第9話 彼女と旅路

 アッシュと共に過ごしてそう長くはないが、フェンには分かったことが二つある。


 まずアッシュの性格が評判以上に悪いということだ。世間ではクールだの孤高だのと女性たちからもてはやされているが、とんでもない。

 声を大にして言いたかった。こんなに性悪なやつはいないと。普段は何をやる気もないくせに、人を虐める時ばかり顔を輝かせる。自分の意見は曲げないし、そもそも人の話も聞きやしない。


 そしてもう一つ分かったことは、アッシュがこういう態度をとる原因の一つがオルフェにある、ということである。彼はアッシュに仕えて長いというのに、アッシュの態度を特段責めようとしない。それどころか、彼自身にもやる気があるのか甚だ疑問である。


『え? 現地調査? そういう体力使う仕事、俺ちょっと苦手なんだよねぇ。代わりに留守はしっかり守っとくからさ!』


 そういったオルフェは、俺に構わずいってらっしゃい、だなんて、フェン達を笑顔で送り出しただけだ。


 なにが、いってらっしゃい、だ。お坊ちゃんじゃあるまいし! いや貴族ではあるけれども! しかし悲しいかな、フェンが憤慨しても、大して状況が変わるわけでもなく。

 とにもかくにも、そうして出来がったのが、今のこの状況である。


 アッシュとフェンの、二人きりで調査に向かう、というこの状況。


「…………はぁ」


 馬を走らせながら隣をちらりと見やったフェンは、無言で馬を駆るアッシュを見やって嘆息する。馬を走らせている状況では聞こえないはずだ。ところが彼は、耳ざとくそれを聞きつけ、フェンの方を睨みつけた。


「ため息をつきたいのはこっちの方だ」

「その言葉、そっくりお返しします」

「何が楽しくてダルリ村なんぞに、」

「ダリル村です」

「……なんぞに行かねばならん」

「だから、調査のためだって、言ってるでしょう」

「何を調査するんだ? 警備兵だって馬鹿じゃない。きっちり調べて、原因が分からなかったから、不審火と言ってるんだろう」

「でも、何か別の手がかりが得られるかもしれないでしょう」

「ありもしない確率に賭ける、お前の気が知れないな」

「その私との賭け事に負けた殿下に、とやかく言われる筋合いはありません」


 ぴしゃりと言ってのければ、アッシュは不満げに口を尖らせて再び前を向いた。反論する言葉が見つからない時ほど、こういう態度をとる。これは、フェンが学んだことの中で、唯一といっていいほどの朗報である。


 王城を発った時こそ、煉瓦造りの家々が軒を連ねていた。が、馬を走らせて数日もした今では、家影などほとんどない。街道沿いに収穫を控えた畑が広がっている。その畑の様子も、王都から離れれれば離れるほど――元々水の国の領地だった場所に近づくほど、荒れ果てた様相を呈し始めていた。


 そうして、二人の眼前に広がり始めるのは森。

 フェンとアッシュは、どちらからともなく馬の足を緩め、やがて停止させた。

 フェンは地図を広げる。


「この森を超えれば、ダリル村の近くに出られると思います。森自体は大きくないですから、数時間もあれば抜けれるかと」

「行くのは構わんが、その後はどうするんだ」

「……だから調査すると言ってますよね?」

「阿呆。森を抜けるのに数時間かかるということは、村に着くのは日が暮れた頃だろう。村の奴が、そう簡単に見知らぬ旅人を村に入れると思うか?」

「それは……」


 フェンは顔をしかめた。

 フェンはダリル村の人間にとって顔なじみである。休暇のたびに村を訪れ、雑用を手伝っていたからだ。だからこそ失念していたのだ。言われてみれば、隣にいる男はダリル村の人たちにとって不審者以外の何者でもない。

 まして、この時期に村に残っているのは、火の国との戦いを経験した世代の人々ばかりである。

 赤い髪と目が王族を示す、というのは、あくまでも火の国での常識だ。アッシュの髪と目を見たところで、ダリル村の村人たちが、彼を王太子と気づくとは思えない。ただ、その身なりから火の国の人間である、ということは気づくだろう。


