第31話 彼女と贈り物

 ――まぁ、なにはともあれ、聖夜祭の日は楽しみにしてるよ?


 誰にともなくそう言って、いつもの優しげな笑みを浮かべたユリアスは、去って行ってしまった。


「で、殿下……?」


 ばたん、と扉が閉まる音がする。それでようやく、フェンは声を出す。

 アッシュはしかし、振り向かない。ほんの少し項垂れた背中は、薄暗闇に沈んで、消えてしまいそうで。


「あの……殿下。大丈夫、ですか?」


 思わずフェンが、アッシュの腕に触れようとした瞬間だった。


「触るな」

「っ、」


 アッシュが振り向きざまに、フェンの手をぱちん、と叩き落とす。彼の横顔は険しい。赤い目には苛立つような光が宿る。


「で、んか?」


 乾いた音。じんとした痛み。なにより、手を叩かれたことにフェンが呆然と声を上げれば、やっとアッシュは我に返ったようだった。

 目を瞬かせ、のろのろとフェンに視線をやる。自分で自分のしたことに驚いているようだった。けれど、そんな表情が見えたのも一瞬だ。


「……すまない」


 アッシュがぼそりと呟いた。視線は、あわせようとしない。それが気になりながらも、フェンはゆるゆると首を横に振る。


「いえ……」

「何を言われたんだ?」

「夜会の時に、女装してユリアス殿下の傍にいるように、と……」


 言葉にしてしまえば、大したことはない。ユリアスに迫られた時に、言いようのない不安を感じたのは確かだ。けれど我に返ってみれば、感じた不安でさえ悪い夢だったような気がする。


