第54話 彼女の祈り、彼の望み

 冬の空気に、乾いた音が響き渡った。荒削りされた木の棒同士がぶつかりあい、片方が回転しながら宙を舞う。今しがたまで棒を握っていた男は、呆然としたように己が両手を見つめている。

 その鼻先に向かって、フェンは木の棒を突きつけた。


「一本、ですね」


 僅かに息を乱しながらも静かに告げれば、周囲は歓喜に湧く。目の前の男は感嘆の眼差しを向ける。フェンは肩をすくめて木の棒を退けた。


 ダリル村の中心に設けられた広場は、反乱軍の男たちの訓練場となっていた。各々が武器代わりの木の棒を振るっている。

 その光景だけ切り取れば、様になっていた。


 だが、十年前の戦を経験した人間は少数だ。加えて、普段は農民として働いていた男達である。

 様にはなっているが、戦ではまるで役に立たない。だからこその訓練なのだが……戦場で敵の剣技に見惚れていれば、幾つ命があっても足りないだろう。

 フェンは息をついた。


「皆さん、手が止まっていますが……ここは訓練をする場であって、見学をする場所ではありませんよ?」


 じろりと見渡せば、男たちはバツの悪そうな顔をした。


「……す、すみません。ですが姫様があまりにも格好良くて、ですね……」


 ぼそぼそと言い訳を呟いたのは、少年といっても差し支えないほど若い男だった。どこか初々しさも感じる姿が、騎士団に入団したての兵士と重なる。

 フェンは、嘆息混じりに笑みを零した。


「……真面目に訓練すれば、すぐに出来るようになりますよ」

「そ、そうですかね……?」

「えぇ。特に君は、筋力がしっかりとついているから……あとはそう、棒を振り下ろした時に、自分の軸がずれないように気をつければ」

「軸、ですか……?」



 返答の代わりに、フェンは棒を再び構え直した。言葉を足し、棒を振るいながら、軸とは何かを教えてやる。時にフェンが動きを示し、時に男に実践させた。それを見ていた男たちが、二人に加わり、広間は再び賑やかになる。


 フェンは懐かしい気持ちになった。

 目の前の男たちは熱心で、教えがいもある。その様は騎士団の兵士達となんら変わらず、彼女の指導にも自然と熱が入る。


 広場に流れるのは、穏やかな空気だ。

 日差しは弱く、吐く息が白く染められるほどに外は寒い。それでも広場に陰鬱な暗さはない。


 昼になれば、家々から食事の香りをはらんだ煙が湧き立ち、腹を空かせた男たちに暖かいスープが振る舞われるのではないだろうか。そして村中で談笑し、次の春には何をすべきか話し合う――そう、まさにこの光景は、水の国だった頃の、村の空気とも似ている。


 まるで何もかも、あの頃に戻ったような。


「フェン姉ちゃん!」


 少女の幼さを残した声が、唐突にフェンの耳に届いた。

 フェンは顔を上げる。男たちの向こう――見慣れた少女が手を振っていた。少女の傍らでは、村の女たちが寒さに首をすくめながら、荷車に荷を載せている。

 少女に向かって微笑んだフェンは、男たちの輪から抜け出した。


「ルル……どうしてここに? 出発の準備は終わったのかい?」


 駆け寄ってきたルルを抱きとめて問えば、彼女は寒さから上気した頬を膨らませる。


「……私は手伝っちゃ駄目だって」

「そうなの?」

「子供は大人しく待ってなさい、って言われた」

「そう……」

「変だよね? 小麦は皆で収穫するでしょ? なら今日の準備だって、皆でやるべきじゃない? なのに、おばさん達ばっかり準備してるし。男の人は変な棒を振り回してるだけだし」


 フェンは曖昧に笑った。

 それに何故かルルが口をつぐむ。幼い表情に不安の影がよぎった。声をぐっと潜める。


「……ねぇ」

「なんだい?」

「……フェン姉ちゃんは、逃げないの?」


 冷たい冬風が二人の間を吹き抜ける。周囲の森から、か細い鳥の鳴き声が響く。

 敏い少女の問いかけに、フェンは眉尻を下げた。


「……逃げないよ」

「どうして?」

「この国の王女だもの」

「でも……もう、水の国はないんでしょ?」

「そうだね」

「私、本当は知ってるよ。おばさん達は、この村から逃げるんでしょ? それで、おじさん達は悪い奴らをやっつけようとしてる、って……でも、おばさん達言ってたよ? 火の国に敵うはずがないって。なら、おじさん達は何のために戦うの?」

