17 甘い甘いホットミード

(アラシは、テソロがタカラであると思い込んでいる。赤ん坊のタイプTにタカラの面影を感じているのかもしれない)


 翌日、仕事が終わってすぐに彼は『ツナ缶』にやってきた。そこにアラシはおらず、ミナトもまだ来ていない。

 今日はしとしとと雨が降っていて客もまばらだ。


「ハヤト、今日は早いね」

「ああ、ちょっと、お前に話があって」

「私?」

「トオノさん、タカラ借りても良いですか」


 厨房に向かって声を伸ばすと、お盆にグラスを二つ載せたトオノが出てきた。


「タカラ、これ、一番テーブルにお願い」

「はーい」

「で、ハヤトくん、呼んだ? 奥だからよく聞こえなくて」

「ちょっとタカラに話があって、時間もらえませんか」

「閉店後なら構わないけど、今?」

「……無理ですかねやっぱり」

「いいよ、今日は雨だし。どこか出かけるの?」

「いえ、本当に話がしたいだけなので」

「じゃあ二階で待ってて、後でホットミード持ってくから。たまにはご馳走するよ」

「ありがとうございます」


 いつものカウンター席を通りすぎ、小さな階段を登って二階へ。

 三つある部屋の真ん中は、彼が月に二度お世話になっている客間だ。彼以外の宿泊者はいないのか、ベッドの上には彼専用のナイトウェアがきれいに畳まれて置かれていた。


 ゴテゴテとした分厚い防寒具を脱いでベッドに腰掛ける。

 少しすると、タカラがお盆にホットミードを二つ載せてやってきた。

 甘いはちみつの香りはそれだけで彼を幸せな気分にさせる。

 ホットミードは蜂蜜酒ミードとお湯を二対一で割っただけの飲み物だが、それだけではちみつの糖度が増す。ミルクや紅茶で割っても美味しいが、彼はこのシンプルなホットミードが一番好きだ。

 サイドデーブルにコップを二つ置くと、タカラは彼の隣に腰を下ろした。


「はい、冷める前に一口どうぞ」

「おお、悪いな」


 ホットミードを飲むと、喉、胃、腹から末端へとその熱がじんわりと伝わっていく。少量のアルコールしか入っていないはずなのに、一気に体が熱くなった。


「顔赤いけど、大丈夫?」

「外が寒かったからな。なんともねえよ。それより、話」


 じっとタカラの銀色の髪を見る。

 タカラの髪はランプに透けても銀色のままだった。その毛先に触れても、それはしっとりと潤いを持っていて、とても作り物のようには思えなかった。


「……酔ってるの?」

「今日、アラシに会ってきた。泊まり込みの長期研修中らしい。しばらくしたら顔出すってよ」

「そう。元気そうだった?」

「とりあえず、体調はな」


 あの夏の夜、タカラの吐息が肌に溶けて、彼の流れる赤い血に溶けて、彼の心臓へと到達したように、また、タカラの吐息は彼の体を侵した。

 頭にモヤがかかる。

 三十八度の熱と甘いはちみつの香りにくらくらした。


「ハヤト……?」

「アラシが、おかしなことを言うんだ」

「おかしなこと?」

「アラシの勘違いだなんだ。そうじゃなければ、オレは今まで何人、小さなお前を殺した事になる? これから、何人のお前を殺せばいいんだ。だから、アラシにちゃんと教えてならないと」


 タカラの頬に触れ、そのまま髪をすくようにかきあげ、軽く引っ張る。


(ほら、やっぱりタカラの髪は銀色じゃないか)


 そう思った次の瞬間、金色の瞳が彼を射貫く。

 

「や、やめて!!!」


 タカラは身を捩るが、べろりと銀色の髪が剥がれ、鮮やかな海色みいろの髪が波を打った。

 軽くウェーブのかかった水色の髪は短く整えられており、ふわりと彼女の顔を包んでいる。いつもの厚ぼったいタカラの髪よりもずっと軽やかで、その髪色と髪型はタカラによく似合っている。

 海の中には、金色の太陽が二つ。


 コップに入った二つの金色は、割れて床に飛び散っていた。


「嘘、だろ、本当に……?」

「ッ……」


 タカラは頭を覆うように手をクロスさせるが、その髪色は一目瞭然だった。


「本当に、テソロ、なのか?」


 もう一度彼女の名を呼ぶ。

 そうすると、タカラは諦めたように両腕を下ろし、そのままぎゅっとその身を抱き締めた。

 俯いたまま、その顔をあげようとしない。


「……アラシが、私をテソロだと見抜いたの?」

「ああ」


 タカラは顔を上げることなく、そのままずるずると座り込んだ。


「タカラ?」

「どうしてこんなひどいことするの? 私は、私のままでいたかった。ハヤト、あんたと同じように、私は私をただの"タカラ"として扱ってくれるあんたが好きだったのに。それなのに、どうしてあんたは私の秘密を暴くようなことをするの?」


 タカラさんは、"テソロ"とは全く別の人として振る舞っているから、きっと誰にも気づいて欲しくないんだと思います。

 そう言っていたアラシの言葉を思い出す。

 けれど覆水は盆に帰らない。床にこぼれた甘い甘いホットミードのように。


「ごめん、でもオレは、お前が誰でも構わないんだ。ただ、アラシが気にしてたから、同一人物じゃないって証明できればいいと思って——」

「気にしていた? アラシは、私に会いたくなかったから来なくなったの?」

「それは違う! お前が正体を隠していたからどう接すればいいか考えあぐねていただけだ、会いたくないとか、そんなんじゃ」

「眩しくなったら、その眼を潰してばいい。セダムの言う通りだ」

「え……?」

「私は此処を出ていく。遅かれ早かれ、私は此処を出ていかないといけなかった。それが早まっただけ」






 タカラが『ツナ缶』から出て行ったのは、それからすぐのことだ。

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