第7話 世界で一番、
本心を隠すのは得意だった。昔から。
何があったって笑顔を浮かべ、大丈夫だと言い切ってみせた。だからこそ、ここまでの地位に登ってこられたのだ。
だからやめるつもりもない。やめてはならない。やめる必要だってない。
そのつもりだった。それがどうだ。
なんだ、あの男は。紅い目の男。自分の中の何もかもを見透かすような顔をして。
――今、どんな気持ちだ?
どんな? 分かり切ったことを。その答えは、お前自身が一番分かってるんじゃないか。
こっちは必死に隠してるんだ。隠して、耐えて、仕えてやろうといってるんじゃないか。
それをわざわざ暴いて、突きつけて。
一体何が楽しい―― !
「……フェン!」
「!」
鋭く自分の名を呼ばれて、フェンは我に返った。
見れば、稽古相手が地面に叩き伏せられている。稽古場に出ていた兵士たちが揃って、フェンの方へ怯えた視線を向けていた。それにフェンは自分が失敗したことに気づく。
「なんだ、今日は一段と荒れてるじゃないか」
「……団長」
不自然に乱れた息を無理矢理なおす。駄目だ、この顔は見せられない。直感的にそう思い、フェンは兜を取りながら、顔を取り繕った。
傍らに立った壮年の男に、申し訳なさそうな表情を浮かべてみせる。
「申し訳ありません。相手の太刀筋が余りにもいいので、少し熱が入ってしまいました」
「構わんがな。お前の本気をみれる機会もそうないだろうし」
「ふふっ、本気、だなんてそんな。団長ほどじゃありませんよ」
「お前のそういう謙虚な姿勢は嫌いじゃないぞ……まぁとりあえず一度休憩してこい。稽古を始めてから一度も休んでないだろう」
言いながら男――第一騎士団団長ギル・ダントは肩をすくめ、倒れた相手の方に向かっていった。いつまで寝てるんだ。しゃきっとしろ! と彼が怒号を上げる中、フェンは一礼をして、稽古場を後にする。
歩きながら何度か頭を振った。それでも、朝方のやりとりは胸の奥にこびりついていて離れてくれない。水でも浴びれば、すっきりするだろうか。ため息をついて、フェンは稽古場の裏手に回る。
土手から少し下ったところには川があった。午前中は洗濯ものをする召使いの少女たちで賑わうが、昼を過ぎた今は人気がない。それを有難く思いつつ、フェンは川辺へ降りていく。
冷たい水で顔を洗う。水面に移る自分の顔はいつもと変わらない。端正で優美で強い、皆の憧れる銀の騎士。笑みを浮かべてみる。大丈夫、こっちもいつもと同じ。
そのことを確認して、安心して、けれど急に空しくなったフェンは、表情を消して土手に倒れこんだ。
目を閉じる。そうすれば川のせせらぎの音が聞こえる。石にあたって、水が砕ける微かな音。地面の窪みに水が落ちて、はぜる音。そのどれも、フェンが好きな音だった。深呼吸すれば、どことなく哀愁の漂う草の香りが入ってくる。
――私は、何をしてるんだろうか。
するりと、そんな疑問が浮かんでくる。やめてしまおうか。そんな弱気さえ浮かんでくる。幸い、フェンがアッシュに仕えることを知っているのは、アンジェラとユリアスくらいだ。二人とも、アッシュに対しては良い印象を抱いていなかったし、やめるといえば、むしろ歓迎してくれるかもしれない。
瞼の裏で、光が揺らいだ。目を開ける。青空に、淡く光に色づいた雲がぽつぽつと浮かんでいた。暦の上では夏だが、秋も近いのだろう。日差しも照りつけるのではなく、柔らかく降り注ぐ。
今年は少しばかり夏が厳しかった。その意味では、秋が来るのは喜ばしいことである。あぁけれど……と、元々水の国だった村々のことを思い出して、フェンの顔が陰った。
ディール村は大丈夫だっただろうか。植物の病が流行ったと聞いた。収穫に影響が出ていないといいのだけれど。ダリル村にも、近々手伝いに行かなくては。あそこは若い働き手が、どんどんいなくなっている。作物の取り込みを助けてあげなければ、冬が来る前に終わらないだろう。そういえば、国の東に位置するククル村では干ばつがひどかったと聞いた。あそこは特に農産物で成り立っているような村だから、冬への備えが出来るほどの稼ぎが得られるかどうか……。
その時だった。物思いにふけっていたフェンの視界の端で何かが動く。見やれば、小さな花弁を持つ真っ白な花が、群になって咲いていた。スゥーリの花だ。風に揺れて、微かに甘い匂いを放つそれに懐かしくなって、フェンは一輪を摘み取った。
こんなとこにも咲いてたのか。そう感嘆しながら、フェンは指先でくるくると花を回す。
水の国でも、よく見かけた花だった。綺麗な水のそばでしか育たないらしく、もっぱら川辺に咲いていた。この季節になると、子供たちが摘んでは花冠にして遊んでいたことを思い出す。これもまた、秋を告げる花だ。そういえば、秋の収穫祭の時にも、この花を模した飾りが一斉に家々に掲げられて、ひどく美しかった。
花言葉は、たしか。
「……信頼、か」
ぽつりと呟いて、フェンは指を止める。そうして思い出す。
アッシュに仕えようと思った時のこと。そうだ、その時も秋の収穫の心配をしていたんだった。このままだと、きっと村に住む人たちは冬を越せない。だからお金を手に入れて、彼らの足しに少しでもなれば、と思ったんだった。
お前の祖国は存在しない、とアッシュは嗤った。そうかもしれない。地図上では。けれど実際には、水の国の民だった彼らは変わらず生きていて、明日を過ごしていかなくてはいけない。
あの日、自分は彼らを守れなかった。
だから今度こそ、守ってあげたいと、思ったんじゃなかったか。
信頼に応えるために。
たとえ、自分がどうなろうと。
「…………」
フェンは小さく息を吸って、吐いた。スゥーリの花を胸ポケットに大事にしまう。それだけで、ほんの少し、さっきより強くなれた気がする。
顔を上げ、立ち上がった。浮かべる表情に変わりはない。いつもの人を魅了する静かな笑み。
だが、もう気持ちは迷わなかった。
「……やってやる」
呟いて、フェンは王城に戻るために歩き始めた。
本当の私は弱くて、ちっぽけだ。
けれど、守りたいものだって確かにある。
だから負けない。負けてられるか。
世界で一番きらいな、あなたなんかには。
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