16 偽るのが嫌いなだけ
「あたし達医者は、座学研修の過程で人間と人魚の体がどう違うのか、それを生物学的に学びます。そして、誰も口にはしていないけど、翠色の眼の人魚には——厳密には、透明の血の人魚に毒なんか含まれていないことを悟るし、あたしたちはたった一人の人魚の遺伝子を元に造られたことを知ります」
アラシは、今まで溜まっていた鬱憤を晴らすように、怒涛の勢いで彼に話し続けた。
透明の血は、「ジャノメコオリウオ」という南極に住む魚の遺伝子の特性らしい。
ジャノメコオリウオが住まう低音の水は、暖かい水より遥かに多くの酸素を蓄えることができるため酸素運搬タンパク質を利用する必要がなく、皮膚から直接空気を取り込むことで血漿に酸素を溶かして運んでいる。故にヘモグロビンが血中に存在せず、血の色は赤ではなく透明ということだ。
そしてそれはテソロも同じだという。
人魚は大昔からずっと、生存戦略に有利な遺伝子を掛け合わせることで造られてきた。そこに倫理などなく、掛け合わせの対象は人魚でもイルカでもクジラでもジャノメコオリウオでも、なんでも良いのだ。この国は、人魚を造るための箱庭に過ぎない。
アラシはそんなことを
アラシの言うことは何も間違っていないことを、彼は知っている。その失敗が、彼が日々執行処分している「ナニカ」なのだから。
「今のコピー元の人魚はタイプO、次世代のコピー元の人魚はタイプT、"テソロ"です。あたしは医療従事者としての医者になるために医学を学びましたが、研究医の道を選びました。だから当然、勤務先は海洋研究所になります。配属先は人魚育成二課。タイプTの人魚を培養・量産し、成熟させる課です。もう、気が狂いそうですよ。あたしは赤ん坊の頃のタイプTしか知りませんが、赤ん坊の声を聞いたことがありません。赤ん坊は、ずっと眠ったまま。身体が大きくなると次のグループに引き渡します。その後の赤ん坊がどうなるのかは教えてもらえませんでしたが、想像、つきますよね」
彼の脳裏に、初めて仕事をした時のことを思い出す。人間の研究医が欲しがっていた、子宮の話を。
人魚の寿命は三十余年。人魚は十五になると子どもを孕むことができる。きっと、その赤ん坊たちも十五年も経てば、きっと……。
そこまで考え、彼は思考を止めた。
初めて仕事をしたあの日と同じように。
「タイプTの存在を知った時点で、おおよその予想はできていただろう。それなのに、なんで研究医になんてなったんだ。人造人魚の計画を頓挫してやろうって算段か?」
「そうしたいのは山々ですが、……あたしにはできません。あたしは、どんな理由であれ、人魚を殺すようなことできない。それが分かっているから、あの人はあたしをここに配属したんでしょうね」
「……シロイヒト、とか言われてるんだっけ?」
「ハヤトさんはそんなことまで知ってるんですね。それなのに、よくのうのうと『ツナ缶』に顔を出せますね」
「だからこそ、オレも執行課に配属されたんだろうよ」
「あたしと同じで、見下げた神経してますね」
「ああ。全くだ」
白い肌、白い髪、白い服。フードを目深に被り、白い目隠しをしている面接官で、彼も最終面接の時に対面した。そしてその正体は、——翠の眼の青年だ。
彼が翠色の眼にも関わらず研究所で生かされている価値は、その観察眼にあるらしい。
「それで、お前はテソロに会っていったい何がしたいんだ? コピー元のテソロにクローンの話をして、可哀想だって哀れみたいのか? 研究所への恨み辛みを語りたいのか?」
「ただ、話がしたいだけです。こんなところで軟禁されて、色々思うことも、言いたいこともあると思うんです。でも、誰にも言えない。何かを変えたいわけでも、何かを成したいわけでも、同情してほしいわけでも、慰めてほしいわけでもありません。それでも、話をして、共感してほしいって気持ちはあると思うんです」
「仮にテソロの正体がタカラだったとして、それはトオノさんに話してるんじゃないか。同じ船で住んでるんだ。隠し通すことは無理だろう」
「話しませんよ。だって、店長は人間だもの。あたしにとってタイプTは結局他人事です。だからハヤトさんに話せる。でも、自分のクローンのことを、そう簡単には話せないと思います。タカラさんはきっと、あたしよりもずっと凄惨な真実を知っているはずだから」
そこまで言って、アラシはようやっと言葉を切った。
泣きそうな目で、けれどもしっかりと彼を見つめる。
彼には眩しかった。純朴で真っ直ぐすぎるアラシが眩しい。
自分たちが捨ててしまったものを、アラシは失くすまいと、その爪が剥がれてしまうほど強く握り絞めている。
「今は色々、心の整理が追いついていないんです。おかしいですよね、あたしは、"テソロ"の正体はタカラさんだと分かっていたからこそ話がしたかったのに、いざ研究医になったら、どうしたらいいか分からないんです。タカラさんは、"テソロ"とは全く別の人として振る舞っているから、きっと誰にも気づいて欲しくないんだと思います。だからあたし、タカラさんにどう接したら良いのか分からない。知らないフリをすれば良いのかも、しれませんけど」
「偽らないのがお前の正義、だもんな」
「皮肉ですか?」
「ああ。皮肉だ。でも、お前はタカラに怒ってる訳じゃないとわかってよかった。万が一本当にタカラがテソロだったら、って話だけど」
「怒る訳ないじゃないですか。あたしは嘘つきが嫌いな訳じゃありません。偽るのが嫌いなだけです」
嘘。
偽る。
その日の帰り道、この二つの違いを定義するのは難しいと彼は思った。
彼女の正義が、誰かを救えますように。
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