第17話 彼女と踊る羊

 騒然とする中を、男たちは足早に進んでいた。

 自分たちの神経を逆なでするような吟遊詩人の歌。その直後の爆発。それに覚えがないはずがない。

 先頭を歩く男は小さく舌打ちした。後ろからは不安そうな声がとんでくる。


「ど、どうするんだ」

「大体、なんであいつらがアレを持ってたんだ? 荷の中に入れておいたはずだろう」

「お、俺は知らないぞ!」

「うるさい黙れ」


 ひそひそと自分の後ろで交わされる下っ端二人の声を、男は苛々しながら制する。無理矢理、客を押しのけながら広間を出る。不意に、前方が騒がしくなった。


 入り口の方だ。鎧を身にまとった兵士たちが入ってきている。その彼らに囲まれるようにして、険しい顔をした朱髪の青年が見えた。それに思わず男は呻き、背後の仲間のどちらかが焦ったように声を上げた。


「だ、第一王太子がなんでこんなところに……!」


 わざわざ騒ぐな。半ば怒鳴る様に言いながら、男は忙しなく視線を走らせる。爆発と共に現れた炎は、徐々に弱まりつつあった。先ほどまでは我先にと逃げようとして客たちも、少しばかり落ち着きを取り戻しつつある。男は素早く考えを巡らせた。ルルド商会にあって、男はいつだって頭を使って行動していた。今も昔も、そうしていたのは彼くらいのものだ。だからこそ、のろまで愚鈍なボスは予定通りに死んだわけだが。

 男は小さく鼻を鳴らした。第一王太子がこの夜会を訪れるのは誤算だったが……まぁいい。これはこれで仕方あるまい。


「取引に使う荷は?」


 短く問えば、男二人のどちらかが戸惑ったように声を上げた。


「そ、それは予定通り部屋に運んであるが……逃げた方がいいんじゃ」

「なぜ逃げる必要がある?」

「だ、だって荷の中がバレたら……」

「バレるはずがない」


 お前らや愚図な元ボスと、この俺は違うんだから。胸中で嘲う。男は館の二階に続く階段を上った。途端に、人気がなくなる。当然だった。二階は商談を――それも、人の目が憚られるような重要な商談を行う時に限って使うからだ。一階の雑多な空気とは程遠い、しんと静まり返った空気。それに男は我知らず気を引き締める。


「ルルド商会の方かな」


 不意に声をかけられ、男は驚いて足を止めた。ちらりと視線を横に向ける。そこには青年が一人。

 片目しか隠れていないふざけた仮面を身に着けた、甘いマスクの青年。


「……オルフェ・ルアード殿」


 この国一番の商会にして、商売敵の名を憎々しく男が呼べば、オルフェはひょいと肩をすくめた。


「駄目ですよ。今日は”時の歌い手クロノス”と呼んで頂かなければ」

「何の用だ」

「探し人は二つ目の部屋に」

「……なぜそれを」

「なんで? そうだなぁ……あんたが俺と同じくらいの規模の商会の主になったら分かるんじゃないですか?」


 オルフェが馬鹿にしたように笑った。男は顔を真っ赤にする。男の後ろに控えていた仲間たちが聞くに堪えない悪態をつく。そのどちらもに対して罵詈雑言が喉元まででかかるが……それを飲みこむだけの分別も男にはあった。


「失せろ」

「はいはい。良い商談を」


 型どおりの別れの言葉を口にして、オルフェがひらりと手を振る。それを一瞥することもなく、男は足音高く扉に近づいた。乱暴にドアノブを掴んで中に入る。


 部屋は暗い。壁一面にはめられた窓ガラスを大粒の雨が叩いている。男たちの商品が入った箱が、部屋の中央のテーブルに置かれていた。ここに運び込んだ時と全く同じ。だが。


「……お待ちしておりました。”踊る羊ダンシー”殿」


 降り注ぐ雨と同じくらい静かな声がして、テーブルの向こうから一人の女性が姿を現す。暗闇の中でも尚輝く銀の髪。仮面はとれ、剣呑に細められた目が露になっていた。サファイアにも負けない、蒼く、穢れを知らぬ瞳。

 男は小さく唇を吹く。


「ほう、まさかシルヴァリー殿がお待ちとは」

「……驚かないんですね」

「大方逃げ出したんでしょう? ルアードの若造が、わざわざ私に告げに来た時点で、察するなという方が無理がある」


 言いながら男は……ダンシーは悟られないように後ろ手で控えていた男に指示を出した。

 扉の鍵を閉めろ、と。


*****


「それで? シルヴァリー殿が、代わりに取引相手をしてくださるのかな?」

「……いいえ」


 フェンは慎重に相手を見つめた。相手は三人。うち二人は扉に一番近い暗がりにいて、顔がよく見えない。最後の一人、ダンシーの顔は窓からの弱い光でよく見えた。見えたものの、その顔に張り付いているのは不敵な笑みで、フェンは眉をひそめる。妙な余裕だ。女相手だと侮っているのか。だとすれば好都合だが。


