第47話 彼と手がかり
「鬱陶しいんだっての!」
「鬱陶しかろうがなんだろうが、これ以上野放しにはできません!」
粗野な足音を響かせながら、ゲイリーは屋敷の廊下を行く。後ろから飛んでくるのは、苛立った男の声だ。オルフェの従者だという禿頭の男は、ゲイリーがこの屋敷に滞在している間中ずっと、彼を追いかけ回している。
「暇な奴め」
ゲイリーがあからさまに渋面を作って罵れば、男も負けじと声高に叫んだ。
「あなたに言われたくありません! 若がいなくなった途端、所構わず部屋を出入りするような無礼者には!」
「し、仕方ねぇだろい! こんな機会でもなけりゃ、貴人の家になんざ入れねぇんだからよう!」
「だからって、うろうろ歩き回る人間がありますか!」
「細けぇこと言うんじゃねぇや! 俺ぁ客人だって言ってんだろ!」
「どうせ、若に無理矢理ついてきただけでしょう!」
「うぐっ」
「ほら、やっぱり!」
「……う、うるせぇなぁ! とにかく! 俺ぁちょいと外に出てくるからな! 追いかけてくんじゃねぇや!」
「えぇ、えぇ! 出来るならば是非、そのまま二度と帰って来ないでください!」
なんてヤツだ。これが客に対するもてなしか。ゲイリーは自身の行いを全て棚に上げ、憤りながら暗い廊下を進む。
憤りの原因は、なにもこの男だけではなかった。
先程会った、アッシュの顔が浮かんで消える。
あの顔を殴りつけた事自体に後悔はない。だが、仮にもあの男はこの国の王族だ。罪に問われてもおかしくはない行為である。ゲイリーだって命は惜しい。時間がたった今、ゲイリーは内心で恐々としていた。
加えて言うならば、ゲイリーは完全に機会を逸していた。
この手がかりを、アッシュに届けて欲しい。やつれた顔で、器用に笑ってみせたフェンを思い出す。
あんな状態の彼女を見せつけられて、約束が破れようはずがない。ゲイリーだって男だ。この時ばかりは金など関係ない。
だが、いつアッシュに証拠を渡せばいいのか。
アッシュと鉢合わせたにも関わらず、勢いで飛び出してきた己を悔やみながら、ゲイリーは外へと通じる扉を開けた。
日の落ちた外は暗い。膨らみ始めた月が夜空に浮かぶ。冷ややかな空気が一気に吹き込む。
ゲイリーは首をすくめた。外套を羽織ってくることを忘れた己をぶつぶつと罵る。振り返れば、禿頭の男がいい気味だと言わんばかりの笑みを浮かべていた。ゲイリーは
「この屋敷の、主はどこ?」
不意に、甲高い声がした。ピンと張った糸のような緊張感がにわかに漂う。
ゲイリーは首を巡らせた。目を凝らす。
擦り切れたフードを被った人影が目に入った。少女だ。だらりと両腕を垂れ下げ、幽鬼さながらに暗闇に佇んでいる。だというのに、目は鬼気迫る色を滲ませてゲイリーを見つめている。
ゲイリーは眉をひそめた。
「誰でい、お前。ここはお前みてぇな、みすぼらしいお子様が来るようなところじゃねぇぜい?」
「……あなたが言えた立場じゃないでしょう」
背後から禿頭の男の呆れた声が飛んでくる。ええい、こんな時まで口うるさい奴だ。ゲイリーが男に文句を垂れようと口を開きかけた時だった。
「主に会わせなさい」
少女は同じ言葉を繰り返した。ゲイリーの言葉など、まるで耳に入っていないようだった。
かちり、と火打ち石が弾かれる音がした。右腕を静かに上げる。フードの袖が下がって、細腕が顕になる。
その手に、炎を灯した何かを握っている。小さな手には有り余る大きさのそれは、
ゲイリーにとって見覚えのある形の小瓶。
「さもなくば、こうなるわ」
小瓶が放たれた。屋敷の方ではなく、庭の方へ。
爆発音と共に炎が広がる。暗闇が一瞬で祓われる。風がないことだけが幸いだ。炎を上げて燃えるのは、庭の一部だけなのだから。
それでも、ゲイリーと従者の男に恐怖を与えるには十分だった。
燃え盛る炎を背に、少女は淡々と告げる。
「……次は屋敷を狙う。だから……早く私を、この屋敷の主のところに案内して」
*****
「はっ、何のことを言っているのか」
