最終章

一度だけの人生。それが私たちの持つ人生の全てだ

30 受肉式

 タカラとの邂逅、翠の眼の青年との死別を果たした約二か月後。女神ミヨゾティの受肉式はすぐにやってきたのだ。


 彼は現在、受肉式の護衛として、要人たちをその背に抱えている。タカラもその一人だ。

 要人たちの長ったらしい挨拶の後、最後に挨拶をするのは、国教"ミヨゾティ"の女教皇を襲名したタカラだ。海色みいろの髪がゆらりと空中を泳ぐ。

 彼女が持つ大きな丸い水槽の中に下半身を泳がせる人魚がいた。


(あれが、"ミヨゾティ"……)


 彼は音もなく呟く。

 彼女と同じ海色の髪と鱗を持ち、水色のような翠のような、ペールアクアを思わせる明るい色の瞳を惜しげもなく披露する。


 が人造の人魚で、彼が何度も執行処分した実験動物に過ぎないと頭でわかっていても、海の化身のような美しさを持つ人魚の神聖さを否定することは出来なかった。


 タカラは、ミヨゾティの入った水槽をハイテーブルに置くと、拡声器を手に取った。

 割れた彼女の声が響き渡る。


「我々は他人に似せるために、自身の四分の三を捨てなくてはならない。残った四分の一が、あなたの個性だ。人から嫌われるということは、自分らしく生きている証だ。あなたはあなたで良い。四分の一のあなたに問いたい。あなたは神の眷族けんぞくになる意思があるのか」


 我々は他人に似せるために、自身の四分の三を捨てなくてはならない

 ――いわく、かつて陸に在った独国の哲学者ショーペンハウアーの言葉。


「日々繰り返される単調な生活の中にこそ、人の心を動かす衝動があるという。その衝動は、神の眷属になることで達成されるのか」


 日々繰り返される単調な生活の中にこそ、人の心を動かす衝動がある

 ――いわく、かつて陸に在った英国の哲学者バートランド・ラッセルの言葉。


「よく考えてほしい。神の眷属は、特別な存在だ。誰でもなれるが、誰にでもなれるわけではない」


 ブツッと乱暴に拡声器の電源が落とされる。

 呆気にとられた観衆をよそに、タカラは降壇し、市民部部長のわざとらしい咳払いの後、受肉式は閉幕となった。


* * *


 事件は、講壇がある広場から人力車までの僅かな道中の間に起こった。


「タカラさあああああん!!」


 そんな咆哮と共に、空から少女が振ってきたのだ。

 白いワンピースに、白い髪。太陽の光でその輪郭を際立たせている。それはまるで天使のようで、天使はタカラの腕に吸い込まれていった。


 どさりと、タカラは後ろに尻餅をつくが、二人とも怪我はしていない。

 突然の出来事に護衛官も執行官も動くことが出来ない。

 当のタカラも状況が理解出来ずにぽかんと口を開けていた。


 そんな状況を鑑みることもなく、少女――アラシはタカラに満面の笑みを向けている。


「タカラさん! 会いたかったよ!!」

「え、あ……アラシ?」

「そうだよ、ずっとこの瞬間を待っていたの。作戦大成功!」


 そこで漸く護衛官と執行官は二人を引き離そうとするが、アラシは「うるさい!!」とどこまでも強気である。


「ねえ、『ツナ缶』に戻ってきてよ。あたしもミナトさんも店長も、ずっと待ってたよ! ごめんねタカラさん、あたしがあの時躊躇してしまったから……。でもね、あたし、本当はなんでもいいの! タカラでも、テソロでも、あたしはタカラさんが好きなの! それだけ伝えればよかったのに、あたし、ばかなのにあれこれ考えて……、それが失敗だった。だからあたし、伝えにきたの! ねえ、またいっぱいおしゃべりしたいよ」

「あ、アラシ……」

「ね、二人とも!」


 ふふんとアラシが得意気にウインクした先には、花柄の愉快なシャツを着たトオノと、ラフな黒シャツを身に纏ったミナトの姿があった。奇しくも、あの夏の日と同じ格好をしている。


「貴様、いい加減にしろ! 公務執行妨害だ!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!!」


 ついに実力行使だと言わんばかりに警棒が振りかざされたその時、彼は漸くその身が動き、警棒は彼の右腕を襲った。

 間違いなく痣になっている。ひょっとしたら骨にヒビが入ったんじゃないかと思えるくらいの痛烈さだったが、二人が怪我をしていないことに彼は安堵した。


「私は一等佐官、執行課のハイト・コーズランドだ。彼女は私の知り合いなんだ、彼女を殴りつけるのはやめてくれ。お前も、無茶が過ぎるぞ」

「ごめんね!」


 そうアラシは悪びれもせず告げる。

 タカラはぎゅっとアラシを庇うように抱きしめたままだ。


 彼を殴りつけた護衛課の男はどうしたら良いのかわからず狼狽している。

 一瞬の静寂が流れると、彼女を解放しなさい、と前方から声が聞こえてきた。


 ユラ・トンノロッソ。翠の眼の青年とトオノの父親だ。

 トオノは、今まで見たこともない冷たい目で、その父親を見つめる。全てを諦め、そして嫌悪している冷たい目で。


「ここは本日めでたく一等佐官に昇進したハイト・コーズランド執行官に免じて不問としよう。だがお嬢さん、いくら彼女を信頼しているとはいえ、二階から突然飛び降りるのは危ないよ。危うく怪我をしてしまうところだ」

「申し訳ございません。ご配慮ありがとうございます。しかし、タカラさ――じゃなくて、えっと、テソロさんはあたしの大切な友人なのです。彼女をあたしたちに返してください」


 アラシは恐れることもなく、獰猛どうもうさを孕んでユラ・トンノロッソとその取り巻きを真正面から食ってかかる。

 飛び降りてくるだけでは飽き足らず、あろうことか"テソロ"の処遇に対してまで物申したのだ。怖いもの知らずにもほどがある、ここまでの騒ぎを起こせば彼女にどんな処分が下ってもおかしくはない。


「心配には及ばない。テソロは君達の元に戻るよ。当然女教皇たる彼女が出歩くには護衛をつけてもらうことになるが。そうだろう、ハイト・コーズランド執行官」

「ええ!?」


 アラシの叫び声と共に、そこにいるすべての視線が彼に集まる。

 彼は声がひっくり返りそうになるのを抑え、「はい」と返事をした。


「オレは本日付けで一等佐官になって、テソロとミヨゾティの護衛の任に就くことになった」

「な、そんなこと一言も言ってなかったじゃん!」

「機密事項だ。ぺらぺら話せるかバカ」

「はああ!?」

「いいから、お前はもう下がれ。今晩必ず、タカラを連れていくから」

「約束したからね!! ね、タカラさん!」


 タカラは答えない。タカラは何も発せず、首を縦にも横にも振らないまま、アラシがミナトとトオノの元へ走り去るのを見送った。

 怡々いいとして笑い、ぱちんとハイタッチをしている。

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