06 生まれてきた罪
実験警護執行科に異動してから九回目の出勤となったその日、海洋国グラス・ラフトは、とんでもなく巨大な
それほどまでに凄まじい
この揺れ動く地表に三半規管をやられ、同僚はひたすら胃の中身を空っぽにする作業を繰り返している。
研究所の中は停電こそしていないものの、すべての実験は取りやめ、所内はしんと静まり返っていた。国中に響き渡るサイレンによって、国民には外出禁止令が伝えられている。現在研究所に居る職員は前日の夜勤勤務者のみだ。
まだ慣れていない研究所内を歩きながら、彼はパトロールを続ける。
実験警護執行科の主な仕事は、実験中の警護と、被検体の監視だ。
白い扉から――この研究所内の扉はどこも白いが——呻き声が漏れてくる。ベルトに取りつけた鍵束から鍵を一本取り出し開錠した。
狭い室内には簡素なベッドと机、手洗い場があり、中には銀色の髪の青年がベッドに座っている。口元を手で押さえ、ひどく青い顔をしていた。大丈夫か、と声をかけ、洗面器を彼に手渡すと、青年は浅い息をしながら胃の中を空にしていく。
青年が少し落ち着くとのを確認すると、同僚の時と同じように薬と水を飲ませた。
「どうも、ありがとうございます……、ウッ……、吐きそう……」
「吐けるなら吐いとけ」
彼は青年の背中をさする。
白い首輪は罪人の証。青年につけられた首輪は、今日も正常に動作していると告げるように、青いランプが明滅していた。
ここは、知ってはいけないものが多すぎる。
初めて実験警護執行科への異動の声が掛けられたのは一年ほど前だが、断ったにも関わらず受けさせられた大量の適性テストと十回以上に渡る面接の理由を、彼は異動してから嫌というほど理解してしまった。
――何が花形だ、昇格だ、「忠実な犬」だとお墨付きを貰っただけだ。
こんな非人道的なこと許されるはずがない、とは思いつつも「早く慣れて、諦めるしかない。この国の秩序のためだ、仕方ない」と、自分とよく似た声の誰かが、彼の耳元でそう囁き続けている。
悪い人魚は、執行官に殺されてしまう。
その通りだ。
ここでは、罪を犯した人魚に対して人体実験が行われている。
最初は採血やちょっとした観察だったが、日に日にそれはエスカレートし、人魚に色々なものを食べさせてその結果を見たり、活動限界ギリギリまで海の中に沈めたりといった非人道的な調査も行われていた。でも本当に恐ろしいのは、出所した人魚が、誰一人としてこのことを口外しないことだ。
例えその首に、毒針の入った白い首輪があるとしても、それは異様なことに思えた。
白い首輪にとある電気信号を送ることでその首輪から毒針が発射されるが、釈放されたらその首輪は外れるのに、なぜなのか。
それを深く考えることを彼の脳は拒否し、ただ背中を粟立たせている。
「この揺れも今日明日の辛抱だ。なんで
「まさかここまで揺れるなんて思わなくて。ボクは船に乗ったことがなかったので」
「まあ、そうだよな。俺の同僚もうんうん唸っていたよ」
青年は淡く微笑む。青年は彼と同じくらいの年齢で、少し垂れ目がちな目は『ツナ缶』のトオノに似ていた。
「これ、落ち着いたら食え。なんか食っとかないと体調崩すからな」
「わあ、ありがとうございます。何から何まで」
青年の翠の眼を直視することが出来なかった。
自分と同じ、翠色の瞳。
――青年の罪は、「生まれてきた罪」。
彼の髪が銀色でなければ、人魚でなければ、なんの問題もなかった。
けれど、人魚が持つ翠色の眼は禁忌の色だ。
翠の眼を持つ人魚の血は赤ではなく、透明。その血は他の人魚を殺してしまう猛毒を体内に宿している。その正体は未知だ。
だから、彼はこの白い部屋に隔離されている。
「ねえ、看守さん。たまにボクとおしゃべりをしてくれませんか?」
彼はこの人魚が哀れで仕方がなかった。
この人魚と話すたびに、
被験体との無用な接触は禁じられているが、彼は少しのおしゃべりくらい付き合ってやってもバチは当たらないと思った。
「ああ。オレ、この前まで調査科に居たんだ。話し相手がいなくて退屈しているのはオレも同じだからな」
「ありがとうございます! じゃあ、お礼に看守さんに一つこの研究所の秘密を教えてあげますね。ボクは、どうしてここで生かされているのだと思いますか?」
「そりゃあ、お前の持つ毒の解明をするためじゃ……?」
「解明? そんな無駄なことしませんよ。ボクみたいな生き物が生まれたら、生まれた瞬間に問答無用で締め殺してしまえばいいのです。海の世界は弱肉強食ですから」
翠の眼の青年はにっこりと微笑む。
その笑顔が不気味で薄ら寒さを覚えるが、青年は話を続ける。
「ボクは、利用価値があるからここに隔離されているのです。そうでなかったらボクみたいな無用なイキモノすぐに殺されてしまいます。ボクの価値はね——」
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