 フェンは少しばかり恥ずかしくなって、顔を俯ける。アッシュも当然そう感じているのだろうと思った。


 けれど。


「無視すればいい」


 意外にも、返ってきた声音は低い。フェンが少しばかり驚いて顔を上げれば、アッシュが真剣な眼差しで見つめている。


「ユリアスの言うことを聞く必要はない」

「……そうなんでしょうか」

「どうせただの戯言だ。嫌だというなら、夜会にも行かなくていい」

「それは……流石にそういう訳にはいきませんよ」


 フェンは苦笑いした。仮にも自分は騎士団の一員なのだ。最優先事項である王族の警護は避けては通れない。

 アッシュも当然それが分かっているはずだ。だからこれは、きっと何かの冗談なんだろう。そう思ってフェンは笑みを浮かべたのだが、アッシュの顔はぴくりとも動かなかった。


 フェンは思わず笑みを収める。

 暖炉の焚火が爆ぜる音。揺らめく燭台の炎に照らされて、アッシュの赤い瞳が昏く光る。


「……もう、あいつと関わるな」


 掠れているのに、どこか艶めかしい声。熱を孕んだ視線。それに耐えきれなくなって、フェンは慌てて視線を床に落とした。

 なんと答えればいいのか。返事にまごつくフェンの視界の端で、アッシュの手がゆっくりとフェンの方にのばされて。


 フェンは思わず身を固くした。

 その様子に気づいたのか、アッシュの手が虚空で止まる。

 しばしの逡巡の後に下ろされる。


「……今日はもう帰れ」


 ため息と共に、静かな声が降ってきた。その声音はもう、いつものアッシュのそれだ。

 憮然として、どこか尊大な声音。それにけれど、フェンはほっとして。

 小さく頷く。


「そう、ですね……そうさせて頂きます」


 なんとか言葉を絞り出す。そうして、なかば逃げるようにしてフェンはアッシュの部屋を後にした。



*****



 それから、二日後。

 医務室の椅子に座り、窓の外を眺めていたフェンがぼんやりとため息をつけば、アンジェラが迷惑そうに振り返った。


「三十四回目よ」

「え?」

「ため息の数」


 フェンがぱちりと目を瞬かせると、アンジェラはうんざりしたように


「あのねぇ……考え事するのもいいけど、少しは手を動かしなさいよ」


 そう言うアンジェラの手には、赤く色づけされた飾りが握られている。大小さまざまな丸い球が幾つも連なったそれは、毎年聖夜祭になると城中を彩る飾りだ。


 赤は王族の色。火の国では、王こそが絶対の守護者である。ゆえに過ぎた日々の安寧を感謝し、来る年の平穏を祈る相手は王族だ。


「まったく……毎年のことだけど、この悪趣味な飾りを飾る風習、やめてくんないかしらね。飾りにくいったらありゃしない」


 ぶつぶつと文句を言いながら、アンジェラは壁や棚のあちこちに飾りを置いていく。いつもと変わらない様子に、フェンは小さく微笑んだ。


「そんなこと言わないで。この飾りも綺麗じゃないか……少しずつ色も違うし」

「なんだっけ? バカ王とその息子ごとに色が違うんだっけ?」


 心底どうでも良さそうに返事をしたアンジェラは、机の上に残った飾りを、手伝えと言わんばかりに目で示して見せた。

 フェンは一つ頷いて立ち上がる。飾りを手に取った。


「純粋な赤色は王の色……あとは世継ぎの数だけ種類がある、って騎士団に入った時に習ったかな」


 当代の世継ぎは二人だ。だから王の色とあわせて三色。自分の持つ飾りを指さしながら、フェンは説明を続ける


浅緋あさあけ色……うん、例えばこの球の色だね。明るくて柔らかい赤色はユリアス殿下の色だよ。それで、この隣の深紅色がアッシュ殿下の色」


 フェンに言われて、アンジェラは色が違うことに気づいたらしい。眉根を寄せて、まじまじと球を見比べている。


「よくこんな微妙な色分けできるわよねぇ」

「この球、糸が巻かれてるだろう? 染めてるんじゃなくて、それぞれの色の糸を作る、専用の蚕がいるんだって」

「そうなの?」

「ええと……陛下と、殿下二人それぞれに、専用の庭が用意してあって。そこで育ててる葉っぱが、ちょっとずつ違うんだってさ。で、それを蚕に食べさせると、違う色の糸がとれる、ってことみたい……アンジェラ?」


 じっと観察するようなアンジェラの視線に気がついて、フェンは言葉を止めた。首を傾げれば、アンジェラが肩をすくめる。


「ちょっとはマシな顔になったじゃない」


 なんだかんだ言いながら、心配してくれていたらしい。フェンが申し訳なく思って、ごめん、と謝れば、アンジェラは小さく噴き出した。


「いいわよ別に。あんたの心配なんて、今に始まったことじゃないもの……どうせ、バカ王子に関することでしょう」

「う……」

「最近、仲良さそうだったじゃない。なのにどうしたの? 喧嘩でもしたわけ? それならそれで、好都合だけど」

「ま、まさか! 喧嘩はしてない!」

「じゃあ、何を悩んでるのよ?」


 フェンは視線をあらぬ方に逸らした。意味もなく手の中の球を弄りながら、ぼそぼそと口を動かす。


「その……きょ、距離感がよく分からない」

「距離感?」

「……近いと、どきどきするんだ。だから離れたいんだけど……ええとでも、離れたくないっていうか……」

「…………」


 がしゃん、と音がした。フェンが顔を跳ね上げると、アンジェラが唖然としてフェンの方を見つめている。


「……まさか、あんたの恋話を聞く日が来るなんて……」

「こ、恋話!? そんなつもりは……!」

「それを恋話といわずして、なにを恋話っていうのよ!? 毎晩、下働きの子たちの女子話聞いてる私を舐めないで!」


 顔を真っ赤にするフェンもフェンだが、アンジェラも十分取り乱していた。そんな二人の耳に、扉を規則正しく叩く音が届く。


 アンジェラはあからさまに顔をしかめた。いいところだっていうのに……! と腹立たしげに呟いた彼女は、足音高く扉に向かう。首だけ出して来訪者と何事かやり取りする。


 フェンはうろうろと部屋を歩き回った。恋……恋だって? アンジェラの言葉を胸の奥で繰り返す度に、鼓動が早くなるのが自分でもわかる。ふと手元に目を落とせば、握りしめていた飾り球が目に入る。

