第10話 彼女と力
最低で最悪な旅だ、とゲイリー・ルードマンは悪態をついた。
彼の目の前では、人々が慌てふためいていた。老いも若きも男女問わずだ。ゲイリーがいたのは、商会が運営する乗り合い馬車だ。この手の馬車は最近の火の国の流行りで、価格が安い分、人々が荷物よろしく詰めあって座る。一小隊に馬車は二、三台が原則だ。商会なだけあって、まず馬車に荷物を載せ、隙間ができれば客が乗る。
一般人の中でも、さらに貧しい部類の人間が利用するような、くそったれな乗り物である。そんな乗り物だから、荷馬車の一つで爆発なんぞ起きるんだ。ゲイリーが罵ったその瞬間だ。
再び彼の近くで、何かが火を噴いた。
「ひいっ……!」
情けない声を上げて、ゲイリーは地面に縮こまった。人々はますます逃げまどっていく。その中で、ひときわ鋭く悲鳴が上がった。ゲイリーが恐る恐る見やれば、血を流して地面に倒れている人がいる。爆発のせいではないことは、すぐに分かった。
逃げまどう人々に向けて、刃を振るう男たちがいる。顔の下半分を布で覆っているせいで、表情はよく見えないが、身なりは随分粗末だった。
野盗だ。それが分かって、ゲイリーはぞっとする。さらに運の悪いことに、野盗の一人と目があう。あってしまったがゆえに、野盗が飛ぶようにやってきて、刃を振りかざす。
「っ……!?」
ゲイリーは後悔した。
こんなことならダリル村なんぞに行かなければよかったのだ。せっかくいいネタになると思ったのに、村の奴らときたら、俺のことを汚物でも見るかのように見下して、村の中に入れやしない。
その上、野盗に襲われて死ぬ? 冗談じゃない。いずれは稀代の吟遊詩人と呼ばれるであろう、このゲイリー・ルードマンが。
こんなところで!
「うわあああああ!?」
けれど悲しいかな、現実では彼の震える足は一歩も動くことはない。ゲイリーは情けない悲鳴を上げた。
それが彼の最後の言葉になる。
はずだった。
刹那、美しい白銀がゲイリーの視界に割って入る。次いで響く、耳障りな金属音。
「っ、な……は……へ……?」
「大丈夫か!」
呆けたゲイリーに、背中越しに声をかけたのは、一人の青年だった。
美しい白銀を揺らした彼は、凶刃を受け止め、はじき返す。切羽詰まったように振り返った。
端正な顔立ちに美しく光る蒼の瞳。それに思わず、ゲイリーは目を奪われる。
「大丈夫か、と聞いている!」
「は、へ、へい、大丈夫、です……」
なんだ、へいって。ゲイリーが自分で自分につっこむ中、ゲイリーの返事を聞いた青年は微笑を浮かべた。
「ならよかった! ここは危ないから隠れていてくれ!」
言うなり、青年は駆け出した。野盗と行きあうたびに剣を振るう。
ただ剣を受けるのではなく、受け流す。決して多数を相手どらないよう、軽やかに立ち回る。その度に銀の髪が緩やかに揺れる。
戦いというよりは、舞いでも舞っているかのようだ。どこか浮世離れした光景。それと同時にゲイリーは、青年と同じように剣一本で野盗を相手どっている人影があることに気づく。
その人影は真っ黒なフードをすっぽりと被っていた。顔もよく見えないが、立ち居振る舞いから男のようだ。剣を振るうさまは、銀髪の青年と対照的である。
形容するなら大胆不敵。扱うのは剣だけではない。鞘を使って二人同時に野盗を相手どる。あえてフードを翻して、数人の野盗の視界を遮って剣を閃かせる。挑発するように口笛を吹いて、真っ向勝負で敵を切り伏せる。
これは一体なんなのか。呆気にとられたゲイリーの疑問はしかし、すぐに解決することになる。
男のフードが、敵の攻撃をかわした拍子に外れた。
そこから現れるのは、燃えるような赤い髪と目。
ゲイリーは開いた口が塞がらなかった。まさか、こんな物語のようなことが起きるなんて。
「王族が……なんでこんなところに……」
*****
なにかが、おかしかった。
最後の野盗を切り伏せ、フェンは辺りを見回す。
視界の端では、早々に剣を収めたアッシュがつまらなさそうに欠伸をしている。彼の足元には無数の野盗が転がっていた。その光景に、なんら不思議はない。アッシュの強さは前評判の通りでもある。
二人の他に、人影はない。敵の姿は当然見えない。だというのに、フェンの胸がざわつく。嫌な感じも消えない。背中にべっとりと張り付くような。何かに見られているような。
あるいは。
フェンの頭に、一番ありえない可能性が浮かんだ、その時だった。
アッシュのすぐ近く――そこで、空気が揺らいだ。まるで炎で熱せられたかのように。
そして、何もないはずの場所で、爆発する。
「殿下!」
アッシュの体が吹っ飛んできた。フェンは駆け寄って抱き起すが、声をかけても返事がない。その二人を囲うように、瞬く間に炎の壁が立ち上る。
赤と金の入り混じった紅蓮の炎。煌めきと共に空気が焦げ、熱をはらんだ空気が肌を燃やす。なんだこれは、と、存在を疑う必要がないほど、猛々しく燃え盛る。
これは、自分たちを殺す炎だ。
誰に教えられるでもなく、フェンはそう直感する。
このままでは。最悪の想像にフェンは体を震わせた。同時に胸の奥の奥で、暗く淀んだ声もした。アッシュを見捨てて、逃げてしまえばいいじゃないか。
彼は殺したいほど憎い相手だろう? 暗い誘惑にフェンの視界がぐらりと歪んで。そんなフェンの気持ちを見透かしたかのようなタイミングで、アッシュがゆっくりと瞼を開ける。
フェンはぎくりとする。
が。
「に……げろ……」
かすれた声と共に、引き離すようにフェンの体が押された。大した力もないはずなのに、フェンはあっけなく地面に倒れ込む。
「にげろ、なんて……」
フェンは茫然と呟いた。彼は何を言っているのか。逃げろというくせに、アッシュは動こうとしない。いや、動けないんだろう。だからフェンだけ逃がそうとしている。
自分を捨て置けと、言っているのだ、アッシュは。
フェンが彼を見捨てようとしたことさえ知らず。
酷い罪悪感。それはけれど、フェンの決意を固めるのに十分だった。
「……自分だけ、善人ぶるなよ……」
小さく呟いて、フェンは剣を握りしめた。
ふらりと立ち上がる。アッシュを庇うように、炎を睨みつける。
これは何なのか。どうやって起こったのか。それはフェンには分からない。分からないが、自分がどうすべきかは、フェンには分かっていた。
剣を静かに掲げる。息を静かに吸って、目を閉じた。
『……我らが母なる水神よ』
ささやくように、歌うように、呟く。その声と共に。
フェンの周囲に蒼の光が立ち昇った。
水の国が滅びてしまったあの日、ぼろぼろになった祖国を前にしながら、アンジェラと二つの約束をした。
性別を偽り、火の国の騎士団に入ること。入って、生き残った民を助けられるだけの力を得ること。それが一つ目の約束。
そうして二つ目の約束は、
水神の巫女としての力を、絶対に使わないこと。
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