第56話 揺蕩う蒼は彼らを繋ぐ

「各村の小瓶の置き換え、全て完了致しました! ルアード様!」


 きびきびと兵士が告げる。

 その声にオルフェは詰めていた息を吐き出した。視界の端で、ユリアスの表情が強張るのを捉えながら、兵士に名前を呼ばれたオルフェは努めて冷静に返事をする。


「ご苦労だった。ダリル村の方は?」

「今日の昼ごろには、村に入るとの連絡を受けております。敵対勢力は指示の通りに殺さず生け捕ると」


 その言葉に、オルフェは一つ頷いた。報告を寄越してきた禿頭の男を思い出す。オルフェの従者として屋敷に仕えて長い彼だが、水の国との戦ではアッシュ率いる兵団に所属していた男だ。多少の荒事にも対処してくれるだろう。

 オルフェは兵士に、次の指示があるまで自室にいるよう告げた。彼はすぐに身を翻してその場を立ち去る。

 僅かな沈黙が落ちた。風が窓を揺らす音だけが響く。手の中の小瓶に目を落とし、オルフェは祈るように目を閉じる。


 そして。


「配下の兵からの報告だと思ったか? 殿下」


 オルフェは、意を決して静かに口を開く。返事を待たずに、言葉を続ける。


「フェンを討ったか、水の国の村で爆発が起きたか……どっちにしろ、ろくでもない報告が来る手はずだったんだろうが。残念だったな。全て、こちらの予想通りだ」


 目を開いて、顔を上げた。窓を背にし、ゆっくりと隣に立つユリアスと対峙する。

 ユリアスが怯んだ様子はない。流石は第一王太子というべきか。浮かんでいる笑みはそのままで、紅の目がすいと細められる。


「……どういうことか、説明してもらえるかな。オルフェ・ルアード」

「説明もなにも、さっきの兵士の報告どおりさ。殿下は爆薬を水の国の村に配置していた。それを全て、俺達がすり替えた」

「すり替える、ねぇ」


 返事の代わりに、オルフェは手の中にあった小瓶を放り投げた。小瓶は床に当たって呆気なく砕ける。中に入っていた液体が廊下を濡らす。だが、小瓶の液体特有の甘く苦い香りが漂うことはない。

 当然だ。中身はただの水なのだから。

 微動だにしないユリアスの隣で、オルフェは慎重に言葉を続けた。


「有り難くも、爆薬とそっくり同じ小瓶をスイリ薬局の人間が用意してくれたのさ。それを俺の商会が水の国の村に運んだ……あぁ、安心してくれ。回収した爆薬は、ルアード商会で薬として扱わせてもらっているよ。丁度昨日から売りに出したところでね。効きが良いものだから、スイリ薬局の名も知れ渡りつつある」

「薬? そんな馬鹿げた話が」

「あの花は、水の国では薬として使われていたんだ。知らなかったか?」


 ユリアスは、その紅の目でオルフェを見つめたまま沈黙する。

 オルフェはその意図を推しはかることを早々に諦め、割れた小瓶を踏みしだきながら歩を進める。


「爆薬の素になる、花の名前はスゥーリという」


 硝子の断片を踏みしめれば、薄氷にヒビが入るような軋んだ音が生まれる。

 それを響かせながら、オルフェは静かに言葉を続けた。

 スゥーリの花は、と。


「本来は水の国にしか自生していないはずの植物だ。しかも川辺にしか咲かない」

「……それが?」

「爆薬は、新鮮なスゥーリの花を大量に煮詰めて作る。ところが近場の水の国から王都まで、最短でも一日以上かかるんだから……大量の花を遠方から調達してくるのは不可能だ。ならば、王都のどこかから、スゥーリの花を調達する必要がある」


 一息に言って、オルフェは立ち止まった。僅かな光を反射して、散らばった小瓶の断片が鈍く輝く。それを踏みしめて、オルフェは振り返る。小瓶と共に入れていた、一輪の花を懐から取り出した。