 おりしも、深紅の球だ。

 

 ――……もう、あいつと関わるな。


 彼の熱を孕んだ視線と、囁き声が蘇る。

 フェンは小さく悲鳴を上げた。慌てて球を机の上に戻す。


 頬が、かっと熱くなった。駄目だ、この話は。心臓がもたない。アンジェラが戻ってきたのを気配で感じ、フェンは話題を逸らそうと、意を決して顔を上げる。

 視界に飛び込んできたのは、大きな包みをもって、意味ありげに笑うアンジェラだ。


殿からの使者だったわ」


 名前を呼んだのは、わざとだろう。顔をしかめるフェンに、アンジェラは包みを押しつける。


「この服を着て、城下町の噴水のところに来いって。明日の日暮れの鐘が鳴る頃に、だそうよ? お忍びで付きあうだなんてやるじゃない」

「付きあってるとかじゃないってば……! 人を探しに行くんだ。これは変装のための服装だよ! ほら!」

「そうねぇ、そうねぇ。男物の服だものね」

「だろう!?」

「でもじゃあ、これは何かしら?」


 くすくすと笑いながら、アンジェラが包みの奥から何かを引っ張り出す。フェンの目の前にぶら下げて見せる。

 今度こそ、フェンは心臓が止まるかと思った。


 包みに入っていたのは、小ぶりなネックレスだ。

 細かな装飾の施された台座に、深紅の小さな石が一つだけつけられていた。


*****


「いやぁ、驚いたよ。あのアッシュが、まさか女の人への贈り物を探してるなんてね」

「……黙れ」


 アッシュが苦虫を噛みつぶしたような顔で睨みつけてくる。けれどオルフェにとっては痛くも痒くもなかった。


 王城の片隅。小さくとも整理された部屋に西日が差し込んでいる。ここは、オルフェが城内で仕事をするために使っている部屋だ。そこにアッシュが訪ねてくることなど、これまでなかった。