暗がりの中、牢屋の向こう側で男はすまして答えた。予想通りの反応だ。男を詰問していたオルフェがちらりと視線を向けてくる。二人から離れたところで壁に背を預けていたアッシュは、フードの下で息をついた。
オルフェの部屋から通じる細い階段。そこを下った先には、思いの外、広い空間があった。少なくとも、大の男ばかり十数人を詰め込んでおける牢が設置できる程度には。
頭上高くに設けられた小さな窓から、月明かりが差し込む。
「何度も言わせるなよ。俺たちはこの国の第二王太子であるアッシュ・エイデンの指示で小瓶を作った。その小瓶が何に使われているかも知らなかった」
冴え冴えとした月光の下、男は型通りの答えを繰り返してみせる。牢に捕らえられている男たちの年齢は様々だが、先程から喋っているのは唯一人だけだ。
ライ・ティルダという名の青年だけ。目の下の隈を歪ませ、彼はオルフェをせせら笑う。
「それとも何か? あんたは俺が証言したこともすぐに忘れる阿呆なのか?」
「挑発には乗らないよ。工場長さん」
「それは失礼。薄汚い牢にぶちこまれて、こっちは暇を持て余してるもんでね」
「牢に入れられるようなことをする、お前らが悪いんだろう?」
「言ったろ? 俺たちはこの国の王太子に騙されてたのさ。そういう意味じゃ、被害者じゃないか」
どこか余裕さえ感じさせる態度でライは肩をすくめてみせる。オルフェが不快そうに眉を潜める。
「もういい、オルフェ……こいつらの言いたいことは分かった」
フードを被ったまま、アッシュは静かに足を踏み出した。オルフェの横を通り過ぎ、鉄格子越しに向かう。月明かりはアッシュの背で遮られる。アッシュの影が男たちの方へと黒々と伸びる。
ライが目を細めた。
「……誰だ、あんた」
アッシュは喉の奥で笑った。つまりはこれが答えだ。視界の端で、オルフェが男たちに同情するような視線を送っているのが見える。
アッシュは立ち止まった。ライを見下ろす。
「誰? お前なら、よく知ってるんじゃないのか? 会ったことのある人物の声を、すぐに忘れる阿呆でないのならば」
「……お前に会った覚えなんぞ、俺にはない」
「そうか。それは奇遇だな。俺もお前と同意見だ」
「あぁん? さっきから何を訳分かんねぇことを、」
調子よく動いていたライの口が止まった。
アッシュがフードを外す。朱い短髪が月明かりの元にさらされる。紅の瞳がライの驚愕の表情を捉える。アッシュは口角を釣り上げた。
「アッシュ・エイデンだ。この国の王太子をさせてもらっている」
「っ、な……」
「さて、先程互いに確認したとおり、俺とお前は今初めて出会った訳だが……そうなると、お前は誰の指示を受けて爆薬を製造していたのだろうな? ライ・ティルダ」
殊更優しい口調のまま、アッシュはゆったりと腰を折った。怯えたように後ずさるライと目線を合わせる。彼の背後で男たちが身をすくめているのが見える。
ライは体を震わせた。
「……言えない」
「ほう。言えないのか。それは困ったな……言いたくなるように手助けしてやることもできるが」
アッシュは、腰に差していた己の剣に、ちらりと視線を送った。ライが唇を噛む。その目には、己の失態への後悔以上に、恐怖が勝っている。
何に対する恐怖なのか。
目の前の自分に対するものなのか。
あるいは目の前にいない兄に対するものなのか。
後者ならば厄介だ。表情一つ変えず、アッシュは僅かな焦りと共にライの思考を見極めようとする。
それはしかし、すぐに遮られた。
部屋全体に、鈍い爆発音が響き渡る。
男たちがはっとしたように辺りを見回した。ライが呆然と口を動かす。
「……小瓶の爆発……」
オルフェとアッシュは素早く視線を交わした。オルフェが身を翻す。入り口へと続く階段を駆け上っていく。騒がしい声が響き始めるのに時間はかからなかった。何かを言い争っている。オルフェとゲイリーと従者の男。それに混じって聞こえる、甲高い声。
アッシュは立ち上がり、階段の方に向かう。剣の柄に手を置く。アンジェラから渡された薬湯のおかげで、傷の痛みは鈍い。