 瑞々しく咲き誇るスゥーリの花が、薄暗い廊下の空気に晒される。

 ユリアスの柳眉がピクリと動く。畳み掛けるようにオルフェは言葉を紡ぐ。


「まさか、王城の脇を流れる川辺に咲いているだなんて、思いもしなかったよ。だが同時に、良い手がかりにもなった。花が咲くには種が要る。その種の出処は近くにある。そうだろ?」

「…………」

「この城の近くを流れる川は、王城中の水を賄う。あんたたち王族がそれぞれに所有する、赤い糸の原料となる葉を育てるための庭も例外じゃない」


 オルフェは言葉を切った。白い花に唇をあて、挑むようにユリアスを睨みつける。


「殿下……貴方はその庭でスゥーリの花を秘密裏に育てさせ、スイリ薬局の人間に渡していた。違うか?」


 静寂が落ちる。窓が冬の風に揺られて音を立てる。

 ユリアスの表情に、変化はない。薄っすらと浮かべた笑みも、堂々とした佇まいも、何一つとして変わらない。だが。


「……そう、それで?」


 ユリアスは、一度ゆっくりと瞬きをした。

 貼りつけていた笑みを消す。氷のように冷めた瞳で、オルフェを見据える。


「その証拠を掴んだ所で、君はどうするつもりなのかな? この事実を公表する? たったそれだけのことで、この私を捕まえられるとでも?」


 不意に空気が重くなる。絡みつくような冷たさは、決して冬の寒さのせいだけではない。

 ユリアスの紅の目が苛烈に輝いた。他者を問答無用で従わせる威容にオルフェは怯みそうになる。だが。

 無理矢理、オルフェは笑みを浮かべた。


「捕まえるだなんて、滅相もない、殿下……むしろ俺としては、貴方の名前を存分に利用させて頂いていてね」

「へぇ?」

「心優しき第一王太子は、人々の病を癒やすために水の国に伝わる薬草に目をつけた。彼が苦心して、王宮の庭で栽培に成功させた薬草の効果、とくとご覧あれ」


 昨日から使っている宣伝文句をオルフェは一言一句違わずそらんじる。

 ユリアスの眉が不快げに歪む。オルフェは射抜くような視線を真っ向から受け止める。


「俺たちの目的は、どこぞの誰かさんの爆薬の悪用を止めることだ。現存する爆薬は、全てこっちの手元にある。爆薬を作るための技術を持った人間は、俺たちの側についた。あんたが後生大事に抱えていた花の存在は、公の目に晒される。これで十分なのさ。俺たちにとっては」 

「……理解できないな」


 ユリアスは紅の目を暗く光らせた。


「何故、私の邪魔をする? お前の……いや、お前たちの行動は、何一つ、この国の為にならない」


 オルフェは肩をすくめた。


「あんたの弟の考えの方が、余程魅力的だから、ってとこだな」

「魅力的? 笑わせるな。どうせまた、何もかも救いたいなどと抜かしているんだろう……非効率的で、非現実的だ。誰も彼もが手を取り合って、仲良く国造りが出来るとでも?」

「そうだな。あいつの考えは全くもって、お綺麗な理想でしかない。二つの国の民の両方から信頼を得るなんて、不可能に近い。その点は同意するよ、殿下」

「ならば、」

「だが、不可能という理由で、信頼を勝ち取る努力を怠るのは、少々暴論がすぎる」


 スゥーリの花を握りしめ、オルフェは負けじとユリアスを睨み返した。


「なるほどな。信頼がなくとも、国は動くかも知れない。だが……たとえ時間がかかったとしても、信頼を築いた上で無駄な争いが避けられるのであれば、そちらの方がいいに決まってる」

「妄言だな。成功するはずがない」

「ご心配なく、殿下」


 敵意を隠しもしないユリアスに、オルフェは再び微笑んだ。


「成功させるつもりで、俺達はやってるんでね」


*****


 森の中に突然現れた男達は、一直線にルル達の方へ馬を駆けさせた。ダリル村の女たちは悲鳴をあげる。ルルは恐怖に体を固まらせたまま、迫りくる馬を見つめることしか出来ない。純然たる恐怖を前にすれば、体が硬直して逃げることすらままならないのだと、痛感する。


