第48話 彼と真相
静まり返った王都を、馬車が走る。密やかに。だが可能な限り速度を速めて。
その中で、アッシュはゲイリーと向かいあって座っていた。
二人の間に置かれたのは、ゲイリーがフェンから預かってきたという箱だ。彼が泊まっていた宿屋から、つい先程回収してきたもの。馬車が揺れるたびに窓につけられた布が揺れ、隙間から差し込んだ月明かりが固く閉ざされた木箱の蓋を照らす。
「渡す前に一つ確認だがな、旦那」
重苦しい沈黙の中、口火を切ったのはゲイリーだ。顔をうつむけたまま、しきりに手を擦りあわせ、指を組み、皮膚が歪むほどの強さで片方の手を握る。
そうしてやっと、言葉を続ける。
「俺ぁ、まだあんたを許したわけじゃあねぇぜい」
「分かっている」
慎重に切り出された言葉は、予想の範囲内のものだ。それでも、気づいた時には組んだ腕の下で拳を握りしめている己がいる。
アッシュは内心だけで苦笑いをこぼした。
「お前を責める気はない。俺の態度が原因だ」
「…………」
「……と、この話はオルフェにもしたがな」
「……そうなのかい?」
「あぁ」
アッシュが頷けば、ゲイリーがそろりと顔を上げた。アッシュの表情に何を感じ取ったのか。忙しなく動いていた手が止まる。迷うように口を開け、閉じ……再び開く。
「あんたは、やっぱり騎士サマのことを殺す気なのか」
「フェンは殺さない」
アッシュは間髪入れず言い放った。ゲイリーは何も言わず、疑念に駆られた視線だけを寄こしてくる。
そしてアッシュは真っ直ぐにそれを受け止める。
「フェンを救い、この騒動を止める。それが答えだ。俺の」
「……本当かい、旦那?」
「あぁ」
「…………」
「理由も言うべきか?」
「……いや」
ゲイリーはゆっくりと瞼を閉じた。大仰に息をつく。座席に背を預けるようにして天井を振り仰いだ。
「理由はいらねぇぜ。旦那のことだ。どうせ騎士サマを助けるのに、大層な理由を用意してんだろい? 国同士の争いを止めるには、騎士サマが必要だとか、なんとかって」
「そうだな」
「でも、根本は……きっともっと単純な理由だ。違うかい?」
ゲイリーの視線が、ちらりと送られる。この男は、アッシュの都合の悪い時に限って察しがいい。
アッシュは思わず明後日の方を向いた。けれど、ゲイリーにはきちんと伝わったらしい。ややあって、がしがしと頭を乱暴に掻いた彼は、身を乗り出した。
いつもの胡散臭い笑みを浮かべる。右手で拳を作って差し出す。
意図がわからずアッシュが眉を寄せれば、ゲイリーが唇を尖らせた。
「なんだなんだ。ノリが悪いねぇ、旦那は」
「……この手は? 金なら後でいくらでも払うが」
「かーっ、そうじゃねぇや! 握手だよ握手! 友好の証ってやつよ!」
「……言っておくが、俺を殴ったことは忘れないからな」
「うぐ……そ、そこはよう……今言わなくてもいいんじゃねぇかい……?」
目に見えて眉尻を下げたゲイリーを一笑して、アッシュは身を乗り出した。
差し出された手を、握手の代わりに軽く叩く。その音は馬車の音に紛れることなく、確かに響いた。
*****
ゲイリーがもたらした手がかりは、小瓶だけではなかった。
大量の小瓶を見つけた場所がディール村だったということ。
ゲイリーが炎の神と名乗る少女と行動を共にしていたこと。
そしてフェンが、炎の神と契約したということ。
炎の神との件は、さすがのゲイリーも半信半疑といった様子の話しぶりだった。無理もない。アッシュでさえ、ディール村で実物と相対していなければ、ゲイリーの話を夢物語と一蹴しただろう。
だが、短い間とはいえフェンと行動を共にし、彼女の力を間近で見てきたのだ。まして正体不明の炎はフェンと共に倒したはずのものである。
