第26話 彼女と共闘

 スゥーリのはなは しろいはな

 あきのおわりに はなひらく


 スゥーリのはなは いやしのはな

 いとしのきみを よびさまさん


 スゥーリのはなは やくそくのはな

 しんじあうふたりに さちおくる


「ほら! おれの言った通り、たくさんあっただろ!」


 得意げなロランの声がして、ルルは歌うのやめた。


 彼女が座るのは、川辺にあった岩の上だ。大人の背丈ほどもある岩の上で、足をぶらりとさせながら、彼女はちらりと視線を送る。


 川の浅瀬でふんぞり返るロランが見える。その足元には、小さな白い花が絨毯のように咲き誇っていた。ルルに向かって、ぶんぶんと腕を振っている。その度に、無造作に千切られた小さな白い花が零れ落ちる。

 ルルは顔をしかめた。


「ねぇ、やっぱりこんな森の奥まで来なくて良かったんじゃないの」

「なんでそんなこと言うんだよ」

「だって、花なんてどこで摘んでも同じじゃない。リズおばさんに言われた川辺で摘めばよかったんだわ」

「ばっか。分かってねぇなぁ! この辺の水はトクベツなんだぞ!」

「特別って、何が特別なのよ?」

「そりゃあお前……ええと、ほら。水のセイブン?ヨウブン?が他と違っててぇ……」

「ほら。あんただって、よく分かってないじゃない」

「う、うるさいな! もういいし! お前らはそこで見てればいいんだ! その代わり、あとでリズおばさんにさぼってたって言いつけてやるからな!」


 怒りから顔を真っ赤にしたロランは、そのままルルに背を向けて花を集め始めた。

 ルルは小さくため息をついて、自分の座る岩の下に視線を向ける。

 首をすくめ、岩陰からおどおどとロランの様子をうかがう少年が一人。


「で、クリスはどうするの?」

「……つ、摘むよ。もちろん」

「じゃあとっとと摘んできたら?」

「う……も、もうちょっと待ってるよ。ロランが終わるまで」


 怯えたようにロランの様子を見つめながら、クリスがぼそぼそと返す。こっちはこっちで、頼りない。いつもロランに苛められているから、仕方ないのかもしれないが。


「いくじなし」


 ルルはぼそりと呟いた。クリスが言葉に詰まったようにルルの方を見上げてくる。


「そ、そんなこと言われたって……」

「あんた、仮にも村長の息子でしょ? もうちょっと強気でいきなさいよ」

「だって……ロラン、すぐにぶってくるし……」

「あいつはあいつで、副村長の息子って自慢しすぎなのよ。殴ってくるなら、やり返して、あいつの鼻をへし折ってやればいいんだわ」

「そんな……!?」


 クリスが顔を青くして、首をぶんぶんと横に振る。やっぱり意気地なしじゃない。心の中だけでぼやいて、ルルは大仰に声を上げた。


「あーあ。やっぱり、この村の中で格好いいのはフェン兄ちゃんだけね」

「……フェン兄ちゃんは、この村の生まれじゃないと思うんだけど」

「グレイさんもカッコよかったしなぁー。やっぱ、あたしも都に行こうかしら」


 クリスの声を無視して、白々しくルルは声を上げた。


「なら、俺も行くぞ!」


 ルルの声を耳ざとく聞きつけたロランが、ぱっと勢いよく振り返る。


「ほら、この前ライ兄ちゃんが都に行ってただろ……ティルダさんとこの。あいつらが都に行けたのだって、親父が手助けしたからなんだぜ!」


 ふんぞりかえるロランに、ルルは呆れた視線を向けた。


「あのねぇ……偉そうに言ってるけど、あの後、村長すっごく怒ってたじゃない。あいつらは掟破りだ、って」

「村長の考え方が古いんだ。親父はそう言ってたぞ」

「すぐに自分のお父さんの話を出してくるんだから」

「なんだよ? じゃあルルは都に行きたくないのか?」

「あたしはちゃんと村長の許可をもらってから行くわ。あんたとは違うの」


 ロランが怒ったように何かを喚き始めた。クリスは心配そうにルルとロランを見比べている。

 けれどそのどちらも、ルルにとってはどうでもいいことだ。


 あーあ、と無意味に声を上げながら、ルルは辺りを見回す。といっても、特段面白いものがあるわけでもない。


 彼女たちの背後には、森が広がっている。彼女の座る岩場のすぐ先を川が流れている。川の水かさは、ほとんど無いに等しい。ロランの足裏ほどの深さしかない。だからこそ、スゥーリの花が水に流されることなく育っているのだろうが。