 馬上の男達が剣を掲げた。頭からすっぽりと被ったフードがはためく。馬の勢いは止まることない。剥き出しの剣が禍々しく光を反射する。ルルはぎゅっと目を閉じる。そして。


 馬はルルの真横を通り過ぎた。

 ついでルル達の背後から響くのは、刃の交わる甲高い音。


「――え?」


 振り返ったルルは、ぽかんと口を開けた。


 馬に乗った男たちが、鎧を身に着けた見知らぬ兵士と交戦している。兵士の数は三人だけだ。加えて、彼らは歩兵であり、馬上の男達の有利は歴然だった。


 だが、いつの間に歩兵がルル達の背後に迫っていたというのか。


 呆けたようにルルが考える間にも、耳障りな悲鳴と共に兵士達は切り倒された。馬上の男達は、馬を宥めつつ、露を払う動作と共に剣をしまう。そして、状況が飲み込めないルル達を見下ろす。


「大丈夫ですか、お嬢さん方」


 男の一人が、フードを外しながら声をかけてきた。正体不明の禿頭の男は柔和な笑みを浮かべている。

 だが、ルルどころか村の女達の誰も面識のない男だ。ルル達が黙り込んでいれば、禿頭の男が弱ったように頭を掻いた。

 眉根を寄せ、口を開く。


「あぁ申し遅れました。我々はルアード商会の者で、」

「ルル!」


 禿頭の男の声は、ルル達の背後から飛んできた明るい声に遮られた。女たちの不躾ぶしつけな視線が一斉に向けられる中、ルルは振り返る。


 声がしたのは、禿頭の男たちがやってきた方角だ。フードを被った人影が二つ、近づいてくる。

 どちらも、男だった。そのうちの一人は随分背が低く、醜男で……おぼろな記憶ながら、確かに見覚えのある顔にルルは目を瞬かせた。


「ゲイリー……」

「おいおい、そこはゲイリー先生って呼ぶところだぜぇ?」


 ルル達の元に合流したゲイリーは、決して印象が良いとは言えない笑みを浮かべた。被っていたフードを仰々しい動作で外し、意味ありげにルルを見やりながら、両腕を広げる。

 ルルは眉をひそめた。


「……どういう意味か、わからないんだけど」

「んん? 感動のあまり、俺様に抱きつきたいんじゃねぇかと思っ、」

「茶番はやめろ」


 意気揚々と喋っていたゲイリーの声を遮ったのは、もう一人のフードの男だった。冬の風が強く吹き付け、男の被っていたフードを外す。

 短髪に、血色の悪い顔をした男だった。一生こびりついて落ちなさそうな目の下の隈を歪め、白い息を吐き出した男は、禿頭の男をちらりと見上げた。


「敵は今ので全部なんだろう? ならば、とっととダリル村に向かうべきだ」

「そうですね、ライさん。我々ルアード商会が三人がかりで護衛しているとはいえ……第一王太子殿下の息のかかった兵士がこれ以上来るとも限りませんし」


 禿頭の男の言葉に、背後に控えていた部下らしき男二人も無言で頷く。

 ルルは恐る恐る声を上げた。


「……おじさんたちは、一体何をするつもりなの……?」


 男たちが意味ありげに視線を交わした。言うべきか、言わざるべきか……迷うような様子が如実に伝わる。子供だからとおもんばかる空気は、ルルにとっては馴染み深く、同時に嫌いなもので。

 また、何も言われないのか。ルルの気持ちが、ざらりとささくれだった時だった。


 ゲイリーがニヤリと笑う。何かを感じ取ったのか、禿頭の男が迷惑そうに声を上げようとする。

 だが、ゲイリーの方が一瞬早かった。


「ちょっくら小瓶を置きに行くんでぃ」

「……小瓶?」


 ルルは目を瞬かせた。禿頭の男が頭を抱える中、ゲイリーが得意げに頷く。


「おうともさ……そういや、ルルよ。お前さんはダリル村の小麦の保管場所が分かるか?」

「? それは……分かるけど」

「いいねぇいいねぇ! んじゃあ、ちょっくら俺たちのことを手伝ってくんねぇかい?」

「おい、遊びじゃないんだ。餓鬼を連れて行く余裕なんてないぞ」


 ゲイリーの提案に、ライと呼ばれた男が低い声で反論した。目元がぴくぴくと動いている。突き刺すような不機嫌さに、思わすルルは怯んだ。

 だが当のゲイリーは軽く肩をすくめる。


「ってもよ。元々、話の分かる村人に小麦の保管場所まで案内してもらう、って手はずだったろい? んで、お前らスイリ薬局の人間が爆薬を回収して、オルフェんとこの商会の人間が護衛してくれるっつー完璧な作戦なワケよ。なら、この子に手伝ってもらう理由は出来るじゃねぇか」

