11 新たな友人
数日後、『ツナ缶』にて。
カランと控えめに開いた入口を見遣れば、彼の相棒であるミナトと、その後ろから興味深そうに店内を見回す長い銀髪の少女がいる。
「ミナトが……、女を連れてきている!?」
「連れてきたんじゃなくて着いて来たの」
「はい、無理矢理ついてきました!!」
天真爛漫、そんな言葉がよく似合う――うららかな春の太陽のような笑顔を見せる少女だった。
人魚らしい真っ白の髪は肩で切りそろえられ、少女のくりくりとした大きな瞳にはキラキラと間接照明の光が写っている。
一方ミナトは、
「いらっしゃい」
カウンターにはトオノが立っている。
茜色のガウンをまとう茶色い髪と瞳を持つ、数少ない"人間"だ。
お嬢さん、と店長であるトオノが少女に声をかければ、少女はミナトの隣に腰を下ろす。二人の前に置かれたナッツに「美味しそう!」と声をはしゃがせた。
「ほんっとうるさい……」
ミナトは迷惑そうに眉間にしわを寄せ、その日何度目かのため息をこぼすが、少女はキョロキョロと店内やらメニューやらを見続けている。ささやかな
にやにやと口の端を緩めた「この色男」という彼の発言にミナトは小さく舌打ちをする。まあまあと宥めながら、
「グラン兄さん、お酒強いんだ、意外」
「僕はこう見えて大食漢だからね」
ミナトは、とても端正で儚げな顔立ちをしている。人魚達は美しくあるように造られたため、整った顔立ちの者が多いが、ミナトはその中でも抜きんでていた。「かっこいい」というより「きれい」という褒め言葉が似合う、そんな男だ。
彼は初めてバディを組まされた時、美人故に中性的で華奢なミナトを女と勘違いしていてナンパをしたところ、ずいぶん低い声で返事が来たことに大層驚いたのも、今は昔の話である。
「ミナトくん、紹介してよ。妹さん?」
「……"アーシファ・サモトラケ"。近所のコドモ」
「コドモって! 九月から研修医だよ! 立派な大人!」
「お医者さんの卵なんだ、すごいね! "アーシファ"ちゃんってことは……名前は"アラシ"ちゃんだね! うん、決定!」
この店ではあらゆる記号は必要ない。髪の色も、眼の色も、その名前でさえも不要なものだ。
人間と人魚は、敵対こそしていないが、決して交われない存在である。人魚は創造主たる人間を
トオノはそれを嫌った。故に、常連には新たな名前を与えるようになった。
ミナトの本名はグラン・ハーバー。
彼の本名も、ハヤトではなくハイト・コーズランドだ。
しかし、本名などというのは、こと『ツナ缶』においては、最もどうでも良いことの一つである。
「なんで"アラシ"なの?」
「よくぞ聞いてくれたミナトくん!」
トオノはキザったらしく指を鳴らし、ミナトに人指し指を向ける。ミナトはやれやれとその指先の向きをへし曲げるとポキッと小さな音が鳴った。
「アーシファって、陸にあったラテン語って言葉で嵐っていう意味があるんだ。それをニホンの単語に直すと…"アラシ"! 元気なお嬢さんにぴったりだと思うんだけど! まさしく、嵐のごとく!!」
「わーい!! あだ名つけられたのなんて子供の時以来ですー!」
「だからアラシちゃんも、ミナトくんのこと、此処ではミナトって呼んでね」
「はい!」
ぱっと少女は笑顔になる。
つられるように微笑むミナトを見て、彼とトオノは顔を見合わせて笑った。
無理矢理ついて来られた、と辟易していたミナトだが、やぶさかではないらしい。
そもそもミナトは、本気で撒こうと思えば撒けたのだ。それをせず、シブシブこの店まで連れてきたのは、つまりそういうことである。
「ちなみに、"ミナト"も"ハヤト"もニホンの単語からとったんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「名前の響きが似てるからセットで付けてみました」
「"タカラ"も?」
「うん。好きなんだよー、ニホンの言葉の響き」
「タカラ? どなたですか?」
「ここの店員。あれ、タカラは?」
「今日は休みだよー」
「そうなんだ、残念。あ、で、これはハヤトね。タカラに惚れてるんだ」
「おま!! 何適当なこと言ってるんだよ!」
ミナトは親指でくいと彼を指しながらそんなことを言う。
決して嘘を言っているわけではないのだが、ミナトの突然の爆弾発言に、彼は追加注文していた
ミナトの「これ」呼ばわりも気になるが、今はそんなことを言っている場合ではない。否定の言葉を紡ごうとしたら、目を輝かせたアラシが、ミナトの肩越しに彼を覗いていた。
「恋バナは大好きですよ! ハヤトさん、よろしくお願いしますね」
「あ、ああ。こちらこそ」
これが、彼と少女の出会い。「アラシ」との出会いだった。少女との出会いによって、今まで順風満帆――少なくとも、世間から見た彼の順風満帆な人生は巨大な嵐に巻き込まれていく。
「女神様に、このよき出逢いの感謝を」
そんなことを知る由もない彼は、久々に出来た新たな友人を歓迎し、杯を乾した。
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