第6話 彼女と宣誓
朝日が窓から差し込み、影を落とす。嵌められた窓枠の複雑な文様が地面に映し出され、揺らめいていた。
あいまいな白と黒で描き出された部屋で、フェンは静かに頭を垂れる。
人気はほとんどない。この部屋にいるのは、フェンも含めて三人だけだ。
一人はオルフェと名乗る男だ。金の巻き毛に片眼鏡をかけた優男は、部屋の隅で面白そうにフェンを眺めていた。
もう一人は、部屋の一番奥。一際豪奢な椅子に無造作に腰かけていた。
朱い短髪と同じ色の瞳。ユリアスのそれよりも、もっと苛烈で鋭い目を持つ男。
この国の第二王太子、アッシュ・エイデンである。
「――顔を上げろ」
響く声は、低く、冷たい。それにしかし、顔色一つ変えずにフェンは顔を上げた。
頭を垂れる前と変わらない。好奇の視線と、値踏みするかのような凍てつく視線が注がれている。
「俺に仕えたいらしいな」
「はい。その通りです、殿下」
「何故?」
「それは、もちろん、殿下が王にふさわしいと思ったからですが」
「ふん、よく言う。ユリアスの奴はお前のことを大層気に入ってるじゃないか」
「確かにユリアス殿下には、登城した頃から良くして頂いています。ただ、それとこれとは話が別でしょう」
「ま、まぁまぁ。話はそれくらいにして」
二人の間に漂った険悪な雰囲気を、少し慌てたように遮ったのはオルフェだった。
「フェン、だったよね。アッシュ殿下にお仕えするようなら、誓いを立ててくれるかい?」
「誓い……宣誓、ということですか?」
「そそ。王太子への忠誠を誓うってことで。こういう行事の時は、他の臣下の前で誓いを立てるのが伝統らしいんだよ」
略式でいいからさ。申し訳なさそうに、オルフェがそう付け足す。フェンはちらりとアッシュの方を見やった。彼は興味なさそうにそっぽを向いている。
なんだその態度は。フェンは少しばかりむっとしたが、小さく息を吐いて押しとどめた。
全ては金のためだ。宣誓を立てるのは予想外だったし、嘘をつくようで少しばかり心が痛むけれど。
大丈夫。大丈夫。
そう言い聞かせて、フェンは腰に帯びていた剣を外し、両手で捧げるようにアッシュに差し出した。
再び頭を垂れる。
「――偉大なる火の国の始祖、真なる炎の王の前にて誓いを立てる……」
静かに口上を述べていく。
水の国と違って、火の国には神という概念がない。代わりに神聖視されているのが初代王である。次いで国を称え、誓いを違えることはないと宣誓する。最後に王が――この場合は王太子であるアッシュだが――宣誓を認め、差し出した剣を受け取り、フェンの両肩を剣の刃で一度ずつ叩けば終わりだ。
誓いが破られた時には、王太子が宣誓者を切り捨てる。そんな誓約。騎士団で散々叩き込まれたそれを、フェンは淡々と告げる。
その、最中だった。
「フェン・ヴィーズ」
遮るように、アッシュが声をかけた。不審に思って軽く目線を上げれば、相変わらず腰かけたままのアッシュと目が合う。
彼は口元に笑みを浮かべていた。ひどく冷たい笑みを。
そして問う。
「今、どんな気持ちだ?」
「は?」
「お前、水の国出身だろう」
「…………」
「自分の国を滅ぼした男に頭を下げる、その気持ちはどうなんだ、と聞いている」
「…………」
「なんだ、言葉もでないほど屈辱か?」
「……別に、どうも、ありません」
分かってない、と心配そうに声を張り上げたアンジェラの顔が、フェンの脳裏をよぎった。震えそうになる胸の奥を押しとどめて、フェンは言葉を絞り出す。
大丈夫。大丈夫だよ。アンジェラに、あるいは自分に向けてそう言い聞かせて、剣を強く握りしめ頭を再び垂れる。
「なんだ、つまらん」
アッシュがつまらなさそうに呟く。
