた。人間とは不思議なもので、恐怖が過ぎれば開き直るしかないのだ。ゲイリーは早口でまくし立てた。
「と、当然ぁじゃねぇか! こんな機会めったにないってのによ!」
「犯人を捜しに来たんじゃなかったのか」
「そいつぁ銀の騎士サマの担当だぜ? 荒事は俺の専門じゃないのさ……そいつを記録して脚色して歌うとこから俺の領分ってワケ……で……」
そこでゲイリーはハタ、と言葉を止める。ぴんときた。こういう頭の良さが俺の売りだよな、だなんて、呑気にゲイリーは胸中で自画自賛しながら、ニヤリと笑う。
「……もしかして、あんた、銀の騎士サマのことが心配になってきたんだ、痛い痛い痛い!?」
「馬鹿言え」
ぎりぎりとゲイリーの肩を握る力に手を込めながら、アッシュは笑った。苛立ちを全開にしながら、笑う様は器用としか言いようがない。
「夜会に忍び込んだことは百歩譲っていいとしよう……だがなんだ、あの恰好は」
「や、それはよう……」
「俺は正体を隠せと言ったんだ。正体をさらせと言ったわけじゃない。そうだろう?」
「でもまぁ、想像以上の綺麗さだったじゃ痛い痛い痛い」
ますます肩を握る手に力を込められて、ゲイリーはあっさり白旗を上げた。実際には、フェンの服装を決めたのはアンジェラなのだから、これはまったくのとばっちりなのだが。
分かった分かった! とゲイリーは必死に声を上げた。
「じゃ、じゃあどうしろってんだよ!」
「俺に協力しろ」
「するする!」
ゲイリーが必死に首を縦に動かせば、ようやく肩を掴んでいた手を離された。痛む肩をさすりながら、ゲイリーは恨みがましく、アッシュを見上げる。
「……で、何するってんだ。銀の騎士サマを連れ戻すのか?」
「お前はこの前の野盗に襲われた時のことを歌え」
「歌? 歌ねぇ……」
ゲイリーは目を瞬かせ、肩をすくめた。
「殿下、あんたは簡単に言うけどよ。ほら、俺だって仕事で歌ってんだ。それ要求するなら銀貨の一つでももらわなきゃ、」
銀貨が一枚、ゲイリーの方に投げつけられた。それを目ざとく受け止めて、ゲイリーは目を輝かせる。
「よっし、歌う歌う! 当然だぜぇ!」
「広間の真ん中に行け」
「なんか合図でもすんのかい?」
「好きに歌いだせばいい」
アッシュが面倒くさそうに手を振って、ゲイリーは意気揚々と歩き始めた。
「――とっとと、このくだらん夜会を終わらせるぞ」
アッシュが低く呟く。その意図がなんなのか、そんなことはしかし、今はもうゲイリーにとってはどうでもいいことだ。
人の心などという分かりにくいものより、掌の中の銀貨の方が余程信用に足る。
*****
なんで、という声が聞こえた気がした。それでフェンはゆっくりと目を開ける。目を開けて初めて、自分が気を失っていたことに気づく。自分を抱きとめているのはオルフェらしい。
あちこちで悲鳴が上がっていた。目の前では、フェンが今まさに入ろうとしていた扉が燃える。燃え盛る炎を呆然と見つめるオルフェの顔は、青い。
「……っ、オ、ルフェ……?」
フェンが恐る恐る声をかければ、はっとしたようにオルフェは顔を向けた。その顔色はやはりよくないが、ニコリと安心させるような笑みを浮かべられるところは、流石というべきか。
「怪我はない? シルヴァリー殿……いや、フェン?」
「……やっぱりばれてたのか」
「そりゃあ、ね。髪は被り物じゃないっていうし。それに」
「それに?」
「銀髪に蒼い目なんて、君ぐらいだよ」
オルフェが自身の目元を人差し指で叩く。フェンが慌てて確かめれば、確かに目元を隠していた仮面は、いつの間にか外れてしまっていた。爆発の時にでも取れてしまったのか。
オルフェは肩をすくめる。
「まぁでも仮面がとれるまでは気づけなかったけどね……ちょっとショックだよ。女装した男も見抜けないなんて」
「あぁ……まぁ、それは……」
フェンは曖昧な笑みを浮かべた。正体がバレているようで、いないらしい。そのことに若干の安堵を覚えつつ、小さく首を振ったフェンは身を起こした。
辺りでは、炎を消そうと水を持ってくる者、我先に逃げようとする者で騒がしくなり始めている。フェンはふらつきながらも立ち上がり、人々の間をぬって、オルフェと共に広間の片隅へ移動する。
「すまない、私はどれくらい気を失ってたんだ?」
「ほんの少しだよ」
「状況は」
「情けない話だけど、見たまま、って感じかな。爆発して燃えてる……これが何かは、君に分かるのかい?」
「……詳しいことは調べてる最中なんだ。でも、この前調査に行ったときに似てる」
「あぁ、あの野盗に襲われたっていうやつか……そうか、だからアッシュもここに来てたのか」
「え、殿下もここにいるのか?」
フェンは驚いて聞き返してしまった。そのことがむしろ、オルフェには意外だったらしい。
「聞いてない? てっきり、その恰好もアッシュに指示されたんだと思ったんだけど」
「いや……というか、これは私、じゃなかった僕の友人の趣味というか提案というか……僕は別の人と一緒に来たんだ。殿下は調査に乗り気じゃなかったから」
「別の人、っていうのは、フェンをエスコートしてた男の人?」
「そう。彼は吟遊詩人で、野盗に襲われた時に助けた人で。それから……そうだ、爆発の前にも歌ってた」
「あぁなるほど」
そういうことか、とオルフェは合点がいったように、ぱちりと目を瞬かせた。フェンが首をかしげると、彼は小さく笑う。
「多分、アッシュに指示されたんだね。あの歌、野盗に襲われた時のことを歌ってたでしょ? この会場にいるかもしれない犯人を炙り出すために、あえて歌わせたんじゃないかな」
「……よく分かるな」
普段のオルフェからは考えられないほど的確な推察に、フェンは舌を巻いた。オルフェは肩をすくめる。
「まぁ、付き合いだけは長いからねぇ。ただ、この策の致命的なところは、犯人が死んじゃったら意味がない、ってとこだけど」
「……ルルド商会」
「……それが疑ってるところの名前?」
「広間で見えたのは男が三人だった。今日の夜会に参加していたのは、あれで全員なのか?」
「いいところつくね」
オルフェはニヤリと笑った。
「ルルド商会からの参加者は、僕の知る限り六人だ」
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