「大人しく捕まってください」

「どうしてです? 我々は取引をしに来ただけだ。商人が取引をして何が悪いと?」

「その積み荷の中身が問題なんでしょう」


 フェンは警戒しながら、中央の箱を目で示した。ダンシーが肩をすくめる。


「ただの香辛料ですよ。ここから遥か東の国から仕入れたばかりだ」

「……では、中身を見せて頂いても?」

「もちろん」


 ダンシーが鷹揚に頷いて、箱に近づいた。懐から鍵を取り出し、錠前に差し込む。かちり、という音が、雨音に交じってやけに大きく聞こえた。箱の開け口をフェンの方に向け、どうぞ、と笑ってダンシーが蓋を開ける。その瞬間だった。


 フェンはその場を飛びのく。先ほどまでフェンが立っていた場所に、仲間の男二人が持つ剣が突き刺さっている。ダンシーは目を細めた。僅かな苛立ちを滲ませながら。


「なかなかの身のこなしですな」

「それほどでも」


 フェンは小さく笑う。それが合図だった。


 男二人がフェンに向かって剣を突き出した。一人の男の剣を、フェンはステップを踏むようにして避けた。避けざまに、隠し持っていた短剣を素早く眼前にかざす。それだけで、もう一人の男の剣をいなし、叩き落とす。翻って返す刃を突き上げた。鋭い音と共に、再び後ろから迫る剣をはじき返す。流れるように踊るように、青のドレスをまとってなお、軽やかに動いたフェンは、瞬く間に男二人を叩きのめした。


 男たち二人が呻いて倒れる。その中で、静かに短剣の切っ先をダンシーに向ける。今やダンシーの顔に余裕はない。その手が忙しなく懐をまさぐっている。フェンは直感的にダンシーに向かって駆け出した。彼が何かを取り出す。それをしかし、フェンは呆気なく叩き切る。


 ――否、『それ』は呆気なく壊れた。


「っ――!」


 鼻をつく、ひどく甘く苦い臭い。ぐらりとフェンの視界が歪んだ。同時に、思い切り頭を殴られ、フェンは床に倒れこむ。


「っ、あ」

「――ふ、は、ははっ! 油断したな! 小娘風情が!」

「な、にを……っ」


 問いかけは、無情にもダンシーに腹を蹴られて中断された。咳き込むフェンを、ダンシーは乱暴に床に組み伏せる。


「なにを? 良い質問ですな、シルヴァリー殿」


 耳元の声はぞっとするほどの猫なで声だった。視界の端で、割れた小瓶が揺れる。 その中に入っているのは、濡れた、赤い布。


「これはよく燃える布でしてね」


 フェンの視線に気づいたダンシーが上機嫌で説明した。


「特殊な液に浸してあるんです。そのおかげで良い火種になる――というのが本来の使い方ですがね。この液自体も良い薬だ。例えば、一瞬気を失わせるような」


 ダンシーの指先が、這うようにフェンの体をまさぐる。ねっとりと、絡みつくような息遣いが耳元でする。それにフェンは恐怖を感じる。感じてしまった。


 普段の訓練でなら――騎士としてのフェン・ヴィーズであるなら、どうとでもできる相手だった。ダンシーに、大して力を込められているわけでもない。彼より余程屈強な男たちを相手にしている。相手にして、フェンはいつだって彼らを叩きのめしてきた。


 だが、ちがう。これは。なんだ。


「――そういえば、シルヴァリー殿にはワインのお礼がまだでしたね」


 無理矢理、仰向けにされた。その淀んで、邪で、下劣な光をはらんだ瞳を、フェンはまともに見てしまう。背筋が凍った。それは今まで向けられたことのない類の視線で、彼女を怯えさせるのに十分だった。


 ダンシーはにんまり笑う。指先でフェンの露になった肩口をなぞった。触れるか触れないかの指先にフェンは総毛立つ。


「……っ!」

「ははっ! 素晴らしい! そうやって耐える瞳も堪りませんな!」


 ダンシーはニタニタと笑う。笑いながら、その手がいやらしくフェンの胸をなぞり、首筋をたどって、唇にたどり着く。その指をフェンは思い切り噛んだ。

 途端、思い切り顔を殴られる。


「……つけあがりやがって! おい! お前ら、こいつを抑えてろ!」

「っ、やめ、」


 悲鳴を上げかけたフェンの口に、あの赤い布が詰められた。脳髄を痺れさせるような、甘ったるい苦い香り。再びぐらりと視界が揺らぐ。それでも弱弱しく抵抗するが、あっという間に近づいてきた男たちに両腕をとられてしまう。男たちが、興奮したように何かを言い合っていた。なんといっているのか。聞こえているはずなのに、フェンの頭の中では最早意味をなさなかった。


 いやだ……いやだいやだ。まともな思考ができない中で、フェンはくぐもった悲鳴を上げる。腰を撫で、太ももをねっとりと撫でられた。降り注ぐ視線は、纏う衣を通り越して、自分の素肌を舐めているかのようだ。


 いや……いや。フェンがそう思う中、無情にもダンシーの手がドレスの下に潜り込む。フェンは恐怖のあまり目を見開く。


 その時だった。


 鮮血が、舞う。一拍遅れて、誰かが悲鳴を上げる。

 そして。



「――随分、楽しそうなことをしているじゃないか。え?」



 愉悦を滲ませた、低い声がした。

 アッシュの声が。

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