「その辺りにいる女を連れていけばいい。どうせこいつらがダリル村の人間なんだろう」


 ライは苛々と周囲の女たちを睨めつけた。女たちが警戒したように身を寄せ合う。

 その様をルルは冷めた目で見やる。


 哀れに思わない、わけではない。彼女たちはただ巻き込まれただけだ。目の前の男たちは、ダリル村の女たちにとって面識もない人間だろう。


 けれど同時に、こんな状況になっても傍観者であり、被害者であろうとする態度が気に食わなかった。

 これ以上ダリル村に厄介事を持ち込まないで欲しい、という気持ちは、彼女たちからありありと滲みでている。

 だというのに、彼女たちは息を潜めて静観するばかりだ。


 なら、自分はどちら側だろう。

 きゅっと唇を噛み締め、ルルは顔を俯けた。考えを巡らせる。ちらと頭をよぎったのはフェンの顔だ。


 逃げないの、というルルの問いに、逃げないよ、と答えた彼女の顔。


「……おじさん達のことを手伝えば、フェン姉ちゃんの助けになる?」


 そろりと顔を上げて、ルルは問う。

 何の脈絡もない問いに、ダリル村の女達は白けた視線を向ける。

 ライと禿頭の男、それに彼の後ろに控えていた男達は一様に息を呑み、顔を見合わせる。

 そして破顔したゲイリーは、ルルの頭をくしゃりと撫でた。


「察しがいいじゃあねぇか。そういうこった」

「……分かった。なら、私が案内する」


 乱暴に撫でてくるゲイリーの手を鬱陶しく思いながらも、ルルは強く頷いた。


*****


「アハハっ! お前らは本当に、どこまでも愚かだよ!」


 フェンの体を借りたまま、炎の神は高らかに笑った。


 握る剣の切っ先を、アッシュの胸元に沈み込ませる。彼は苦悶の表情を浮かべた。血反吐を吐く。体が傾ぐ。剣が無骨な彼の手から力なく落ち、鈍い音を立てて地面に転がる。

 眼前の男は、己が胸元に突き立てられた刃を縋るように握った。だが結局耐えきれずに、両膝を地面につく。

 彼の掌が刃で斬られる。胸元から流れる鮮血と混じりあう。


 舞い散る白雪は、刃に触れる度にじわりと赤に染められた。

 戦場の怒号は、炎神の契約者の願いと裏腹に一層激しさを増す。


「あぁ……本当に滑稽じゃないか。えぇ?」


 炎神は、紅の光を灯す蒼の瞳をうっとりと細めた。


「水の国の王女が、火の国の王太子を手をかけた……語り継ぐ歌を作るならば、こんなところかの。あぁすまんな。我に詩人の才は無くてなぁ。お前の子飼いの吟遊詩人にでも考えさせれば、いっそう民にも受ける話になろうて」


 余程の激痛なのか、アッシュはぴくりとも反応しない。炎神は眉をひそめ、さらに剣を押し込んだ。

 低く呻く王太子に、機嫌を良くした炎神は身をかがめた。

 鮮血が剣を伝い、炎神の方に流れていく。


「なぁ殿下。聖夜祭は、見事なものであったな?」


 絡みつくような炎神の声に、アッシュは顔を上げた。

 痛みも忘れて睨みつける男に、炎神は微笑み、ゆるりと顔を近づける。


「一つの夜会で、あれほどの数の燈籠ランタンが使われるとはなぁ? 永く生きる我も初めて見た……だが無数に灯された炎のおかげで、我が目にも困らなんだ」

「……っ」

「ふふっ、殿下。隠し事は炎のない場所でせねばの……といっても、お前に次はなかろうが」


 くつくつと喉を鳴らして炎神は嗤う。アッシュが唇を震わせた。音にすらならない男の声に、炎神はしなやかな体躯をわざとらしく寄せる。眼前の男の苦悶の表情を憂うように、白い首筋を晒しながら艶かしく小首をかしげる。

