24 女神信仰
身体を離すと、もう一人の彼女の透明の血が、彼の掌を介してべったりと着いてしまったことに、彼は遅れて気がついた。
しかし、タカラはそんなことは全く気にしていないらしく、すっと彼の横を通り過ぎ、頭から涙を流した"彼女"と、小さな人魚に手を合わせる。彼もそれに続こうとしたとことで、タカラに止められた。
「この子は、今まで私の代わりに頑張ってくれた私の最初のクローンなの。でも、ハヤトは手を合わてはいけない、感情移入してはいけない」
そう言い、タカラは彼の右手に握られた銀色の銃を己の胸へと当てる。
「ハヤトは、私を殺せる。そういう風に造られたの」
――今なら"タカラ"を殺せそう?
そう彼に問いかけるミナトの青い瞳がフラッシュバックした。
「俺は、……お前を殺したくなかったんだ、そのはずだったのに」
「いいんだよ。ハヤトは悪くない。ハヤトは"私"を殺していい。それは正しいことだよ。狂うほどのことじゃない」
仕事だから仕方がない、間違ってない。
今まで何度も言われてきたことだった。面談でそんな話を何度も聞いた、翠の眼の青年に何度も諌められた。そして、処分の対象からも、その赦しを得た。
これは洗脳だと、それは詭弁だと、彼はわかっている。
わかっていても、心の呵責が軽くなる。彼はいつだって赦されてきた。赦されることに、安堵と喜びを感じてきた。
* * *
水路に"彼女"たちを流した後、彼はしばらくその水路の先を眺めていた。
どろりと濁った水は刹那的で、見るたびに姿を変え、色を変える。
一瞬と一瞬が繋がって、まるで水が動いているかのように錯覚させる。
タカラは、その濁った水と同じく、ひどく刹那的で、自己犠牲的な人間だ。
今を逃せばきっとタカラと話をすることは二度とない。
二人並んで水路をぼんやりと眺める。
その水路を見つめながら何を考えているのか、彼にはわからなかった。
いつだって、彼はタカラの事がこれっぽっちもわからない。
執行室のドアを閉める。ガンと鉄と石がぶつかった音が響くが、タカラは無言のまま彼の翠の瞳を見つめ返した。凛烈な程に冷えた瞳の色には神々しさすら感じる程である。やはり女神だ。そんな突飛な思考回路に、彼は気付かない。
「タカラ、『ツナ缶』に帰ってきてくれないか。オレはあの後、アラシにタカラの正体はテソロだって伝えたよ。でも、全然驚いてなかった。あいつはずっと、お前の正体を分かっていたからな。あの時も言ったよな、アラシはお前を嫌ってるわけじゃないんだ。あの時はまだ混乱していてアラシもどうすればいいのかわからないって言っていたけど、今、あいつはお前に会いたがってる。あの時お前に会って話をしなかったことを後悔してるんだ。だから——」
「それはできない」
「何でだよ」
「あの時とは状況が変わった」
「オレのことなら、もう守らなくていい」
「ハヤトのことじゃない」
「じゃあ、今度はアラシとミナトか?」
彼がそういうと、タカラは口を
いつだって、タカラは誰かが傷つくことを恐れている。
「あいつらは、オレよりずっと強くて賢いよ。お前だって知っているだろう。お前が守らないといけないほど脆くない」
「でも、ハヤトだって、私と出会わなければこんなことにはならなかった。アラシだって、私と知り合いじゃなかったら、きっと色んな人を救えるお医者さんになってた。私が二人の未来を潰したんだよ」
「自惚れんな! オレもアラシも、自分で選んでこの道を選択したんだよ……! それなのに……!!」
それはここ一年以上、彼がずっともやもやしていることだった。
彼の叫びが執行室に響き渡る。
タカラは一瞬びくりと肩を震わせたが、すぐに無表情に戻った。
「お前は、ずるい」
「……」
「お前、俺たちに嫌われたくないんだろ。自分から突き放したくせに、嫌われたくない。だからそうやって逃げて、でも忘れられたくないから、こうしてオレの前に姿を表したんだ。お前とこうして再会して、オレは目が覚めたよ」
タカラは無表情のままだったが、一つ長めの息を吐くと、バツが悪そうに笑った。
これは痛いところを突かれた、と、そんなことを呟いて。
「そうだね、私は嫌われたくなかった。アラシのため、ミナトのため、ハヤトのため、そんなルビを振って私は逃げた。私達には、バッドエンドしか待っていないから」
「バッドエンド……?」
「タイプOやタイプT——人魚の成り損ないはもう必要ないよね。タイプMに人類を託すことにしたんだから。人間達は安心した。でも、そこで人間達は思ったの。不要な人魚は、全部殺しちゃえばいいって」
この国の資源は限られている。だからこそ政府は「翠色の目」の人魚達を間引いてきたわけだし。そんなことは、この国に住まう誰もが知っていることだ。
けれど、タカラの言うことはあまりにも極端すぎた。
「いやいや、流石に無理だろ。人間はこの国の二割にも満たないんだぜ。すぐに制圧されちまうよ。そりゃあ銃火器や化学兵器はもちろんあるだろうけど、それでも無理がある。人魚達が自棄をおこして海水濾過工場や食物生産工場を壊したり、電力を休止したら――俺たち人間は飢えと寒さで死ぬ」
「そうだよ。でもね、要らない人魚達を一発で殺す罠がある。それが宗教」
この海洋国グラス・ラフトにも宗教はある。
それは、イエス・キリストでも、ブッダでもない。海の女神"ミヨゾティ"を信仰する女神信仰だ。
タイプMもその恩恵にあやかっている。
彼は神様など全く信じていないが、女神を信仰する者——人魚は多く存在する。
透明の血を持つミナトなんかは特に信心深い。
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