「……それは」

「フェン姉ちゃんは、生きたくないの」


 ルルがフェンの袖を強く引く。縋るような問いかけは、そのままフェンに対する願いのようなものだった。まっすぐで、眩しい。

 けれど。

 フェンは緩く首を振る。折よく、女たちがルルを呼ぶ。出立の準備が整ったのだろう。

 ルルを離す。木の棒を地面に置き、不安げな少女の肩を優しく掴んだ。


「そろそろ時間だ。行っておいで」

「でも……」

「安心して。あのおばさん達についていけば、ディール村に着くはずだから」

「そういうことを言いたいんじゃないの……! 私は……!」


 フェンは、そっと……だが有無を言わせぬ強さで、ルルを女たちの方に向かせた。小さな背中を押す。

 痺れを切らしたのか、村の女の一人が駆け寄ってきた。まろぶように一歩踏み出したルルを受け止める。


 フェンと女の視線が、刹那の間に交錯した。

 女の目にあるのは、王族に対する敬意の念と、この村に災厄をもたらした厄介者に向けられる憤りの念の、両方がないまぜになった感情だ。それはしかし、すぐに逸らされる。何を言うでもなく、女は足早にルルを連れて行く。


 お姉ちゃん、という泣き出しそうな声が聞こえた。

 それに返事もせず、木の棒を拾い上げたフェンは早々にその場から立ち去った。


 少し歩いただけで、息があがり始めた。訓練中、ずっと堪えていた寒気がぶり返してくる。思わず立ち止まって体を震わせれば、とうの昔に感覚のなくなった右手から、木の棒が転がり落ちた。臓腑が捻れるような吐き気に耐えきれず、フェンはその場にうずくまる。


 幸いにして、周囲に人気はない。

 ……いや、幸いなどではなく、当然のことなのだ。



 もうこの村に、村人は殆ど残っていない。



 反乱軍は、フェンの操る炎に乗じて王都を脱出した。その後の潜伏先として選んだのが、ダリル村だ。

 フェンは当初、反対した。村に潜伏すれば、当然そこが戦場になることは避けられない。だが、反乱軍のほとんどがダリル村出身であったために押し切られてしまった。そしてダリル村の村人達も、当初は亡国の王女の帰還を歓迎した。


 けれど、王都を出立して二十日も経とうか、という昨日――街道沿いの街に見張りに出していた男から一報が届いた。王都からの騎士団がダリル村を目指している、と。


 その報は、見事に村を二分した。

 自分たちの故郷を再び戦火にさらすことに、強固に反対する者。

 水の国の王女が率いる反乱軍にこそ大義あり、と開戦を望む者。


 結果もたらされたのが今の状況である。


 戦に反対する村人は、ほとんどが他の村に移った。

 村に残されたのは反乱軍の男たち。それも死ぬことを誇りに思い、戦に夢を見ている者ばかりだ。


 フェンの体でさえ、既にぼろぼろだった。

 高熱に浮かされたように、思考がまとまらない日が増えた。

 体中が炎で炙られているかのように熱いのに、寒気が止まらない。

 己の中の神に体を奪われるかのように、全身の感覚が消えていく。


 火の国に一矢報いたいという、反乱軍の願いは叶いつつある。だが、いたずらに戦火を撒き散らそうとしている事実に変わりはない。

 炎の神との契約は成功し、彼の神はフェンに快く力を貸している。それでも、炎神の強大な力を御しきれていないのは明らかだった。


 フェンは笑いたくなった。これのどこが平穏だろうか、と。

 そして同時に痛感する。これが自分の選択の果てなのだ、と。


 さっと地面に影がさした。口元を拭いながら、フェンは顔を上げる。


 視界いっぱいに飛び込んでくるのは、鮮烈な空の青。その中を、一羽の白い鳥が羽ばたいていく。力強く飛ぶ鳥は、瞬く間に姿を消す。

 王都の方角へ。

 彼のいる、方角へ。



 どうか、願わくば。



 空を見上げたまま、不意に湧き上がった願い。それに、ここ数日黙していることの多かった炎の神が嘲笑した。フェン自身も苦笑いする。彼の神の思考も趣向も同意できるものはないが、今回に限っては同意見だった。