なにより、フェンが炎の神と契っていたというならば、説明がつく事象が一つあった。
反乱軍が決起した時に燃え盛っていた炎のことだ。
あの夜、広場にあったのは稀に見る大火だ。王城からも炎による赤光が見えたほどなのだから、火力については想像に難くない。
ところが一夜明けてみれば、広場にあった噴水も、周辺の建物も、ほとんど被害がなかったらしい。炎によって傷を負った兵士もいない。一方で、兵士が逃げる反乱軍を追おうとすれば、炎が阻むように立ちはだかった。
まるで夢か幻のようだ。今朝、アッシュが話を聴いた兵士の一人は、そうぼやいていた。だが。
あの炎が、フェンが契約したという炎神によるものだとするならば。
そこまで考えた時、アッシュの耳に扉の開く音が聞こえた。
窓に背を預けたまま、アッシュは顔を上げ、己の執務室を見やる。窓際に置かれた
部屋の中央は、先ほど入れたばかりの暖炉の炎に照らされていた。炎の勢いは強い。それでも部屋の隅まで照らしきることは叶わず、床の上に積み上げられた紙の束が陰鬱な影を落とす。
一通り話し終えたゲイリーは、ソファに腰掛け船を漕いでいた。その前に置かれたテーブルの上に置かれているのは、ゲイリーがフェンから預かってきたという手がかり。
開いた扉から、オルフェが姿を現した。馬を飛ばしてきたのか、髪が乱れている。目があうなり、彼は申し訳なさそうに肩をすくめた。
「ごめん、遅くなった」
「いや、構わない……お前の屋敷の方は、もういいのか」
「あぁ。爆発で起きた庭の炎も、すぐに鎮火できる程度のものだったし……スイリ薬局の人間からも話を聞けた。あの女の子の言ってたとおりだね。深紅の布を使う前は、
オルフェがそこまで言ったところで、ゲイリーが呻き声と共に目を覚ました。オルフェが不快げに眉をひそめる。
「……なんで、あんたがここに?」
「おいおい、そりゃあ、ひどい言いようじゃねぇかい?」
伸びをしたゲイリーは、ニヤリとオルフェに笑ってみせる。
「なんでもなにも、俺が持ってる手がかりが重要だからに決まってんだろい? オルフェ」
「あんたに呼び捨てにされる筋合いはないんだけど」
扉に背を預け、オルフェは顔をしかめた。
ゲイリーは、そんな視線さえも心地良いと言わんばかりに、鼻の穴を膨らませながら人差し指を立てる。
「んじゃあ、まあ、役者も揃ったみてぇだし? このゲイリー・ルードマンが説明させてもらうぜい……さぁさお立ち会い! 取り出しましたるこの箱! こいつが騎士サマが俺に託したブツだってんだ!」
「そんなに得意げに言うほどのことでもないだろ」
ゲイリーが大仰に箱を開けてみせれば、オルフェは白い目を向けた。
「ただフェンから預かって、運んできただけのことじゃないか」
「ちっちっちっ……分かってねぇなぁ。この俺様が、完璧なタイミングで、ちゃあんと旦那のところに持ってきた、ってところが重要なんだぜい? あんたたちのところに持ってこない、って選択肢もあったんだからな」
指を振ったゲイリーが、見下したようような視線を二人に送る。オルフェは小さく悪態をついた。アッシュは苦々しく息をついて、頭を振る。
ゲイリーの態度は腹立たしいが、正論だ。アッシュは蓋が開けられた箱を一瞥する。整然と並べられた小瓶には、浅緋色の布が差し込まれていた。
「……いずれにせよ、それは本物だな」
アッシュが渋々同意すれば、ゲイリーは勢いよく立ち上がった。芝居がかった動作で歩き始める。
「もっちろんだぜい。しかも重要なのは、この小瓶は、ここにあるだけじゃねぇってことだ。元々水の国だった村の全てに、同じ小瓶が仕込まれてるときた! それも火の国の商人が立ち寄った時に! こりゃあもう、事件の香りしかしねぇ! 一体誰が!? 何のために!? 古今東西、あらゆる話を集めてきた俺から言わせりゃあ、これほど心躍り手に汗握る陰謀劇はねぇってんだ!」