 刃が、ますます深くアッシュの体に沈み込む。


「んん? なんだね、殿下?」

「……っ、な、にが目的だ……」

「目的? っ、はは! この期に及んで尋ねることがそれとはな!」


 アッシュの掠れ声に、炎神はくすくすと笑った。剣が揺れる。アッシュの胸元から溢れる鮮血は留まることを知らない。刃を伝い、フェンの白い肌を穢す。


「そうさなぁ……この体は、暗闇に灯る燈籠ランタンと言ったところなのさ。殿下」


 炎神はのんびりと言葉を続けた。右手で剣を突き立てたまま、左手の甲についた温い血を舐め取る。

 生臭く鉄の味の混じるそれを、炎神はこれ見よがしに嚥下した。浅く息をするアッシュを見下ろし、目を細める。


「これの掲げる理想は眩かろう? ゆえに周りを飛び回る羽虫は惑い惹かれ、いずれは炎に焼かれて命を落とす。お前のように。あるいは、この戦場にいる誰もがそうであるように」

「…………」

「未だかつて、これほど素晴らしい器はなかったぞ? 最初は、この女が死ぬまでの契約のつもりだったが……これが命を燃やせば燃やすだけ、愚かな人間どもが死に向かうんだ。なれば、この女を生かさず殺さず、我が上手く利用してやったほうが、たくさんの命の果てを見守ることができる。まさに我のためにあるような女じゃないか。えぇ?」

「……っ、そ、んな、ことのために……」


 顔を歪めたアッシュがぽつりと呟いた。だが、それだけだ。瞼が力なく落ちる。顔を俯ける。彼の手は相変わらず刃を握っているが、ほとんど力が籠もっていないのは瞭然だった。

 その光景に、炎神の胸奥がつきりと痛む。微かに残るフェンの意識が悲鳴を上げている。


 あぁそういえば、優しき水の巫女は眼前の男に想いを寄せているのだった。他人事のように思い出し、炎神は口角を釣り上げる。


 せめてもの情けとばかりに、炎神はほっそりとした指先を伸ばした。ことさら優しくアッシュの口元の血を拭う。


「安心するが良い。巫女の体は我が存分に愛で、活用してくれよう……なぁ、アッシュ・エイデン?」


 炎が一際高く燃え盛る。戦場に舞う紅の光と、アッシュの胸元から溢れ出る鮮血の赤に、白雪が溶けて消えていく。

 その中で、フェンの声音のまま、フェンの顔のままで、炎神は嗤う。

 そして火の国の王太子は、深く、永く、息を吐きだして。








『……我が身に注がれし水神の力よ』







 低い声で、呟く。


 それは、消え入りそうなほど小さく、掠れた声だった。だが確固たる意思が滲む。

 そしてそうであるが故に、炎神は驚愕し動きを止めて。


 アッシュの胸元、剣の刺さった部分を中心に蒼の燐光が溢れ出した。

 凪いだ水面に一滴の雫が落ちたような揺らめきと共に、蒼光が緻密な紋様を描く。

 流れる鮮血を辿って、水神の力を纏った光が刃に絡みつく。


「っ……貴様……水神と契約を……!?」


 炎神は顔を歪ませた。慌てて刃を引き抜こうとする。だが、どこに力があったのか、眼前の男は刃を掴んで離さない。


 アッシュは、静かに顔を上げた。


 己が胸元から立ち上る蒼光に朱髪を揺らして。

 ゆっくりと目を開いて。

 紅の瞳を爛々と光らせて。

 刃を己に突き立てるように引き寄せて。


 獰猛に笑い、口を動かす。


『我が血に集いて 鎮めの加護を与えよ――!』


 アッシュの声に応じて、水神の力が解放される。燐光が炎の紅を飲み込む。白雪を染める。


 戦場に、蒼が溢れた。

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