人影は、唐突に転がり込んできた。
少女だ。
女がいることは分かっていたが、予想以上に幼い人物にアッシュの動きが一拍遅れる。その隙に少女がアッシュと牢屋の間に立ちはだかる。
リン、と誰かが呟いた。少女がその声に振り返ることはない。フードをはためかせて振り返り、アッシュをきっと睨みつける。
「ライさん達を離して!」
怒りで興奮しているのか、アッシュを見ても少女が怯む様子はない。
だが勿論、こちらも引き下がれるはずがない。
背後から響く複数の足音に耳を傾けながら、アッシュは目を細める。
「それはできない相談だ」
「なんで!?」
「こいつらには、聞きたいことが山程あるからな」
「そんなの、あんた達の都合でしょ! 私達には関係ないわ! 近づかないで!」
アッシュが剣を抜けば、少女が諌めるように語気を強めた。素早く懐に手を入れる。
小瓶の握られた手が、月光の下に晒された。
差し込まれた布の色が、アッシュの目に飛び込んでくる。
それはアッシュを示す深紅ではない。
アッシュの動きは素早かった。瞬く間に少女との距離を詰める。彼女の手から小瓶を叩き落とす。その首筋に刃を突きつける。
ひっ、と少女が喉を鳴らした。恐怖に揺れる瞳がアッシュを見上げる。
「やめろ!」
ライが喚いた。鉄格子が乱暴に揺らされ、耳障りな音を立てる。
それを無視して、アッシュは床に転がる小瓶を、静かに顎で示す。
「……答えろ。その小瓶はお前が作ったのか?」
少女は何も言わない。アッシュは僅かに剣を揺らした。皮膚が切れる一歩手前で、刃が少女の首筋に沈む。
少女は観念したように口を開いた。
「そ、うよ……。自分の持ってた布で作ったの」
「その、布の色は何だ? 小瓶に使う布の色は、濃い赤色のはずだろう」
「……こ、これは古い方の布よ。ちょっと前まで、小瓶を作る時はこの布を使ってて……その余りで……」
アッシュは顔を上げた。ライが鬼のような形相で少女を睨みつけている。それで、少女の言葉が真実であると知る。
だが。
「駄目だ、アッシュ……それだけじゃ証拠として足りない」
背後から、オルフェの慎重な声が届く。アッシュの嫌な予感を、なぞるように言葉を続ける。
「彼らを捕まえる時に、使っていた道具も全部押収したけど……そこにあった布は全部、深紅だった」
「……だろうな」
「多分、俺が来る前に差し替えたんだと思う。いずれにせよ、その子の持ってる布一枚じゃ、ユリアス殿下にうやむやにされて終わりだ」
オルフェの言葉に反論の余地はない。アッシュは苛立ちを滲ませて息をついた。
少女とライを睥睨する。このまま、彼らを問い詰めてもいい。いずれ口を割るだろう。だが、それはいつになるのか。そもそも、物的証拠が見つけられない以上、彼らの証言にどこまで力をもたせることができるのか。
手がかりもない憶測は、ただの言いがかりだよ。周到な兄の馬鹿にしたような声が響いて消える。アッシュは顔をしかめる。
その時だ。
やけに芝居がかった忍び笑いが響いた。
その部屋にいた全員の視線が、階段の近くへ向けられる。
正確に言えば、これまで誰にも注目されなかった醜男へと。
「……何がおかしい、ゲイリー」
アッシュは殺気を隠しもせずにゲイリーを睨みつけた。常のゲイリーならば十中八九黙り込んでいただろう。
ところが彼は含み笑いをやめもせず、殊更もったいぶって腕を組んでみせる。
「いやぁ? 旦那方がお困りのようだな、っと思っただけでい」
「……ならば、その五月蝿い笑い声を黙らせろ」
「なっはっはっ。そんなこと言って良いんで? このゲイリー・ルードマンが、重要な手がかりを握ってるってのに?」
「……なんだと?」
ゲイリーは得意げに目を光らせ、胸を張った。
「その色の布が入った大量の小瓶、ちゃあんと預かってきてるぜい? 銀の騎士サマからな」
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