オルフェは鬱陶しそうにゲイリーを睨みつけた。
「じゃあ聞くけど、あんたは誰が犯人だと思ってるわけ」
「野暮な質問だぜ、オルフェ。そりゃあ、ユリアス殿下だろい? この布の色が、誰を指す色なのかってのは、火の国の民ならば常識じゃあねえかい」
「なら動機は?」
オルフェの質問に、ゲイリーがぴたりと動きを止めた。あからさまに目を泳がせる。
「……ど、動機はだなぁ……」
「ユリアス殿下は、この国の第一王太子だ。そして、元々水の国の管轄だったとはいえ、小瓶が仕掛けられた村は、すでに火の国の領地でもある」
「う……」
「王太子といえど、爆発事件の主犯者であることが露見すれば、失脚は免れない。あのユリアス殿下が、そんな危険を冒すとは到底思えないんだけど」
「ぐぐぐ……」
「なのに、あんたはユリアス殿下が犯人だって、言い切るわけだ。そこまで自信満々に語るからには、それ相応の根拠があるってことだよね?」
「…………」
ゲイリーは完全に沈黙した。力なくソファに座り込む醜男にオルフェは鼻を鳴らし、次いで意味ありげにアッシュの方を見やる。
アッシュは静かに顎を引いた。
「動機がない、と言いたいんだろう。兄上には」
「その通りだよ」
指を組み、オルフェは目を伏せた。
「ユリアス殿下が犯人と疑うだけの手がかりはある。でも彼が悪戯に国を乱すような男には見えない。普通に考えれば、国中の誰もがそう考える」
「そうだな、普通に考えれば」
そして、そう思わせることさえも、ユリアスの計算の内なのだろう。ユリアスは深く政治に関わっているが、その手腕に問題はない。圧政を敷く訳でもなく、少なくとも火の国の民からの信頼は厚い。
だが。十年前の戦を思い出し、アッシュは目を細める。
「――今回の不審火の事件、恐らく兄上の目的は爆発騒ぎではない」
「どういうことだい?」
「爆発事件そのものには、何の意味もない。むしろ重要なのは、その結果もたらされた今の状況だ」
「今の状況、って……水の国の民の反乱を指してる?」
オルフェが顔をしかめた。
王都の中心で、水の国の民が決起したこと。それを率いているのが、水の国の王女であるということ。そのどちらも、既にユリアスによって公表されていた。もちろん、フェンが王女であるという事実も含めてだ。
そして、それら全てがユリアスの思惑通りだろう。
ゲイリーが緊張した面持ちで身を乗り出した。それを視界の端で収めながら、アッシュは、組んだ腕の上で人差し指を叩く。
「考えてもみろ。単純に爆発事件を起こしたいだけなら、その辺りの小悪党にでも小瓶をばらまけばいい。小瓶の製造も、もっと信頼のおける……それこそ、兄上に心酔している火の国の民にでも任せる方が、余程確実だ。ところが兄上は、わざわざ水の国の民に小瓶の製造を任せ、水の国だった村に小瓶を隠した」
「そ、そう言われりゃあ、旦那の言うとおりだな……」
「恐らく……兄上の真の目的は、水の国の民を排斥する口実作りだ」
ぱちり、と暖炉の中で炎が爆ぜた。オルフェとゲイリーの横顔が炎に照らされて陰影を深める。耳に痛いほどの静寂の中で、アッシュは言葉を続ける。
「確証はない。だが……不審火の事件のいくつかは、水の国で起こっていたんじゃないか。火の国の商人が出入りした後に爆発が起これば、当然、村人たちは火の国を犯人と疑う。まして、兄上のとってきた政策は火の国を充実させるためのもので、水の国だった村はどこも蔑ろにされていた。彼らに不満が溜まっているならば、爆発事件をきっかけに過激な思想に走ってもおかしくない」