 そして川の向こう岸には、切り立った岩場がそびえたっている。山に生きる動物でさえ、登るのは難しそうだ――そう思ったルルは、ふと目を止めた。


「……あの石、何か書いてある?」

「え?」

「ほら」


 小首をかしげたクリスのために、ルルは指先で示した。

 向こう岸の……川辺にほど近いところにある大きな真四角の岩だ。表面は枯れかけた蔦で覆われていたが、葉がすっかり落ちているせいで、表面に何かが彫ってあるのが見えた。


「うーん……? 祠石かな……?」

「森の入り口にあるやつ? でも、あんなに大きいの見たことないじゃない」

「それは……そうだけど」

「ちょっと行ってみてくるわ!」


 クリスの慌てたような制止の声を背に、ルルは岩から飛び降りた。幸い、川の水かさは向こう岸まで行っても変わらなかった。いぶかしむロランの横を通り過ぎ、まっすぐ岩の方にたどり着く。


 岩の表面を掌で拭う。案の定、細かく何かが彫り込まれていた。ルルにはしかし、それが文字のようだ、ということしか分からない。


 むしろ気になったのは、文字に囲まれるようにして描かれている一つの絵。


 ルルは眉根を寄せる。


「なんだなんだ?」

「ま、待ってよぅ、ルル……」


 遅れてやってきたロランとクリスが、彼女の肩越しに岩を覗いてきた。


「ねぇ、クリス、ロラン」


 その彼らに、ルルは疑問を口にする。


「この絵、なんだと思う?」

「ああん……? これはあれだろ、水龍様だろ?」

「ま、待ってよロラン。それにしては変じゃない……?」

「ああ? クリス、お前生意気だぞ」

「ひっ……ご、ごめん……」

「ちょっと、クリスを虐めないで。ロラン」


 不機嫌そうにクリスを睨みつけるロランをたしなめて、ルルはクリスの方をちらりと見やる。


「クリスは何が変だと思うの?」

「……だって、水神様って、蛇みたいな形をしてる、でしょ? でもこの絵、蛇というよりは蜥蜴みたいな体じゃない? 羽みたいなのも生えてるし、口から何か出してる」


 いや、なにかというより、これは。



 炎、なんじゃないか。何の根拠もなく、直感的にルルがそう思った、

 その瞬間だった。



 空気の焼ける音がして、三人を囲うように炎が上がる。


 悲鳴を上げた。それが自分のものだったのか、他の二人のものだったのかは、ルルには分からなかった。

 川面の奏でる涼しげな音が、燃え盛る炎の音でかき消される。


「な、なんだよこれ……っ!」


 ロランの声は恐怖のあまりひっくり返っていた。そんなもの、分かるわけない。ルルはそう言ったつもりだったが、体が震えすぎて声になっていなかった。クリスは顔を真っ白にしてルルの服の裾を掴んでくる。


 突然現れた赤い火は勢いを増す。川の水に触れているというのに、炎が消える気配はない。何が起こっているのか、ルルは分からなかった。肌を焼く熱量がなければ、悪い夢のようにも思えた。やっぱり、こんなところに来るべきじゃなかったのだ。ルルの胸いっぱいに後悔がにじむ。


 ――……えが


 不意に、燃え盛る炎に紛れて声がした。ルルは弾かれたように辺りを見回す。けれど自分たち三人の他に人影はない。ロランとクリスが気づいた様子もない。


 ――おま……が……を……


 声は低く、重苦しく、掠れている。ざらざらと神経をなぞられている気がして、ルルは気味が悪くなる。


 ――おま……が……をむす……か……


 何かが自分たちをじっと見ている。見つめている。

 まるで、獣が獲物を見定めた時のような視線。それを感じて、ルルは我知らず後ずさった。その背に岩が当たる。そして。


 ――お前が、我と契りを結ぶか


 自分の背後。耳元にふきまれるように、はっきりと男の声がする。暗く、昏い悦びに満ちた言葉がルルの鼓膜を揺らす。


 それに耐えきれなくなって、ルルが悲鳴を上げた時だった。


『……我らが母なる水神よ』


 涼やかな、声が響く。

 それと同時に、炎からルル達を守るように、蒼の光が立ち昇った。


*****


『……我らが母なる水神よ』


 フェンの祈りの言葉と共に、蒼光が舞う。


 燃え盛る炎の隙間から、怯えたように身を寄せ合う子供たちの姿が見えた。そのうちの一人は、たしかに見覚えのある少女で、フェンは剣を握る手に力をこめる。

 迷いはない。この炎は、フェンでないと消せない。

 