 ふらつきながら立ち上がる。乱れた服を整える。何事もなかったかのように、表情を取り繕う。

 そしてフェンは、広場へ向かって足を向けた。



 戦の足音は、すぐ間近に迫っている。



*****


 感覚としては、少数だ。疾走する黒馬に揺られながら、アッシュは兵士達に言い渡した厳命を思い返す。


 彼の背後には、数十の兵士から成る騎士団が続く。兵団の中でも、比較的後方で馬を走らせるのはアンジェラを含む医療班の面々だ。

 そして最後方の兵士が掲げるのは、火の国を象徴する真紅の旗。無駄口を叩く者はおらず、土埃と共に物々しく響き渡るのは蹄の音のみ。


 向かう先は、ダリル村だ。だがアッシュは、行き先をあえて兵士達に知らせていなかった。

 彼らの口から、反乱軍の正確な位置が周囲へ漏れることを警戒してのことだ。

 ユリアスのことである。一度情報を得れば、秘密裏に私兵を動かすだろう。そして反乱軍に関わった人間は、残らず殺し尽くされる。生け捕りなどという、甘い策をとるはずがない。


 そしてそれは、今のアッシュにとって最も避けねばならない結末だった。

 アッシュは目を細める。手綱を握る手に力を込める。黒の革手袋が鈍い音をたてる。



 反乱軍は必ず生かして捕らえよ。


 王都を出立する直前、アッシュは兵士達にそう厳命した。心身ともに鍛え上げられた騎士団の面々である。表立って異を唱えることはなかった。

 だが、静寂の中に交錯する複雑な感情を、アッシュが見逃すことはない。


 半数は、ほっとしたような表情を浮かべていた。恐らくはフェンの知り合いで、ゲイリーの紡いだ物語に少なからず共感を覚えている。

 半数は、胡乱げな顔をしていた。フェンのことを知ってはいるが、夜会で紡がれた物語に疑いを抱いているのだろう。

 そしてごく少数の兵士は、顔を歪めるか、無表情だった。恐らく彼らは、なにかしらの指示をユリアスから受けている。


 今回従軍する兵士達は、騎士団の中からアッシュ自ら選抜した面々だ。

 正確に言うならば、わざわざ出立前にアッシュ自ら剣を取り、手合わせをし、叩きのめしても尚、立ち上がってくる者のみを選んだ。おかげで、もれなく兵士は全員、アンジェラ手製の痛み止めの薬湯を飲む羽目になったのだが。


 そうまでしても、少なからず裏切り者が混じるであろうことは予想していた。ユリアスの目をゲイリーから遠ざけるためとはいえ、夜会であれだけの啖呵を切ったのだ。


 あのユリアスが、このまま引き下がるはずがない。

 そしてアッシュも、引き下がるつもりは毛頭ない。


 アッシュは胸元へ左手を伸ばした。アンジェラに足蹴にされた傷口から、氷のような冷たさと痛みが走る。それに構わず、彼は首にかけたペンダントを服の上から掴む。

 黒の革手袋越しに、熱は伝わらない。それでも硬い感触を確かめる。


 冬の風が、彼の朱の髪を揺らし、兵士の掲げる真紅の旗をはためかせた。

 疾走する男たちの眼前に、森が広がり始めた。

 その彼らの頭上を、一羽の白い鳥が青空を切り裂いて駆け抜けていった。

 そして。


 何があろうと。


 そう、アッシュは胸中で呟き、ペンダントから手を離す。



*****



 どうか願わくば、最後は貴方の手で殺されたい、と水の巫女は祈り、彼女に巣食う炎の神はそれを嘲笑う。


 何があろうとお前を救い出すと、火の国の王太子は望み、血を分けた兄は愚かな弟を蔑む。




 そしてそれぞれの想いをのせて、時は巡り、戦が始まる。

 年の暮れ。白雪の舞う中で。

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