 まして、訪ねてきたアッシュが、自分に贈り物の相談をしてくるなんて。二日前のことを思い出すだけでオルフェは笑いが止まらない。


「でも、なかなか良い案だっただろ?」


 オルフェが聞くものの、壁に背を預けたアッシュは組んだ腕の上で忙しなく指先を動かすばかりだ。オルフェはニヤニヤしながら、執務机の上で頬杖をつく。


「ネックレスだと人目につかなくてもつけられるしね。意中の人も喜んでたんじゃない?」

「知らん」

「ええ? 見てないわけ?」

「使用人に届けさせた」


 ……奥手かよ。そう言いかけた言葉を、オルフェはぐっと飲み込んだ。飲み込んだが、呆れた視線は隠せなかった。

 アッシュの表情がますます不機嫌そうになる。


「金は払ったんだ。俺が俺のものをどうしようが、勝手だろう」

「あーはいはい。そうですねー」

「……まぁいい。それより、もう一つ頼みたいことがあるんだが」


 しょうがない、と言わんばかりにため息をつかれた。ため息をつきたいのはこっちの方だ。そう思いつつも、オルフェは仕方なく姿勢を正す。


「なにかな?」

「お前の商会は、乗合馬車はやってるのか?」

「荷馬車の余ったところに人を乗せて運ぶやつでしょ? もちろん……というか、うちが一番最初に始めたんだよ?」

「そうか」

「そうかって、あのねぇ……ちょっとドライすぎない? 結構すごいことなんだよ? これって」


 オルフェがわざとらしく眉をひそめるが、アッシュは取りつく島もなく言葉を続けた。


「近いうちに、人を一人運んでくれないか? ディール村までなんだが」

「ディール村……これまた辺境の村じゃない?」

「難しいか?」

「できなくはないけど、最近どの馬車も出払ってることが多くてね……」


 オルフェは引き出しを開け、紙の束を取り出した。そこには、向こう一週間の馬車の行き先と積み荷がびっしりと記されている。

 それを指先で追いながら空き時間を確認していると、アッシュの感慨深げな声が届いた。


「珍しいな。お前の商会の馬車がほとんど出払ってるなんて……ルアード商会はこの国では一番の大商会だろう? 何か大きな仕事でもしているのか?」


 少しずつ薄暗闇を増してくる部屋の中で、オルフェの指先がぴたりと止まる。

 一瞬の沈黙。

 窓の外、鳥が羽ばたく音がやけに大きく室内に響く。


「それは企業秘密」


 紙の束を閉じ、オルフェはにこりと微笑む。


「さっきの件だけど、三日後とかはどう? 北に向かう馬車は七日おきに出しててね……ちょうど明後日、馬車が王都を発つことになってる」


 笑顔のまま提案すれば、アッシュは目を細めた。探るような目つきだ。

 けれど。


「……それで構わん。詳しいことは、あとで伝える」


 結局、アッシュは深追いしない事に決めたらしい。素っ気なく言い放つ。そうして、用は済んだと言わんばかりにオルフェの部屋を後にした。


 扉が閉まる音。遠ざかる足音。

 その両方を聞いてやっと、オルフェは姿勢を崩す。椅子にだらしなく背を預け、額に手を当てた。

 苦笑いが零れる。


 そういうところは、昔から変わってない。妙に鋭いところも。肝心なところで深追いしてこないところも。

 そうしてだからこそ、信用ならないのだ。


 引き出しの一つをちらりと見やった。鍵のかけられたそこに入っているのは、不審火に関する書類の数々。


 全て、ユリアスから譲り受けたものだ。

 その見返りとして、ユリアスから指示された人間や荷を、ルアード商会が火の国の各地に届けている。その量は膨大で、だからこそ商会の馬車は最近どれも出払っているのだ。まさにアッシュが指摘した通り。

 そうまでしてでも、オルフェにはユリアスの持つ資料が必要だった。


 不審火は、ルルド商会の扱っていた爆薬のせいだった。それが国中に知れ渡っている情報だ。無辜の民を危険にさらした罪は大きい。ルルド商会を率いていた男――あの夜会の日に踊る羊ダンシーと名乗っていた彼は、その罪にふさわしいだけの罰をうけた。ここまでが表向きの情報。

 けれどユリアスから手に入れた書類によれば、この事件は終わっていない。


 ルルド商会は爆薬を流通させていただけだ。

 では、その爆薬は誰の指示で作られたのか。


 部屋の空気がぐっと暗くなる。急速に闇に沈んでいく。

 この城の暗闇が、口を開けて自分を待っている――そんな錯覚さえ覚えて、オルフェは顔をしかめて。


 控えめなノックの音と共に扉が開いた。一人の従者が顔をのぞかせる。片手に持った燭台が、頼りなく揺れている。


「若、馬車の準備が整いました」

「ありがとう……すまないね。無理を言って」

「いいえ、ほかならぬ若の頼みですから……ですが、いいのですか?」


 オルフェより少し年かさの従者は、気がかりな眼差しを寄こしてみせた。


「スイリ薬局は王都の貧民街にあるんです。治安もよくないと、噂では聞きますし、若がわざわざ行かずとも」

「いいんだよ」


 従者の心配そうな声を、オルフェは外套を羽織りながら遮った。

 そして微笑む。従者を安心させるために。あるいは自分を鼓舞するために。


「商人たるもの、何事も自分の目で確かめねばならないからね」



 ――ユリアスの書類は言う。

 誰が爆薬を作ったのかは分からないが、爆薬の出どころと思しき場所がある、と。スイリ薬局というのは、書類に挙げられていた候補の内の一つだ。


 けれどこの書類でさえ、どこまで信用できるのかは怪しかった。

 この城は――とりわけこの城の王族は、腹の底で何を考えているのか分からない。

 弟が死んだ時、オルフェは強くそれを思い知った。


 だからこそ、自身も周囲を偽り、出し抜かなければ。


 そう、胸中で決意を新たにして。

 従者と共にオルフェは自室を後にした。

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