『我が名において 仇なすものを鎮めよ 流転し 母なる神へと戻せ』


 歌うように言葉を紡ぐ。瞬間、フェンの周囲を揺蕩っていた蒼の光は、水となって炎へ向かう。蒼の水が炎に触れたそばから、白煙が立ち上る。辺りが白くけぶる。

 けれど、これで炎は消えるはずだ。頭の片隅で、フェンは少しだけ安堵した。それがいけなかった。


 フェンの腕が、横から強く引かれる。たたらを踏む。倒れこんだ先はアッシュの胸の内で。


 今しがた、フェンが立っていた場所に、紅蓮の炎が立ち上る。


「っ、な……!?」

「油断するな」

「あ、ありがとうございます……っ!?」


 フェンが感謝の言葉を言い終わるや否や、また新たな炎がフェン達の方に向かってくる。二人は別々の方向に飛び退った。紅蓮の炎は意思を持つかのように揺らめき、二つに分かれる。そしてそれぞれが、フェンとアッシュを追い始める。


 どうして炎が消えないのか。ふらつく体で炎をかわしながら、フェンは必死で頭を巡らせる。ちらりと見やれば、子供たちを襲った炎も相変わらず燃え盛っている。それに焦りを覚えたところで、フェンは足元の石につまずいた。

 地面に倒れこむ。くらりと眩暈がする。指先が冷水にでも漬けられたように凍えていく。フェンは顔をしかめた。


 水神の巫女の力は無尽蔵ではない。力を使い過ぎれば、死ぬこともある。遠い昔、契りをかわした水神の声が蘇る。今と、そうは変わらない心配そうな彼女の声。


 けれど力を使わなければどうなる。また皆を死なせたいのか。嫌な想像にフェンの背中を冷たい汗が伝う。

 フェンは唇をかみしめ、思考を巡らせる。意識を保って、力を使えるのはあと一度だ。もし、炎がそれでも消えなかったら、その時は。

 顔を強張らせながら覚悟を決める。そのフェンの耳に、空気の焼ける音が届いた。そして。


 ――お前が、我と契りを結ぶか


 低く、掠れた、耳障りな男の声が鼓膜を打つ。フェンは弾かれたように後ろを振り返った。

 声の主はない。けれどフェンは目を見開く。眼前に赤い炎が迫っていた。逃げないと。そう思ったが、彼女が立ち上がるよりも早く、蛇のように首をもたげた炎は襲い掛かってくる。


 その炎が、フェンの眼前でかき消えた。


「っ、殿下!」

「……油断するなと、言っただろう」


 消えた炎の向こう側で、剣をゆったりと鞘に収めるアッシュが見えた。フェンは呆気に取られて目を瞬かせる。


「……一体、どうやって炎を?」


 近づいてくるアッシュに思わず問えば、彼は小さく肩をすくめた。


「斬った」

「は?」

「意外とできるものだな」


 フェンが立ち上がるのに手を貸しながら、アッシュはそう嘯いて笑う。冗談なのか本気なのか。アッシュと背中を預けあうように並び立ったフェンが返答に詰まればアッシュが不意に笑みを収めた。


 ちらりと視線を向けられる。彼女を見透かすような赤の瞳。

 けれど不思議と、その視線に以前のような鋭さはない。


「一人で何とかするつもりだったんだろう」

「……す、みません」

「やはりな」

「だ、だって、あの炎は私の力でしか消せないですし……!」

「確かに、前回はそうだったな。だが今回は、お前の水の力を使っても消えていないだろう」

「…………」

「俺では、お前に協力できないか」


 静かに問われる。それにフェンは虚を突かれ……けれどすぐに首を振った。


「だ、駄目です! お気持ちは嬉しいですが……あの炎は普通じゃないんですよ!? もし殿下が炎に襲われたら……」

「怪我をするか、死ぬかだな。だが、それはお前も同じだろう?」

「そうですけど……! 私はまだ、」

「一人になろうとするな」


 フェンの言葉を遮ったのは、奇しくも彼女自身がアッシュに向けて放った言葉だった。

 何も言えなくなるフェンに、アッシュは微笑を浮かべる。


「そう言ったのは、お前だ。お前が体現しないでどうする」


 フェンの胸がぎゅっと締めつけられた。それはけれど、決して痛みを伴うものではなくて。

 彼女は少しばかり顔をうつむける。


「……それを、今言うのはずるいです」

「知ったことか……で? 本当に俺がお前に協力できることはないのか?」


 笑ったアッシュは、重ねてフェンに問いかけた。

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