「……じゃあ、水の国の民に小瓶を作らせていた理由は?」
「製造元がばれてもなお、水の国の民を悪役に仕立て上げるためだ。大方、その場合の筋書きは『火の国に報復するために、水の国の民が武器を作っていた』となるだろうが」
アッシュの言葉に、オルフェは顔を歪めた。
「……仮にスイリ薬局の人間がユリアス殿下を告発しようとも、火の国の民は人望厚い殿下を信じる、と」
「まぁそもそも、そんな状況になろうものなら、ライ・ティルダは殺されていただろうがな……思うに、あの薬局で真相を知っていたのは、あいつ唯一人だ」
「だ、だがよう……」
黙って話を聞いていたゲイリーが、恐る恐るといった調子で切り出した。
「ユリアス殿下の、根本の動機は結局なんなんでい? どうしてあの人は、そこまでして水の国の民を煽ってる、ってんだ?」
アッシュは息をつく。苦い記憶と共に蘇るのはユリアスの言葉だ。
――この戦が終わった時に、水の国の民がいなくなっているのが理想だ。一つの国に、二つの民は相いれない。絶対に。
もう、十年も前の言葉である。けれど恐らく、ユリアスの中でその指針は微塵も揺らいでいないに違いない。
火の国の将来を確実に安定させるという意味では、この方策は間違ってはいないのだから。
「……兄上にとって、水の国の民はいつ反乱を起こすとも知れない、危険因子だ。今回のことがなくとも、いずれは暴動が起きると思ったんだろう。だから敢えて、火の国にとって都合の良い時期に暴動を起こさせ、完全に水の国の民を排除しようとした」
「な……排除って……あの国との戦争は十年も前に終わってるじゃねぇか……?」
「だからこそ、だ。この十年で、火の国は力を増し、水の国は衰えた。今ならば、確実に水の国を滅ぼすことができる」
「最後の王家の生き残りである、フェン・ヴィーズを殺すことによって……ってことか」
「っ、そんなの許されるわけがねぇだろい!」
嘆息交じりのオルフェの言葉に、ゲイリーが怒りも顕にテーブルを叩いた。小瓶が箱の中で擦れて、澄んだ音を立てる。
アッシュはオルフェと無言で視線を交わした。疑うまでもなく、結論は一致していた。目の前の男に同意するのは非常に癪だが、反論の言葉もない。
胸中で苦笑いして、アッシュは窓に預けていた背を浮かせた。腰に差した剣が微かな音を立てる。
居住まいを正し、改めて二人を見据える。
「そういうことだ。だからこそ、俺達はフェンの行方を探す必要がある。兄上が見つけるよりも先に」
「それに……フェンが挙兵するよりも先に見つけた方がいい、だろ?」
アッシュの言葉を継ぎながら、オルフェもゆっくりと歩き始める。小瓶の入った箱の側面を、軽やかに指先で叩く。
「反乱軍が挙兵した時点で、ユリアス殿下に居場所を知らせるようなものだし……まぁ問題は、どうやって探すか、だけど」
「フフン、そんなの簡単じゃぁねぇか。水の国の反乱軍なんだから、水の国の村に行ってるって考えるべきだろい?」
得意げに目を光らせたゲイリーを、オルフェは鼻先で笑い飛ばした。
「馬鹿じゃないの」
「んだとォ!?」
「それぐらい、考えれば分かる。今話してるのは、数ある水の国の村の中で、フェン達がどこにいるか、ってことだ」
「そ、それはよォ……地道に訊いて回るしか」
「時間がかかりすぎる。却下」
「っ、却下とはなんでい!? こっちだってなぁ! 必死で考えて……!」
「……心当たりが、ないわけじゃない」
オルフェとゲイリーが喧々とやりあう中、アッシュは、ぽつりと漏らした。
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