「水の国の奴は気概がないのか。そんなだから、神だの、水の龍だのよくわからんものに縋って、攻め込まれた時にあっさり滅びるんだ」
その、言葉に。
フェンの頭は一瞬で真っ白になった。掲げていた剣を抜き放つ。瞬く間にアッシュとの距離を詰め、その喉元に剣を突き付けた。
「……撤回しろ、今の言葉」
怒りで息を荒げながら、フェンは呻く。
アッシュは面白そうに眼を光らせた。
「ほう?」
「僕への侮辱は構わない。でも、祖国の侮辱は許さない」
「祖国? はっ、笑わせるな。お前の祖国は、もうないだろう」
「あぁそうだ。お前が僕の国を滅ぼしたせいでな」
「弱いから滅びたんだ」
「お前が! 攻めてきたから滅びたんだろう!」
切っ先が、アッシュの肌に僅かに食い込む。フェンはアッシュの目を睨みつけた。赤い目だ。紅。炎に消えた、あの日を思い出す。
フェンの大嫌いな色。
窓から差し込む陽光が揺らいだ。アッシュの顔に影が落ちる。
その中で、アッシュは静かに目を細める。
「なら、俺を斬ればいい」
「……なんだって?」
「斬り捨てろと、言っている」
アッシュが突き付けられた刃を無造作に手で掴んだ。動揺のあまり、剣を持つフェンの手がわずかに揺れる。だが、その切っ先がアッシュの喉から外れることはない。
すがめられた目の奥で、アッシュの瞳が異様な輝きを放っていた。暗く淀んだ、けれど苛烈な光を宿す炎の瞳。それにフェンは目を離せなくなる。体の動きも、呼吸も、時間も、世界も、何もかも止まる。
あの日に引き戻される。
斬り捨ててしまえ、と自分の中の仄暗い部分がささやいた。いいじゃないか。願ったり叶ったりだ。
忘れたわけじゃないだろう。目の前で燃え盛っていた国。大切なもの全てが崩れ落ちていく音。救えなかった子供。全てを滅ぼしたのは、紅い目を持つ少年だ。彼だ。
思ったんだ。
憎いと。
殺してやりたいと。
だから、
だから。
―――――――自分は今、何を考えた?
気づいた瞬間、フェンは冷水を浴びせられたように我に返った。
「……ち、がう」
頭を緩く振る。僅かに残った理性が悲鳴を上げた。
ちがう……ちがう、違う違う! 駄目だ、これは。この気持ちは出してはいけない。私怨を持ち込んではいけない。あってはならない。
自分の中のひどく汚い部分、剣を突きつけているこの状況、あるいは火の国の騎士としてあるまじき姿――そのどれもにフェンは混乱する。息が乱れる。
駄目だ、この男から離れなくては。まとまらない思考で、たったそれだけを思って、フェンは剣を戻そうとする。だが、アッシュは相変わらず刃を放さない。
手放さないまま、口角を吊り上げる。
ささやく。いっそ、艶やかともいえる声音で。
「……宣誓は、まだ終わってないぞ?」
「っ!」
フェンは声にならない声を上げた。あらん限りの感情を込めてアッシュを睨みつける。唇からこぼれる空気が震える。
それはアッシュへの怒りのせいなのか、不甲斐ない自分への情けなさのせいなのか。フェン自身にもわからない。分からなかった。
もう、なにも。
「……っ、わ、たくしフェン・ヴィーズは……第二王太子アッシュ・エイデンに……忠誠を、誓う……」
フェンは震える声を紡ぐ。握っていた剣は、そのままアッシュに引き寄せられてしまった。フェンは崩れ落ちるように、その場で再び頭を垂れる。
その視界の端で、アッシュの目がつまらなさそうな色を宿していたのは、気のせいだったかどうか。
「――許す」
アッシュの冷たい声が降ってくる。
そうして剣で、フェンの両肩は叩かれた。
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