「……ちなみに聞きますけど、殿下は、」

「水の国出身だ、という嘘ならつかんぞ」


 聞いてもないのに、澄ました顔でアッシュは即答した。フェンは顔をしかめる。


「なんでですか」

「嘘をつく必要性が感じられない」

「必要性はあるでしょう! ご存じないかもしれないですけど、ダリル村は元々水の国の村なんですよ? 火の国出身ってだけで、のけ者にされますって」

「だから、村に行った後どうするんだ、と聞いてるんだ」

「あぁ言えばこういう……! 少しは自分で考えて下さいよ! 正直に言いますけどね! 問題なのは殿下だけなんです! 私はダリル村の方とは知りあいですから!」


 考えないと、殿下だけ野宿ですからね! と言い捨てて、フェンは馬を降りた。

 手綱を引いて森の入り口に向かう。アッシュは不満げに唸って、馬に乗ったまま、フェンの後に続く。


「おい、なんで馬から降りるんだ」

「森に入る前に挨拶が必要でしょう」

「挨拶?」


 胡乱気な声を後にして、フェンは森の入り口の片隅で立ち止まった。

 フェンの膝下くらいの高さの、なんの変哲もない岩だ。蔦や雑草に覆われていて、これが祠だとは、言われなければ気づかないだろう。

 膝をついたフェンは、岩に覆いかぶさった雑草を丁寧に払いのけた。そうすれば、その岩に細かく彫り込まれた文字が見えてくる。

 この街道は、元々、水の国が所有していた街道だ。この祠はその頃の名残である。


「……水の国では、森は聖なるものだと考えられていたんです。水神の力の源である水を生み出す場所ですから。ただ同時に、人の手が及びきらない、畏怖の場所でもある……だから森の入り口と出口に祠を立てて、入るときに無事を祈り、出たときには感謝を伝える、という訳です」


 目を閉じて簡単な印を組み、幼い頃からずっと口にしてきた祈りの言葉を口ずさむ。



 踏み入る者を拒まず 去る者を追わず 巡る水の加護を与えよ 



「祈りなど、なんの足しにもなるまい」


 ……説明してやったのに、なんだその言い草は。フェンがじとりとアッシュを見上げると、彼は小さく鼻を鳴らした。


「神など存在しないぞ」

「……えぇえぇ、殿下ならそう言うだろうな、と思っておりましたよ」

「そもそも神が本当にいるなら、こんなことになっていないだろう」


 こんなことに。

 それは何を指していたのか。小馬鹿にしたような声音は変わらなかったが、その一瞬だけ、紅い瞳にフェンの知らない感情が映る。


「殿下?」

「なんだ」

「あ、いや……」


 けれどアッシュがフェンに再び目を向けたときには、その色は描き消えていた。それに調子を狂わされて……かといって深追いすることもできなかったフェンは、どうでもいい疑問を口にして誤魔化す。


「ええと……火の国にはいないんですか?」

「何がだ」

「や、その……ほら、神様とか精霊とか」

「いない。そんなものに縋るほど俺たちは弱くない」

「……まあ、殿下ほど性格が悪……失礼、ご自身の意思が固い方には信じるモノはいらないでしょうけどね……」

「じゃあ逆に聞くが、例えばここで祈らなかったとして、何が起こるっていうんだ?」

「なにって、それは例えば悪いモノに襲われるとか」

「……なんだ、そのぼやぼやした回答は」

「なんですか、その憐れむような眼は! いいですよ別に殿下は祈らなくても! その代わり、悪いモノに襲われても、」


 助けませんからね! とフェンがやけくそになりながら立ち上がった時だった。



 急に森が騒がしくなる。鳥達がけたたましい声を上げながら飛び立つ。馬が不快そうに唸りながら足を踏み鳴らす。

 フェンとアッシュは、反射的に腰の剣に手をかけ身構えた。その瞬間だ。



 重く低く、何かが爆発するような音が響き渡った。






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