14 夜空と交差する 3/3
「……ねえ、ハヤトはさ、どうして海底調査員になろうと思ったの?」
「どうしたんだよいきなり」
「なんか、気になっただけ」
話しながら、海底調査員を志したあの頃の自分に思いを馳せる。彼が海底調査員を志したきっかけに、何かあったわけではない。未知なる海の世界に、ただただ惹かれただけだ。
「シンプルに、オレは海の世界が好きだったから、海のことをもっと知りたい、お前ら人魚のことももっと知りたいって、思ってた。そして——何かを成し遂げたい、とも」
「何かって? 海の世界の解明?」
「そんな大それたものじゃねーよ。オレって飽きっぽいしさ、自家製
「執行科でも、ハヤトが成すべきことはあるんじゃない? 生存戦略に勝てる人魚を造り出す、その最先端にいる訳だし」
「それを成すのはオレじゃない、オレはただ、無意味な秩序を守るだけだ」
翠の眼の青年を眼下に浮かべる。青年はある意味、この国の秩序の象徴かもしれない。
「本当はこの国の秩序なんてどうでも良いのに」
彼は呟く。
「わかるよ。私も本当はどうでもいい。この国がどうなったって、それで人類も文明も歴史も、何もかもがなくなったっていい」
頬杖を突きながら、タカラは黄金色のカクテルを口に運ぶ。
金色の瞳。
そして、月。星。
あらゆる金色が、夜空と交差する。
「アラシはどうしてお医者さんになろうと思ったんだろうね。あんな大変な仕事、頼まれたって就きたくないよ」
「あいつのことだし善意百パーセントなんだろうな。困っている人を放っておけない、とか」
「すごいよね。『偽らない』のが信条って言ってたし。正義って言っていたかな」
「アラシらしいな」
大人でも子供でも「偽らない」というのは難しい。その信条こそが、アラシの天真爛漫や純朴さの由縁かもしれない。彼はそう思いを巡らせた。
「アラシの眼は、何でもきれいに映るの。雨の日の海の中なんて大嫌いだった。地上ではしとしとって音が聞こえるのに、海の中では何にも音がしない。どんよりしてて、海の中に閉じ込めれてる気がして嫌いだった。でもアラシの言う通り水面を見てみたら、水面に雨が弾けて、きらきらしてたの。太陽のゆらめきよりもずっと小さなきらきらの集まりを見て、雨も悪くないかなって思うようになった。この星空だって、アラシの眼を通せばもっと鮮やかできれいなものになるんだろうね」
「感性が豊かだよな」
「私はその豊かさに救われたよ。アラシと話してると、なんだか、すっと心がきれいになっていく気がするんだよね」
「わかる気がする。でも、オレはお前の目も好きだよ。凍った太陽みたいで」
「え?」
「え?」
ハヤトの翠色の瞳とタカラの金色の瞳がぴたりと合う。
月よりも、星よりも、そして彼が大好きな
「何それ、そんな冷たい目してる? 傷つくなぁ」
「ち、違うって! いや、な? まあ聞け。オレは海底調査の時は、水深七十メートルくらい潜るんだ。そこから徐々に水深を上げると、太陽の光が強くなるだろ? その時の太陽は冷たくて、凍ってるみたいなんだ。でもさ、その太陽の光を見ると泣きたくなるほど安心するんだよ。帰って来たんだってそんな感じがして」
「本当かなぁ」
「本当!」
タカラは訝しげな目で彼を見ていたが、観念したようにわかったとつぶやいた。
彼が安堵のため息を吐いたところで、彼女はようやく笑う。
「な、なに笑ってんだよ」
「ハヤトがあまりにも必死だからさ」
「当たり前だろ、お前にだけは嫌われたくないからな」
「私のこと好きなの?」
「はあ!? バッカじゃねーの!!」
実際にはその通りなのだが、図星を突かれた彼は学生のように全否定してしまう。
もっとスマートなあしらい方ができたんじゃないかと後悔しても後の祭りだ。
タカラは先ほどと変わらずニマニマと彼を見て笑っていた。
「いや、さ、好きだよ。お前のことも、ミナトたちも、当たり前だろ」
「そうだね」
「茶化すなよ。……人魚にとって、この国はあまりに理不尽だ。お前らに比べれば贅沢な悩みかもしれないけど、オレは、たまにお前らが羨ましくなる」
「ハヤトは海の中が好きだもんね」
「海に長い時間、自由に潜れるからだけじゃない。オレは何をやっても正当に評価されないんだ。それも、良い方にな。オレは大したことないのに、評価はいつも『よくできました』だ。ほんと、結構虚しいんだぜ。そのせいで人魚からは妬まれるし、嫌われるし。だから、オレは此処が好きなんだ。ミナトも、お前も、オレをただの個人として見てくれるから」
「……ねえ、人魚の中で流行ってる好意の証があるんだけど、やってあげようか?」
そう言うなり、タカラは席を立つと彼の後ろに回った。
ヒヤリと冷たい指が彼のうなじに触れ、思わず声をあげる。からかわれたんじゃないかと身構えたが、タカラは何も言わずに彼の襟足の髪をかきあげた。
冷気の間を抜けて、暖かい吐息が肌に溶けていく。肌から吸収したタカラの吐息は彼の流れる赤い血に溶け、すぐに彼の心臓へと到達する。
異物を検知した心臓は、全身へ警鐘を鳴らした。
「ちょ、一体何を——」
そして次に走ったのは、あまりにも明確すぎる痛みだった。
ガブリ。そんな音が聞こえて来そうな程にしっかりと、タカラのギザギザの歯は彼のうなじに円を描いた。
「イッテェー!!」
反射的にうなじを触ると、彼の指は水分を感じる。
見てみると、指はほんのり赤に染められていた。
「出血!!」
「力加減わからなくて噛みすぎちゃった、ごめんね」
タカラは変わらずニマニマと笑ったままだ。
泣いた子供を宥めるように、彼の頭をぽふぽふと撫でる。
「何がごめんねだ! 謝るならもう少し申し訳なさそうな顔をしろ!」
「でも、好意がないとできないでしょ? 好意、感じた?」
「好意というか、捕食されてる気分だったが」
「まあ、厳密には友好じゃなくて
「……知らねえよ!」
「その痛みが逆にクセになるらしいよ。ハヤトも満更でもなさそうだしね」
「もう黙れ」
そんなことを言いながらも、彼の視線はいつも眼鏡の下に隠されたタカラの金色の瞳と、右目の下のホクロに釘付けだ。
(ああ、やっぱりこの顔、スキ。このバカみたいにイテェいたずらも許せそうだ)
"私たちは一つの人生しか生きられないし、信じたようにしかそれを生きられない"
>>第一章 【完】
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